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2020年3月19日 (木)

オリンピックには新興宗教の香り?

運動やスポーツは走るだけのタイプであってもボールを扱うタイプであっても、好きなら下手なりに楽しいものです。下手なりに楽しいというのは、それを職業や職業に類するものと考える必要がないからです。オリンピックを仕事にしている人たちはそうはいかない。

東京オリンピックをどうするかに関する議論を拝聴していると、なかにはほとんど近代オリンピック教という新興宗教の信者のような考え方のかたがいらっしゃるのでいささか驚かされます。オリンピックの理念や原則といった言葉といっしょに教義らしきものが生な形で姿を見せるのでびっくりするわけです。オリンピックを材料に金儲けを企んでいる人たちではなく、オリンピックを仕事にしている人たちにそういう考えの方が多い。そうでないと仕事にならないのでしょう。

「新興宗教」と言ったのは、IOCができたのが1894年、第一回目のアテネ大会が1896年、つまり近代オリンピックなるものは、わずか125年くらい前(日本だと明治時代半ば、日清戦争の頃)に生まれたました。「新興」です。

新興宗教はその基本的な教義や考え方を、ユダヤ教・キリスト教のような絶対者を想定する宗教的な宗教や、仏教のような絶対者を想定しない哲学的な宗教など三千年から二千年くらい前の世界に生まれた宗教に依拠していることが多い。あるいはそうでなければ、その後世界(に拡がることになった)宗教が出現する以前に各地域に生まれていたその地域固有の神々(たとえばギリシャ神話に登場する神々や日本の神道の神々など)に根差してしていることも多いようです。

近代オリンピックもその基本的な考え方は古代ギリシャ人がオリンピア祭に催した古代オリンピック競技のそれから来ています。古代オリンピック競技は運動だけでなく詩の競演も含んでいたようですが、紀元前776年から紀元393年まで4年ごとに開催されました。

紀元393年の古代オリンピック競技が最後になったのは、その翌年,オリンピック競技会の開催を禁じるテオドシウス帝の勅令が出されたからです。キリスト教徒であったテオドシウス帝は「ギリシャの神」に捧げられるオリンピックを「異教的なもの」(キリスト教の勝手な言い草ですが)として排除しました。ギリシャ人も他民族・異民族をバルバロイ(よくわからない言葉を話す人たち)と呼んでいたので似たようなものです。中華思想では東夷・北狄・西戎・南蛮がバルバロイです。

「宗教」といったのは、オリンピックを仕事にしている人たちにとっては、オリンピックは他のスポーツ競技会(たとえば世界選手権)やスポーツイベントとは違ってたかがスポーツではないらしいからです。そういうところに原理主義的・教条主義的な匂いが漂います。オリンピック以外の競技会は「バルバロイ的」なのでしょう。

古代ギリシアにおいて開かれていた大規模なスポーツの祭典としては、古代のオリンピックにあたる「オリンピュア大祭」のほかに、「ネメア大祭」と「イストモス大祭」と「ピューティア大祭」の三つの競技大会があったそうです。

「オリュンピア大祭」は4年に1度、「ネメアー大祭」は2年に1度、「イストモス大祭」も2年に1度、「ピューティア大祭」は4年に1度開催されましたが、4つの競技大祭のうちゼウスに捧げられるオリュンピア祭が最も盛大に行われたそうです。だから、これが近代オリンピックにつながった。

ちなみに、古代ギリシャの哲学者プラトンは青年期はアテナイを代表するレスリング競技者として活躍し「イストモス大祭」(4年に1度のオリュンピア大祭の開催年の前後の年に、つまり古代オリンピックを挟んで2年ごとに開催された)に出場したらしい(そういう弟子の記録が残っている)。当時のギリシャ世界の世界選手権大会です。オリュンピア大祭(古代オリンピック)と比べると格が落ちる。プラトンがオリュンピア大祭(古代オリンピック)に参加したかどうかはわからない。多分参加していない。プラトンが「バルバロイ的」な「イストモス大祭」だけに参加していたかもしれないというのは何となく興味深い。本当は何十キロも歩くのが面倒なのでアテナイと地理的に近い大会に参加しただけかもしれないのですが。

オリンピックの聖火採火式が行われるのはヘラ神殿跡です(ヘラはゼウスの奥さん)。ゼウスも天の高みから採火式を見下ろしているのでしょう。ギリシャ神話的な意味で宗教的な儀式です。古代ギリシャの神々の息吹が、どうして現在のオリンピック関係者の教条主義的な(ギリシャの神々からすれば異教的な)姿勢に繋がるのかぼくにはよくわからない。


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