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2020年3月 9日 (月)

焼いた慈姑(くわい)が食べたい

突然、慈姑(くわい)が食べたくなりました。

慈姑は水生植物で、水田や浅い池で作る冬の野菜です。そういう意味では、そして収穫作業が骨折りだという意味でも、収穫の季節はレンコンよりはずいぶん短いにしても、レンコンと似ています。慈姑は塊茎(かいけい)を食べます。塊茎とは地下茎の一部が澱粉などを貯蔵してかたまりのようになったもので、たとえばジャガイモも塊茎です。

慈姑(くわい)は、いつの頃からか、正月料理限定の食材になってしまいました。その場合の調理法は、たいていは、芽を大切にした八方剥きの煮物です。それはそれで微妙な味わいで美味しいのですが、それだけではもったいない。

僕のいちばん好きな慈姑(くわい)の食べ方は、丸ごと焼いて、それに塩をつけて食べることです。その味わいは、柔らかい焼き栗(くり)で、しかし栗とは截然と一線を画して、微妙な甘さと苦さが実に程よく混淆しています。

クッキングシートに慈姑をのせて、オーブンで180℃、30分。熱が通り香ばしい感じになったら、オーブンから取り出し、熱いので芽の部分を指でつまむようにして持ち、塩をつけてそのまま食べます。皮も何もそのまま全部です。渋い味わいを堪能できます。焼いた丸ごとを最大に楽しもうとすれば、一緒にぬる燗の日本酒です。

慈姑を焼いて食べる食べ方は水上勉の本で知りました。水上勉が書いた「土を喰う日々」という本があります(発行は昭和53年)。副題は「―わが精進十二か月―」。最初(つまり一月)の章に「くわい」を焼いて食べる話が出てくるので、その一部を引用します。

『くわいを焼くのは、この頃(引用者註:この頃とは著者がある禅宗寺院の管長付きの食事の準備も含む雑用係の頃でおそらく1935年から1937年くらい)からのぼくのレパートリーだった。・・・一般には煮ころがしか、あるいは炊き合わせにしかされないこれを、ぼくは、よく洗って、七輪にもち焼き網をおいて焼いたのだった。まるごと焼くのだ。・・・ぷーんとくわい独特のにがみのある匂いが、ぷしゅっと筋が入った亀裂から、湯気とともにただようまで、気ながに焼くのだ。・・・』

一月の章に登場する慈姑ですが寒い時に食べる食材ではあってもお正月料理との関連に関する記述はありません。

吉田健一が昭和46年(1971年)くらいに書いた「私の食物誌」という食べものエッセイを読んでいたら「東京の慈姑」というのがあり、そこに出てくるのはただ煮てあるだけの煮物と茹でてすり潰したのを揚げたもので、そこでは季節感は希薄です。『兎に角一度食べれば忘れられないもので一時はこれさえあれば御馳走と思ったものだった。しかし今日は慈姑があると言われたりもしなかったからこれが時々食事に出ていた頃はそう珍しいものでもなかったに違いない。』

つまり、慈姑は1960年代くらいまでは、冬の食材として、正月以外にもそれなりに賞味されていたようです。

慈姑(くわい)の生産は、現在は、その90%が広島県福山市と埼玉県南東部に集中しています。京都では生産量はわずかですが京野菜のひとつです。

「慈姑」の東京都中央卸売市場における、令和元年までの過去5年間の取引量の月別割合は

1月(3%)
2月(1%)
3月から9月まで(取引なし)
10月(3%)
11月(17%)
12月(77%)

なので、正月料理が中心ではあるものの、今でも限定的に冬の食材として利用されているようです。ただしデパ地下やスーパーの野菜売り場では年末以外は見かけないので、市場から卸し業者経由で料亭や料理屋に直接向かうのでしょう。

慈姑は、塊茎は皮をむいて水にさらし、アクを抜いてから調理する、シュウ酸を含むので、茹でこぼすのがよい、とされています。シュウ酸はいわゆるアクの成分で、シュウ酸を多く含む他の食材にはホウレンソウやタケノコがあります。そうではあるのですが、しかし、アクもその程度ということです。それを含めた丸ごとが美味しい。

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     以前に焼いて食べた慈姑(サイズは小ぶり)


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