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2020年8月 6日 (木)

むつかしい、と、むずかしい

難しいをどう読むか。ぼくにとってのデフォは「むつかしい」でした。今でもそうです。

おそらく小さい頃に祖父からよく日本昔話や源平合戦の物語などを聞いていたときに――あるいはその他の機会で――「むずかしい」ではなく「むつかしい」という音を持った言葉が刷り込まれたのだと思います。ぼくも音が濁っていないほうが好きだったのでしょう。

「むつかしい」は「むずかしい」よりもどうも少数派のようです。あるとき「難しい」を「むつかしい」と読んだら、珍しいですねと言われたことがあります。「普通は『むずかしい』ですよね。」

小林秀雄の若い時の文芸評論集のようなものに目を通していたら、「むつかしい」を含む次のような刺激的な論述に出合いました。少し長いですが、小林秀雄らしさが溢れている一節なので、そのまま(ただし漢字は新漢字を使用)引用してみます。

 『わたしの評論がむつかしいといふ奇態な抗言を屡々(しばしば)聞く。私は難しい理窟を捏ねた覚えはない。むつかしい理屈なるものが、如何に粉飾態であるかといふ以外に、凡そ理窟といふものを述べた覚えはないのである。
 仮に私の評論がむつかしいとするならばそれは二つの理由によるので、それ以外の理由はない。第一に、わたしの表現技巧が拙劣である事、第二には、単純な事実を語る事は、複雑な理論を語る事よりも、遥かに困難なわざであるが為だ。それにしても、私の評論がむつかしくて解らないなどといふ若々しい新進作家達は、一体どんな気で小説などといふものを弄(いぢ)ってゐるのか。理論が不得手である事は、作家そのものの特権と心得てゐるのか。今日の青年作家達が、まだ昔乍らの戯作者根性を捨てきれぬとは、吾が国民の美風であるか。
 私は知っていゐる。私の評論は、諸君の小説より百倍もむつかしい。だが、バルザックの小説より千倍もやさしいのだ。私のたわいもない論理をむつかしがるが如きは、凡そ作家たるものの恥である。諸君にとって一体何が一番やさしいのであるか。恐らく諸君には答へる勇気があるまいから、私が代わって答へるが、諸君のとぼけた理性にとって、あらゆる理論はむつかしく、唯、やさしいものは実人生なのだ。』(「アシルと亀の子 IV」)


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