枝を手折(たお)る
先日のブログ記事「桜狩り、サクランボ狩り、紅葉狩り」で、次のように書きました。
《「世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」は、折り取られた桜の花枝がそのあたりを歩く(あるいはそのあたりで舞う)人たちの頭髪や帽子(冠)にさされたのがたくさん見られたほうが背景としてはいちばん感じが出ます。もっとも最近は、自宅の庭の桜以外でそんなことをすると少々ややこしいことになってしまう恐れもありますが。》
「世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」は古今集と伊勢物語の中の歌なので、十世紀初めの日本では春のお祝いや喜びに花の咲いた桜の枝が人々の手で折り取られていたらしい。
以下は「方丈記」からの引用です。蛇足ですが、鴨長明はその歌が新古今に十首も入集(にっしゅう)された歌人でもあり十二世紀後半から十三世紀初めにかけての方です。
「かへるさには、折につけつつ桜を狩り、紅葉(もみじ)をもとめ、わらびを折り、木の実を拾いて、かつは仏にたてまつり、かつは家づとにす」(帰り道は、季節に応じて、春なら桜の枝、秋なら紅葉(もみじ)の枝を手折り、ワラビを折ったり、木の実を拾ったりして、それらを仏前にも供え、土産にもする)
草庵に一人で住んでいた彼も、季節の折々には、出先からの帰り道に、ワラビを摘み木の実を拾い、そして桜や紅葉の枝を手折っていました。時間の範囲を控えめに言って九世紀の後半から十三世紀の前半くらいまでは、季節の手折りは、自然の草木と人との当時の関係が滲み出たとても自然な行為だったようです。
今年はなかったにしても、たいていは桜の樹の下の宴会で酔っ払って枝を折り取るオジサンやオニーサンという存在が登場しますが、自然保護にうるさいおばさんもそういうオジサンの行為に対して目くじらを立てることもないのかもしれません。
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