徒然草の中の神仏習合
サラッと書いてあるのでサラッと読んでしまうのですが、不思議と言えば不思議な記述です。徒然草の第百九十六段は次のような書き出しで始まります。
「東大寺の神輿、東寺の若宮より帰座の時・・・」(東大寺の御輿が、東寺に新設した八幡宮から奈良に戻されることになったときに・・・)。寺に神輿(みこし)があり、寺に宮(みや)がある。
書いているのは吉田兼好。出家したので「兼好法師」と呼ばれていますが、彼の本名は卜部兼好(うらべかねよし)。「卜部」は卜占(ぼくせん)を司り神祇官を出す神職の家系なので、彼の中では何の不思議もなく「神仏習合」あるいは「本地垂迹(ほんちすいじゃく)」が生きていたようです。
「本地垂迹説」とは、日本の八百万(やおよろず)の神々は、仏教の様々な仏(菩薩なども含む)が化身として日本の地にかりに現れた権現(ごんげん)であるとする考えで――「権」は一時的な、かりそめの手立て、という意味、従って「権現」はかりそめに現れた、という意味――だから、各地に「熊野権現」のような「・・権現」があり、また神社内には神宮寺が作られ、「八幡神」は「八幡大菩薩」という名前でも祀られています。
確かに京都の東寺には小さな神社があります。空海は東大寺に関係していたとしてもその誕生の経緯については不案内でしたが、こういう一節を読むと、兼好が生きていた時代との距離が急に妙に縮まった気分にはなります。
神仏習合が今でもしっかりと存続しているのは、ぼくたちはそれをほとんど意識しませんが、身近な例で言えば、初詣です。ぼくたちはその場所が神社か寺か、とくには気にしません。たいていは近所の、いつもの神社やお寺に参拝・参詣します。そこに仏と神が本地や権現としてあるならそこが神社でもお寺でもどちらでも構わないわけです。
関連記事は、「神仏習合について雑感」と「神と仏の二重構造や神と神の二層構造と、グローバリゼーション」。
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