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2020年10月14日 (水)

「従って」が多すぎる、従って、解りにくい

かつてベストセラーになった刺激的な内容のエッセーがあります。必要があって一部を読み返していたところ、黙示文学に関する論述のなかで、「従って」という言葉がやたらと出現する箇所に出会いました――著者はもともと「従って」という接続詞がお好きな雰囲気ではありますが。

書き手が「従って」を繰り返すときは、その一節を書き進めているときの書き手の強い気持ちがその論述の展開に滲み出てきて、それが「従って」という接続詞の多用となる場合があるとしても、読み手はその繰り返しを鬱陶しいと感じるかもしれません。ぼくは「従って」の頻出がけっこう気になりました。

その一節の《原文》と、《原文から「従って」をすべて取り除いた場合の文章》を以下に並べてみます。

《原文》

《これには別の理由もある。ユダヤ人は、モーセの第二誠によって、実質的には絵画・彫刻を禁じられたに等しかった。従って、ゲルニカ(引用者註:ピカソのゲルニカ)を描こうとすれば、それを文章になおした形にならざるをえない。従って読者諸君が、一度実際にゲルニカを文章になおしてみれば、ある程度、その表現方法が理解していただけると思う。従ってこの逆も可能で、黙示文学はそのまま絵になるのであって、『ヨハネ黙示録』の多くの場面は、二千年にわたって、キリスト教美術の主要なモチーフになっている。またいわゆる「聖画」が氾濫する理由もこれであり、一方、古代のさまざまのレリーフや彫刻には、それを文章になおせば、そのまま黙示文学的表現になるものも少なくない。従って、こういった表現は、考えようによっては、別に珍しくないともいえる。》(下線は引用者による)

《「従って」をすべて取り除くとどうなるか》

《これには別の理由もある。ユダヤ人は、モーセの第二誠によって、実質的には絵画・彫刻を禁じられたに等しかった。ゲルニカ(引用者註:ピカソのゲルニカ)を描こうとすれば、それを文章になおした形にならざるをえない。読者諸君が、一度実際にゲルニカを文章になおしてみれば、ある程度、その表現方法が理解していただけると思う。この逆も可能で、黙示文学はそのまま絵になるのであって、『ヨハネ黙示録』の多くの場面は、二千年にわたって、キリスト教美術の主要なモチーフになっている。またいわゆる「聖画」が氾濫する理由もこれであり、一方、古代のさまざまのレリーフや彫刻には、それを文章になおせば、そのまま黙示文学的表現になるものも少なくない。こういった表現は、考えようによっては、別に珍しくないともいえる。》

「従って」のない文章は意外とすっきりとしています。しかしそれは読み手がそう感じるだけであって、書き手にとっては、「従って」がないと、少なくとも著者心理的には、画竜点睛を欠くということになりそうです。

関連記事は「文間文法(ぶんかんぶんぽう)という見慣れない用語」。

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