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2020年10月19日 (月)

言語は時間をかけて、規則性が少なく組み合わせが自由な方向に流れていくらしい

ぼんやりとであっても、まわりの(ないしは世界の)言葉の動きを眺めていると次のような事態には気がつきます。

・強い政治経済的な背景があるにせよ、屈折系言語では他の言語ではなく、英語が抜きんでて世界標準的な役割をしている。インターネットなどでもそうである。

・(中国本土での簡体字への移行ということはさておいて)中国語で「・・・的」という表現が増えてきた。たとえば、「我的手机」(私の携帯電話)、「幸福的家庭」(幸せな家庭)、「西方的力量」(西洋の力)、「虔誠的基督徒」(敬虔なクリスチャン)。そういう表現は、中国の古い文章の集合体であるところのたとえば古典授業用「漢文教科書」にはおそらく載っていない。

・日本語では、「旧仮名遣い」や「係り結び」といった言葉の規則性や関係性がいつの間にか消えてしまった。たとえば、「ゐ」や「ゑ」、「その中に、もと光る竹なむ一筋ありける」や「名こそ流れてなほ聞こえけれ」。

世界の言語は、通常、孤立語、屈折語、膠着語の三つに分類されます。

「孤立語」の代表例が中国語。それぞれの単語が孤立(自立)していて、それぞれの単語が個別に意味を持っています。日本語のような助詞(・・は、・・を)は使わない。中国語で「私はあなたを愛している」は「我愛你」。「孤立語」なのでそれぞれ語が、たとえばドイツ語(Ich liebe dich.)のような活用や格変化をすることはありません。

屈折語は古代ギリシャ語、サンスクリット語、フランス語、ドイツ語などです。英語も屈折語ですが、屈折語の中では屈折度が少ない言語です。屈折とは活用のことで、動詞の人称変化や時制、名詞の格変化(主格・属格・与格・対格・呼格)などの文法的性質を指しています。

古代ギリシャ語だと、「ギリシャ語の活用変化(語形変化)は大別して、名詞変化(declension)と動詞変化(conjugation)の二種になる。形容詞や代名詞等の変化は名詞変化に含まれる。」「数は単数(singular)、双数(dual),複数(plural)の三つがある。」「ギリシャ語においては、人称や数が動詞の変化の中に示されているわけであるから、とくに強調せんとする時以外には、代名詞の主語を置くということはない。従って外見上主語のない文章はギリシャ語においては極めて普通のことである」(田中美知太郎・松平千秋 著「ギリシャ語入門」)という具合です。

膠着語は、そのひとつが日本語ですが、助詞や接辞などの機能語が、名詞・動詞などの自立語にひっついて文が構成される言語のことです。「うちはあんたが好きや」の「は」「が」「や」は、それ自体では実質的な意味を持たない、機能語です。膠着語では、そういった機能語が、「うち」「あんた」などの名詞(自立語)や「好き」などの動詞(自立語)に付着して文が構成されます。

中国語における「・・的」という表現の増加は、孤立語に日本語のような膠着語の便利さ(孤立したものをねばねばとくっつける性質)が取り込まれつつあるということです。前述した例を再掲すると「幸福的家庭」(幸せな家庭)や「西方的力量」(西洋の力)などです。その背景にある理由は「和製漢語」の輸入と、あるいは似ているかもしれません。言語として時代の変化に俊敏に対応するためにはその言語の表現柔軟性を高める必要がある。

19世紀末~20世紀初期に日本で作られた「和製漢語」のなかで、中国で普及したものには、たとえば、次のような熟語があります。和製漢語を輸入しないと中国語は西欧の脅威、時代の変化、文化の変貌に対応できなかった。

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「中華人民共和国駐日本国大使館 ウェブサイトの記事 《和製漢語:中国 日本と世界を繋ぐ絆》によれば、中国は、20世紀初頭に『独立、平等、自由、民主、法制、主権、民族、国際、哲学(西周による)、美学(中江兆民による)』といった和製漢語を輸入し――現代中国語における『社会科学関連語彙の六割は和製漢語』――、また20世紀の終わりごろからは『人気、写真、料理、新人類』などの新しい和製漢語を再び取り入れ始めたそうです。

ある言語の他国や他地域への浸透力はその言語を主言語とする国々の政治力や経済力に基づくとしても、自国語以外の言語を使う必要に迫られた場合でそれが屈折語だと、その中では屈折の度合いが低い言語が選好されるのは理にかなっています。つまり、フランス語やドイツ語ではなく英語です。

高度な屈折性をそなえた言語は、それを母国語とする人には肌理(きめ)細かい配慮が可能ですが、外国語(や古典語)としてそれを学ぶ人にとっては、自国語がそういう性質のものでない場合は、その屈折性が学びのとても高い参入障壁になりますが、英語はその障壁がまだ相対的に低い。

日本語は、ややこしい言語規制を水に流すように取り払ってしまったあとどこへ向かっているのか。ひょっとすると「オノマトペ(擬音語と擬態語の総称)」的な表現方法を拡大・強化する方向に進展しているのかもしれません。言葉のアニメ化とも言えます。画像や映像としてのアニメは輸出力の強い日本の卓越した文化なので、言語のアニメ化傾向というのも悪くはありません。「オノマトペ」的な表現自由度が強化された日本語が「和製漢語」のように中国に浸透して中国語を変えるかもしれません。今後のお楽しみです。関連記事は「ぴえん超えてぱおん」。

 


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