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2023年9月

2023年9月29日 (金)

「すだち」でポン酢

毎年ポン酢を作ります。果汁は柑橘類の実から絞るとして、選択肢は「ゆず」「すだち」「ダイダイ」などです。

札幌で暮らしていた頃も、その季節だと、関西系のデパートに行けば箱入りの「すだち」が売り場に――やや控えめに――積み上げられていました。

今は暮らしが四国東北部の瀬戸内なのでポン酢の果汁素材はどれにするかで少しは迷うにしても、この季節は選択肢は一択で、つまり「すだち」です。「すだち」は今は収穫(出荷)最盛期をやや過ぎたあたりで、ハウス物や露地物の出荷開始直後と較べると箱売りの値段はほぼ半分になっていて、ポン酢作りには具合がいい。

面白いのは、サイズごとの価格で、いちばん値が張るのが――といっても上述のように9月下旬は安い――「2L」サイズ、いちばん安いのが「L」サイズ、その中間が「3L」です。

二つに輪切りにして料理(たとえば刺身皿)に添えるときに、大きさからいって「2L」がいちばん使いやすい。だからそういう価格設定になるのでしょう。「L」だと大きさがやや貧相だししたがって果汁もその分少ない。「3L」だと果汁は多いし姿かたちも貧層ではないけれど料理のプレゼンテーション(盛り付け)上、画竜点睛を欠くに近い状態で、つまり大きすぎて品がいいとは言い難い。

「3L」は家庭料理では大きすぎるとは思われないけれど、世間ではそういうことになっているのかもしれません。それから、いちばん安い「L」サイズは一膳めし屋なんかで刺身や焼魚といっしょに出すにはけっこう気が利いています。

しかし料理ではなくポン酢作りということになると、果汁を絞る効率が大いに関係するので、いちばんありがたいのは「3L」です。全般的に値が下がっている上にそれが「2L」よりも安いとなると今を置いてポン酢作りの季節は他にない、ということになります。したがって我が家では下の写真のような光景が秋に二回は出現します。

下の写真は札幌で2021年9月中旬のある夜にポン酢作りのために「すだち」を絞っている時の様子。「すだち」のサイズは2Lで、関西系デパートの野菜売り場で購入したもの。

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2023年9月28日 (木)

カリフラワーの苗を植えてみた

カリフラワーはまだ栽培したことがありません。試しに育ててみることにしました。

JAの野菜や果物の直販店に行くと、JAらしく食材だけでなく、季節の野菜の苗も食材のそばのそういうコーナーで販売されています。そこにある野菜の苗が並んでいるということは、普通は、その苗が今は植え時だという意味です。黒いミニポットに植わったカリフラワーの苗が30個ほど並んでいました。4個購入しました。ホームセンターの種や苗の売り場でうろうろするよりも――それも楽しいものですが――手数がかかりません

収穫前のカリフラワーのイメージは下の写真(サカタのタネのウェブサイトよりお借りしました)のように頭の中に存在するのですが、苗からソフトボールを倍くらいにした大きさの白い花蕾に生長するプロセスが、途中の日焼け防止対策を含めてうまくイメージできていません。

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苗を4つ植えてみました。苗間(株間)は40センチメートルくらいです。土には前もって苦土石灰を鋤きこんでありますし、苗の根の周りには有機化成肥料を加えました。カリフラワーは倒伏しやすいのでしっかりと土寄せしないといけないようですが、どうなりますか。追肥の時にでもしっかりと土寄せをするつもりです。

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     株間(苗間)40センチメートルのカリフラワーの苗を4つ

カリフラワーはアブラナ科でブロッコリーの仲間です。しかしブロッコリーのようにわき芽が成長して何度も収穫できるタイプではありません。カリフラワーの収穫は一株につき一回つまり一個だけです。順調に生育しても四つの苗から白い花蕾は四つしか収穫できません。地中から次々と新芽を伸ばすユリ科のアスパラガスともけっこう違います。


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2023年9月27日 (水)

橙の下生え用の匍匐性タイムが元気

橙(ダイダイ)の下生えの匍匐性タイムが元気です。青々としていて徐々にではあるけれど晩春から夏、そして秋にかけてどんどんと匍匐前進を続けています。

一年半ほど前に橙の下生えとして最初に植えたカーペットかすみそう(霞草)はきれいな白い花を咲かせましたが季節の植物なので持続が求められる下生えとしてはうまく機能しませんでした。それから、カーペット状にするにはびっしりと敷き詰めないといけない。狭い範囲とはいえ数個の円い広がりを点在させるだけではいささか物足りない。

次に白い花の咲く芝桜を数苗植えてみました。今も健在ですがとくには周りに拡がらないタイプであることがわかりそれだけでは下生えとしては不十分なので、最後の手段で――最後かどうかはわからないけれどそのつもりで――匍匐性タイムを植えてみました。

水遣りを忘れず、また橙に使う予定の自然素材の活性剤(1000倍に希釈して使う)も月に一度くらいの頻度でこのタイムに振りかけてやったところ、勢いよく四方に匍匐前進を開始し、対象とするところの地面はそれなりに覆われてきました。芝桜ともうまく共生中です。しかしまだ十分ではないので来年の夏が来る頃には橙の育っている丸い区画の地面はほぼ匍匐性タイムで覆い尽くされると思います。

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2023年9月26日 (火)

ハタキ雑感

正絹を使ったハタキを和風ハタキ――着物姿の主婦がかけるとよく似合うことになっているハタキ――、そして鳥の羽根を使ったハタキを西洋ハタキ(あるいはフェザーダスター)と名づけるとして、我が家では和風と洋風の両方を利用しています。しかしいつの頃からか羽根ハタキの出番が多くなってきました。

正絹ハタキは知り合いの女性にいくつか作ってもらったものを長年愛用しています。布は絹であってもパタパタと埃を払うので向いているところとそうでないところが出てきます。オールラウンドなのは羽根ハタキです。

高いところから床にかけての埃取りはぼくの役目で、高いところには天井に設置した照明器具や壁掛けタイプのエアコン、壁にかけた版画や時計、背の高い本棚、カーテンレールやウォークイン・クロゼットの帽子箱やハンガーなどが含まれます。床は、ときどきはドイツ製の強力な真空掃除機も使いますが、日常作業はもっぱらサイクロン方式の電気掃除機です。高いところと床の途中にはテーブルや机や椅子、あるいはテレビの裏側の配線周りなどがあり、これも日々の埃取りの対象です。

床の水拭きは、実際には市販のウェットシートを利用することが多いとしても、台所や浴室、洗面所やトイレの掃除を担当する配偶者の仕事です。

掃除機をかける前の埃取りですが、羽根ハタキも一本では具合が悪い。本棚の各棚やそこの本や書斎の机の上などは持ち手の短いコンパクトな羽根ハタキ、そうでないところは長めの、しかし長すぎない羽根ハタキが向いています。最近、けっこう長い羽根ハタキを購入しました。高いところの埃を楽に取るためですが、作りや重さも長さに比例してがっしりとしたものになるので、大は小を兼ねません。三本に役割を分担してもらっています。

それから、パソコンやタブレット端末の埃取りは、テレビ画面を含めて、ハンディーワイパー(化学系繊維のフワフワ埃取りシートを装着するタイプ)に頼っています。これも広い意味ではハタキです。ハタキは重宝な道具です。


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2023年9月25日 (月)

アスパラガス、根元焼却後に新芽がニョキニョキ

アスパラガスの栽培経験が豊富なかたにとっては慣れ親しんだ景色のひとつかもしれないとしても、今年の晩春から立茎栽培を始めた初心者にとってはいささか驚きの光景です。

季節を勘違いしているのか、アスパラガスとはもともとそういうものなのかよくわからない。

アスパラガスの立茎栽培は、一部は若い芽をちょうど筍(たけのこ)を収穫するように刈り取って『野菜のアスパラガス』としていただくとして、残りは自由に成長させます。若芽が地中から顔を出し、そのままにしておくと1メートル半くらいまで大きく育ち、そして柔らかい松葉のようなふわふわした緑の葉を茂らせるのですが、それがひとつの苗につきそれぞれ二十本程度になります。緑のフワフワは光合成によって地下の根に養分を行き渡らせ、栄養いっぱいの元気に伸びた根からまた新芽が出てくるという生育の循環です。

しかし朝夕のやや冷ややかな秋の空気とともに徐々にあるいは部分的に枯れ始めた茎が増えてきて、アゲハの幼虫などもまだ枯れていないフワフワ緑に見かけるようになったので、思い切って茎を根元から全部刈取りました。茎枯病を発生させる黴菌を防ぐためにカセットボンベを利用するタイプのガスバーナーで、刈り取った根元を焼却しました。その焼却が9月18日。焼却後に苦土石灰を撒き、軽く追肥。

下の写真は焼却四日後の9月22日の早朝です。それぞれに新芽が――もう少し伸びたのをそのまま食べたら野菜の『アスパラガス』です――出ていて(その時点で十本)、思わぬ季節の贈り物という印象です。季節を勘違いしているのか、そもそも露地栽培のアスパラガスは春と秋の二回収穫できるものなのかよくわからない。ともあれ、美味しくいただこうと思っています。

北海道の夏のようです。

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                  新芽が二本
B_20230922094201
                 新芽が五本
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                 新芽が三本


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2023年9月22日 (金)

食べるスープ・飲むスープ、食べる味噌汁・飲む味噌汁

「スープを飲む」は英語では通常は「eat soup」です。中学生の時に英語教師からそう教えられました。

スープはスープ皿などからスプーンなどを使って食べるので eat soup。スープでもコーヒーを飲むようにカップに直接口をつけて飲む場合は drink soup ということになっているようです。どんなタイプのスープかは、つまり、ポタージュかコンソメかは、関係ありそうで関係ない。澄んだコンソメも「食べる」し、そしてこれが濃厚なクラムチャウダーとなると深めのスプーンを使って「食べる」以外の接し方は考えられない。

味噌汁はどうかというと「味噌汁を飲む」です。「椀」に盛られた味噌汁を「箸」を使って「飲む」ということになっています。具だくさんな味噌汁で、箸を使って具を食べても、「食べる」とは言わない。澄まし汁も飲むものです――出汁の効いた透明な汁の中のわずかな具を「箸」でゆっくりと口に運ぶとしても。

我が家の味噌汁は食べる味噌汁です。とくに朝食の時は具を意識して多くしているので味噌汁は飲むというよりも食べると言うほうが相応しい。使う味噌は十数年間、毎年寒仕込みでつくり続けている手前味噌(自家製味噌)です。大豆や麹を厳選し、ゆっくりと常滑焼の甕で寝かせた美味しい味噌です。

我が家では eat soup という表現に違和感がありません。


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2023年9月21日 (木)

アスパラガスの刈り取った根元をバーナー焼却

先日のブログで「そのうち、あるいはもうそろそろ、根元近くから刈取り、茎枯病の原因となるカビ菌を退治するために、刈り取った根元をバーナー――ガスカセットボンベを利用するバーナーがアウトドア製品として販売されている――で焼却してやる予定です。その後、追肥して、越冬です」と書きました。

冬はまだ先だとしても、立茎栽培中の茎の本数の半分くらいは枯れ始めてきたし、枯れ始めていなくて緑の葉を持つ茎にはアゲハの幼虫が生息し始めたので、全部のアスパラガスを、といっても四つ植えた苗のうちの元気に茎を増やした三つを根元から刈り取ってバーナー焼却しました。翌春以降の今後十年間の収穫に備えるためです。刈り取ったあとには、苦土石灰を撒き米糠も撒いてやり、軽く追肥もしておきました。(バーナー焼却後、地中から新芽が顔を出したのには驚きました。20~25センチくらいまで伸びたら食べてしまいましょう。)

柑橘類でもないところのアスパラガスの、柔らかいとはいえ松葉のような細い葉にアゲハの幼虫が取り付くというのは、そういうこともあるのかと驚きだったのですが――つまり葉の面積の広いレモンやダイダイと違ってどこをむしゃむしゃ齧るのかよく理解できないということです――成虫のアゲハ蝶も賢いはずなので、ダメな場所には卵は産み付けない。アスパラガスをあたらしい子孫繁栄の場所と認識したのかもしれません。

そういえば、地中から伸び出てまもないアスパラガスの若芽の何カ所かが齧られていました。適当に食い散らかしたというような酷い状態で、それがなければ美味しそうなのに、食用にはなりません。これも葉に丸くあるいはギザギザの大きな穴を開けながら食べ進むアゲハの幼虫の仕業だとすると、奴らはまったく隅に置けない。バーナー焼却してやろうか知らん。

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2023年9月20日 (水)

蝶々はなぜそこにいる?

凡ての生物は、この文章を書いている当事者も含めて、そこに存在する理由があるからそこで生きているという考え方があり――そうでない考え方もあるとしても――その考えに従うと連続殺人犯もアゲハ蝶やモンシロチョウにも存在理由があることになります。

蜂は、スズメバチなどは刺されると一大事ですが、ミツバチなどは蜂蜜を生産してくれるし、またたいていの植物の受粉を媒介してくれるので彼らの存在の理由というのが――ヒトというものにとっての存在理由ということになりますが――簡単に想像できます。

しかし、蝶々はひらひらしているのを見ている分には季節を感じて楽しいし、「てふてふが一匹韃靼海峡を渡って行った」(安西冬衛「春」)のような壮大で絵画的な光景の蝶々も捨てがたいものがありますが、蝶々は「連続殺人犯」(正確には「連続殺『葉』犯」でもあるので)、すべてのものには存在理由があるので好き勝手をさせてもよいという考え方には賛同しかねます。

凶悪な(と言う形容詞をつけてみますが)連続殺人犯が出現したら警察は彼(ないし彼女)を逮捕し、状況によっては判事や住民が彼や彼女に死刑を宣告するように――それを一応まっとうな考え方だとすれば――休むことなくいろいろな植物の若い葉を食べ尽くそうとする蝶々の卵や幼虫を殺虫殺菌剤などの手段で排除するのもまっとうな考え方ということになります。

ほんとうは蝶々というような鬱陶しい存在はこの世からすっかり消えてほしいとしても、「凡ての生物は、この文章を書いている当事者も含めて、そこに存在する理由があるからそこで生きているという考え方」に従えば、そうもいかない。穏和な殺虫殺菌剤で彼らの接近を防御する(あるいは排除する)か、あるいは犯人を恨みながら傷だらけになった葉を処分してやるか、それ以外の対応策を思いつかないので気分は鬱陶しい。


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2023年9月19日 (火)

中学生教科書に採用された吉行淳之介の短篇

吉行淳之介の「暗室」を久しぶりに読み返したくなりそれが収まっている「吉行淳之介自選作品 V」を本棚から取り出しました。ページを繰っていると中から「枝折り」と題された12ページの月報風の印刷物が出てきて、そこに「童謡」という短編小説が、かつて(昭和四十一年に)、中学三年生用の国語教科書(三省堂)に、芥川龍之介の「鼻」と並んで採用されたと書いてあります。

吉行淳之介と中学生用教科書とは似合わないにしても、「童謡」を読むとその選択は不思議ではありません。

その「童謡」は彼の短編集「子供の領分」に他の十篇の短篇や随筆といっしょに収められていて、その内訳は小説が「夏の休暇/暗い半分/梅雨の頃/斜面の少年/悪い夏/崖下の家/童謡/子供の領分/窓の中/春の声」)、随筆が「子供の時間/私と教科書」です。

「童謡」は病気になって入院した中学二年か三年生くらいの少年の心理の変化を描いた短編で、同級生の男の子と女の子が登場しますが、その中に

「僕は静かな大男、
枕の丘から眺めてる。
すぐ眼の前は谷や野だ。
楽しい蒲団の国なのだ」

という外国の童謡の一節が挿入されています。入院前に見舞いにきた友人の男の子がその一節を歌い「君は蒲団の国へ行くわけだな。あそこはいいぞ」とうらやましそうに言います。

主人公の少年は熱が続いてひどく痩せ、うまく歩けなくなり、病院で歩行練習をしている時にお見舞いに来た少し知り合いの同級生の少女とぎこちなく言葉を交わします。なかなか回復しないので転地療法で親戚の家があるところのもともと生まれた土地に運ばれますが、そこでどういうわけかひどく太り始め太るばかりで体重は落ちません。それでも入院前の元の住所に帰るとまた痩せ始めます。しかし体重は発病前の状態に戻ったのに、走り高跳びは以前の高さがどうしても跳べません。

中学三年生用の教科書に載ったこの短編は「自分の内部から欠落していったもの、そして新たに付け加わってまだはっきり形の分からぬもの。そういうのがあるのを、少年は感じていた」で終わります。

吉行淳之介の作品はそのほとんどが他者との間にある距離の具合やその様相の変化、あるいは他者との関係についての構造や色彩やその濃淡を描くもので、他者は男性でも女性でも大人でも子供でもかまわない。ストーリーの展開などは気にせずに、相手との距離の変化や関係の変遷描写を楽しむのも吉行の作品の読み方のひとつだと思います。

驕慢な少女がいたとして、彼女と対峙する主人公が「少女の眼の奥をじっと見つめた。彼女の内部で何かが確実に壊れた」といったいささか残酷な一文が吉行の他の作品にあったと記憶していますが、それも短いものなら「童謡」と同じように教科書に採用されてもおかしくない。

昭和四十一年は1966年なので、その教科書が三~四年は使われたとしたら、その頃十五歳だった中学生は今は七十歳くらいです。当時、先生から無理やりに「童謡」の読書感想文の提出を求められたとして、彼ら(あるいは彼女ら)はどんな感想文を提出したのでしょうか。


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2023年9月15日 (金)

アスパラガスにアゲハの幼虫

アスパラガスは涼しい気候を好みます。だから長野や北海道で栽培が盛んだといっても、瀬戸内でも栽培できないわけではありません。旬の時期には地元産のアスパラガスが野菜売り場に並んでいますし、家庭菜園でも育成できます。

しかし、瀬戸内ではアスパラガスの収穫時期も今年はもう終わりかもしれません。野菜売り場の棚に並ぶ地元産のアスパラガスが少なくなり、食べたい姿かたちの元気そうなのは北海道産です。家庭菜園のアスパラガスも上に向かって長くふさふさと伸びていたのが八月下旬あたりから、一部、枯れ始めてきました。しかしまだ新芽は地面から出てくるので、三日ほど前に数本いささか細いのを美味しくいただきました。

今年は苗を植え付けた初年度なので、新芽を食べるというよりも、あの柔らかい松葉のような葉をいっぱいに繁らせて、そのふわふわの緑の葉の光合成力で地中の株を成長させることに留意しましたが、配偶者の要望もあって、ぼくの希望も少し混じって、十数本は売り物になるようなレベルのアスパラガスを市販のアスパラガスと混ぜ合わせて賞味しました。

そのうち、あるいはもうそろそろ、根元近くから刈取り、茎枯病の原因となるカビ菌を退治するために、刈り取った根元をバーナー――ガスカセットボンベを利用するバーナーがアウトドア製品として販売されている――で焼却してやる予定です。その後、追肥して、越冬です。

その状態のアスパラガスのまだ柔らかいであろう緑の松葉風に、三~四センチメートルの茶色い細長いものがまとわりついているのを発見しました。仔細に観察すると、全部で数個、アゲハ蝶の幼虫です。

アゲハの成虫(蝶々)は九月中旬でもまだ元気にそのあたりを飛び回っています。彼らの活動時期は三月から十月のようなので、あと一ヶ月くらいはそのあたりで不思議な飛行曲線を描くはずです。

朝夕は秋の気配が外気に滲む季節になってもアゲハの芋虫にレモンやダイダイの若い葉が相変わらずむしゃむしゃ食べられる。それは仕方ないとしても、個々の表面積が頼りない松葉のように少ないアスパラガスを餌にするとは驚きです。まもなくその新しい餌場も消失するとして、次に彼らはどうするのでしょう。鬱陶しい存在なので春も夏も秋もどこかに消えてほしいとは思いますが。


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2023年9月14日 (木)

秋という文字の意味

山崎正和作の戯曲「世阿弥」を大きな活字の電子書籍でゆっくりと楽しんだあと、芸能(門付芸)の背後にあってそれを支えている「宿神(しゅくじん)」について調べるために「宿神思想と被差別部落」(水本正人著)という書物(論文集)を読んでみました。とくに「清目としての世阿弥」という論文に目を通すためです。

戯曲「世阿弥」には「七道の者」(しちどうのもの)という言葉が出てきます。「七道の者」とは中世に五畿七道を漂泊した民のことで、より限定的には諸国を巡り家々を門付して回った雑芸者の呼称で、「宿神思想と被差別部落」によれば、『(興福寺)大乗院寺社雑事記』の寛正四年(一四六三年)の十一月二十二日の条に、七道の者とし、《猿楽・アルキ白拍子・アルキ御子(みこ)・金タタキ・鉢タタキ・アルキ横行(おうぎょう)・猿飼(さるかい)》をあげている』。観阿弥・世阿弥は七道の者のひとつ「猿楽」に分類されます。

戯曲「世阿弥」にも猿楽以外に、巫女(みこ)の老婆、鉢叩きの老爺、ささらすりの男、鳥刺しの成年、白拍子などが登場します。

七道の者は、仏教でいうところの六道《地獄道、餓鬼(がき)道、畜生(ちくしょう)道、阿修羅(あしゅら)道、人間(にんげん)道、天道》に入れないという意味でそれを離れた存在だとも言えるのですが――地番の付いた土地の外側の地番のない辺境地を番外地と呼ぶように(たとえば網走番外地)、七道の者は人別帳の外側なので人外(にんがい)とも呼ぶ――それだといささか大げさすぎる。

さて、その書物に収められた別の論文に「秋」という文字の成り立ちについて触れた箇所があり、次のように説明されています(主旨以外は「高いお米、安いご飯」が勝手に付け加えたところもあります)。

「秋」の正字は「龝」(活字が見あたらないので「禾」+「龜」を使いましたが、正しくは右の龜の下に「灬(れっか・れんが)」が付く)で、「禾」と「龜」と「火 灬」で構成されています。同じことをくどく言えば「偏(へん):漢字の左にある部分」が「禾」で、「旁(つくり):漢字の右側の部分」が下に「火 灬」の付いた「龜」です。

「禾(のぎ)」は「イネ」のことだとして――だからたとえば「稲穂」は当然「ノギヘン」です――、旁(つくり)になるところの「下に灬が付いた龜」は「イネに害をなす虫を焼く」という形になります。つまり、「秋」とはイネに付く害虫を焼き殺して稲穂の稔り(みのり)を願うことです。あるいは「秋」とは切り株や藁(わら)を燃やして、つまり野焼きして、そのとき害虫もいっしょに焼き殺してそれもいっしょに田の肥料にして収穫を祝うことです。いずれにせよ、それが昔の中国で稲作が盛んであった地域での「秋」のもともとの意味らしい。

田は野焼きがないと画竜点睛になるのは難しいようです。

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2023年9月13日 (水)

イネの切り株から二番穂

一昨日の一時間当たりの降雨量が三十数ミリメートルという大雨が断続的に数時間続いたせいで、刈入れの終わった田がまた水田にもどったのかと勘違いするような雰囲気です。

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刈入れから三日後には、稲の切り株から新しい緑の葉が出ていました。刈入れのあと軽い雨が降ったのでそれも新芽の出現速度に貢献したかもしれません。昔ならカマで、今はコンバインという農業機械の鋭い刃で根元付近で刈り取られたのに、数日でその根元から緑の新葉が伸び始めました。

この切り株から出てきた緑の葉は「二番穂」と呼ばれています。これをそのままにしておくと大きくなってコメができますが、できても美味しくないし空っぽの穂も多いので、鳥のエサにはなっても、ヒトには役立たない。したがって育つ前に土といっしょにトラクタで掘り起こし、鋤きこんで水田の肥料にします。

この田も水が引いて土が乾燥したら、高そうな農業機械で鋤きこみ作業が始まるのでしょう。

まだ世の中が穏やかで、専業コメ農家も多く水田が一面に広がっていた頃は、切り株や藁(わら)を燃やして、つまり野焼きして、それを田の肥料にしていました。しかし、世の中が以前ほど穏やかでない現在は野焼きは消防法で禁止されています。確かに風で野焼きの藁(わら)の火の粉が近所の家屋に飛び散ると火事になり、そうなると穏やかな状況ではなくなります。

「さざんかさざんか さいたみち たきびだたきびだ おちばたき」の「落ち葉焚き」が今は道端で簡単にできなくなったのと同じです。


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2023年9月12日 (火)

表情を思い描く楽しみのある言葉

三年ほど前に「ぴえん」という言葉が、若い女性(というより女子中学生・女子高校生)の間でおおいに流行したようです。悲しいので涙が出る、嬉しいので涙で眼がウルウルしてくるといった時に使う言葉です。しかし知り合いの女性によれば「ぴえん」はけっこう以前から限定的にでも若い女性の間で存在していたそうです。

ITジャーナリストの鈴木朋子さんのお書きになったものから具体的な説明を引用すると、『ぴえんは、悲しいときやうれしいときに泣いていることを表す言葉だ。泣いているといっても、号泣ではなく、目を潤ませる程度である。使用法としては「指を蚊に刺された。ぴえん」のように、ちょっと情けなくて泣いてしまうようなときや、「優衣がスタバおごってくれた。ぴえん」のようにうれしいときに語尾に付ける。「ぴえんこえてぱおん」は、ぴえんよりも感極まっているときに使う』(鈴木朋子 《SNSの流行語「ぴえん」、なぜ女子中高生の心を捉えたのか》 2020年10月)ものだそうです。

この言葉にはじめて出会ったのはそれが流行し始めた頃ですが、違和感はありませんでした。なかなかにいい表現だと思いました。眼の大きな少女が登場する少女漫画の世界が想起されるとしても当事者の表情がその言葉でそれなりに想像できるからです。

「本来(の)」という言葉があります。「もとからずっとその状態であること」「性質や能力などがもともと備わっていること」といった意味を伝えるときに使われる言葉だとして、この言葉がとくに頻繁に登場するのはプロスポーツやレベルのとても高い運動競技で、「(今日は)本来の力が発揮できていません」とか「試合の中盤以降は本来の姿を取り戻すでしょう」というのが標準的な使い方のようです。

プロ野球中継やスポーツ中継のアナウンサーは、以前と違って、少ない言葉で状況を的確に伝えることのできる人がほとんどいなくなったこともその理由のひとつなのか――沈黙の圧力を飼いならすのが苦手らしく、僅かの沈黙も嫌がってどうでもいいことをやたらとしゃべり続けようとする――最高に調子が良かったときのその選手のパフォーマンスを指して「本来の調子」と呼ぶことが慣わしのようです。沈黙回避には使い勝手のいい言葉です。だとすると選手は本来の調子を発揮することは稀にしかできない。

しかしそうであったとしても、気楽に(あるいは無反省に)使い過ぎる「本来の調子」という擦り切れた表現も、その表現で形容されている選手のプレイ(たとえばピッチング)を何度も球場で観てよく知っている場合には、「(今日は)本来の力が発揮できていません」という声がテレビ画面から流れてくると、たとえ声しか聞いていなくても、その投手の顔のわずかな歪みやポーカーフェースに潜む汗の滲みが想像できるので、その手抜き表現がかえって役に立つようです。

「ぴえん」は自分で自分の気分を俯瞰的に描写するときに使い、「本来の調子」は第三者が当事者を描写する場合に使うので安定しているとして、「今日は本来の調子が出ませんでした」と自身について発言する選手がでてくると――偶にいますが――聞くほうとしては笑うに笑えず困ってしまいます。


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2023年9月11日 (月)

コメの保存は冷蔵庫

コメは美味しくいただくためには精米後にすぐに食べるのがいちばんいい。以前は玄米を買って炊飯する分だけ家庭用の精米機で精米していたのですがそれも面倒になったので今は精米したコメを購入しています。

コメの保管・保存は冷蔵庫です。陽の当たらない涼しい場所だと酸化せず美味しさが長持ちします。5㎏の袋のまま冷蔵庫で寝かせるか、袋の封を切ったのは大型の四角い横長ホーロー容器に移し替えて保存です――購入の便宜上、5㎏袋を2個買うので。

25年間使ってきて新しいのに置き換えたばかりの480リットルの古い冷蔵庫は、配偶者によれば、コメ収納には実に使い勝手が良くて重宝したそうです。今度の700リットルの新しい冷蔵庫はよくできた製品だけれど、コメ収納に関してだけはすっきりしない。コメは冷蔵庫保存に関しては野菜と同じなので野菜と同じ扱いをしたいのですが、コメを野菜室に入れると、野菜を毎日いっぱい食べる我が家としては野菜収納が窮屈になる。

今までは野菜室と同じくらいの温度に設定できる独立した空間があり、そこにコメを入れた大型ホーロー容器と、二個の糠床(ぬかどこ)――四角いガラス製で蓋付き容器の糠床――を収納していたのがそういうスペースがなくなったので、電気で稼働する容量が10㎏の「保冷米櫃(こめびつ)」が欲しいそうです。その保冷米櫃の保冷温度は15℃(室温35℃のとき)で、野菜室の通常温度が8℃(3℃から9℃の間)だとすると、実にコメ保存(だけ)を目的とした温度設定です。

保冷米櫃まで含めて冷蔵庫の新旧交代作業です。美味しいご飯のためならしかたないか。


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2023年9月 8日 (金)

この夏は冷蔵庫とエアコンで忙しい

25年間使い続けたとても優秀で使い勝手の良かった480リットルの冷蔵庫を別のメーカーの700リットルの最新型に置き替えました。今度のは冷却が全室独立型です。

25年間使い続けた480リットルの冷蔵庫の製造日は冷蔵庫内の表示を見ると「98年 1-6期製」で、その年間消費電力量は468~504kWh/年(39~42kWh/月の12倍)。今度の700リットルの年間消費電力量は310kWh/年なので、さすがにそういう分野の技術は進歩しています。

新しい冷蔵庫で配偶者が気にしているのは収納空間の細かいサイズの違いです。一回ごとに使いやすいようにジップロックで冷凍してある10個くらいのス―プストックを容器に立てた状態ですんなりと仕舞えるかどうか、またコメはどこに収納したらいいか。結果は何とかなるにしても今までの出し入れの使い勝手が維持できるかどうかは実際に試してみないとわからない。

冷蔵庫の床面や背後の壁はどうしても埃がたまったり汚れたりするので、そこを、入れ替えのタイミングでそばに準備・用意してあった強力な真空式の電気掃除機と濡れモップでぱぱっと大掃除です。

クーラーボックスやその親戚みたいなのに保冷剤といっしょに避難させてあった自家製加工食品や漬物や味噌や使いかけの醤油や料理酒、それから肉や野菜などを700リットルの適切な場所に戻します――今日のために古い冷蔵庫の中はできるだけ少なくしてあったのですが、きちんとした食生活はきちんと継続しないといけないので一定量以下にはならない。

最初のは捨てることになっている氷作りも忘れないようにします。

設置からまだ一年半のエアコンがポタポタとごくわずかではあるけれど毎日のように水漏れし始めて――水漏れは一日に一度くらいで水漏れしない日もあるとしても――これは大変だとそのメーカーのサービスセンターから修理に来てもらいました。

当初はドレーンパイプに虫でもはいりこんで詰まったのが原因かとも思いましたが、修理のプロにチェックしてもらってもそういうことは全くなくて、しかし製品不良でもなく設置の時の作業がちょっと甘かったらしい。だから「出張費は製品に不具合がなくても負担する」という当初の約束通り支払いましたが修理代金は発生しませんでした。

ところが、直ったはずのエアコンが修理日の翌々日の深夜にまたわずかなポタポタ水漏れを再開し、またサービスセンターに連絡し、また修理なのか何なのか、不具合の解決に来てもらうことになりました。

エアコンの水漏れははじめての経験なので、何度も連絡するのは面倒だし手間だとしても、どういう方法で正常状態に落ち着くのか好奇心がいささか刺激されています。しかし、解決までごたごたするようなら当該メーカーのエアコンは二度と買わない。


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2023年9月 7日 (木)

山頭火の「四国遍路日記」と「ぽっとり椿」

四国東北部の瀬戸内で暮らし始めたこともあり、種田山頭火の「四国遍路日記」を青空文庫で読んでみました。

山頭火の代表作のいくつかは、

「分け入っても分け入っても青い山」
「笠へぽつとり椿だった」
「鴉啼いてわたしも一人」
「うしろすがたのしぐれてゆくか」

などですが、その雰囲気は四国遍路でも持続しています。昭和十四年の安宿遍路旅です。こういうひとと遍路旅で実際に同宿するとあまり落ち着かないかもしれません

ときどきは俳句などの知り合いに宿と食事と酒を饗応してもらい、それ以外は、日々、行乞(ぎょうこつ)。行乞したお金とコメを使って遍路宿に入り、途中で抜け出しては適当な飲み屋で一杯ひっかける、そういうことの繰り返しだったようです。遍路旅なので寺にはきちんと参拝し、座禅会にも参加し、また日記の執筆でも忙しかった。

「御飯前、一杯ひっかけずにはいられないので、数町も遠い酒店まで出かけた、酒好き酒飲みの心裡は酒好き酒飲みでないと、とうてい解るまい」

「あちらこちらを無理に行乞して二時帰宿、一杯ひっかけた、財布に五銭、さんやに 一合しかない、行こう行こう、明朝はどうでも出立しよう」

「今日の功徳は銭三十三銭、米五合也、食べて泊って、そして一杯ひっかけて、煙草も買ったので、残るところは…… 心細いといえば心細い」

「帰宿してまた一杯、また、…… 同宿同室は老人ばかり、しずかでさびしかった」

さて、代表作のひとつの「笠へぽつとり椿だった」です。調べてみるとこの句は山頭火が昭和七年に九州を旅するなかで作ったものだそうです。

今は夏の終わりだとしてその暑い今もあと三ヶ月で寒い冬に移って行きます。

山茶花(さざんか)は、「さざんかさざんか さいたみち たきびだたきびだ おちばたき」なので、赤い山茶花が寒い時期の花であることはすぐに了解します。しかし、同じ時期に山茶花と花の姿かたちがほとんど同じであるところの椿(つばき)が咲き、二つはそっくりなので花を見ているだけではまず両者の区別がつきません。しかし運よく眼の前で花が散ったり落ちたりしてくれると、どちらであるか見当がつきます。

椿は「笠へぽつとり椿だった」なので、赤い花が花首からぽとりと落ちると椿です――色は赤とは限らないにしても。しかし、花びらが一枚ずつ風に散っているような具合なら山茶花です。

山茶花の場合は、「袖へはらり山茶花だった」とでもなるのでしょうか。しかしその場合は「笠へぽっとり椿だった」の持つ孤独感・寂寥感やユーモアとは縁遠くなるように思われます。


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2023年9月 6日 (水)

「あめあめふれふれ」天気予報サイト

無料のウェブ天気予報サイトのお世話になっています。一つだと不安なので二つを並行して使っているのですが、二つを同時に参照するとバランスの取れた予想が手に入ります。とくに気にするのは雨が降るかどうかです。

予報サイトはそれぞれに特徴があり、ひとつは「雨が降るぞ、雨が降るぞ」と警告するのが大好きなサイトで、雨雲の接近が予知されると、必ず雨を、穏やかにあるいは激しく、降らそうとします。もうひとつのサイトは降雨に関しては遠慮がちなサイトで、こちらの方が実態と合致することが多いようです。

雨に関していちばん頼りになるのがその遠慮がちな予報サイトが提供している雨雲の動きのシミュレーション予測です。今後数時間から半日くらいの雨雲の動きや強度をきれいに見せてくれます。外出時に突然の雨に遭遇する可能性があるかどうか知っておきたいと思うし、あるいは数時間後に雨が降るのが確実なら植栽や野菜に今は水を遣らないという判断をしなくてはならないとして、そういう場合に役に立つ。

生活者として欲しいのは実際に雨が降るかどうかのピンポイント予測で、大きな雨雲が接近しても、あるいは激しい雨をばらまくに違いない雨雲が近隣を通過しても、たとえば「そこ」や「ここ」から五キロメートルも離れていれば、近くの空は黒く陰っていてもそれは「そこ」や「ここ」とは他所の話で、「そこ」や「ここ」には決して雨粒は落ちてきません。一般生活者にはそういうことが重要です。

そういう意味で、雨降り予測に関しては、「あめあめふれふれサイト」ではなく「遠慮がちなサイト」への依存度が高い。しかし遠慮がちとはいっても間違える時は大きく間違えます。一時間当たり37~38ミリメートルの豪雨を予測していたのが――あまりに凄い雨なので念のために「あめあめふれふれサイト」を参照するとそこでは5ミリ程度の予測――いつの間にかこっそりと3ミリから5ミリになっていました。

というように、無料天気予報サイトには日々お世話になっております。


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2023年9月 4日 (月)

稲刈りが始まりました

近所の小さな水田のひとつで九月一日(金曜日)の夕方に今年の稲刈りが始まり、そしてすぐに完了しました。最新型のコンバインを使っていたので作業は数十分くらいだったと思います。外出時にその「近代的な、あるいは北海道を連想させる」稲刈りの様子が眼に入り、用件を済ませてまたそばを通ったら終わっていました。

今年の田植えの時期を思い出して見ると早い田といちばん遅い田とでは、イネの種類でも違うのか、二十日位の差があったので、九月二十日頃までは近所の稲刈りがぽつぽつと続くことになります。九月二十日なら秋の刈入れですが、まだ暑い九月一日は秋の収穫というより晩夏の稲刈りです。しかし、ブログを読み返してみると、去年の最初の稲刈りは八月二十九日でした。やはり秋の収穫としたほうがよさそうです。

兼業農家が所有する小規模な自家消費用の水田を近代装備で稲刈りするというのは無理な話なので、おそらくどこかの専門業者に依頼したのでしょう。委託代金はそれなりの金額になるにせよ、そのほうが自分で古い機械を持ち続けるよりも楽だし経済的ということです。

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2023年9月 1日 (金)

生活の中の秋の気配

秋の気配を感じるのにどこかに出かける必要はなくて、日々の暮らしのそのあたりに転がっています。

蛇口をひねると出てくる水道水がぬるいお湯から水に変わっていることを朝起きた時に感じます。暑いとインフラとしての地下の水道管網の水もぬるくなり従って家庭の蛇口からぬるいのが出てきますが、それが普通の水温になり、季節が進むとひんやりとしたものになります。

早朝のゴミ出しの時に樹木や屋根や電信柱から聞こえてくる鳴声が蝉(セミ)から秋の虫に置き換わっていることに気づきます。雀(スズメ)は年中、元気に声を出し続けています。蝉と雀の組み合わせは暑さを増長して時には鬱陶しい響きになりますが、秋の虫と雀のコラボレーションはすっきりとしていて穏やかです。

夏の暗くなり始めた夕方に、その短い時間帯だけに、蝶々ほどではないけれども、不思議なジグザグの飛行曲線で舞っていた雀サイズの蝙蝠(こうもり)がいつの間にか消え去っています

水田が緑から黄色くなり、黄色になった稲穂が重そうに垂れていて、雀がその頭を下げた稲穂に乗り、微妙に揺れ動くその上でバランスを取りながらイネを食べています。無銭飲食です。なので、場所によっては、実際に役に立つのか立たないのか、あるいは収穫の時期の接近を近所の人に感じてもらうための農家の趣味なのか、両手の指の数に近い本数の手の込んだ作りの案山子(カカシ)が立っていたりもします。


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