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2024年3月

2024年3月29日 (金)

思わず引き込まれてしまうエッセイや小説の最初の数行

専門書だとそういうのは難しいと思われますが、本屋で小説でもエッセイ集でもなんでもいいのでその本を手にとって最初から読み始めたときに、出来のいいのは初めの数行ですっとその世界に誘い込まれるし、すっとでない場合であっても何かとんでもない内容があとに潜んでいるかもしれないと予感して強引にその世界に引っ張り込まれてしまうこともあります。

どちらにせよそういう巧みな導入部をもった吉田健一のエッセイを以下に並べてみます。「・・・」はエッセイのタイトルで、その下の《・・・・・》がそれぞれの最初の数行です。文章らしくない文章を読み続けるという作業をしていたので、その口直しにこんなことをやってみました。

「金沢(エッセイ)」
《旅行をする時は、気が付いて見たら汽車に乗っていたという風でありたいものである。今度旅行に出掛けたらどうしようとか、後何日すればどこに行けるとかいう期待や計画は止むを得ない程度にだけにして置かないと、折角、旅行しているのにその気分を崩し、無駄な手間を取らせる。》

「ある田舎町の魅力」
《何の用事もなしに旅にでるのが本当の旅だと前にも書いたことがあるが、折角、用事がない旅に出掛けても、結局はひどく忙しい思いをさせて何にもならなくするのが名所旧跡である。極めて明快な一例として、鎌倉に旅行した場合を考えてみるといい。あまり明快でそれ以上に、何も言う必要はないだろうと思う。》

「ピアノ」
《ヴェルレエヌの詩に、と書くと、もう話がどこか湿っぽくなって来るのは、これはヴェルレエヌのせいではなくて、この詩人が日本で受けた扱いがそういう性質のものだったことを示すものに過ぎない。ヴェルレエヌがマリア様に縋ったからという理由で、白樺だの、夢二の絵だのと一緒にしたのでは、この飲んだくれで好色漢の詩人の作品を読んだことにはならないので、マリア様や海よりも美しい伽藍は、日本で北海道の白樺の額縁に入れた絵になる前から、別な形でヨオロッパにあった。》

「英語上達法」
《英語というのは絶対に覚えられないものなのであるから、そういうことは初めから諦めた方がいい。仮に、英語が読めたり、話せたりする人間がいたら、それは英語を知らないからそういうことができるのである。このことは、日本の英語の先生が真先に承認してくれるに違いない。英語の本が読みたければ、大概のものは翻訳されているし、英語が喋りたければ、通訳というものがある。無理する必要はない。英語を覚えようとする位の暇があるならば、エジプト文字でも勉強することである。》

「金沢(小説)」
《これは加賀の金沢である。尤もそれがこの話の舞台になると決める必要もないので、ただ何となく思いがこの町を廻って展開することになるようなので初めにそのことを断っておかなければならない。併しそれで兼六公園とか誰と誰の出身地とかいうことを考えることもなくて町を流れている犀川と浅野川の二つの川、それに挟まれていて又二つの谷間に分けられてもいるこの町という一つの丘陵地帯、又それを縫っている無数の路次というものが想像できればそれでことは足りる。》


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2024年3月28日 (木)

血圧は10くらいはすぐに変動する

ここで血圧とは最高血圧のことですが、血圧はちょっとしたことですぐに10から15くらいは変化します。

寒い時期に血圧を測定する場合、早朝に起き出してきて部屋がまだ温まっていないときに寒いなあと感じながら測った血圧と、十分に温かくなったあとでのとでは10くらいは違うようです。

毎朝起きた後にハーブティーなどを飲みながら血圧を測るのを最近は日課にしています。一分くらいの間隔で二回測定します。よく眠れて頭がすっきりとした状態でぼんやりと春の植栽のことなどを考えながら測定した時の血圧と、その日のブログが書けなくてイライラしている時とでは後者の方が10から15くらいは血圧が高い。

ブログが書けないとは主題やキーワードがあるのに書けないというのではなくて、テーマがまったく思い浮かばないので先に進めない状態のことです。

自分で決めた毎朝の締切時刻が迫ってきているのに何を書いたらいいのかまったく手がかりがない。そういう日は当然のことながらある頻度で出現するわけで、そうなると最近の出来事や言葉や心象情景や近所の樹々や電線に停まった小鳥やカラスの風景などを思い浮かべても、それらは頭の中を通過するだけで定着しません。そういうときに測ると血圧計には高い数字が表示されます。一回目も高いし二回目も高い。何度か深呼吸をしても結果は変わらない。

日常生活におけるそういう種類の変動の存在を了解して、自分の血圧がだいたいどのあたりを推移しているのかを知っているのは無駄にはならないというか、それなりに面白い。この面白さは自分で時刻を決めて毎日のように測っていないとわからない。面倒くさいと言えば面倒くさい。


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2024年3月27日 (水)

“Say Yes”

メイジャーリーグで活躍しているある日本人野球選手が近頃結婚した時に、結婚について何か彼にアドバイスをとインタビュアーから問われた結婚生活では先輩格にあたるある同僚が ”Say Yes” と簡潔に答えました。奥さんに何かを頼まれたら、あるいは何かを言われたら、まずは、必ず「はい」と返事しろ、というアドバイスです。

「最近、本が増えてきたみたいです。札幌からの引越しの時にけっこう整理したのにまた本棚がいっぱいになってきました」と配偶者に言われたので、Say Yesです。

おそらくこれから読み返すこともないある作家の小説やエッセイ集をまとめて処分しました。

彼女は蚤の市サイトでの売却をデフォと考えていたようですが、すぐに売れるに違いないところの秘かに人気の料理本やお菓子作りの大型本ではないので、無駄な努力はしません。

専門書(あるいはそれに類するもの)だとそういう書籍向きのオークションサイトがあるとして、そうでないタイプの地味な文芸書は手間ばかりかかってどうしようもない。なんとか売れたとしても、買い手が現れるまでの期間は不要だと判断した本が本棚の一部を占有し続けます。せっかく処分すると決めたのに、処分対象が居続けるという状態をいい気分とは言わない。

雑誌や紙ゴミを対象としたゴミの日に紙ゴミとして躊躇いもなく捨てました。Say Yesです。


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2024年3月26日 (火)

人工知能化がとても難しいかもしれない身体の場所

動物が植物や他の動物、あるいはその両方を動き回ることによって食べないと生きていけないのに対して、植物は太陽と雨と土(の中の無機物)と空気中の二酸化炭素があれば光合成をしてその場を動かずに独りで生きていけます。そういう違いがある。庭のローズマリーでもタイムでも、あるいは近所の原っぱのスギナやドクダミでも何でもいいのですが、植物はその場を動かずに生長し続けます。

三木成夫の著した「生命形態学序説」を参照すると、植物的な営みとは、「栄養と生殖」を軸としたプロセスであり、動物的な営みとは、「感覚と運動」を軸としたプロセスですが、動物やヒトには、植物的なもの(栄養と生殖にかかわる植物性器官、あるいは内臓系)と動物的なもの(感覚と運動にかかわる動物性器官、あるいは体壁系)の双方の営みが存在します。

動物における植物性(内臓系)器官とは、吸収系(腸管系)と循環系(血管系、その中心が心臓)と排出系(腎菅系)にかかわる器官のことであり――昔からの用語だと「五臓六腑」――、また、動物性(体壁系)器官とは、感覚系(外皮系)と伝達系(神経系、その中心が脳)と運動系(筋肉系)にかかわる器官のことです。そしてヒトは「栄養と生殖」を軸としたプロセスにおける栄養面を、動物にはないところの知能・知性と技術を使って、つまり農業革命や産業革命などを通して、それなりに変化させました――動物から見れば、劇的に。

そういうさまざまな系の中で、カーツワイルの「シンギュラリティは近い」で言及されているような人工知能的な対応がいちばん困難なのは消化・吸収系(腸管系)のなかの腸ではないかと、その本を読みながら、直感的にそう思いました。

胃はそうでないとしても、知性の象徴としての脳やこころの象徴としての心臓と違って、愚鈍だとされていたのが実はとても賢いということがだんだんと解ってきた腸は――それで腸は第二の脳と言われるようになった――人工知能的な対応、つまり人工知能によってそれを置き換えたり、あるいは腸の機能を人工知能で補完したりすることが脳を相手にするよりもよりも難しいかもしれない。

モノの本によれば、腸には一億以上の神経細胞があり、これは脳よりは少ないとしても脊髄や末梢神経系よりも多く、脳とは独立して自らの判断で機能しています。腸は、脳からの指示を待つことなく消化吸収排泄という機能を自律的に遂行している。

腸には迷走神経という太くて大きな神経が埋め込まれています。その神経繊維の90%までが腸から脳へと情報を運んでいることが明らかになってきたそうです。脳は腸からの信号を感情に関するそれとして解釈します。感情を支配するところの脳内神経伝達物質の代表的なものにドーパミン(快感ホルモン)やノルアドレナリン(ストレスホルモン)やセロトニン(幸せホルモン)がありますが、その多くは腸で作られています。

また腸(腸菅関連リンパ組織)には体内の免疫細胞の70%が棲んでおり、免疫細胞は外部から侵入した細菌や食物に混じった毒物をそこで撃退してくれます。脳が唇や舌といっしょに騙されて旨そうだからと口にしてしまったものが実際には危険因子を含んでいた場合は、下痢などの症状を起こして自らそれらを武力排除するわけです。

つまり、腸は相当な以上の智慧と力を持っている。

腹や腑という言葉を使った心理や感情に関する表現は日本語に多くて、「どうも腑に落ちない」「腹に落ちた」「腹が立つ」「腹の虫が治まらない」「腹をくくる」「肚の底から」などいろいろあります。

植物系(内臓系)器官の中核は心臓であり、動物系(体壁系)器官の中心は脳だとして、脳が「知性や知能」なら、心臓は「こころ」です。脳死という状態を死とは言えないとするのは、体壁系の「知性や知能」が機能を停止しても、心臓という内臓系の「こころ」が死んではいない状態を死とは言えないとすることですが、その「知性や知能」と「こころ」の両方をサポートしている控えめなインフラ的存在が腸なのかもしれません――どういう風にそうなのかはわからないとしても、第六感がそう囁きます。なぜなら、「知性や知能」が届かないその先で理解しているのが腑に落ちるということだし、腹をくくると「こころ」も落ち着きます。

腹や腑を使った多くの表現が決して廃語にならないのは、腸に係るわれわれの集合的無意識が、腸の明示的でなかった役割に共鳴し、今までも今もその智慧を後押しし続けているためとも考えられます。だとすると、そういう高度に洗練された場所であるところの腸の非生物的な人工知能化は、あるいは腸の人工知能的なハイブリッド化は簡単ではなさそうです。


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2024年3月25日 (月)

ローズマリーの青い花

苗を植えてから二年経ってやっと淡い青紫の花が目立つほどの量で咲き始めました。去年もわずかに花は姿を見せましたが、とても遠慮をしている風情だったのが、今年はその引っ込み思案が消えたようです。枝によっては根元のほうから枝の先までびっしりと淡い色の花が並んでいます。

ぼくの眼には薄紫か青紫と映りますが、花業界ではローズマリーの花は「ブルー」ということになっているらしい。

速足ウォーキングの際に、どこかのお宅で花を盛大に咲かせている――といっても控えめで小さい花を数多くという按配なので、実際は盛大ではないとしても――ローズマリーが眼に入ると羨ましくもあったのですが、我が家のローズマリーも世間の水準にそれなりに追い付いてくれました。

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2024年3月22日 (金)

元気なスギナ

「ドクダミ」とならんで、元気すぎる「雑草」のひとつがスギナです。

「ドクダミ」は「十薬(じゅうやく)」や「十草(じゅうそう)」と言った別名で呼ばれるように薬草としての役割も持っていますが、スギナは地下茎から出る胞子茎の土筆(つくし)以外は人気がない。スギナは地上部がスギの葉のような姿かたちをしているのでスギナです。いわば、土筆(つくし)の親です――親という言い方が適当かどうかはここでは気にしない。

先日の記事「近所の原っぱの土筆(つくし)」では肝心のスギナの凛とした姿を出し忘れたので、今度は近所の別の場所で、ゴミ出しのついでに、最初から上着のポケットにスマートフォンを用意しておいて

・スギナと土筆が並んでいるところ
・コンクリートの隙間でも元気にスギナが成長しているところ

を撮影してみました。

ただそれだけのことですが、そういう画像は今まで手元になかったので「高いお米、安いご飯」としてはそれなりに満足しています。

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2024年3月21日 (木)

再び、繰り返し楽しめる本

本の裏表紙に「新潮ミステリー倶楽部 クリスマス黙示録 多島斗志之」とあるので分類はミステリー(推理小説)ということになっているようです。発行は1990年。日系三世のFBI女性捜査官が主人公です。繰り返し読めるミステリーで、購入してから、三十年間で三度、読みました。文章がいいので三度目も飽きない。拳銃の腕が優れているとは決して言えず腕力もない女性捜査官が警護の職務を遂行する話で、ハードボイルドの香りが適度に漂っています。

書くことで食べているのではないので、ここは書くことを職業にしていた倉橋由美子が宮部みゆきの「火車」という推理小説の文章について書いたものから一部をお借りします。同じことが「クリスマス黙示録」にも当てはまります。

《推理小説は暇つぶしのため、娯楽のために読むものということになっていても、それが文学になっていなければとても読めたものではありませんし、楽しむこともできません。宮部みゆきさんの小説は何よりもいい文章で書かれています。これは天性のいい声と正確な音程で自在に歌える人の歌に似て、安心して快適に読めます。こういう楽しさは、残念ながら最近の多くの推理小説に欠けているものです。》

電子書籍の読み放題サービスを利用していた時に、刑事や探偵などを主人公にした推理小説を読み漁りましたが、再読したくなるような文章に出会うことは少なかったようです。

寝転がっての拾い読みを含めると目次からあとがきまで、この三十年で十回以上は目を通している本があります。「男流文学論」というタイトルの、女性三人――上野千鶴子・小倉千加子・富岡多恵子――の鼎談集です。発行は1992年。三人とも関西あるいは関西文化圏で育ったかたで、二人は学者、一人は詩人・作家です。

谷崎潤一郎と彼の著作について語り合う章に次のような発言があります。鼎談なので話し言葉ですが、これが「とてもいい文章」になっていて、この鼎談集にはそういう文章が多い。だから何度も読み返しても退屈しません。

《私、それもね、ほんまは全部嘘やと思うんですよ、彼女はそんなん本気で思ってないと思う。生きている間はうるさい夫やったけど、死んでしもたら私の天下や。どっとみち人生なんていうものは、私みたいにこういうふうにやっときゃええやないか。あんたら何むきになってるの、あほちがうかって。人生て、この程度のものなんや、あんたら何を論じてるのん?って言われているようなコンプレックスはずっと感じるわ。そんな人はちゃらちゃら着飾っていても、どこかに陰影がある。》《上手に退廃してはるなと思うんですよね。》

ある著作が繰り返し読めるかどうかの条件のひとつはそれがいい文章で書かれているかどうかです。いい文章というのが、ここで引用した例と違って、必ずしも、わかりやすい文章というわけではないにしても。


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2024年3月19日 (火)

カーツワイル著「シンギュラリティは近い」とハラリ著「サピエンス」と「生老病死」

特異点(Singularity)という言葉はいくつかの意味合いで使われますが、AI(人工知能)との関係において使われる特異点は、AIがヒトの知能を完璧に凌駕する歴史上のある時期といった文脈で登場します――2006年出版(日本語版は2010年)のレイ・カーツワイル著「シンギュラリティは近い」に詳しい。「2040年代までに非生物的知能はわれわれの生物的知能に比べて数十億倍、有能になっているだろう」。

そうなった場合のAIはヒトよりもはるかに高度な知能を駆使して勝手に自己更新や自己革新をともなった自己製造を自ら計画的に推し進めるので、将来のAI(人工知能)とヒトとの関係は、現在のヒトと家畜との関係に似たようなものになるだろうということをも意味します。

現在のチェスや将棋におけるヒトと人工知能の勝負、現在の検索エンジンのビッグデータ処理、あるいは現在のChatGPTの持つ能力から類推できるように、人工知能は、ヒトの情報処理能力や推論能力や情報処理量の総体をいとも簡単に凌駕します。収穫逓増ではなく指数関数的な収穫加速で人工知能が進歩するということは、人工知能そのものがとても安いコストで人工知能そのものとそれを使った製品や労働サービスなどのサービスを、アルゴリズムに沿って再生産(企画・開発・製造・サービス)するということなので、現在ヒトが従事している仕事の大部分を、人工知能が、とても高い経済効率で、代替するというわけです。

だから遺伝子工学やナノテクノロジーやロボット工学を駆使して生成される非生物的なAIは、生物としてのヒトの体内(脳や血液やその他の身体部分)に組み込まれると、とりあえずそういうことのできる富裕層はという限定があるにせよ、アナログなヒトはデジタルなAI(人工知能)とハイブリッドな共生関係を築くことができるようになります。

そういう意思を強く持つ人たちは確かに存在します。カーツワイルの文章の一節を「シンギュラリティは近い」から引用すると、「老化を人生のひとつの過程として潔く受け入れようとする人もいるが、私の考え方は違う。・・・わたしから見れば、何歳になっても病気と死は不幸な出来事であり、克服すべきものなのだ。・・(中略)・・デ・グレイは、みずからが目指すのは『遺伝子工学で老化に打ち勝つこと』つまり年をとっても身体や脳がもろくなったり病気にかかりやすくなったりしないようにすることだと説明している」。

仏教で四諦(したい)という考え方があります。「四諦」とは釈迦の説いた四つの真理「苦諦」「集諦(じったい)」「滅諦」「道諦」のことですが、このうち現世は生・老・病・死の四苦と、愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五取蘊苦の四苦を加えた八苦であるということを説いたものが「苦諦」で、現世の「苦」の原因はひとが無常を認識できないからだと述べているのが「集諦」です。

つまり、ひとは生・老・病・死などの苦しみに悩まされる苦的存在であり、なぜ苦しみが生ずるかというとその原因は渇愛に代表されるところの煩悩があるからです。その煩悩(とくに渇愛)が滅した状態が涅槃(ねはん)で、涅槃に至るには八正道(はっしょうどう)などの実践行が必要というのが釈迦の基本的な教えです。

しかし「シンギュラリティ(特異点)は近い」の著者であるカーツワイルにとって、「老」や「病」や「死」は苦しいこと・不幸なこと、したがって回避したいことではあっても「生」(あるいは生き続けること)は「苦」ではないようです。

仏教の面白い――あるいは奥深い――のは、「病」や「老」や「死」だけでなく「生」も等しく「苦」の原因だと説いているところです。「生」というのは仕事でも私生活でも何でも渇愛という心的動因の連続で成り立っています――だから何とか生き続けられるとも言えるわけですが。

上述の意味での特異点やAIに、それは避けられない事態だと共鳴している「ホモ・デウス」の著者であるユヴァル・ノア・ハラリは、しかし、彼の前作である「サピエンス」のなかで以下のように述べています。ハラリは仏教についてとても造詣が深いようです。

「現代の最も支配的な宗教は自由主義だ。自由主義が神聖視するのは、個人の主観的感情だ。自由主義は、こうした感情を権力の市場の源泉と見なす。物事の善悪、美醜、是非はみな、私たち一人ひとりが何を感じるかによって決定される。」

「宗教や哲学の多くは、幸福に対して自由主義とはまったく異なる探求方法をとってきた。なかでも特に興味深いのが仏教の立場だ。・・・仏教によれば、たいていの人はこころよい感情を幸福とし、不快な感情を苦痛と考えるという。その結果、自分の感情に非常な重要性を認め、ますます多くの喜びを経験することを渇愛し、苦痛を避けるようになる。・・・だから快い感情を経験したければ、たえずそれを追い求めるとともに、不快な感情を追い払わなければならない。・・・苦しみの真の根源は、束の間の感情をこのように果てしなく、空しく求め続けることなのだ。」

生の苦といっしょに死を視野に入れた場合の高齢化(あるいは生の意味合い)と、遺伝子工学やナノテクノロジーやロボット工学の成果を活用して病気や死を回避し続ける状況における高齢化(あるいは生の持つ意味)とは、同じ高齢化ではあってもその色合いはずいぶんと違います。


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2024年3月18日 (月)

大きな書店のぶらぶら歩きと、読み放題の電子書籍ライブラリ

某社の電子書籍ライブラリの読み放題サービスは、三カ月百円のお試し期間に一ヶ月千円の有料期間を加えて合計四カ月でその利用を中止しました。理由は結局読みたい書籍は個別に書籍代を支払わないと読めないという簡単な、当たり前と言えば当たり前な事実をその期間に改めて納得したからです。

地方都市の巡回を主たる目的とした美術展では――たとえばキュービズム展とか印象派展とか琳派展など――東京で集中的に開催される場合のそれとは違って、そのカテゴリーの第一級とみなされる作品が含まれていないことが多いようです。その方が作品は集めやすい。そういう意味では札幌も地方都市でした。

時間があるときにする、中規模ビル全体を占有する大型書店、あるいは大きなビルの複数階にまたがる大規模書店のぶらぶら歩きというのはなかなかに楽しいものです。ぶらぶらと歩きながら各コーナーで真剣にタイトルを眺め、本を手にとり、気が付いたら二時間以上が経過して何冊かの買いたい書物を手にしていたというような楽しさです。

月に千円の読み放題サービスで読める本の範囲は、たとえてみると、地方都市の巡回を主たる美術展で展示される作品群に相当します。一級作品は、あるいは同じ作者のものでも印象深い、インパクトのある優れた出来の作品はその中に含まれていない――そういう場合が多い。

しかし読み放題サービスにはそういうマイナス面だけでなくプラス面もあって、そのひとつが、そういうサービスがなかったならおそらく出会うことはなかったあろう本に遭遇できることです。

ゆっくり読みと斜め読みを織り交ぜて次から次へと目を通していると、「こんな本もいかかがですか?」式の当該ソフトウェアにビルトインされたお勧めサービスに思わぬ書物を紹介され新しい本や今までお付き合いのなかった作者に巡り合う場合がありますが、それは大規模書店のぶらぶら歩きで新しい著者や今までなじみのなかった分野の著作に出会う僥倖に近いとも言えます。


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2024年3月15日 (金)

近所の原っぱの土筆(つくし)

朝、ゴミ出しに出かけた時にその近くの春の雑草を眺めてふらふらと歩いていたら原っぱに土筆(つくし)が並んでいるのに気が付きました。土筆(つくし)とはどなたかがうまく字を選んだもので、確かに土から筆――下の写真だと仮名書き用の小筆――が突き出ている風情です。

撮影道具を持っていなかったので家に引き返しスマートフォンを摑んで土筆のあるところまで戻ってきました。

土筆は早春に出るスギナの胞子茎(胞子を出すための茎 )のことです。スギナはシダ類のひとつなので胞子でも増えますが、地下茎を伸ばしその地下茎のいろいろなところから芽を出して増殖する力のほうがはるかに強い。

原っぱにも庭にも勝手に自生し――最初は胞子がどこかから飛んできて根付くのでしょうが――放っておくとわずかな土さえあればコンクリートの隙間であってもどんどん繁殖します。だから近所の原っぱに啓蟄(けいちつ)の時期に雨後の筍のような感じで土筆を見かけるのはその辺りがスギナの生息地であるとすれば浅い春のきわめて自然な光景です。虫の代わりに地面から薄茶色の筆がにょきにょきと這い出てきたような景色とも言えます。

土筆は食べられますが、とくに味わい深いものでもないし、無理に口にする必要もありません。

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2024年3月14日 (木)

ちょっとした違いが楽しみだし気にかかる

こうやって写真を並べてみると残念ながら二週間の違いが解りません。上が三月一日の朝、下が三月十三日の朝のローズマリーの植えたばかりの苗の様子です。

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撮影の仕方が定点観察としては下手だったのか、二週間後のほうが少し身を縮めた風にも映ります。途中、啓蟄(けいちつ)とは思えない寒い日と冷たい雨が数日間介在しましたが、肉眼では、三株の、あるいは三種類の立性のローズマリーには――左から順にトスカナブルー、マリンブルー、インガウノ――わずかではあるけれども明らかに伸長の様子が見られます。

苗はまず根をしっかりと張るというヒトには見えない基本活動であるところの地中活動に忙しくて、茎と葉を伸ばすという地上部分の作業はとりあえず後回しということのはずで、それで納得すればいいのですが、ヒトとしては見える部分の変化が、順調に育っているのかどうかの分かりやすい指標になるので、けっこう気にかかります。


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2024年3月13日 (水)

「丸もの」はお買い得なので店で捌いてもらう

海に囲まれた日本はどこでもそうだとしても、太平洋と瀬戸内海に面した四国も天然の魚介類が豊富なところです。養殖も盛んで、瀬戸内海に面した西側地域ではブリ(ハマチ)と鯛が、東側ではブリ(ハマチ)が養殖栽培されています。ただし東側では鯛はもっぱら天然の鯛ということになっていて、養殖ものには関心がないようです。天然ものが旬の季節には、魚売り場に天然ものと養殖ものが隣通しにゴーカケンランに並びます。

お皿に載せた出来合いの刺身でよければ、二月から三月なら、サヨリ、チヌ(あるいはクロダイ)、ホウボウ、スズキ、ハマチ、グレ(あるいはメジナ)、ビンチョウマグロ、カツオなどはスーパーなどで買ってきてすぐに賞味できますし、季節がもう少し温かく春めくと鰆(サワラ)の刺身――刺身の中でいちばん美味いのは鰆だという意見の人たちも少なくない――も登場します。

「丸もの」と言えば、札幌で暮らしていた頃は、福岡で水揚げされた鰆の大振りな丸ものが対面販売の魚屋にそれなりの頻度で並んでいたのでそれをかなりに頻度で購入し、大きめの切り身にしてもらっていました。帰宅してから切り身を自家製の醤油麹に漬け込んでおくと、白味噌を使った西京漬けと同じで、一週間くらいは確実に日持ちします。

四国東北部では「丸もの」はもっぱら鯛です。瀬戸内では大きな鰆の丸ものはなぜか店先には出てこないのですが、鯛は立派な丸ものが並びます。鯛は鱗が鎧のようにびっしりと並んでいて、骨も硬いし、丸ものはアマチュアでは手に負えない。よさそうな丸ものが売り場で眼に入ると、まず刺身で大丈夫かどうかどうかを念のためにその場で確認し、大丈夫なら三枚に下して皮を引いてもらいます。柵を刺身にするのは自宅での作業です。鯛は刺身が続いても飽きません。ハマチなどと違って刺身にしてあってもゆっくりと楽しめます。


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2024年3月12日 (火)

匍匐性タイムと芝桜

橙(ダイダイ)を植えてある専用区画に、その下生えとして芝桜と匍匐性のタイムが一緒に――とても仲がよさそうに――育っています。

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夕方の芝桜(白い花が少し)と、その隣やこちらから見て奥側の匍匐性タイム

橙の周りに橙を点在風に取り囲むような按配で一昨年の春に数苗の芝桜を植えたのですが、期待と違って、花の色で選んだところのその芝桜はどんどんと拡がっていくタイプではありませんでした。

地面に隙間が目立ちました。その隙間をなくしたいと思い、別のところで育てていた数種類のタイムのうちとても元気な匍匐性のタイムを去年の晩春に区画のまん中ではないあたりに移植しました。芝桜と芝桜の間やその周囲にある大きくはないけれども小さくもない隙間にモソモソと入り込んで地面全体を緑で蔽ってもらうためです。

三月になっても冬のような寒さが時折り混じるとしても、瀬戸内の陽射しはしっかりと春なので、頃合いはいい。隅々まで匍匐してもらうために水で三百倍から四百倍に薄めた液肥を如雨露(じょうろ)で丹念に注いでやります。


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2024年3月11日 (月)

続・「郵便物の厚さ制限と郵便ポストの投函口の厚さに関する雑感」

郵便物の厚さ制限と郵便ポストの投函口の厚さに関する雑感」というタイトルの記事を以前(札幌時代の2018年10月に)書きましたが、これは四国東北部の瀬戸内におけるその続編です。

下の写真はその時に札幌で撮影した近所の郵便ポストで、その時の記事を読み返してみるとポスト投函口の大きさに関して次のような記述がありました。

『ポスト投函口の大きさは、円筒形のなつかしいタイプなどを除くと、現在はだいたい次のようになっているそうです。

・最新のポストの投函口: 厚み:4cm × 横幅:29cm
・少し古いポストの投函口: 厚み:3.4cm × 横幅:24cm
・あるコンビニチェーン店舗内ポストの投函口: 厚み:3.4cm × 横幅:24cm』

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             札幌市内の郵便ポスト(2018年)

重要書類の送付で長年重宝している「レターパック・プラス」や、最近は「ゆうパケットポスト」――専用箱/発送用シールを使って郵便ポストに投函可能なもの(ただし3辺の合計が60cm以内 で、長辺は34cm以内、厚さは3cm以内、重さは2kg以内)――という書籍や薄手の衣類などの郵送に便利な手段もあります(全国一律215円)。

ただし、札幌に較べると田舎であるところの四国東北部では上の写真のような立派な郵便ポストは郵便局まで出かけないと見あたらない。気楽に歩いて行ける範囲の郵便ポストは「投函口の厚みが3.4cmで横幅が24cm」の小さい四角の筐体で、はがきや一般の手紙を投函する分には何の問題もないとしても、「ゆうパケットポスト」の専用箱を利用する際にはけっこう気を遣います。

どういうことかというと、その小さいポストがスカスカの場合は専用箱を慎重にほぼギリギリの投函口に差し入れるとスポンと底に落ちるとしても郵便ポストが混雑している場合は――つまり中が結構詰まっている場合は――、そのままだとその箱がポストのなかに完全には収まりきらない場合があります。

そういう場合は、投函口の入り口付近やそのすぐ下でぐずぐずしている複数の「先任者」を中に落としてやるか、それらを押し込んで新しい投函物用の隙間を作ってやる必要があります。そういう場面を通行人が見ると、郵便ポストに手を入れようとしている怪しげな男がいると映るかもしれません。苦労します。

早く下のようなゆったりとした新型に置き換わるといいのですが・・・(写真は日本郵便のウェブサイトからお借りしました)。

          2020_20240309095201


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2024年3月 8日 (金)

文旦(ぶんたん)と甘平(かんぺい)

四季を通して陽の降り注ぐ四国は瀬戸内も山間部も太平洋側も柑橘(カンキツ)類の宝庫で、温州ミカンや夏ミカン、伊予柑のような食用ミカンからスダチ・柚子(ユズ)・橙(ダイダイ)のような調味料用や調理用――ポン酢やジャムなどの原料――のものまで季節ごとにさまざまなものが売り場に並びます。

食用柑橘類でいま嵌(はま)っているのが、ザボンの一種であるところの土佐文旦(トサブンタン)と、愛媛県産の甘平(カンペイ)です。

文旦は淡い黄色でグレープフルーツをひとまわり(ないし二回り)大きく、そしてもっと丸くしたような形です。酸っぱさととても穏やかな甘さの融和が楽しめます。大振りな文旦は大きなメロンの値が張るようにとても高価です。

甘平は濃い橙色で、温州ミカンを倍から三倍にして平べったくした感じです。甘くて形が平べったいので甘平と命名したのだと思われますが、非常に甘く同時にとても酸っぱくて、要は派手な組み合わせの、あるいは賑やかな味わいです。

味についてはそういうことだとして、大きな違いは彼らが着ている衣服です。

土佐文旦は淡い黄色の皮の下に半端なく厚い綿入れを着ていて、その白い厚い綿入れで実が保護されています。白い綿入れに守られている雰囲気がそら豆を思い出させます。皮から実に辿り着くのはひと仕事です。個体によってはタネが多い。

甘平は、文旦とは大違いで、実のまわりに上等なサテンや天竺生地のポロシャツを隙間なく着ている雰囲気です。タネは少ない。

文旦を八割、甘平を二割くらいの頻度で楽しんでいます。


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2024年3月 7日 (木)

北海道フードマイスター雑感

このブログ「高いお米、安いご飯」の現在の一行紹介は「瀬戸内に転居した北海道フードマイスターです。食べものと食べることと経済・マーケティングの交差するあたりを食から見た健康という視点も交えて考えます」となっています。二年前に瀬戸内に引っ越したときに少し書き替えました。

「高いお米、安いご飯」はその一行紹介からはみ出す内容のブログ記事も少なくありませんが、今日は「北海道フードマイスター」の資格更新についてです。

手元のカード形式の認定証には「資格取得日」が2009年3月1日、「有効期限」が2024年3月31日と記載されており、確か2008年の秋に配偶者といっしょに受験したと記憶しています。三年に一度、更新手続きが必要です。昨年の12月に更新案内資料が送られてきました。配偶者もぼくも五回目の更新になります。

札幌で複数回開催される資格更新セミナーに参加すれば資格は更新されるのですが――札幌で暮らしている頃はそうしました――現在のぼくのように北海道外に住んでいる者や、北海道内でも根室や羅臼や網走といった札幌まで簡単に日帰りできない地域で生活をしている人たちのためには通信講座が用意されています。通信講座には課題があって、それに70点以上で合格しないと更新が認定されません。

参考資料として「北海道食材ハンドブック」というのがあって――ハンドブックというよりは食材写真付きの読み応えのある本です――現在は第八版ですが、これが穀物・野菜・果実・キノコ・畜産物・魚介類など北海道食材全般にわたって細かく網羅してあるので、最新版以外にも古いのといっしょに本棚に立ててあります。

よくできたハンドブックで、そういうことなら「四国食材ハンドブック」といったものがそばにあると便利だと思っても、それに匹敵するものを作るのは長年の積み重ねがないと簡単ではないようです。たとえば北海道大学・農学部(国立)や帯広畜産大学(国立)、あるいは酪農学園大学(私立)といった学術インフラもその積み重ねの一部です。北海道大学(JR札幌駅のすぐ北側)と酪農学園大学(札幌市の隣の江別市)は農業・畜産業・水産業や食材に関する各種のセミナーや催し物等で教室や会議室に、結構な回数、お邪魔したことがあります。

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酪農学園大学の白樺並木(2016年春、TPPに関するシンポジウムが開催された)


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2024年3月 6日 (水)

健康寿命は男性が72.68歳で女性が75.38歳

2019(令和元)年における我が国の「平均寿命」は男性が81.41歳で女性が87.45歳です。

若くして向こうの世界に行ってしまう方たちも少なくないので、平均寿命以上に長生きする高齢者も当然に多い。そういう意味では「人生100年時代」という生命保険会社などの標語もさほど大袈裟なものではないのかもしれません。

しかし同じ年(2019年)の「健康寿命」は――健康上の問題で日常生活が制限されることなく生活できる期間が健康寿命です――男性が72.68歳、女性が75.38歳と、「平均寿命」よりも男性は9年、女性は12年短い(厚労省データ)。

要は、男性は73歳、女性は75歳になると、要支援とか要介護の認定を受けるような身体の状態になってしまう人がとても多いということです。全員がそういう認定を受けるのではないとしても、日常活動や日常生活に以前と違った不都合な制約や制限を実感し始める人たちの年齢が平均値としては73歳と75歳ということなのでしょう。昔の、あるいは「遠野物語」の「姥捨て山」が今も存在すれば、山に担ぎ込まれる年齢です。

2019年で81.41歳であった男性の「平均寿命」は2022年では81.05歳、女性の「平均寿命」は87.45歳から87.09歳へと少し短くなりました(厚労省データ)。

その変化は新型コロナに関連した事やもモノがその原因だったのかどうかはわからないとしても、必要以上に長く生き続けることはホモ・サピエンスのDNAにとっては心理的にいささか荷が重いし鬱陶しくもあるので――そう感じない人たちも多いとしても――右肩上がりのグラフに落ち込みや停滞が見られたということは、「世界」がそれなりの按配になるように上手に差配されているとも言えます。

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2024年3月 5日 (火)

血圧は10くらいは簡単に上下する

血圧は――ここでは、あるいは一般的には最高血圧のことですが――10くらいは簡単に上下します。配偶者もぼくも朝起きて少しぼんやりとしているときに、たいていはパジャマを着たまま、血圧を二回測定することにしています。配偶者は左腕と右腕で、ぼくは二回とも左腕です。結果はスマートフォンのアプリに記録しておくので、推移がグラフで好きな時に一覧できる。

配偶者がどこかで仕入れた知識だと左腕で測った方がより心臓に近い分血圧は高くなるという話ですが、――心臓は体の中心あたりにあってわずかに左寄りではあっても特に左寄りというわけではないにしても――確かに少なくない複数回の結果を較べてみると左腕の結果の方が右腕よりは5くらいは高い。

それから、冬場は部屋が寒いと(あるいは寒いと感じると)血圧は高く、温かいと(あるいは温かいと感じると)血圧は低くなります。その差は、体調に差がないと思われる昨日と今日であっても、急に冷え込んだりすると10くらい高くなる。観察事例は配偶者とぼくの二つだけですが、血圧というのはそれなりに動きます。起き出したばかりでも考えことをし続けているときに測定する血圧は、そうでない場合よりも明らかに高い。

日本の循環器業界、つまり循環器学会と降圧剤メーカーおよび健康サプリメントメーカーなどの集合体ではいつの頃からか130というのが血圧のマジックナンバーになっていて、それを超えると、人間ドックや健康診断の際には病院から、普段はテレビ広告から警告の声が届くことになっています。

ぼくの血圧はそういう警告の声が届く範囲を推移しており、一方、配偶者の血圧はマジックナンバーのはるか下を移動していますが、日々の血圧の振れ幅に関して二人の間で差があるかというととくにそういうことはありません。海の中の別々の潮のように浅い辺りと深いところに分かれて流れる二人の日々の血圧数値を眺めていると、血圧は、それぞれに、気温の変化や熟睡度の具合やそのときの気分の強弱で10くらいはどうということもなく変化するようです。血圧計もそれなりに働き甲斐があるというものです。


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2024年3月 4日 (月)

旅行にはパジャマを持参

商品の価格差は、贅沢品は別だとしても、たいていはその品物の品質や機能の差を反映しています。それを実感するもののひとつがパジャマです。パジャマはかりに睡眠時間が六時間だとしても毎日八時間近くは身につけるものなので、高品質なものが望ましい。

寒くなってから毎夜お世話になっている冬用パジャマは、配偶者がデパートのワゴンセールで安く手に入れた高級パジャマで――とてもという副詞を高級の前に付けてもいいようなそれで――当然、番手の高い綿100%ですが、素材品質とカッティングと縫製が絶妙で、気持ちよく眠りに入れるしパジャマが原因で睡眠が邪魔されることもありません。毎日洗濯して乾燥機にかけてもサイズが不自然に変化することもない。

旅行にはパジャマを持参することにしています。超高級ホテルに宿泊すると高品質な着心地のいいパジャマが用意されているかもしれないとしても、そういうところは利用しないので、だから部屋に備え付けのパジャマが質の良い純綿製品という確率は――以前は知らず最近は――とても小さいようです。たいていは化繊が混じっている。したがって、旅行には自宅で利用しているパジャマを――同じものを二つ持っていてそのひとつを――持って行きます。

旅行鞄のスペースを無駄には占有したくないのでカバンに詰めるパジャマは夏用の半袖です。番手の高い薄地の綿で着心地が絶妙で、薄く小さく折りたたむことができます。ホテルは空調がしっかりしているので冬でも夏用パジャマで問題ありません。たまに出来の良い綿のパジャマを用意してあるホテルに宿泊する場合もあって、そういう場合はしっかりと備え付けを利用させてもらいます。就寝時には着ない混紡のパジャマも入浴後の汗取り用には重宝します。


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2024年3月 1日 (金)

一週間前から啓蟄(けいちつ)

啓蟄(けいちつ)とは二十四節気のひとつで寒さが緩んで春の陽気になってくると土の中から虫たちが這い出す時期のことです。啓蟄の後が春分。今年の啓蟄は三月五日からですが、四国東北部の瀬戸内ではその一週間前から啓蟄だったようです。

窓ガラスの外側に蚊を圧縮したような見慣れない風情の白い小さな虫がいっぱい飛んでいて、ときどきはガラス窓にぶつかるのですが、どんな種類か、何という名前なのかわかりません。どこから急に湧いて出たのか不明だとしても、啓蟄という季節を構成する現象のひとつに違いない。

不思議だったのは、その白い小さい蚊のような虫がガラス窓の向こうを飛び回っていたのはその日だけで、翌日は消えてしまいました。どこへ行ったのか。

冷たい雨が強めの風といっしょに断続していましたが、晴れたときの陽の光の強さは確かに春です。


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