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2024年3月19日 (火)

カーツワイル著「シンギュラリティは近い」とハラリ著「サピエンス」と「生老病死」

特異点(Singularity)という言葉はいくつかの意味合いで使われますが、AI(人工知能)との関係において使われる特異点は、AIがヒトの知能を完璧に凌駕する歴史上のある時期といった文脈で登場します――2006年出版(日本語版は2010年)のレイ・カーツワイル著「シンギュラリティは近い」に詳しい。「2040年代までに非生物的知能はわれわれの生物的知能に比べて数十億倍、有能になっているだろう」。

そうなった場合のAIはヒトよりもはるかに高度な知能を駆使して勝手に自己更新や自己革新をともなった自己製造を自ら計画的に推し進めるので、将来のAI(人工知能)とヒトとの関係は、現在のヒトと家畜との関係に似たようなものになるだろうということをも意味します。

現在のチェスや将棋におけるヒトと人工知能の勝負、現在の検索エンジンのビッグデータ処理、あるいは現在のChatGPTの持つ能力から類推できるように、人工知能は、ヒトの情報処理能力や推論能力や情報処理量の総体をいとも簡単に凌駕します。収穫逓増ではなく指数関数的な収穫加速で人工知能が進歩するということは、人工知能そのものがとても安いコストで人工知能そのものとそれを使った製品や労働サービスなどのサービスを、アルゴリズムに沿って再生産(企画・開発・製造・サービス)するということなので、現在ヒトが従事している仕事の大部分を、人工知能が、とても高い経済効率で、代替するというわけです。

だから遺伝子工学やナノテクノロジーやロボット工学を駆使して生成される非生物的なAIは、生物としてのヒトの体内(脳や血液やその他の身体部分)に組み込まれると、とりあえずそういうことのできる富裕層はという限定があるにせよ、アナログなヒトはデジタルなAI(人工知能)とハイブリッドな共生関係を築くことができるようになります。

そういう意思を強く持つ人たちは確かに存在します。カーツワイルの文章の一節を「シンギュラリティは近い」から引用すると、「老化を人生のひとつの過程として潔く受け入れようとする人もいるが、私の考え方は違う。・・・わたしから見れば、何歳になっても病気と死は不幸な出来事であり、克服すべきものなのだ。・・(中略)・・デ・グレイは、みずからが目指すのは『遺伝子工学で老化に打ち勝つこと』つまり年をとっても身体や脳がもろくなったり病気にかかりやすくなったりしないようにすることだと説明している」。

仏教で四諦(したい)という考え方があります。「四諦」とは釈迦の説いた四つの真理「苦諦」「集諦(じったい)」「滅諦」「道諦」のことですが、このうち現世は生・老・病・死の四苦と、愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五取蘊苦の四苦を加えた八苦であるということを説いたものが「苦諦」で、現世の「苦」の原因はひとが無常を認識できないからだと述べているのが「集諦」です。

つまり、ひとは生・老・病・死などの苦しみに悩まされる苦的存在であり、なぜ苦しみが生ずるかというとその原因は渇愛に代表されるところの煩悩があるからです。その煩悩(とくに渇愛)が滅した状態が涅槃(ねはん)で、涅槃に至るには八正道(はっしょうどう)などの実践行が必要というのが釈迦の基本的な教えです。

しかし「シンギュラリティ(特異点)は近い」の著者であるカーツワイルにとって、「老」や「病」や「死」は苦しいこと・不幸なこと、したがって回避したいことではあっても「生」(あるいは生き続けること)は「苦」ではないようです。

仏教の面白い――あるいは奥深い――のは、「病」や「老」や「死」だけでなく「生」も等しく「苦」の原因だと説いているところです。「生」というのは仕事でも私生活でも何でも渇愛という心的動因の連続で成り立っています――だから何とか生き続けられるとも言えるわけですが。

上述の意味での特異点やAIに、それは避けられない事態だと共鳴している「ホモ・デウス」の著者であるユヴァル・ノア・ハラリは、しかし、彼の前作である「サピエンス」のなかで以下のように述べています。ハラリは仏教についてとても造詣が深いようです。

「現代の最も支配的な宗教は自由主義だ。自由主義が神聖視するのは、個人の主観的感情だ。自由主義は、こうした感情を権力の市場の源泉と見なす。物事の善悪、美醜、是非はみな、私たち一人ひとりが何を感じるかによって決定される。」

「宗教や哲学の多くは、幸福に対して自由主義とはまったく異なる探求方法をとってきた。なかでも特に興味深いのが仏教の立場だ。・・・仏教によれば、たいていの人はこころよい感情を幸福とし、不快な感情を苦痛と考えるという。その結果、自分の感情に非常な重要性を認め、ますます多くの喜びを経験することを渇愛し、苦痛を避けるようになる。・・・だから快い感情を経験したければ、たえずそれを追い求めるとともに、不快な感情を追い払わなければならない。・・・苦しみの真の根源は、束の間の感情をこのように果てしなく、空しく求め続けることなのだ。」

生の苦といっしょに死を視野に入れた場合の高齢化(あるいは生の意味合い)と、遺伝子工学やナノテクノロジーやロボット工学の成果を活用して病気や死を回避し続ける状況における高齢化(あるいは生の持つ意味)とは、同じ高齢化ではあってもその色合いはずいぶんと違います。


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