推し量る(おしはかる)ではなく、推量(すいりょう)
鬼籍に入ってすでに十数年が経つある作家が後期のエッセイに書いていたことですが、たとえば問題が「山積み(やまづみ)」という大和言葉風の音と表現は落ち着かなくて、問題が「山積(さんせき)」という漢語風の音と表現だと座りがいいと感じるそうです。好みの問題ですが、そうかもしれない。
ぼくのブログなども、書く内容によっては「山積(さんせき)」でないと気分が出ないことがあるにしても、ここ数年は意識して「山積み(やまづみ)」風を使うようにしています。そこでの「山積み」風は、大和言葉風というよりも訓読みに大和言葉の雰囲気が少しだけ組み合わさったようなものです。
その理由を、推し量る(おしはかる)というか、推量(すいりょう)してみると、漢語風表現はぼくのブログに目を通していただくかたの中にも漢字の苦手な若い人がいらして読めないことがあるかもしれないと思い、「推しはかる」を使ったり「推量(すいりょう)」と括弧に入れたルビを振ったりするようになってきました。
最近の記事だと「般若心経はとても哲学的なお経」には「推しはかる」がいいのか「推量」がいいのか、「短いゴム長の出番」や「冬のシャクナゲ」だとどちらが向いているのか、悩ましいところです。漢語は簡潔で、そしてそのぶん余韻が後に続いてなかなかにいいものだとしても、必ずしもそういう質(たち)のものばかりではありません。
たとえば、大学の構内(や大学周辺)のタテカン(立て看板)には両方の雰囲気が宿るようです。
2018年4月の産経フォトニュースに「京大は5月1日、これまで公道に面した場所に置かれていた看板について、京都市左京区の吉田キャンパス内に設置場所を指定する『規程』を施行する。昨年10月、京都市から『屋外広告物に当たり、景観に関する条例に違反する』として文書指導を受けたことに伴う措置だが、学内からは反発の声が相次いでいる」というのがありました。
当時の報道写真を見るとその措置に賛成するタテカンがとても大きな字で書かれた
「違反広告物 タテカン 撲滅。」
で、そのタテカンはその主旨とは違って公道に面して建てられていて、その措置に反対する内容のタテカンが、これも公道に面して設置されていてその文面は
「景観条例を濫用し大学周辺の立て看板を全面的に禁止する京都市とそれを無批判に追随する京大当局を弾劾する!!」
です。政治に関心のあるタテカン作者は相変わらず大きな句点「。」や「!!」が好きみたいです。
下は、2017年の秋、銀杏(イチョウ)の葉が黄金色に染まるときの北海道大学構内のタテカンです。
「北大金葉祭 いちょうが一番きれいな日」
こちらは漢語はそれなりに多いけれども、和語も混じり、漢字も、まあ、控えめなので柔らかい。それに文化祭なので「。」も「!!」もありません。「軟弱」――という漢語風をあえて使ってみますが――な雰囲気のタテカンです。
最近のコメント