経済・政治・国際

2020年11月18日 (水)

「すべり止め用砂が入っています、ご自由にお使いください」

札幌市内では「雪の準備」が現在進行中です(半ば以上は現在完了形ですが)。身近なものを四つあげると、

・街中の(たとえばオフィス街の)低木や灌木の雪囲い
・道路際の赤白ポール
・「落雪注意」の掲示板
そして
・交差点の滑り止め用の砂と砂箱

です。

雪囲いは札幌に限らず雪国では冬の見慣れた風景ですが、楽な準備ではありません。

赤白ポールは、車道と歩道の境界に立てる棒で、雪が厚く積もるとどこまでが路肩かわからなくなるのでそのための印です。除雪の利便を考えて、北海道では歩道と車道の間にガードレールがないところがほとんどで、札幌も例外ではありません。ガードレールがあっても雪に埋もれて見えなくなるし、除雪車の作業の邪魔になります。

「落雪注意」の掲示板は、ホテルや大きなオフィスビルの入り口あたりの一階地面に置かれていることが多いのですが、屋上から雪がどっさっと落ちてくる危険性があるのでそのための注意喚起です。

下の写真は札幌駅に近い鉄道高架下の交差点に設置してあった砂箱です。「すべり止め用砂が入っています ご自由にお使いください」と目立つ文字で書いてあります。10日から一週間くらい前に降り積もった雪が今は消えてしまったので、この砂箱も手持無沙汰な風情ですが、滑り止めの砂が主要交差点に用意され始めると雪の季節の始まりを改めて実感することになります。

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2020年11月10日 (火)

「コロナ、大丈夫ですか?」

札幌から遠く離れたところのお住いの知り合いから、市民感覚の親切な電話をいただきました

「コロナ、大丈夫ですか?」

ニュースに《北海道過去最多"200人"…札幌も最多更新「158人」コロナ感染判明》といった見出しが流れ、メディアに《9日の東京都の新規感染者数は157人で、札幌1市のみで東京都を上回る結果となりました》のような内容の記事が出た夜のことです。

札幌はよほど危機的な状況にあると映っているらしい。

「Go To トラベルで旅行するとしたら、何と言っても北海道ですよ」
「そうかもしれませんね、一週間ほど前もレンタカー会社の営業所は観光客と思しき人たちで相当に混雑していました」

ぼくの市民感覚では、この夏から秋にかけてのGo To キャンペーンを利用した旅行者増加は、昨年末からお正月、雪まつりにかけての中国人観光客の大量流入を彷彿させます。新型コロナの感染者の急増にはローカルな「ススキノの賑わい」も晩秋の寒さも関係しているのかもしれないとしても、人の移動に伴うコロナウィルスの移動が再拡大の最初のひと押しだったようにも思われます。

札幌市民は、少し前までの東京都民と同じで他の地域の住民には「バイキン」扱いされるかもしれません。いささか面倒なことになりつつありますが、これも憂き世のおつきあいです。マスクのストックは、今後、期待通りの役割を演じ続けることになりそうです。


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2020年10月29日 (木)

「平家物語」を斜め読みして、ふと、感じること

ぼくは「平家物語」の名場面と呼ばれているような箇所――「一の谷の戦いの鵯越(ひよどりごえ)」、「平敦盛と熊谷直実の一騎打ち」、「屋島の戦いにおける那須与一の弓」など――は、小さい頃に祖父の口から、たとえば縁側で繰り返し聞くのを楽しみにしていました。琵琶の音色は決して混じらないにしても、平家物語の一部を孫に話すのが好きな家庭版の琵琶法師から聞くようなものだったかもしれません。明治生まれにはそういうことのできる人がいました。令和の今なら、その代替はおそらく「漫画で読む平家物語」「アニメで観る平家物語」ということになります。

その平家物語を本という媒体で斜め読みしてみて、ふと、感じることがありました。

この物語の主題は戦記物語的に書かれた平家の栄枯盛衰であるとしても、底を流れているのは天皇家の、最近の社会科学ないし環境関連用語を借用すれば、サステイナビリティ(sustainability)の強靭さかもしれないなということです。琵琶法師経由で日本中に拡がることになるその物語の原作者がそういうことを意図したのではないにしても、そういう風に読もうと思えばそういうものについての地味な詳細叙述とも読めます。

この物語作者は「奢れる人も久からず、ただ春の夜の夢のごとし。猛き者も遂にはほろびぬ、偏(ひとへ)に風の前の塵におなじ」というストーリー展開に必要な鮮やかな色の場面記述と、その場面の裏に同時に存在するものについての地味な記述を織り混ぜているようです。

天皇家は、見かけは藤原家や武家に翻弄されても、一族の生存にかかわる土台の部分は、専横的な政治経済的な駆け引き(この中には院政や臣籍降下といった手段も含まれますが)を駆使しつつ、不死身のアメーバーのように、生存に必要なものを新たに取り込みながら不要になった周辺部は切り離し、ネバネバと動いていて崩れ去るということがありません。「この世にこそ王位も無下に軽けれ。昔は宣旨を向って読みければ、枯れたる草木も花咲き実なり、飛ぶ鳥も従いけり。」(今でこそ、天皇の地位もはなはだ軽くなったが、昔は宣旨を対面して読みかけると、枯れた草木も花を咲かせて実を結び、飛ぶ鳥も従ったものだ)という状態ではあっても、平家は朝敵として滅亡し、源義経は兄の頼朝に殺されてしまいます。

平家物語の冒頭部分の以下のような一節も、天皇家のサステイナビリティという観点から見ると、自分にそのうち役に立つかもしれない別のある一族に短期間の夢幻を楽しませるための、そしてその一族が邪魔な存在になれば彼らの夢を破壊してしまうつもりの、ひそかな布石について語っているのかもしれません。

『その先祖を尋ぬれば桓武天皇第五の皇子、一品式部卿葛原親王九代の後胤、讃岐守正盛が孫、刑部卿忠盛の嫡男なり。かの親王の御子高見王無官無位にして失せ給ひぬ。その御子高望王の時、初めて平の姓を賜はつて上総介に成り給ひしよりたちまちに王氏を出でて人臣に列なる、その子鎮守府将軍良望後には國香と改む、國香より正盛に至る六代は、諸国の受領たりしかども、殿上の仙籍をば未だ赦されず。』

《現代語訳》『清盛の先祖を調べると、桓武天皇の第五皇子、一品式部卿葛原親王から数えて九代目の子孫、讃岐守正盛の孫で、刑部卿忠盛の嫡男である。葛原親王の御子、高見王は、官職も官位もないままなくなられた。その御子の高望王のとき、初めて平の姓を賜わって、上総介になられてから、ただちに皇籍を離れて臣下の列に連なる。その子・鎮守府将軍良望は、後には国香と名を改めた。国香から正盛に至るまでの六代は、諸国の国守ではあったが、殿上人として昇殿することはまだ許されなかった。』

ふと感じたことのもうひとつは、これはひとつめとは関係がないことですが、「物語」に登場するさまざまな戦いの時間がとても短いことです。鏑矢(かぶらや)を飛ばし合い、鬨(とき)の声をあげたら、途中に修羅場は数多く登場しても、あるいは戦いの場が、やがて、一の谷、屋島、壇之浦と移っていっても、戦は、実質的には短時間で片が付いてしまいます。合戦は短時間なそれの間歇的な繰り返しと映ります。余計なことですが、義経の仕掛ける戦は奇襲攻撃ばかりで、当事者にとってはそういう奇襲攻撃も壮絶な殺し合いの場には違いないとしてもなんだかあっさりとしている。

だから、戦いにおける兵站(へいたん)については、長期戦ではないので、敵の攻め方や殺し方を考えるほどには、兵站について真剣に考えなかった武将が多かったかもしれない。頼朝はそういうことにも時間をかけたにしても、国民に人気の高い義経はそういうことは苦手だったようです。それが国民のDNA的な一般性質として伝わって、たとえば第二次世界大戦における帝国陸軍の中国東北部や東南アジアの兵站事情――気合だけがあって武器弾薬や食糧は大幅に不足――に繋がっていたようにも思われます。


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2020年10月19日 (月)

言語は時間をかけて、規則性が少なく組み合わせが自由な方向に流れていくらしい

ぼんやりとであっても、まわりの(ないしは世界の)言葉の動きを眺めていると次のような事態には気がつきます。

・強い政治経済的な背景があるにせよ、屈折系言語では他の言語ではなく、英語が抜きんでて世界標準的な役割をしている。インターネットなどでもそうである。

・(中国本土での簡体字への移行ということはさておいて)中国語で「・・・的」という表現が増えてきた。たとえば、「我的手机」(私の携帯電話)、「幸福的家庭」(幸せな家庭)、「西方的力量」(西洋の力)、「虔誠的基督徒」(敬虔なクリスチャン)。そういう表現は、中国の古い文章の集合体であるところのたとえば古典授業用「漢文教科書」にはおそらく載っていない。

・日本語では、「旧仮名遣い」や「係り結び」といった言葉の規則性や関係性がいつの間にか消えてしまった。たとえば、「ゐ」や「ゑ」、「その中に、もと光る竹なむ一筋ありける」や「名こそ流れてなほ聞こえけれ」。

世界の言語は、通常、孤立語、屈折語、膠着語の三つに分類されます。

「孤立語」の代表例が中国語。それぞれの単語が孤立(自立)していて、それぞれの単語が個別に意味を持っています。日本語のような助詞(・・は、・・を)は使わない。中国語で「私はあなたを愛している」は「我愛你」。「孤立語」なのでそれぞれ語が、たとえばドイツ語(Ich liebe dich.)のような活用や格変化をすることはありません。

屈折語は古代ギリシャ語、サンスクリット語、フランス語、ドイツ語などです。英語も屈折語ですが、屈折語の中では屈折度が少ない言語です。屈折とは活用のことで、動詞の人称変化や時制、名詞の格変化(主格・属格・与格・対格・呼格)などの文法的性質を指しています。

古代ギリシャ語だと、「ギリシャ語の活用変化(語形変化)は大別して、名詞変化(declension)と動詞変化(conjugation)の二種になる。形容詞や代名詞等の変化は名詞変化に含まれる。」「数は単数(singular)、双数(dual),複数(plural)の三つがある。」「ギリシャ語においては、人称や数が動詞の変化の中に示されているわけであるから、とくに強調せんとする時以外には、代名詞の主語を置くということはない。従って外見上主語のない文章はギリシャ語においては極めて普通のことである」(田中美知太郎・松平千秋 著「ギリシャ語入門」)という具合です。

膠着語は、そのひとつが日本語ですが、助詞や接辞などの機能語が、名詞・動詞などの自立語にひっついて文が構成される言語のことです。「うちはあんたが好きや」の「は」「が」「や」は、それ自体では実質的な意味を持たない、機能語です。膠着語では、そういった機能語が、「うち」「あんた」などの名詞(自立語)や「好き」などの動詞(自立語)に付着して文が構成されます。

中国語における「・・的」という表現の増加は、孤立語に日本語のような膠着語の便利さ(孤立したものをねばねばとくっつける性質)が取り込まれつつあるということです。前述した例を再掲すると「幸福的家庭」(幸せな家庭)や「西方的力量」(西洋の力)などです。その背景にある理由は「和製漢語」の輸入と、あるいは似ているかもしれません。言語として時代の変化に俊敏に対応するためにはその言語の表現柔軟性を高める必要がある。

19世紀末~20世紀初期に日本で作られた「和製漢語」のなかで、中国で普及したものには、たとえば、次のような熟語があります。和製漢語を輸入しないと中国語は西欧の脅威、時代の変化、文化の変貌に対応できなかった。

《系統・電話・電気・旅行・自転車・野球・科学・歴史・哲学・病院・派出所・銀行・弁当・味噌・寿司・抹茶・煎茶・文化・和紙・鉛筆・雑誌・美術・時間・空間・入口・出口・市場・投資・企業・広告・国際》

「中華人民共和国駐日本国大使館 ウェブサイトの記事 《和製漢語:中国 日本と世界を繋ぐ絆》によれば、中国は、20世紀初頭に『独立、平等、自由、民主、法制、主権、民族、国際、哲学(西周による)、美学(中江兆民による)』といった和製漢語を輸入し――現代中国語における『社会科学関連語彙の六割は和製漢語』――、また20世紀の終わりごろからは『人気、写真、料理、新人類』などの新しい和製漢語を再び取り入れ始めたそうです。

ある言語の他国や他地域への浸透力はその言語を主言語とする国々の政治力や経済力に基づくとしても、自国語以外の言語を使う必要に迫られた場合でそれが屈折語だと、その中では屈折の度合いが低い言語が選好されるのは理にかなっています。つまり、フランス語やドイツ語ではなく英語です。

高度な屈折性をそなえた言語は、それを母国語とする人には肌理(きめ)細かい配慮が可能ですが、外国語(や古典語)としてそれを学ぶ人にとっては、自国語がそういう性質のものでない場合は、その屈折性が学びのとても高い参入障壁になりますが、英語はその障壁がまだ相対的に低い。

日本語は、ややこしい言語規制を水に流すように取り払ってしまったあとどこへ向かっているのか。ひょっとすると「オノマトペ(擬音語と擬態語の総称)」的な表現方法を拡大・強化する方向に進展しているのかもしれません。言葉のアニメ化とも言えます。画像や映像としてのアニメは輸出力の強い日本の卓越した文化なので、言語のアニメ化傾向というのも悪くはありません。「オノマトペ」的な表現自由度が強化された日本語が「和製漢語」のように中国に浸透して中国語を変えるかもしれません。今後のお楽しみです。関連記事は「ぴえん超えてぱおん」。

 


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2020年10月 6日 (火)

平家物語と令和の義偉(よしひで)

最近の動きを拝見していると、菅義偉(すが よしひで)首相は大日本国憲法と治安維持法の復活をもくろんでいらっしゃるのかもしれません。自民党の改正憲法草案は旧日本国憲法と治安維持法の匂いが濃い草案ですが、それ以上の思い入れを菅首相は治安維持法的なものにお持ちのようです。批判的な反対勢力や反対論者は、彼らが遠吠えしている分にはあまり気にならないのですが、それがノイズとしてそばにあるとけっこう鬱陶しい。

鬱陶しいものは遠ざけたいし消し去りたい。彼は現在の自分の権力と権勢を使ってその範囲内でそういう不協和音的なノイズを合法的に排除する仕組みや枠組みを作りたいのでしょう。権力が拡大すれば「合法性」の解釈適用範囲も拡がります。

政権が左寄りでも右寄りでもその政権が勢力を拡大すればその政権向きの「治安維持法」を欲するのは時代や国を問わずよく見られる現象ではあります。トランプ大統領は異論を大声で陽性に排除しようとしますが、菅首相の除去の仕方は陰にこもっている感じです。

話が前後しますが、自民党総裁の地位を手に入れた際の菅官房長官の手腕は、ドスを懐に入れた「悪」が舞台裏を目立たずにひそかに静かに漂い動いた感じで、見事でした。

以下に『平家物語』の冒頭をごくわずかに修正して――正確には文字をいくつか追加して――引用してみます。案外、違和感なく読み通せるかもしれません。

『祇園精舎の鐘のこゑ、諸行無常のひびきあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰のことわりをあらはす。おごれる人もひさしからず、ただ春の夜の夢のごとし。たけき者もつひにはほろびぬ、ひとへに風の前のちりに同じ。

とほく異朝をとぶらへば、秦の趙高(てうこう)、漢の王莽(わうまう)、梁の朱忌(しゅい)、唐の禄山(ろくさん)、これらはみな、旧主先王のまつりごとにもしたがはず、たのしみをきはめ、いさめをも思ひいれず、天下の乱れんことをさとらずして、民間のうれふるところを知らざりしかば、ひさしからずして、ほろびし者どもなり。

ちかく本朝をうかがふに、承平の将門(まさかど)、天慶の純友(すみとも)、康和の義親(よしちか)、平治の信頼(のぶより)、令和の義偉(よしひで)、これらはおごれることも、たけき心も、みなとりどりにこそありしか、まぢかくは六波羅の入道、前(さき)の太政大臣平(たいら)の朝臣清盛公と申せし人のありさま、つたへ聞くこそ心もことばもおよばれね。』


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2020年10月 2日 (金)

続「マスクの抽選に当たった」

マスクの抽選に当たった」の続きです。

ぼくも配偶者もめいめいのメールアドレスを使って「クリーンルームで生産された日本製マスク」に応募していて、「マスクの抽選に当たった」で書いたようにぼくのアドレスが先に当たったので配偶者はいささか落ち込んでいたのですが、すこし遅れて配偶者もめでたく当選し、昨日、宅配便でそのマスクが届きました。

配偶者が当選したのは第22回目の抽選ですが、メディア記事を拝見すると、『9月23日に行なわれたふつうサイズの第22回目抽選では合計で8,993,045人の応募があり、倍率は約103倍とその前の回と同じ倍率となった』そうなので、よく当たったと思います。

配偶者が当たった回からは、女性や子供向けの「小さめサイズ」も発売になったそうで、これもメディア記事によれば『一方の小さめサイズについては初回抽選となり、合計127,187人の申し込みがあったが、生産の立ち上げが順調に進められたとのことで、当初予定していた5,000箱から10,000箱に増量。倍率は約13倍だった』そうです。

また機会があれば、今度は配偶者用に、耳ゴム紐の長さ調整が不要な「小さめサイズ」に応募する予定です。

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2020年9月 7日 (月)

天気予報用語に関する違和感のことなど

自然災害は人為的には抑制できないので災害をもたらす大きな台風などはないに越したことはないのだけれど、気象庁担当者や気象予報士が近頃頻繁に使う「『観測史上最大の』風速」という類の表現の意味というか、そういう曖昧な表現を使う意図がよくわからない。

災害回避について国民の注意を喚起するために大げさな言葉を使いたいというのならわからなくもないのですが、なら、もう少し具体的な年数で表現して欲しい気がします。もっともそういう予報の中では、過去のいくつかの「最大風速」事例も紹介してくれるので、観測史上というのはここ数十年のことらしいというのはその結果としてわかります。

気象庁担当者や気象予報士の口調からは、「観測史上最大の」が「過去1000年間で最大の」ということはあり得そうもないので、そうなら気象台(ないしその前身機関)が明治5年(1872年)に函館で発足して以来なら例えば150年、地域によって気象台(や、その前身機能)の設置時期は違うのでその地域で観測が始まって50年なら50年間で最大のと言えば、ひとは比較対象をそれなりに想定できるのでよりわかりやすいのに、と思ってしまいます。それが年寄りの「生まれてからそんなことは経験したことはない、従って今回もあり得ない」という思い込みに陥る欠点はあるにしても。

日本で文字が使われた歴史を背景尺度にするのなら50年や100年は一瞬ではないししても、地球や日本のマクロな気象変化を言うなら50年や100年は一瞬です。その一瞬がどの程度の範囲や長さの一瞬なのか、「観測史上最大」ではよくわからない。

こういう物わかりの悪い国民の気持ちが届いたのか、直近(9月5日)の気象庁と国土交通省の台風10号に関する記者会見では「(南九州の)これらの河川では、おおむね100年に1度の雨量を想定した河川整備計画を進めていますが、7日正午までの24時間雨量の見通しでは、多いところでこの計画を上回る雨量が予想されています」とメッセージに「年数」が入ってきました。しかし「100年に1度の雨量を上回る雨量」という表現も街頭政治演説みたいでよくわからない。

「国交省や気象庁が各地域や河川流域で想定している24時間最大雨量を超える雨量が今回の台風では予想される」ということなら、それぞれの危険地域の想定雨量と予想雨量を明示しながらそう説明してもらうと少なくとも僕は理解しやすい。それから「(令和2年の時点で現在生きている日本人が)経験したことのないような大雨が予想され、河川の越水が十分考えられる」というような説明も「観測史上最大の」よりは理解しやすい。

40万年前に遡れば、地球の気温は10万年ごとの周期で同じような形の波――気温はある値(あとでこれを平均値と名付けるとして)から4度程度上昇して偏差がプラス4度になり、またそこから8度くらいぐんと下降して平均値からの偏差がマイナス4度になるという形の波――を形成していますが、それも地球物理学者の観測値ではあるのでそこまで遡る観測値というのもあり得ます。風速や雨量にもあるいは同じような代替観測値が存在しているかもしれません。

現在の地球は温暖の頂点(ないしそれに近いところ)にいるようです。風速や雨量をはじめ「異常気象」なるものの原因説明に困るといささか便利なので「地球温暖化現象」に逃げ込む気象予報士のかたもいらっしゃいますが、気温が頂点にいるということはこれから下がり始める可能性がとても高いということなので、寒冷化や氷河期への突入が嫌いなぼくとしては、カーブの反転は望みません。

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2020年9月 4日 (金)

マスクの抽選に当たった

2020年4月30日 (木)のブログ記事「クリーンルームで生産された日本製マスクの抽選に応募してみたら・・」の続きです。

《【・・・ご当選のお知らせ】・・・ご購入手続きのご案内》というタイトルのメールが昨日の午後に届いていました。ほとんど諦めていたマスクの抽選に当選した模様です。珍しいこともあるものです。

その「クリーンルームで生産された日本製マスク」のいちばん最初の抽選が《応募総数:4,706,385人 当選者数:40,000人 (40,000箱)》だったので、その結果は、世の中は必ずしも期待したようには行かないことを確認しただけだったのですが、《第1回抽選販売にご応募いただけなかった方は、第2回以降の抽選販売でご応募ください。 なお、既にご応募いただいた方につきましては、自動的に第2回以降の抽選販売の対象とさせていただきますので、改めてご応募いただく必要はございません》という文面に淡く期待して――実際はほとんど期待せずに――待っていました。

なぜなら、相対的に廉価で一定以上の品質をそなえた中国製マスクが溢れ始めたにもかかわらず、この日本製で当該企業のロゴが入ったその白いマスクは週当たりの当選者数よりも週当たりの追加応募者数のほうが多いという状況にあり、つまりくじ引きなどに強くないぼくにとってはますます当選機会が遠のいた状況にあったからです。

しかし突然の僥倖で、僥倖ではあるのですが、値段は今となっては決して安くないし、別途それほど安くない送料もかかるとしても、乗り掛かった船で、購入手続きに進んでしまいました。マスクの到着までには一週間くらいかかるみたいです。到着後は、当分の間は例の「アベノマスク」の隣に置いて記念品扱いとする予定です。


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2020年8月31日 (月)

北海道は、2日間と少しだけ、突然の秋

一昨日の夕方から昨日までは「世間」は夏でしたが、北海道の気温はまったくの秋でした。この超短期の秋は今日も継続中です。ここで「世間」というのは北海道以外の日本の各地域という意味で、ぼくが勝手にそう使っただけですが、そういうことを表す北海道方言に「内地」というのがあります。

「本州と四国と九州」と同じ意味ですが、本州・四国・九州というのは面倒なので「内地」です。北海道の放送局は、さすがに、北海道以外の日本を「内地」とは言わずに「道外」と呼んでいるようですが、散髪屋などで、たとえば去年や一昨年だと、お店の人が東京観光に行ってきたことを「先週、内地に旅行に行ってきました」というように普通に使います。

北海道以外の日本を「内地」とすると、「外地」はどこか。日支事変(日中戦争)や太平洋戦争以前は台湾や樺太や旧満州などが「外地」だったようです。自分たちの住む土地のことを北海道の人はさすがに「外地」とは呼びませんが、「国土交通省 北海道開発局」というような表示板のある建物が札幌のゆったりとした敷地にあるのを見ると北海道には今でもわずかではあっても「外地」の香りが漂っています。

全国版の天気予報などで、台風が本州を北に抜けて(いくぶん弱くなったのが)北海道に上陸するような場合に、気象予報士が「台風は日本を抜けました」と(無意識に)発言する場合がしばしばあります。これを「内地・外地」で翻訳すると「台風は内地を抜け(よかったよかった)、北海道という外地に向かっています(だからもう気にならない」)。

さて、突然の秋について、です。土曜は昼間はエアコンなしでは辛い31℃くらいだったのが夕方から急激に20℃を下回り、天気予報だと外はそういう気温らしい、それでは、と窓を開けて風を通すと涼しい風が部屋を吹き抜けて半袖では寒いくらいになりました。突然の秋です。

その翌日の日曜日も「道内」は同じ秋が続きました。午後2時半の気温が15.9℃、午後7時が(予報とは違って)14℃。「内地」は暑い夏だった様子です。

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もっともこれくらいの(つまり14~15度くらいの)温度差は、冬は札幌が氷点下のときに東京が14~15℃ということと同じなので、わざわざ言い立てることではないのかもしれません。


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2020年8月17日 (月)

お盆のホテルの窓灯り

景気の具合はタクシーの運転手に聞くとよくわかるというのは事実ですが、頻繁にタクシーを利用するというわけでもないので、ぼくは一般的なビジネス客や観光客の多い都市ホテルの夜の窓を見ることにしています。

写真は8月14日の夜遅くの、札幌市内のあるホテルの窓灯りで、ぼくの定点観察の対象のひとつです。お盆休みなので宿泊客がまたそれなりに増えた様子です。自粛中はこのホテルの窓はほぼ真っ暗でした。自粛解除後でも北海道の旅行支援策前やGoToキャンペーン以前は窓の灯りは4つ5つ、多くても7つ8つ。

写真は左が7月23日(4連休初日)の夜遅く、右が8月14日(お盆休み)の夜遅い時刻。旅行会社の企画するパッケージツアーはよく知らない人たちといっしょに乗り物という空間内で長時間移動するので人気がないと想像しますが、個人宿泊客、つまりGoTo割引を利用した個人・友人や家族単位での旅行客は、北海道のような観光地ではお盆休暇にそれなりの賑わいを作り出している雰囲気です。

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関連記事は「GoTo トラベル2日目とGoTo 12日目の窓灯り」。


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