経済・政治・国際

2018年7月12日 (木)

旧北海道庁(本庁舎)前の赤レンガ広場

4年近く前にできた商業施設のことをいうのか、それらを含む公共広場のことをいうのか判然としないのですが、北海道庁の旧本庁舎(通称、「赤レンガ庁舎」)のすぐそばにある北3条広場とその周辺の商業施設(レストラン街)を赤レンガテラスと呼んでいるみたいです。

「赤レンガ庁舎」との景観の連続性を引き立てるするために、北3条広場は赤レンガを敷き詰めた雰囲気のいい広場に整備し直されました。だから「赤レンガ広場」と呼んでも札幌市民としてはさしつかえないのですが、「赤レンガテラス」と呼ぶ商業的な理由があるのでしょう。しかし、ここではそのことには立ち入りません。

下の写真は「赤レンガテラス」と「赤レンガ庁舎」。梅雨前線もどきが、また、北海道近くまで北上していて雨が降りそうなくらい重く曇っていた日に撮影したので、色合いの悪いスマホ写真になってしまいました。

A_2 商業施設の一部

C_2 商業施設ロゴ

B_2
北海道庁の「赤レンガ庁舎」(旧本庁舎)。赤レンガ広場はこの庁舎のすぐ東側。左側のグレーの建物(守衛が立っている)は、道議会。

興味深いのは「赤レンガテラス」のログ風横文字表記です。「Akarenga TERRACE」となっています。「TERRACE」は英語ですが、英語表記というのではないらしい。無理に英語に直すと「赤レンガテラス」は「Red Brick Terrace」になります。

以前、「駅弁大学」という用語が日本でまだ死語でなかった時期に、その当時日本に住んでいたあるイギリス人に駅弁大学を英語だとどういうのかを尋ねたことがあります。そのイギリス人は、ぼくが説明した駅弁大学の意味を理解し、それなら「Red brick universityかな」と答えました。「ほとんど同じ意味です。」

そういう意味では、「赤レンガテラス」を「Akarenga TERRACE」と表記し、「Red brick TERRACE」としなかったのは結構な判断だったと思います。たとえ「Akarenga」が外国人には意味不明な言葉であったとしても。しかし、実際には判断にそういう迷いはなくて、「赤レンガ庁舎」、故に「赤レンガテラス」、故に「Akarenga TERRACE」という直線的な決定だったのかもしれません。

いずれにせよ、観光客や市民向けのきれいなテラス風赤レンガ広場であることは間違いありません。

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2018年7月11日 (水)

微量でもものすごく甘い人工甘味料

アップル創業者のスティーブ・ジョブズが、当時ペプシコーラに勤めていたジョン・スカリーをアップルのCEOにヘッドハンティングするときの口説き文句が、スカリー本人のインタビューによれば

Do you want to sell sugared water for the rest of your life, or do you want to come with me and change the world?

だったようです(当該動画の31秒から36秒あたり)。それが1981年の出来事なので、1980年当時は、コーラの甘味はまだ砂糖(sugared water)だったのかもしれません。

今はコーラの甘味は砂糖ではなく、人工甘味料が作っています。人工甘味料は、微量でも砂糖の数百倍は甘いので「経済的」「合理的」です。他のマーケティング的な訴求効果もあります。

アメリカや日本で広く飲料に使われている人工(合成)甘味料は、現在、3種類あります。アスパルテーム、スクラロース、アセスルファムK(カリウム)です。

アスパルテームは、砂糖の180倍から200倍の甘みがあり、アメリカでは1981年に、日本では1983年に添加物としての使用が認められました。スクラロースは、砂糖の約600倍の甘みがあります。日本では1999年に添加物としての使用が認められました。アメリカではそれよりも前に使用が認められています。アセスルファムK(カリウム)は、砂糖の約200倍の甘みを持っており、日本では2000年に添加物としての使用が認められました。アメリカではそれよりも前に認められています。

ある、糖分ゼロを売り文句にしている茶色い炭酸飲料(コーラ)の原材料欄を拝見すると

「原材料名 : 炭酸、カラメル色素、酸味料、甘味料(スクラロース、アセスルファムK)、香料、カフェイン」となっています。

最近は糖分や果糖の評判が芳しくないので、それでも甘いものがやめられない消費者は、人工(合成)甘味料を使ったノンシュガー飲料やその親類に走るのかもしれませんが、配偶者やぼくは、ブラックコーヒーと、ごくときどきの北海道産シュークリームや北海道産ソフトクリーム(ただし、持ち帰りの場合には、遅くともその日の夜までに食べ切らないといけないタイプ)があればこと足りるので、人工(合成)甘味料の不透明なリスクに遭遇する機会はほとんどありません。

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2018年7月 5日 (木)

化粧品とコミュニケーション

写真は、この季節になるとアーチに沿ってきれいに伸びるホップ(あの、ビールに使うホップ)です。場所は大通公園という札幌の中心部にある公園です。

20180704

この写真には写っていませんが(写していませんが)、ホップに向かってスマートフォンを構えているぼくの近くで、複数の中国からの家族連れが高級なコンパクトカメラやスマートフォンでお互いに写真を撮りあっていました。地味なホップのアーチの近所には、噴水があり、花壇にはとてもカラフルな花が植えられています。

この公園を歩き続けたり、この公園に隣接する商業地域を歩いていると、あるいは、藻岩山(もいわやま)の麓を経由してきた夜の市電に飛び乗ったりすると、聞こえてくるのはたいていは中国語で、そういう環境にいると、自分が中国のどこかの地域の少数民族の一員であるような気分になります。かりに彼らがしゃべっていなくても顔つきや醸し出す雰囲気で隣の国からの観光客だとわかります。

その異国感を、そしてとくにそれがやや変形した感じのものを味わいたければ、配偶者のお供でデパート一階の化粧品売り場に行くのが最適です。

これは配偶者の受け売りですが、世界の化粧品売り場の中で、日本のデパートの化粧品売り場ほど、顧客への対応と実物説明を含む解説が丁寧で親切なところはないそうです。だから、中国人女性観光客の足が絶えない。

中国語が堪能とは思えない日本人の販売員女性と中国人顧客がどうやって細かいニュアンスを伝えあっているのかわかりませんが、きれいになりたいという気持ちときれいにしてあげたいという意思、そして、本物の化粧品という現実的な媒体とボディ・ランゲッジがあればコミュニケーションは比較的簡単なのかもしれません。

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2018年6月14日 (木)

血圧を10くらい上下させるのはとても簡単、あるいは「正常」血圧って何?

定期的に、そしてできるだけ同じような時間帯に家庭で血圧を測っていても、血圧というのはけっこう変動するものです。調査対象は配偶者とぼくの二人で、サンプル数は少ないけれど、ぼくの数値だけを相手にするよりも客観的な物言いができます。血圧計は家庭向けのしっかりとしたもの。

ぼくの場合、たとえば日曜日の早朝に気分よくぼんやりしているときの血圧と、早朝にもかかわらず何かを考え続けているときの血圧、あるいは朝刊のある種の記事を読んでイライラした直後の血圧とは明らかに違います。10単位くらい(あるいはそれ以上)は簡単に上昇するし、その逆の場合もあります。つまり、血圧は気分(この場合は目覚めているときの気分)にけっこう左右されます。

もしそうなら、嫌な夢やイライラする夢を見ているときも血圧は高いに違いない。無意識は意識の深層だし、無意識と意識を合わせた状態を広義の意識と考えると、血圧は意識の顕在的な現れと潜在的な顕れの両方の影響を受けているようです。

だから、たとえば、健康診断などで、こんなことをやって意味があるのかしらんと無意識に近い領域でイラついているような状態で血圧を測ってもらうと測定値は高くなるかもしれません。逆にボーとしている場合や医者や健康診断への信頼度が素直に高い場合は測定値は低くなる。

以前にも書いたことですが、この数十年の「正常」な血圧に関するガイドラインは以下のような具合に推移しています。

□ 1960年代は、「収縮期血圧が149以下 /拡張期血圧が 99以下」
□ 1970年代は、「164以下 / 94以下」(WHO世界保健機構)
□ 1993年からは、「139以下 / 89以下」(いわゆる「140 / 90」)
□ 2009年からは「129以下 / 79以下」が正常血圧、「130~139 / 80~89」は「正常高値血圧」という不思議な言葉で呼ばれるようになった(日本高血圧学会)
□ 2014年に「収縮期血圧が147以下」、「拡張期血圧が94以下」なら高血圧を気にしなくてもいい(日本人間ドック学会)
□ 現在は循環器系の学会の主張が復活してきて「129以下 / 79以下」

循環器系の医者の意見なのか、製薬会社の意図なのか、高血圧の患者、および患者予備軍が増えたり減ったりで、けっこう気ぜわしい。見方によってはけっこう面白い現象だとも言えます。そういう流れに敏感なサプリメント会社の宣伝メッセージ「血圧が130を超えたら、〇〇を」も、当然のことながら復活してきました。

「正常」な収縮期血圧は「年齢+90」以下という古い簡易指標があります。こうやっていろんな意見や意見の推移を見ると、この古い指標がいちばん柔軟性があるみたいです。

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2018年6月 5日 (火)

「あのう、気は確かですか?」

次のような短い記事がありました。(2018/6/1 共同通信 『・・・』部分)

『除染土、農地造成に再利用』『環境省方針、食用作物除く』

 『環境省は1日、東京電力福島第1原発事故に伴う除染で生じた土を、園芸作物などを植える農地の造成にも再利用する方針を決めた。除染土の再利用に関する基本方針に、新たな用途先として追加した。食用作物の農地は想定していない。

 工事中の作業員や周辺住民の被ばく線量が年間1ミリシーベルト以下になるよう、除染土1キログラムに含まれる放射性セシウム濃度を制限。くぼ地をならす作業に1年間継続して関わる場合は除染土1キログラム当たり5千ベクレル以下、1年のうち半年なら8千ベクレル以下とした。除染土は、最終的に厚さ50センチ以上の別の土で覆い、そこに花などを植える。』

「あのう、気は確かですか?」としか言いようがない。見て見ぬふりをする人たちの多くなった福島原発のout-of-control状態は、こういう風にして政策的に(つまり、意思決定プロセスがよくわからないままになし崩し的に、線引きを曖昧にしてごり押しで)、「持続」「拡散」していくもののようです。環境省と農水省は、どこかに忖度せずに、ちゃんと議論をしたのかしらん。

元気な植物の根は驚くほど深く広く伸びていく。自分で花や野菜を栽培するとよく実感できます。今までもそれなりに気を遣ってきましたが、家庭で使う園芸用や野菜栽培用の「土」や「苗」の「選択」が、これからは、とてもやっかいになります。

20180529 
種から育てる夏の葉物野菜と鉢と土

Tm
苗を買ってきて育てるラベンダーと鉢と土

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2018年5月29日 (火)

札幌市電の冒険

札幌市電を利用したのは、去年の夏が初めてです。藻岩山(もいわやま)にロープウェイとケーブルカーで登って降りてきたあと、麓のロープウェイ乗り場から市電の走っている通りまで無料バスに乗り、無料バスを降りたそばの市電の駅(というか乗降場)から、中心部まで市電に乗ってみました。

ロープウェイに乗り合わせた外国語をしゃべる男女ペアと、また、いっしょになりましたが、こちらも配偶者との二人連れで電車内の案内パンフレットを手に取って何かを調べる感じで読んでいたので、同類の観光客と思われたかもしれません。

乗車料金がいくらかももわからないし、目的地にはどの駅が近いのかもわからない。パンフレットによれば、乗車料金は全線というか一律200円らしい。ひと駅乗っても200円、一周近く乗り続けても200円。

なぜそれまで乗車経験がないのかと問われると、「食わず嫌い」に近いとしか答えようがない。利用する交通公共機関はもっぱらJRと地下鉄とバスでした。しかし、競合を避けるためか、市電が走っている区域は、バスなどの定期路線も少ないので、歩くのが趣味でなければ市電を利用しないと非常に不便です。市電は、勝手に想像していたよりも1時間当たりの本数がバスなどよりは断然多い。

しかし、仕組みを知らないと不都合もあります。先日札幌中心部に近い乗降場から市電に乗ってみたのですが、乗降場の時刻表には「外回り」(ないし「内回り」)の区分と電車の到着(=出発)時刻が書いてあるだけで、目的地まで「外回り」に乗った方がいいのか「内回り」が便利なのか判然としません。

札幌の市電がループ化されたのは2年半ほど前なので、したがって「外回り」「内回り」という用語が使われはめたのも2年半ほど前ということになります。この使い方は、たとえば東京の山手線と同じなのか。

電車の上り下りは東京駅を基点として、東京駅へ近付いていく電車を上り、離れていくのを下りと区分していますが、山手線は循環運動の環状線なので、ぶつからないように線路を外側と内側に分けてある。外側の電車は時計回りに走り、内側の電車は反時計回りに進む。

しかし、北海道だと、札幌から函館に行くのが上り、逆に函館から札幌に行くのが下りで、北海道内の上り下りの感覚とズレがあるので、市電の「外回り」「内回り」も同じに受け取っていいのかどうか。(実際には、電車の外回りと内回りは日本では統一されているらしい。ちょうど車の左型通行が標準化されているように。)

それに、たまたま最初に利用した藻岩山ロープウェイの近所の乗り場とは違って、今度の乗降場は幅がとても狭い、つまりとても細長い。乗降場は道路の中の島なので、すぐそばを前も後ろも車がけっこうなスピードで走っている。混雑時に車道の両側の歩道に出るには、細長い島であるところの乗降場から落ちないように注意しながら信号が変わるのを待っていないといけない。太い綱の綱渡りみたいなものなので冒険でもあります。

念のために札幌市交通局のウェブサイトを読んでみると次のような記載がありました。

『平成27年12月20日(日曜日)より、市電がループ化(環状化)開業いたしました。ループ化により、駅前通に停留場が新設されたほか、いくつか変更点がありますのでお知らせします。

・・・ 「西4丁目」と「すすきの」停留場との間、約400mの路線がつながり、「内回り(反時計回り)」と「外回り(時計回り)」の運行となりました。また、「狸小路」停留場が新設され、内回りの「西4丁目」停留場が駅前通りに面した場所に変わりました。

・・・ 路面電車の前後・側面の行き先表示を、「方向」と「行き先」で表示します。「方向」は、「内回り」もしくは「外回り」で表示します。「行き先」は、終点(行き先)を表示します。周回運行で、終点がない電車は、「循環」と表示されます。』

市電の乗降場は「駅」でもなく「乗降場」でもなく、「停留場」と呼ぶのがどうもぴったりのようです。

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2018年4月24日 (火)

「#YouToo」という言葉のある種のおそろしさ

「井上ひさし」の小説に平成11年に出版された『東京セブンローズ』というのがあります。旧漢字遣い・旧仮名遣いのこの800ページ近い本は、あまり売れなかったらしく、今は古本でしか手に入りません。
 
この本の帯には『日本語を救った女たちの物語!』『戦局いよいよ見通しのない昭和二十年春のこと、(・・中略・・)そして敗戦、日記はつづく。占領軍は、忌むべき過去を断つべく日本語のローマ字化をはかる・・・。国家、市民、そして国語とは何なのか?』」とあり、これがこの本の主題ですが、本の帯には、同時に、『その驚倒・讃嘆すべき戦下の日常の細密な叙述には、一片の嘘もなく、まじりっけなしの真実のみ』とも印刷してあります。
 
敗戦日をはさんだ東京とその近郊の1年間の市民の日常と心理、B29の空襲警報、サツマイモの雑炊、時折り細い鋭い目をする特高刑事やうさんくさい町会長、隠匿物資の闇取引にかかわる人たちのしたたかさと抜け目なさ、混雑の極みの酒場や銭湯、新しいお上である「濠端(ほりばた)天皇」にあてた一般市民の手紙など、「日常の細密叙述」は圧倒的でほとんど百科全書の趣きです。
 
国や国民がある方向に傾斜していったときに、為政者や官僚だけでなく市民(オジサンやオバサン)の精神構造がどうなるか、日常生活における当時の具体例が満載なので、なかなか得難い資料本として手元においてあります。
 
その中から「オバサン」から「オジサン」へ向けて発せられた批判的発言の例を抜き出してみます。
 
『・・・満蒙(まんもう)は帝國の生命線、昭和維新、高度國防國家建設、非常時の波高し、國民精神總動員、擧国一致、堅忍持久(けんにんじきゅう)、代用品時代・・・』『大東亞新秩序、紀元二千六百年、月月火水木金金、一億一心、大政翼贊、八紘一宇、玉砕、どれもこれもぴかぴかの漢字、かういつた御立派な漢字で天下國家を論じて、それで日本はどんな國になりましたか。少しでも立派な國になりましたか。答えは出ています。すつかりだめな國になつてしまつた』
 
いわば当時の「#MeToo」「#YouToo」メッセージです。「パワハラ」告発メッセージとも解釈できます。
 
しかし、そういう「日本をダメにした」ところの原因であるところのオジサンから、声高なオバサンへの反論メッセージもその小説の中に含まれていますが、オジサンの反論はやや弱々しい。弱々しいのは、オバサンという集団は視野を狭めて一方向に走り始めると、けっこう恐ろしい存在になるということをオジサンは知っているからかもしれません。以下は、その弱々しい反論の例です。
 
『大日本婦人會の襷(たすき)を大袈裟にかけて<進め一億、火の玉だ>と連呼しながら、そこの不忍(しのばず)通りを嬉しそうに提灯行列してゐたのはどこのだれだ』
 
タスキをかけて「進め一億、火の玉だ」と提灯行列していたオバサンも、この文脈では、「#YouToo」の対象になります。つまり、オジサンに投げかけた言葉が自分に戻って来た。お互いに魔女狩りの状態です。
 
魔女狩りや魔女裁判について調べてみると、「マシュー・ホプキンス」という17世紀の魔女狩り活動家(イギリス人男性)が巧妙な方法を考案していました。
 
水は聖なるものなので魔女を受け入れない。つまり、魔女は水に浮く。そういう言い伝えがあった。だから、魔女と思われる人物を紐で縛り上げ、水に投げ入れる。浮かんだら有罪、沈めば無罪とする方法だったそうです。浮かんだら、そこでは死なないけれど、有罪なのであとで死刑になる。浮かなかったら無罪だけれど、縛られて水の中なので、その場合は溺死してしまう(その恐れが高い)。いずれに判定されようと、悲劇が待っています。つまり、ターゲットにされたらおしまい、とまではならないにしてもそうなる可能性が非常に高い。
 
「#YouToo」に関する報道記事を読んで、両者の類似性について考えることになりました。
 

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2018年4月 9日 (月)

アニメ作品の原作者

「火垂るの墓」(ほたるのはか)をアニメ化したアニメ作家がお亡くなりになったということが、ニュースとして夜の先週末の報道番組で取り上げられていました。しかし、男女のキャスターの口ぶりだと、「火垂るの墓」は最初からアニメ作品という風情で、これはもともとは1967年に発表された野坂昭如(のさかあきゆき)の小説であるということへの言及はありませんでした。
 
彼らは、担当者も含め、そういうことを知らないのか、そういうことを視聴者に知らせる意味はないと考えたのかどちらかはわかりませんが、顔つきや口調からして原作を読んだことがないらしいと推測してます。
 
アニメ作品としての「火垂るの墓」は、いつかは忘れましたがテレビで放映されたときにはじめて見たのですが、途中で観るのを止めてしまいました。言葉で書かれた原作を映像化したものが原作を超える場合もまれにありますが、たいていは原作の言葉の持つ力にかなわない。このアニメ作品もぼくにとってはそうでした。
 
この作品は、太平洋戦争の空襲からその後の混乱時期に栄養失調で死んでいく幼い妹と中学生の兄を主人公にした静かで哀しい反戦小説です。被害者としての観点からの反戦小説です。アニメ化されるということは、原作の小説は文字がいっぱいあって面倒なので読まないけれど、きれいな映像のアニメだと近づきやすい、原作のテーマに直に触れる人たちが増えるということなので、それはそれでいいことです。
 
 
 

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2018年3月27日 (火)

「シンギュラリティは近い」の口直しには「ハーモニー」と「ホモ・デウス」:補遺

『シンギュラリティは近い』の口直しには『ハーモニー』と『ホモ・デウス』」、という先日の記事に関する補足です。補足内容は、「ハーモニー」と「ホモ・デウス」のそれぞれの著者がそれぞれにその本を書いたときの視点・視座に関することです。
 
ユダヤ教・キリスト教においては、万物が「全能なる神」により創造されたものであり、世界は決して永遠ではありえない(そういう意味ではイスラム教も同じです)、世界は天地創造から終末に向かって一直線に進行(進歩)していると考えられています。そういう「直線的な世界観」が特徴です。
 
つまり、世界には初めと終わりがあり、時間は直線的に進み、その直線的な思考を彩るのは進歩概念と黙示録的な終末思想です。この考え方を、それが出てきた風土を考慮して「砂漠の思想」と呼ぶ場合もあります。
 
マルクスの唯物史観 「原始共産制→古代奴隷制→封建社会→資本主義社会→共産主義社会」 などは、その典型例です。
 
また、マルクスから時代を少し遡ると、18世紀初頭の著作物に現れる「天地創造」の例として次のようなものもあります。「神による創造はおそらくこうではなかったろうか。初めに神は物質を創造の目的にそって、充実した、質量のある、堅固で貫くことができない可動粒子として創造し、その大きさと形などの性質や空間的な比率を定めた。」(ニュートン「光学」)
 
延長が性質であるところの外的世界は決定論的に動きますが、わたしという考える自我を含めた世界は直線的に進歩するということになります。
 
それに対し、仏教の場合、まず、万物が空なので、絶対的な存在(たとえば如来)もまた空ということになります。天地の万物は、空ではあるのですが、絶対的な存在の顕れとして絶対的な存在とともにあります。絶対者がなくなるということはないので、その顕れである天地万物もなくなることはない。死んだ動物と植物は土に帰り、そこからまた新しい生命が誕生する。そこに、万物は永遠に流転するという「円環的世界観」が成立します。
 
つまり、世界には初めも終わりもないし、時間は輪廻的に循環し円環する。この考え方を、「砂漠の思想」が誕生した場所との風土的な対比で、「森の思想」と呼ぶ場合もあります。
 
超越的な視点を持つには(あるいは超越的な視座に結果として至るには)、ユダヤ教・キリスト教の神のように天の高みから下界を見下ろすという砂漠の方法と、葉が鬱蒼と生い茂る森の樹の下に静かに坐って瞑想をするという森の方法があります。
 
後者に関しては松岡正剛「空海の夢」の次の一節、「まったく『座る』とは東洋のおそろしい発見だったとおもう。・・・その契機は雨期によってとじこめられた森林生活によって余儀なくされたのかもしれないが、そこに『意識と言語の中断』を加えたのは、やはり恐るべき発見だった。」も参考になる。
 
そういうことを考えると、ユダヤ人の歴史学者で「ホモ・デウス」の著者であるユヴァル・ノア・ハラリ (Yuval Noah Harari)は、彼の中ではやはり「砂漠の方法」がデフォで、その顕れのひとつが「アニミズム→神イズム→ヒューマニズム→データイズム」という世界の発展の推移(どんな虚構、換言すればどんな共同幻想が世界を実質的に支配しているのか、その発展の推移)についての考え方です。
 
それに対して、日本人作家で「ハーモニー」の著者である伊藤計劃(いとうけいかく)の発想のデフォは「森の方法」です。政治と経済やわれわれをとりまく事態が「直線的世界観」を軸に強く進行していくなかで、それに組み込まれない方法しての「森の方法」を、その小説を書くときに強く意識したようにぼくには思えます。
 

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2018年3月23日 (金)

「香り」と「香りの害」

シャネルの5番はどうも嫌いだというかたもいらっしゃる(いらっしゃった)かもしれないし、プアゾンが漂ってくると発生源が気になってそれとなくその人を確認するというかたもいらっしゃる(いらっしゃった)と思いますが、自然香料を使った香水や、きちんとしたオーデコロンなど自然香料が融け込んだものは好き嫌いはあっても、そこまでです。
 
とても広く解釈すれば自然香料でも特定の香りが特定のひとの「気分を害する」場合もありますが、最近話題になることが多くなってきた人工香料による「香害(香りの害)」とは別物です。
 
最近問題になっている「香害」は「柔軟剤、消臭除菌スプレー、制汗剤、芳香剤、合成洗剤などの強い香りをともなう製品による健康被害のこと。体臭は含まれない。」と定義されています(日本消費者連盟)が、納得のいく考え方だと思います。
 
「柔軟剤、消臭除菌スプレー、制汗剤、芳香剤、合成洗剤などの強い香り」に満たされている学校や職場で健康被害が出ているし、通勤・通学時やその他の混雑時の公共交通機関を利用できないひとたちも少なくないようです。
 
ぼくは、そういう人工的な香りは好きではないし、また心地よくも感じないのですが、幸いなことに健康被害を受けるまでの繊細な感受性は持ち合わせていないようです。しかし、そういう種類の香りの漂う場所には長くはとどまりたくはない。
 
エレベータの中やその他の場所で洗いたての制服を着た職員さんと応対するときはまだしも、歩道ですれ違う若い女性の身体や彼女の衣服から流れ出してくる「人工芳香」は勘弁してほしいと思います。しかし、消臭効果と芳香添加を謳った「柔軟剤、消臭除菌スプレー、制汗剤、芳香剤、合成洗剤」のコマーシャルが世にあふれているので、人工香料からの逃避は、今のところ不可能に近い。
 
ぼくはオーデコロンなどには縁のないタイプですが、エッセンシャルオイルのお世話にはなっています。外出するときは、仕事であれレジャーであれ、即席の自家製おしぼりを鞄(かばん)やバッグに放り込みます。たいていは自分で作る。
 
用意するのは30センチメートル角の白い薄めのタオルと、ジップロックの値段の安いタイプとハーブのエッセンシャルオイル。僕の好みのおしぼり用のエッセンシャルオイルはラベンダーかユーカリ。タオルをビニール袋に入る大きさに畳み、少し広げ戻し、エッセンシャルオイルを2~3滴振りかけ、また畳み、水道からの細い水でタオルを湿します。形を平たく整え、封のついたポリエチレン袋に入れたら即席おしぼりの出来上がりです。
 
ちょっと汗っぽいときに顔や手や首筋を拭くと爽快感でほっと一息つけます。おしぼりのハーブの香りを深く吸い込むとリラックスできます。
 
列車の指定席に出発時刻の数分前にあわただしく座ったあとなどに、その自家製おしぼりを鞄から取り出して使っていると、ハーブの香りがかすかに回りに漂い出ます。香りが届いたあたりから、女性のものと思しき柔らかい視線が感じられることもあります。
 
 

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