経営とマーケティング

2024年5月10日 (金)

JRの駅は無人だと不便?

KYODO NEWS(2023/08/17)によれば、「JR各社の無人駅が増えている。全6社の計4368駅のうち58%を占める」そうです。現在はもっと多いかもしれない。四国や北海道に無人駅が多いのは利用者数を考慮すればしかたがない。

先月、金刀比羅宮と道後温泉に旅行した折に利用した交通手段はJRや市電、タクシーといった公共交通機関でした。近所のJRの駅は出発と帰着が、タクシーの利便性を考えて違う駅だったのですが、両方とも無人駅でした。タクシーの利便性とは、列車が駅に到着した時に一台くらいはタクシーが乗り場にいる、あるいは電話をすれば駅まですぐに来てくれる地元のタクシー会社があるといった類の利便性のことです。

北海道はJRの無人駅が多い地域で、たとえば近くにウイスキー工場のある「余市駅」は比較的大きい有人駅でしたが、果樹栽培農家の多い隣の「仁木駅」は無人で、当然、自動券売機などはなくて、札幌までの切符を駅前の雑貨店で買った記憶があります。「切符あります」という小さな掲示が店先のガラス窓に貼ってありました。

札幌市内でもJRの無人駅はあります。ただし市内なので無人駅であっても自動改札や自動券売機は完備している。学園都市線の「篠路(しのろ)」というタマネギ出荷の集積地でもあった古い駅は有人で、その隣で札幌駅寄りの「百合が原」という駅は無人です。「百合が原」駅構内のスピーカーからは篠路駅駅員の列車案内の声がプラットフォームに流れてきます。

下は、篠路(しのろ)駅の夜の駅舎と駅のそばのかつてのタマネギ倉庫。

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バス停というバスの駅や市電の駅(札幌の市電、松山の市電など)は基本が無人です。そういう駅が無人であるというのは公共交通機関の利用者にとってある意味ではよく慣れ親しんだ風景です。だから駅員のいないJRの駅の増加に今さら驚く必要はないのかもしれません。ただJRの場合は、簡単なプラットフォーム移動だけで、四国から岡山やそのまま大阪や東京に行けるわけで、しかし、そうであっても有人駅でないと遠距離切符が買えないし座席予約もできません。だからそういう場合はオンライン予約か大手旅行代理店に頼ることになります。

そういう不便もあるとしても、本数は少ないけれど運行時間のとても正確な大型高速バスと考えると、途中駅が無人であることはたいした欠点ではありません――ターミナル駅だとそうはいかない。しかし欠点はそれ以外のところにあり、スーツケースのような大型旅行荷物の扱い――車(両)内の安全な収納場所やそこへの出し入れサービスなど――がJR(に限らず、電車や列車一般)は便利とは言えない。列車の旅行は「機内持ち込み」可能な大きさの旅行カバンかそれより小さいカバンでするのがいいようです。


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2024年5月 9日 (木)

旅行中の駅のホームで聴く「瀬戸の花嫁」のことなど

「瀬戸の花嫁」という歌謡曲があります。そのメロディーが、先日、金刀比羅宮と道後温泉を訪れた際に、あるJRの駅で流れていました。その駅で琴平往きの列車に乗り換えるために予讃線のホームで待っていたのですが、列車の到着に合わせて「瀬戸の花嫁」のメロディーの最初のあたりが流れ始めました。確かにここは瀬戸内だと思い、つまりわずかではあってもその曲に旅情を催させられたというわけです。

あとで、「瀬戸の花嫁」が流れたのはどの駅だったかしらん、と配偶者に尋ねたら「宇多津(うたづ)駅」という答えが返ってきました。

「瀬戸の花嫁」の流れるJRの駅についてWikipediaの説明をお借りすると、「JR四国の主に予讃線管内の駅(高松駅・坂出駅・宇多津駅・丸亀駅・多度津駅・観音寺駅・今治駅)、及びJR西日本の宇野駅・児島駅および岡山駅の瀬戸大橋線ホームにおいて、駅の列車発着時のメロディーに使用されている」。


    ネットから引用しました。この場を借りてお礼申し上げます。

しかし琴平から松山に向かうためにJR「多度津(たどつ)駅」で列車を乗り換えたときは瀬戸の花嫁を聴いた記憶はないので、どういうことだったのかと調べてみると、単に僕の勘ちがいでした。二回目に耳にしたときは最初ほど強い印象が残らなかったのかもしれません。ホームによって流れたり流れなかったりということはなさそうです。

下に引用させていただいた「JR四国多度津駅瀬戸の花嫁接近メロディー集」にあるように多度津駅でも各ホームでしっかりと「瀬戸の花嫁」は流れているようです。引用についてはこの場を借りてお礼申し上げます。


多度津から西に進むと、屏風ヶ浦五岳山(びょうぶがうら・ごがくさん)という屏風のような低くて丸い山の繋なりが車窓から伺えます。その昔九世紀の初頭に、瀬戸内海を西に向かった遣唐使の一行も――その中には讃岐の瀬戸内(善通寺)で生まれた空海もその時は私費留学僧というおまけのような存在として船に乗っていましたが――船上から屏風のような低い連山を行く手の左側に見たのでしょう。同じ遣唐使一団で空海とは別の船に乗っていた最澄も――最澄はすでに地位も名もあった国費短期留学僧でしたが――同じ景色を眼にしたはずです。そのあたりは、屛風ヶ浦以外にも、小さい子供たちに山の絵を描かせたらたいていの子が描くであろうような形の山が低くぽこぽこと続いていて、こちらにも旅情を誘われます。


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2024年5月 2日 (木)

毎日食べても食べ飽きることがないのが土佐文旦(ぶんたん)

収穫後追熟された露地物の土佐文旦(ぶんたん)が市場に出回るのは二月から四月上旬にかけてです。旬の終わり頃の四月上旬に大きな箱で箱買いしたのを冷蔵庫に保管し、毎日一個ずつ楽しんできた「土佐文旦(ぶんたん)」の在庫も残念ながらなくなってきました。

食べものや食品に関する表層的な消費者ニーズは――表層的というとなんですが――より甘いもの、より柔らかいもの、調理や処理がより簡単のものへと推移してきました。コメも例外ではありません。ササニシキ系からコシヒカリ系への消費者人気の推移とははそういう流れのひとつでした。トマトも同じです。

昔ながらの味わい深さが変わらないところの土佐(高知)の柑橘類が「土佐文旦(ぶんたん)で、その頑固なところが静かな人気が持続する秘訣だと思われます。穏やかな酸っぱさと控えめな甘さのバランスが絶妙で、毎日口にしていても飽きるということがありません。もう少し酸っぱければ刺激はあっても食べる回数が減るし、もう少し甘ければ、つまり子供や若い女性などにとって飛びつきのいい種類の甘さになればそうなった以降は買わなくなると思います。

土佐文旦は淡い黄色表皮の下に半端なく厚い綿入れを着ていて――それも併せて厚い皮ということになりますが――その白いスポンジ風の綿入れで実がしっかりと保護されています。だから日持ちがとてもいい。しかしその皮をむくのは、つまり表面から実に辿り着くのは、しっかりと纏わりついた厚い綿入れを引きはがすような作業なので、ひと仕事です。そういうところも「調理や処理がより簡単のものへ」というニーズとは一線を画しています。しかし、いささか不便なそこがいいとも言えます。昔ながらの味の継続にはこういう物理インフラの継承が必要なのでしょう。

文旦の出荷シェアは高知県が95~96%で、だから土佐文旦です。


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2024年4月26日 (金)

瀬戸内の小麦畑

北海道では小麦畑は春でも秋でも見慣れた風景ですが、瀬戸内でも道後温泉に向かう列車の車窓から青々と育った麦畑を眺めることができました。おそらく讃岐うどん用の小麦で、あと一ヶ月くらい先の五月下旬には刈取りが始まりそうな様子です。

車窓から観察した範囲で言うと、香川県と香川県に近い愛媛県で小麦が生育されています。窓からの田畑の光景は、田植えを済ませたばかりの水田から徐々に青い小麦畑に移り、しばらく鮮やかな緑の小麦畑が続いた後、また水田に戻ります。

区画の大きさは日本各地でよくみられる水田の管理単位と同じくらいの面積で、つまり、小さい。北海道の、ときにはうんざりするような拡がりを持った農地は瀬戸内では似合わないし、そもそも無理な話です。

小麦粉はグルテン含有量に応じて、強力粉(きょうりきこ)・中力粉(ちゅうりきこ)・薄力粉(はくりきこ)に分類されますが、含有量の多いのが強力粉でパスタやラーメンになり、少ないのが薄力粉でケーキやクッキーに使われます。中力粉はその中間で主要用途はうどんです。

北海道の主流は「はるゆたか」「春よ恋」「ゆめちから」「キタノカオリ」といった強力粉用の小麦で、だから北海道はラーメン産業が――製麺業もラーメン屋も――活発です。「味噌ラーメン」が生まれたのも札幌です。

瀬戸内の香川で収穫される小麦は中力粉用の「さぬきの夢 2000」や「さぬきの夢 2009」で、それを使って「讃岐うどん」が作られます。しかし実際には需要に応えるために、うどん向きに改良されたコシや弾力のある小麦をオーストラリアから大量に輸入しています。讃岐うどんの生産に使われる小麦の80%程度がオーストラリア産だそうです。ちなみに日本における小麦の自給率は13%(農水省)。宜なるかな。

日本各地で二毛作が盛んだった以前は、春から秋にかけては米を、秋から春にかけては麦をという農法がよく見られたので――あるいは米とタマネギという組み合わせの二毛作――麦畑も珍しい風景ではありませんでしたが、今はこんなブログ記事を書きたくなる程度には希少なものになったようです。


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2024年4月25日 (木)

JR四国の特急で興味深かったこと

JR四国の特急を利用して、五月の連休前の世間が混雑していない間に、道後温泉に行ってきました。途中で金刀比羅宮(金毘羅船々追手に帆かけてシュラシュシュシュの金毘羅さん)に参詣です。世間が混雑していない間といっても中国語や英語で話すインバウンド観光客はそれなりに見かけました。

交通手段はほとんどがJR特急で――一部はJR普通のお世話にもなりますが――あとは、タクシーと、松山ではタクシー以外に市内電車です。JR松山駅と道後温泉をカバーする市内電車は私鉄ですが札幌の市電を思い出しました。車両の雰囲気と道路のまん中をゆっくり悠々と走る風情が似ています。

JR四国の特急で興味深かったことは次の三つです。配偶者とぼくが面白いと感じているだけで実際はJR四国以外のJRでも当たり前のことなのかもしれませんが。

① 同一車両に指定席と自由席の両方がある

ぼくたちは指定席を購入したので指定席や自由席は車両ごとに分かれているものだと思っていましたが――たいていの指定席車両はそうだとしても――同じ空間に指定席と自由席が併存している車両がありました。「ここまでは自由席、ここからは指定席」(あるいはその反対)という按配です。だからそういう車両は車両外側にある表示窓に「指定席 Reserved」と表示されているわけではありません。

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 紺色カバーは指定席、そのすぐ後ろからのベージュカバーは自由席

② 7両編成の列車だからといって、1号車から7号車という組み合わせとは限らない。

予約した指定席は8号車だったので当然8両編成の列車が駅のホームに入ってくると考えます。車両がつぎつぎと眼の前を通過していきます。最初の車両は1号車で次が2号車です。全部で7両編成の様子なので、あれ、8号車はどこだ?と一瞬不安になりましたが、6号車のあと7号車がなくて最後の車両は8号車でした。

③ コードシェア便がある

松山発で、高松行きと岡山行きが途中までは一緒に走る列車があります。宇多津(うたず)駅で切り離され、その後は瀬戸内海を橋で渡る後部5両と、そのまま四国を東に進む先頭3両とに分かれます。だからその列車は岡山行きと高松行きと二つの列車名を持っています。飛行機の国際線でコードシェア便というのがありますが、乗客の印象としてはややそれに近い感じです。そういう列車がJR四国では結構多いようです。

需要量に応じて途中で車両が、複数回、切り離されたりまた繋がれたりした結果、<1号車~6号車>+<8号車>といった車両編成になったり、あるいは指定席乗客数の季節変動に対応した結果、<1番~7番 指定席 8番~ 自由席>といったダイナミックアロケーション風の座席配置になったのかもしれません。そのあたりの実際の事情はよくわからない。


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2024年4月17日 (水)

20年間使い続けたソーダガラスのコップ

平凡なソーダガラスのコップです。買ったのは20年前。近所に出来たある大手小売りチェーン店の入り口付近の特売コーナーにありました。持ちやすそうで安定感がある姿かたちだったので、水飲み専用のガラスコップとして迷わず購入しました。容量は220~225ml。トルコ製。値段はなんと3個で200円。6個買ったので400円でした。

トルコは色鮮やかな模様の入ったチャイ(お茶)グラスの伝統があるので、そのガラス製造技術を利用して輸出用の簡素な廉価品を生産しても不思議ではない。新規オープン店用の目玉商品としてその小売り大手が前もってそういうガラスコップを在庫していたものかもしれません。当時の消費税は5パーセントでした。

220ml

水飲み専用ですが手で洗ったり食洗機で洗ったりを20年間繰り返しているうちに2個がダメになりました。残りは4個です。しかしよく見ないとわからないにしてもさすがに細かい傷が表面についてきたので、ほぼ同じくらいの容量で安定感のある透明なガラスコップの6個セットに買い換えることにしました。上部の径が下部の径よりもわずかに大きい円筒形に近い平凡な形で底が厚く安定性のあるシンプルなガラスコップはありそうでなかなかないものです。

クリスタルガラスの高級品には円筒形で底が厚く安定感が抜群のものがあり重宝していますが、食洗機対応で普段使いの水飲みコップ用途には向いていません。

20年間お世話になったガラスコップです。そのうち地方自治体運営のゴミ処理場に他の燃えないゴミといっしょに持って行く予定です。


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2024年4月 3日 (水)

なぜかコンスタントに読まれている「高いお米、安いご飯」の記事がある

「高いお米、安いご飯」というブログを書き始めたのは2010年の1月で、いちばん最初の記事をアップしてから14年が経過しました。土曜・日曜と祝日そして正月を除いてほぼ毎日書き続けているので記事数もけっこうなものになります。テーマは「北海道フードマイスターです。食べものと食べることと経済・マーケティングの交差するあたりを食から見た健康という視点も交えて考えます」ですが、当然それ以外の雑談風や趣味の雑感も含まれています。

ある時期にそれをアップして以降、季節の推移も関係なく、コンスタントに読まれ続けている記事があり、そのひとつが「郵便物の厚さ制限と郵便ポストの投函口の厚さに関する雑感」(2018年10月 1日)で、もうひとつが――これは書いた本人にとっても意想外な結果なのですが――「サンスクリット語のアルファベットと、仮名の五十音」(2015年10月30日)です。

「郵便物の厚さ制限と郵便ポストの投函口の厚さに関する雑感」がなぜ頻繁に読まれるかはそれなりに納得できます。

書類や本の郵送にも便利なレターパックだけでなく、蚤の市サイトの登場と拡大で、最近は本や薄い衣類を気軽に安価な郵便物として投函できるようになりました。

投函口の大きい最新の大型郵便ポストが近所にあるとは限らない。歴史の違う、したがって種類の違う郵便ポストが同居しています。郵便物を用意してみたものの、投函口に入らなかったというような経験をお持ちの方は、そういう情報がまとめられたものがあれば参照したい。それで、他に同じような情報源はあるにしても、この記事へのアクセスが安定的に多いのだと考えています。

しかしわからないのが「サンスクリット語のアルファベットと、仮名の五十音」です。どういう人たちがこの記事を読みに来るのか。学生が一時の気まぐれで、あるいは宿題や課題の答え探しのために、ある季節に集中して当該記事にアクセスするというのは考えられるとしても、年にも季節にかかわらすコンスタントにアクセスがあるという事態のその背景が見えてきません。

ぼくは、「ギリシャ語入門」「ラテン語入門」や「サンスクリットの基礎と実践」といったタイトルの本の入り口部分を、英語の書物や仏典・仏教関連書籍――仏教関連は現代日本語に訳されたものであっても――を読むのに役に立つと考え、若い頃に、独学でよろよろと読み齧ったことがあります。また主にラテン語の語源が簡潔に説明されている「語源英和辞典」などは英語の単語の語源を調べたいときや確認したいときには頻繁に参照していました。しかし、そういう趣味や傾向の人たちが多いとは思わないし、そういう人たちがこの記事を読みに来るとも考えづらい。

しかし、なぜ五十音は「あいうえおかきくけこ・・・」という並びなのか、なぜ「あかさたなはまやらわ」という順序なのか、そういう五十音の背景の根拠が気になる人たち(高校生や大学生)が毎年一定数は季節にかかわらず新たに現れるらしいということにしておきます。

ともあれ、仮名四十八文字の全部が重複なく使われている「色は匂へど 散りぬるを 我が世誰ぞ 常ならむ 有為の奥山 今日越えて 浅き夢見し 酔ひもせず」は誰の手になるのかはわからないとしても美しい。


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2024年3月19日 (火)

カーツワイル著「シンギュラリティは近い」とハラリ著「サピエンス」と「生老病死」

特異点(Singularity)という言葉はいくつかの意味合いで使われますが、AI(人工知能)との関係において使われる特異点は、AIがヒトの知能を完璧に凌駕する歴史上のある時期といった文脈で登場します――2006年出版(日本語版は2010年)のレイ・カーツワイル著「シンギュラリティは近い」に詳しい。「2040年代までに非生物的知能はわれわれの生物的知能に比べて数十億倍、有能になっているだろう」。

そうなった場合のAIはヒトよりもはるかに高度な知能を駆使して勝手に自己更新や自己革新をともなった自己製造を自ら計画的に推し進めるので、将来のAI(人工知能)とヒトとの関係は、現在のヒトと家畜との関係に似たようなものになるだろうということをも意味します。

現在のチェスや将棋におけるヒトと人工知能の勝負、現在の検索エンジンのビッグデータ処理、あるいは現在のChatGPTの持つ能力から類推できるように、人工知能は、ヒトの情報処理能力や推論能力や情報処理量の総体をいとも簡単に凌駕します。収穫逓増ではなく指数関数的な収穫加速で人工知能が進歩するということは、人工知能そのものがとても安いコストで人工知能そのものとそれを使った製品や労働サービスなどのサービスを、アルゴリズムに沿って再生産(企画・開発・製造・サービス)するということなので、現在ヒトが従事している仕事の大部分を、人工知能が、とても高い経済効率で、代替するというわけです。

だから遺伝子工学やナノテクノロジーやロボット工学を駆使して生成される非生物的なAIは、生物としてのヒトの体内(脳や血液やその他の身体部分)に組み込まれると、とりあえずそういうことのできる富裕層はという限定があるにせよ、アナログなヒトはデジタルなAI(人工知能)とハイブリッドな共生関係を築くことができるようになります。

そういう意思を強く持つ人たちは確かに存在します。カーツワイルの文章の一節を「シンギュラリティは近い」から引用すると、「老化を人生のひとつの過程として潔く受け入れようとする人もいるが、私の考え方は違う。・・・わたしから見れば、何歳になっても病気と死は不幸な出来事であり、克服すべきものなのだ。・・(中略)・・デ・グレイは、みずからが目指すのは『遺伝子工学で老化に打ち勝つこと』つまり年をとっても身体や脳がもろくなったり病気にかかりやすくなったりしないようにすることだと説明している」。

仏教で四諦(したい)という考え方があります。「四諦」とは釈迦の説いた四つの真理「苦諦」「集諦(じったい)」「滅諦」「道諦」のことですが、このうち現世は生・老・病・死の四苦と、愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五取蘊苦の四苦を加えた八苦であるということを説いたものが「苦諦」で、現世の「苦」の原因はひとが無常を認識できないからだと述べているのが「集諦」です。

つまり、ひとは生・老・病・死などの苦しみに悩まされる苦的存在であり、なぜ苦しみが生ずるかというとその原因は渇愛に代表されるところの煩悩があるからです。その煩悩(とくに渇愛)が滅した状態が涅槃(ねはん)で、涅槃に至るには八正道(はっしょうどう)などの実践行が必要というのが釈迦の基本的な教えです。

しかし「シンギュラリティ(特異点)は近い」の著者であるカーツワイルにとって、「老」や「病」や「死」は苦しいこと・不幸なこと、したがって回避したいことではあっても「生」(あるいは生き続けること)は「苦」ではないようです。

仏教の面白い――あるいは奥深い――のは、「病」や「老」や「死」だけでなく「生」も等しく「苦」の原因だと説いているところです。「生」というのは仕事でも私生活でも何でも渇愛という心的動因の連続で成り立っています――だから何とか生き続けられるとも言えるわけですが。

上述の意味での特異点やAIに、それは避けられない事態だと共鳴している「ホモ・デウス」の著者であるユヴァル・ノア・ハラリは、しかし、彼の前作である「サピエンス」のなかで以下のように述べています。ハラリは仏教についてとても造詣が深いようです。

「現代の最も支配的な宗教は自由主義だ。自由主義が神聖視するのは、個人の主観的感情だ。自由主義は、こうした感情を権力の市場の源泉と見なす。物事の善悪、美醜、是非はみな、私たち一人ひとりが何を感じるかによって決定される。」

「宗教や哲学の多くは、幸福に対して自由主義とはまったく異なる探求方法をとってきた。なかでも特に興味深いのが仏教の立場だ。・・・仏教によれば、たいていの人はこころよい感情を幸福とし、不快な感情を苦痛と考えるという。その結果、自分の感情に非常な重要性を認め、ますます多くの喜びを経験することを渇愛し、苦痛を避けるようになる。・・・だから快い感情を経験したければ、たえずそれを追い求めるとともに、不快な感情を追い払わなければならない。・・・苦しみの真の根源は、束の間の感情をこのように果てしなく、空しく求め続けることなのだ。」

生の苦といっしょに死を視野に入れた場合の高齢化(あるいは生の意味合い)と、遺伝子工学やナノテクノロジーやロボット工学の成果を活用して病気や死を回避し続ける状況における高齢化(あるいは生の持つ意味)とは、同じ高齢化ではあってもその色合いはずいぶんと違います。


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2024年3月18日 (月)

大きな書店のぶらぶら歩きと、読み放題の電子書籍ライブラリ

某社の電子書籍ライブラリの読み放題サービスは、三カ月百円のお試し期間に一ヶ月千円の有料期間を加えて合計四カ月でその利用を中止しました。理由は結局読みたい書籍は個別に書籍代を支払わないと読めないという簡単な、当たり前と言えば当たり前な事実をその期間に改めて納得したからです。

地方都市の巡回を主たる目的とした美術展では――たとえばキュービズム展とか印象派展とか琳派展など――東京で集中的に開催される場合のそれとは違って、そのカテゴリーの第一級とみなされる作品が含まれていないことが多いようです。その方が作品は集めやすい。そういう意味では札幌も地方都市でした。

時間があるときにする、中規模ビル全体を占有する大型書店、あるいは大きなビルの複数階にまたがる大規模書店のぶらぶら歩きというのはなかなかに楽しいものです。ぶらぶらと歩きながら各コーナーで真剣にタイトルを眺め、本を手にとり、気が付いたら二時間以上が経過して何冊かの買いたい書物を手にしていたというような楽しさです。

月に千円の読み放題サービスで読める本の範囲は、たとえてみると、地方都市の巡回を主たる美術展で展示される作品群に相当します。一級作品は、あるいは同じ作者のものでも印象深い、インパクトのある優れた出来の作品はその中に含まれていない――そういう場合が多い。

しかし読み放題サービスにはそういうマイナス面だけでなくプラス面もあって、そのひとつが、そういうサービスがなかったならおそらく出会うことはなかったあろう本に遭遇できることです。

ゆっくり読みと斜め読みを織り交ぜて次から次へと目を通していると、「こんな本もいかかがですか?」式の当該ソフトウェアにビルトインされたお勧めサービスに思わぬ書物を紹介され新しい本や今までお付き合いのなかった作者に巡り合う場合がありますが、それは大規模書店のぶらぶら歩きで新しい著者や今までなじみのなかった分野の著作に出会う僥倖に近いとも言えます。


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2024年3月11日 (月)

続・「郵便物の厚さ制限と郵便ポストの投函口の厚さに関する雑感」

郵便物の厚さ制限と郵便ポストの投函口の厚さに関する雑感」というタイトルの記事を以前(札幌時代の2018年10月に)書きましたが、これは四国東北部の瀬戸内におけるその続編です。

下の写真はその時に札幌で撮影した近所の郵便ポストで、その時の記事を読み返してみるとポスト投函口の大きさに関して次のような記述がありました。

『ポスト投函口の大きさは、円筒形のなつかしいタイプなどを除くと、現在はだいたい次のようになっているそうです。

・最新のポストの投函口: 厚み:4cm × 横幅:29cm
・少し古いポストの投函口: 厚み:3.4cm × 横幅:24cm
・あるコンビニチェーン店舗内ポストの投函口: 厚み:3.4cm × 横幅:24cm』

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             札幌市内の郵便ポスト(2018年)

重要書類の送付で長年重宝している「レターパック・プラス」や、最近は「ゆうパケットポスト」――専用箱/発送用シールを使って郵便ポストに投函可能なもの(ただし3辺の合計が60cm以内 で、長辺は34cm以内、厚さは3cm以内、重さは2kg以内)――という書籍や薄手の衣類などの郵送に便利な手段もあります(全国一律215円)。

ただし、札幌に較べると田舎であるところの四国東北部では上の写真のような立派な郵便ポストは郵便局まで出かけないと見あたらない。気楽に歩いて行ける範囲の郵便ポストは「投函口の厚みが3.4cmで横幅が24cm」の小さい四角の筐体で、はがきや一般の手紙を投函する分には何の問題もないとしても、「ゆうパケットポスト」の専用箱を利用する際にはけっこう気を遣います。

どういうことかというと、その小さいポストがスカスカの場合は専用箱を慎重にほぼギリギリの投函口に差し入れるとスポンと底に落ちるとしても郵便ポストが混雑している場合は――つまり中が結構詰まっている場合は――、そのままだとその箱がポストのなかに完全には収まりきらない場合があります。

そういう場合は、投函口の入り口付近やそのすぐ下でぐずぐずしている複数の「先任者」を中に落としてやるか、それらを押し込んで新しい投函物用の隙間を作ってやる必要があります。そういう場面を通行人が見ると、郵便ポストに手を入れようとしている怪しげな男がいると映るかもしれません。苦労します。

早く下のようなゆったりとした新型に置き換わるといいのですが・・・(写真は日本郵便のウェブサイトからお借りしました)。

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