経営とマーケティング

2019年5月22日 (水)

競合品がおもちゃに見える頑健ピーラー

野菜をよく食べます。好きなのでよく食べる。だからピーラー(皮むき器)も必需品のひとつです。アスパラガス、にんじん、蓮根、大根などの皮をむくのに使います。だから、季節を問わず(季節変動はあるにせよ)、一年中使います。

今まで使ってきたドイツ製がくたびれてきたので(つまり切れ味が鈍ってきたので)、新しいのに買い換えました。新しいのもドイツ製で、次はこれにしようと考えてきたピーラーです。向かって左側が今までお世話になってきたもの、右側がこれからお世話になるものです。

Henckels-roesle-a

左側もレベルは高いのですが、右側は歯の鋭さと厚さ、持った時の手に伝わってくる持ち手の重量感が圧倒的です。ジャガイモの芽を取るための出っ張りもじつにしっかりしています(我が家では、札幌住まいにもかかわらずジャガイモはあまり食べないので宝の持ち腐れですが、それはさておき)。

一般のピーラーを普通の短刀だとすると、このピーラーは武士が戦場で組打ちに使った鎧通し(よろいどおし)みたいです。切れ味に凄みがあります。

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2019年5月17日 (金)

Prepaid Data SIMと観光案内アプリと「ここはどこ?」

札幌市内ではスマホを片手にあっちだこっちだと繁華街をうろうろしているおひとり様や二人連れや少人数グループの中国人観光客も少なくありませんが、そういう人たちは結構準備のいい人たちです。そういうスマホを手にした人たちと、そうでない(歩きスマホでない)人たちが占拠している通りで聞こえてくる主要言語が日本語以外の状態を「ここはどこ?状態」ないしは「ぼくたちは少数民族状態」とぼくは勝手に名付けています。

コンビニに「PREPAID DATA SIM FOR ENJOY JAPAN TRAVEL」(原文のママ)と大きな字で印刷したB5番くらいのペラ案内が置いてありました。英語のチラシなので外国人旅行者向けです。

その主要機能は、これも原文のママ引用すると、

・High Speed, Broad Area You can use Japanese local 4G/LTE line. The population coverage is over 99%.
・3-in-1 SIM standard SIM (mini SIM), micro SIM, nano SIM available.
・Tethering Available Data tethering available (3GB/10GB), if your device support it.
・Multilingual Support Multilingual customer supported by telephone: English, Japanese.

このPREPAID DATA SIMの値段は3種類で1800円、3000円、4500円。価格差は有効期限(日数)の違いか通信量の違いのはずです。利用期間の制限された使い捨てSIMなので、外国人旅行者には便利だし、フリーWiFiと違って歩き回れるし、安全です。旅行中に足りなくなれば買い足せばいい。ただ、スマホにある程度詳しい人でないとこの選択肢は向いていない。英語と日本語だけでマルチリンガルサポートとはちょっと言い過ぎですが、このカードを買う人たちにはそれでいいのかもしれません。

ともあれ、この手段で札幌の「ここはどこ?状態」がもっと強化されそうです。

裏面には、PREPAID DATA SIMという短期インフラを有効活用するためのアプリケーションの案内が印刷されています。観光案内アプリです。再び内容を原文のママ引用すると「Restaurants, Sightseeing spots, Route search and driving directions. Many coupons available when dining or shopping」。

案内言語は、英語、中国語(簡体字、繁体字)韓国語、そして日本語。そのアプリを日本語で少し使ってみました。使えそうなので、当分、インストールしたままにしておきます。

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2019年5月15日 (水)

大きな活字の日本語ペーパーバック

学生時代にそれなりに熱心に読んだ文庫本で、だからまだ本棚の隅に存在しているなかから無作為に一冊を引っ張り出してくると(今、手元でページを繰っているのは岩波文庫、著者はマックス・ウェーバー、書名は「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」)、その活字の小ささに驚きます。

最近の文庫本は、以前よりも相対的に活字のポイント数が大きくなった気がしますが、出版社によっては、明らかに大きな活字で出してくれるところもあり(たとえば、ジョージ・オーウェル著「一九八四年[新訳版]」、ハヤカワepi文庫、この版の第一刷の発行は平成二十一年)、遠近両用メガネの利用者としては助かっています。

活字の実際の大きさではなく相対的な大きさで比較してみると、「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」を仮に9ポイントとすると「一九八四年[新訳版]」は12ポイントです。大きな活字は内容がシリアスでもくつろいで読めます。

一時、「大きな活字の文庫本」(正確には「ワイド版岩波文庫」で帯には「大きな活字で余裕の読書」と書いてある)が出版されて、手元には「華国風味(青木正児著)」がありますが、たしかに活字は余裕の大きさです。しかし、このシリーズは今でも手に入るのかよくわからない。

少し前に、文庫本という選択肢もあったのですが、「大きな活字の中型日本語ペーパーバック」とでも呼ぶのがふさわしい種類の本に出合い購入しました。

作りも紙質も、したがって値段も欧米のペーパーバックです。通常の単行本よりはひと回り小さい。押し付けるように無理にページを開くと背表紙に深い皺が入り、そのうちその部分から破れてしまうかもしれません。欧米版ペーパーバックではよくある話です。ただし活字サイズは大きくて、そこが嬉しい。小学館の「P+D BOOKS」というシリーズですが、活字を少し遠ざけて読むほうが楽な世代向きの現代日本文学が対象なので、市場はニッチマーケットということになりそうです。

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2019年5月 9日 (木)

開けやすくて捨てやすいパッケージ

商品を美しく包むのも、運送中の衝撃からモノを護るのもパッケージの役割です。近ごろは本物の自動車も通販サイトで買えるみたいですが、それがどんな豪華な(あるいは簡素な)パッケージに包まれて通販サイトから送られてくるのか、いくぶんの興味が涌きます。

しかし、ここでは、普通の通販サイトで不通に販売されている商品(本や文房具、衣類や家電用品や加工食品など)のパッケージングと、既存顧客に定期的に送られてくるプロモーション雑誌やカタログ類のパッケージングを対象にします。

前者は、たいていは段ボール箱や内側にプワプワを貼ってある封筒で送られてきます。後者は、窓付きの特注紙封筒という場合もありますが、多くは、透明ないわゆるビニール(ポリエチレン)袋風できっちりと覆われたのが郵便受けに入っています。

品物の入った箱やプワプワ封筒を受け取った後、おそらく購入者にとって重要なのは

・パッケージが「開けやすく」
・そして、「捨てやすい」こと、

たとえば段ボール箱の場合だと、ゴミとして出すときにすぐにスッと平たく折りたためることです。

頑丈なハサミで中央と端の粘着力の強い梱包テープを切り裂いて中の商品を取り出すひと手間が必要というのは「開けやすい」とは言えません。同じ作業を底面も対象に実施しないと折りたためないパッケージは「捨てやすい」とは呼ばない。一方、ワンタッチ式の段ボールは底面がサッと折りたためるので、こちらのほうが捨てやすい。(ただし、酒屋からクール便で届く一升瓶の地酒などは、瓶が割れないことが一番重要なので、その限りではありません。)

プロモーション雑誌や商品カタログは、ビニール袋の裏面左3分の1くらいのところに、その気になればすぐに破れるミシン目が、その点線がわかりやすい格好で縦に入っていたら「開けやすい」。そういう風でないのは結局はハサミがいるので「開けにくい」。乱暴にビニール袋を引き裂きます。実際はハサミで切り開けます。その作業がけっこう面倒くさい。

「開けにくい」のは、パッケージングが下手ということで、したがって中身も同じようなレベルだと考えてそのまま他の雑誌や折り込みチラシといっしょに捨ててしまいたくなりますが、プラ類とチラシのような紙ごみは札幌市の規則で分けて捨てることになっているので(他の地域もほぼ同じでしょうが)、いちおうそれに従います。

なお商品そのもののパッケージングに関しては、そこに当該企業の生産技術力が現れるし同時に顧客とのインターフェースなので、パッケージングの上手い商品は、たいていは機能や品質もすぐれているようです。

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2019年5月 8日 (水)

引っ掛けるタイプの風呂掃除用具や、窓ガラス掃除のことなど

休みが続いたし暖かくなったので掃除の話です。

配偶者は熱心に掃除をします。ぼくも掃除が嫌いではない。普段はそれぞれの持ち場を担当しているのですが(たとえば、台所やお風呂や手洗いは配偶者の担当、床全般や窓ガラスはぼくの担当)、ぼくの床掃除の結果が気に入らない場合は、配偶者が同じ場所や隅をフロア用シートでオーバーライドする場合もあります。

写真は浴槽・浴室用の抗菌スポンジです。汚れがよく落ちる上に、水切れがいい。使わないときは壁のタオルバーにスポッと引っ掛けられます。そういう大きさの穴と切り込みがついている。配偶者のお気に入りです。どなたが最初に考案したのか知りません。よくできています。

これは各家庭の好みの問題ですが、台所にせよ風呂場にせよ、使わない時間帯にはそこに何もない状態が気分がいい。床でたとえてみると、お掃除ロボット(を使うとして、それ)がストレスなく自由に動き回れるような状態です。だから、風呂場にも床や棚には何もない方が望ましい。

最近は風呂場の掃除のしやすさと(石鹸やシャンプーを含むところの)浴室関連用品のきれいな収納を追求した結果なのか、吊るすことのできる、ないしは、汚れの原因となる余分なものを使わずに引っ掛けることのできるタイプの商品が増えてきたようです。写真の商品もそのひとつです。

しかし、何でも壁に吊り下げる、何でも空中に引っ掛けるを遣り過ぎると、ちょうど、プロの調理場の雰囲気だけをまねて、調理器具や調理道具を(日常的に使うものもそうでないものも)やたらとぶら下げてある料理の下手な家庭の台所と同じで、とても使い勝手が悪くなるかもしれません。

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窓ガラス掃除はスクイジーです。

風呂場でも濡れた鏡や壁をサッときれいにするのに簡易スクイジーが便利ですが、窓ガラス掃除担当のぼくが使うスクイジーはそれなりに本格的なタイプです。春になると冬の吹雪や冬の外気などで汚れた窓ガラスの掃除が必須です。暖かい休日の風のない昼過ぎくらいがいちばんやりやすい。春の最初の窓ガラス掃除は、一度ではきれいにならないので、好みの濃さに薄めた洗剤を用意し、続けて2回か3回スクイジーをかけます。そこに窓ガラスが存在しないような仕上がり具合だととても気分がいい。

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2019年5月 2日 (木)

憲法週間の意味?

たまたま札幌高等検察庁の入っている建物の前を通りかかったら、以下のような看板風のものが立っていました。少し違和感がありました。なぜ検察庁が札幌市民などをターゲットにした憲法プロモーションの主体者なのか、そういうことにともなう違和感です。(写真は、札幌高等検察庁のウェブサイトからお借りしました。)

Hp-20194

「札幌高等検察庁」のウェブサイトを拝見すると以下のように説明されています。

『憲法週間
 5月1日から5月7日までは憲法週間です。

~憲法週間とは~
 5月3日は憲法が施行された憲法記念日で,この日を中心として毎年5月1日から5月7日までを憲法週間としています。憲法の意義である国民主権,平和主義と基本的人権の尊重を再確認する絶好の機会です。』

念のために「法務省」のホームページに飛ぶと

『憲法週間を迎えて
 憲法記念日 5月3日
 憲法週間  5月1日~5月7日

・憲法週間とは
 毎年5月3日の憲法記念日を含む5月1日から7日までの1週間を「憲法週間」とし,法務省の機関では,裁判所や弁護士とも協力の上,憲法の精神や司法の機能を国民に理解してもらうための取り組みを行っています。

・憲法週間の意義
 憲法週間は,国民主権,平和主義と基本的人権の尊重を定めた日本国憲法の意義を再確認する絶好の機会です。』

司法とは直接のかかわりあいを持たない人が書いたであろうと思われる他のソース(Wikipedia)を当ってみると、

『憲法週間(けんぽうしゅうかん)とは、日本において、憲法の精神や司法の機能に対する理解を啓発をするための週間。・・・1953年からは法務省、検察庁、弁護士会の協力で実施され、昭和31年から現在の「憲法週間」に改称している。・・・この期間には官民問わず、各種団体が憲法に関する講演会等を開催している。』

違和感は消えません。なぜなら、『憲法の意義である国民主権,平和主義と基本的人権の尊重を再確認する絶好の機会です』というところはいいとしても、『憲法の精神や司法の機能を国民に理解してもらうための取り組みを行っています』というところは、「われわれ司法が(不勉強な)国民に憲法について丁寧に教えてあげるので、国民はこの憲法をきちんと守ること」と読めなくもないからです。少なくともそういう気分が行間に濃く漂っているようにぼくには思われます。

以下は「日本国憲法九十九条」です。

『第十章 最高法規』『第九十九条 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官、その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。』

九十九条には特定の強い機能と役割を担った人たちが列挙されています。条文作成者がよく考えてそういう人たちを列挙したのでしょう。過去(近い過去から遠い過去まで)を振り返ると、列挙された人たちとは、国家権力を握りその逸脱的な権力の行使に強くかかわりのあった人たちのことです。換言すれば、日本国憲法をいちばん「守らない」可能性のある人たちのことです。だから、わざわざ彼らは『この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ』となっている。

つまり、体験上、憲法を守らない可能性の強い機能集団が、国民を憲法に従わせるための啓蒙活動を集中的に国民に対して行っているように見受けられるのが「憲法週間」です。啓蒙活動の対象者が、憲法立案者のもともとの意思とは、ずれている。それが違和感の理由です。

関連記事は『「令和」は「和せ令(し)む」?』。

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2019年4月25日 (木)

高血圧に関する、愉快な業界・愉快なコメント・愉快なデータ

高血圧 75歳未満は「最高130」目標に 降圧剤処方が増える可能性〉というタイトルの記事が眼に入りました。記事の一部と説明図を引用します。

「日本高血圧学会は19日、医療者向け「高血圧治療ガイドライン(指針)」の2019年版を発表した。75歳未満の成人の降圧目標について最高血圧(収縮期血圧)を「130ミリHg(水銀)未満」とし、前回の指針から10ミリHg引き下げた。血圧はより低い方が総死亡や脳卒中、心筋梗塞(こうそく)の発症率などが低く抑えられるという米国などの臨床試験の結果を反映した。治療をする1000万人以上もの高血圧患者への降圧剤処方が増える可能性がある。」

13080-2019

世の中にはスマートなかたがいらっしゃるみたいで、この日本高血圧学会の発表に対して愉快なコメントとデータがネット上で提供されていました。原文のママ、引用します。

『医者、薬屋は嘘は言わないが全部も言わない
血圧下げると脳梗塞は減ると言うが認知症、骨粗鬆のリスクは言わない
塩分控えろと言うが、糖分控えろとは言わない
脳梗塞、ガンで死んでる人は大体75歳以上だから自然死と同じですよ、とは言わない』

『降圧剤市場の遷移
160のとき 3000億
140のとき 6000億
130の今 1兆2000億
分かりやすいよねー』

『降圧剤市場の遷移』というのをもっとわかりやすく(あるいは冗長に)書き直すと次のようになります。

降圧剤市場の推移
・最高血圧が「160未満」というガイドラインのときの市場規模は3000億
・最高血圧が「140未満」というガイドラインのときの市場規模は6000億
そして
・最高血圧が「130未満」というガイドラインになった今、今後の市場規模は1兆2000億

記事にも「治療をする1000万人以上もの高血圧患者への降圧剤処方が増える可能性がある」とあったので、降圧剤市場の市場規模について別のソースを当ってみました。

【降圧薬】市場は5500億円』という記事があり、その内容は

『処方量と単価が分かっているので、各降圧剤の年間売上高を簡単に計算することができます。全部足し合わせれば、降圧剤の市場規模も分かります。結果は<表>のようになりました。
 NDBオープンデータには処方量の上位100品目までが掲載されています。それらの合計金額は、なんと5492億円。・・・101位以下がどのくらいになるかは分かりませんが、市場規模は大ざっぱに5500億円と言っていいでしょう。』

その<表>とは以下のようなものです。引用します。

2015

「140のとき 6000億」と「この表の金額」は同じものを指しているので「最高血圧ガイドラインが140のときは、降圧剤の市場規模は5500億円、ざっくりと6000億円」ということになります。だから「130の今 1兆2000億」という数字にとくに反対する理由はありません。

140から130になったときの、市場拡大効果(売り上げ金額の増加)が例えば5000億円だとして、その1%の50億円がロビーイング経費としてすでに関係各所に流れ出ていても不思議ではありません。ROIは良好。けっこう愉快な業界です。

関連記事は「血圧が「130/85」から「148/95」へ」、それから「現在の血圧基準値は?」。

特定の専門分野の尖った意見だけでなくいろいろな状況を勘案した場合、「正常」な収縮期血圧(最高血圧)は「年齢+90」以下という古い簡易指標がいちばんすっきりとしているようです。

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2019年4月18日 (木)

「令和」は「和せ令(し)む」?

先日の記事「名前の付け方にもそれぞれに風情がある」の関連記事です。

「令和」という元号のもともとが、万葉集の向こう側の、後漢時代の「張衡(ちょうこう)」の「歸田賦」という韻文(「是に於いて仲春の令月、時は和し気は清む、原隰(げんしゅう)鬱茂し、百草滋栄す」〈いい月が出ている春のなかば、和やかな時節、澄んだ空気、鬱蒼と茂る丘と湿地、緑いっぱいの草と咲き誇る花)にあるということは理解したとします。

しかし、突然、何の前置き説明もなしに「令和」と並べた漢字二文字を見せられて、さて、これはどういう意味だと思うと問われたら答えのしようがありません。少し考えて思い付くのは次のどちらかです。「命令」「法令」の「令」に関連するなにか、あるいは「巧言令色」や「令夫人」の「令」に関係するなにか。

漢文の参考書などには、「使役」を表す文字として「使」「令」「教」「遣」などが、たいていは短い用例といっしょに並んでいます。使役形の基本的な訓読は「・・・をして・・・せしむ(ならしむ)」です。「漢文読解辞典」というタイトルの、紙が経年変化でいささか変色している本から「使役」の「令」に関する用例をひとつ(訓読形式で)引用してみます。

「遂に天下の父母の心をして、男を生むを重んぜず、女を生むを重んぜ令(し)む」〈白居易「長恨歌」〉

ぼくにとって「令和」の最初の印象は、「和せ令(し)む」でした。たとえば「民をして和せ令む」。「命令」「法令」の「令」に関連する解釈です。

なぜか。

安倍政権下では日本国憲法を改正しようとする動きが活発で、たとえば「日本国憲法改正草案(現行憲法対照)自由民主党」などというものも平成24年(2012年)に発表されています。最近は、それがうまく動かないので、解釈改憲(政府や議会などが、憲法改正の手続きを経ることなく、憲法の条項に対する解釈を変更することによって、憲法の意味や内容を変えること)で集団的自衛権の行使を推し進めています。

この自民党改正草案(引用部分は【・・・】)はなかなか興味深いものです。政府の勝手な行動(ぼくたちが1945年以前の昭和時代に経験したところの軍部の影響力が強い政府による侵略戦争、はその一例)を規制するものとしてあるのが現代の(ジョン・ロック以降の)憲法ですが、つまり、国民のために憲法を尊重し守るのはまず政府ですが、それが、以下のように、政府ではなく国民という具合に基本的な考え方が逆転しています。

【(憲法尊重擁護義務)】
【第百二条 全て国民は、この憲法を尊重しなければならない。】
【2 国会議員、国務大臣、裁判官その他の公務員は、この憲法を擁護する義務を負う。】

現行憲法(引用部分は『・・・』)では、その部分は次のようになっています。

『第十章 最高法規』『第九十九条 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。』

そして、改正案の考え方と整合性が取れるように、『現行憲法前文』の『そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。』という現行憲法の基底となる箇所が、【自民党改正草案】の【前文】からはきれいに剥(は)ぎとられています。

その代わりに、【改正草案】では、その箇所に、【日本国民は、国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り、基本的人権を尊重するとともに、和を尊び、家族や社会全体が互いに助け合って国家を形成する。】という一文が置かれています。これを漢字二文字に凝縮すると「令和」になります。

現総理大臣は新元号発表の日にテレビ局をハシゴして「令和」に至った背景説明をされたようですが、その説明内容の骨子は【日本国民は、国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り、基本的人権を尊重するとともに、和を尊び、家族や社会全体が互いに助け合って国家を形成する。】を、(たとえて言えば、万葉風に)柔らかく言い換えたものとぼくには聞こえました。【改正草案】の底にある考え方のプロモーション活動です。

ぼくにとって「令和」の最初の印象が「和せ令(し)む」、「民をして和せ令む」だったのはそういう背景からです。(政府ではなく)「国民をして(改正憲法を)守ら令(し)む」。

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2019年4月15日 (月)

思弁的な阪神タイガーズ・ファン

ぼくは読んだことがないのですが、『プロ野球大事典』という本には「元服」という項目があって次のように書かれているそうです。
 
 「関西地方に伝わる古くからある風習で、幼いころジャイアンツ・ファンだった少年がタイガース・ファンに心を入れ替えること。子供のころはミーハー的にジャイアンツのファンであっても、おとなになれば、深く人生の不条理を味わわせてくれるタイガースのファンに変身するという風習」
 
「深く人生の不条理を味わわせてくれるタイガース」というのは言い得て妙です。カミュを読むよりも、甲子園に行って阪神タイガーズの試合を観戦するほうがひとはより哲学的、思弁的になれるみたいです。「哲学的であることや思弁的であること」が、大阪(ないしは阪神)という土壌でどういう風に「顕現」するかは比較的簡単に把握できます。たとえば、以下の事例(スポーツ記事より引用)
 
■「阪神4-9中日」(12日、甲子園球場)
 
<矢野阪神、甲子園で3連敗 投打にチグハグ、虎党からは「帰れ!」のヤジ>
<終盤に追い上げムードこそ作ったが、投打にチグハグな戦いが続く。スタンドからは凡打を繰り返す選手に向けて、「帰れ!」と痛烈なヤジが飛ぶ場面も。>
 
■「阪神2-10中日」(13日、甲子園球場)
 
<矢野阪神1試合2満塁被弾 虎ファン一斉に帰る、球団初の惨劇>
<気温も低けりゃ、内容もお寒い。八回、この日2本目となる満塁弾を浴びた瞬間、“寒くて見ていられない”とばかりに虎ファンが一斉に帰り始めた。>
 
守っているときに1試合で2度の満塁ホームランというのは、確かに「不条理」の極みです。「虎ファンが一斉に帰り始めた」というのは、その光景を想像すると、鬼気迫るものがあります。不条理を思弁し思弁結果をかみしめながら球場を後にするのか、それとも不条理の思弁プロセスをより深めるために混雑した阪神電車の甲子園駅に向かうのか。

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2019年4月12日 (金)

勝手にプロ野球ファン

その気になれば地元の競技場で楽しめるプロスポーツは、札幌だと、野球とサッカーとバスケットボールです。ビールなどを飲みながら楽しめないのは、ぼくにとってはプロスポーツとしては対象外なので(会場では売っているのかもしれないけれどお酒を飲んでいると熱心なファンから冷たい視線が注がれそうな気がするので)、会場に行ける候補は野球しかありません。バスケットボールは競技自体が(もっと言えば競技戦略自体が)サッカーや野球に比べると相対的に退屈です。中学生のころは妙にバスケに熱中したものですが。

それにしても地元のプロ野球チームは今年も弱い。野球は得点差のゲームなので、攻撃で点が取れない、守備で点を取られるということになると、勝てるわけがない。とくに20歳代前半で25歳に達しない選手が打てない。なら守備はいいかというとつまらないエラーをする、送球ミスをする。一塁に投げる姿とボールの軌跡が見ていても心地よくない。訴えかけてこない。肩が弱い。鋭利な上手さがない。いろんなポジションの掛け持ちもするのでそのせいかもしれない。投手が相手打者に巧妙に打たせたゴロをきちんと処理できない。あれでは、投手はよほど我慢強いタイプでないと途中で切れてしまう。

メイジャーリーグの内野手の動きと肩の強さと体幹の強さを中継などで目にすると、メイジャーリーグで使いものになった日本人内野手が誰もいないのも肯けます。守備の上手い内野手も地元チームにはいるのですが、打者としての貢献は気まぐれホームランだけで、たいていはチャンスに「原フライ」、つまり高く上がった内野フライかキャッチャーフライで、確率からすると、相手チームが彼の前の打者を敬遠して彼と勝負するのは素人目にも正しい。あんな固まったようなフォームだと相手投手も安心でしょう。わずかにタイミングを外すだけでいい。舐めてかかれます。

個人的に贔屓の打者が今年は今のところ全く振るわない。相手チームに弱点をしっかりと見つけられたのかもしれません。内角球に腰が妙に引ける。読みがはずれて内角に来た球に慌ててバットを出してみっともない空振りをする。しかし「原フライ」は打ち上げない。

予想通りに2回で5点取られる投手は「やっぱりね」でしかたないとしても、最初の打者への凄い投球とその後の四球連発というのが定番になりつつあるベテラン投手はいったいどうしたのでしょう。監督はこういう事態を最初から織り込み済みで、だから打者ごとに思い切った守備シフトを敷かせて、守備のレベルの底上げ(というか失敗確率の低減)を図っているのでしょうか。

分析データ重視、確率重視の監督が(英語ではプロ野球チームの監督はmanager、つまり様々なレベルの管理職のひとつという意味なので「プロ野球の監督」という日本語の持つ権威的な雰囲気は薄い)、昨晩は、今までのデータでは3回しか持たない先発投手をたまたま調子がいいからと次の回まで投げさせるという事態は、今までを知っている素人にもいかにも思い入れの強い危ない決断と見えました。で、結果は、当該投手に思い入れのない、判断の気楽な外野の想定通りになったので、熟年監督には失礼な話ですが、目指す方向性とは逆の非分析的・非理知的な判断を彼はしてしまったようです。

ファンというのは、自分では本物のゲームに参加ができないので、こういう身勝手なことをほざきたいものらしい、です。

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