経営とマーケティング

2019年10月18日 (金)

「それなら北方領土くらいで」

『2020年東京五輪の男女マラソンと競歩について、国際オリンピック委員会(IOC)は16日、猛暑対策で、コースを東京から札幌に移すよう、大会組織委員会や東京都などに提案すると発表した』(朝日新聞デジタル 2019年10月16日)。その結果、結構な騒ぎです。
 
東京五輪のマラソンと競歩の札幌開催提案という今回の「青天の霹靂」(という言葉を借用して)という事態を、当事者には申し訳ないのですが、「決定事項の一部の内容が何らかの『真っ当な理由で』別のものにゴリ押し的に変更になった場合にどう対応・収拾するか」という一般問題の一事例と考えて、ミーハーとして楽しんでいます。ぼくは札幌に住んでいるので全く関係がないわけではない状況におかれてはいるのですが。
 
なかなか愉快な発言は、《マラソン変更「それなら北方領土くらいで」小池知事》(朝日新聞、見出し)で、長く引用すると「涼しいところでというのなら、『北方領土でやったらどうか』くらいなことを連合から声を上げていただいたらと思うわけです」(朝日新聞デジタル 2019年10月17日)。切れてしまって苛々するとこれくらいの皮肉を言いたくなるというのはよくわかります。
 
「日本経済新聞」(2019年10月18日)の一面コラムにも書いてあったので「皆さんご存知のように」ということなのでしょう。Tokyo2010組織委員会がIOCに提出した「立候補ファイル」というものがあり、当然公開されているのでその重要な一部(全体コンセプト)を引用してみます。
 
Tokyo-2020
 
 
「2010年第32回オリンピック競技大会を開催するに当たり、貴都市が予定する開催期間とその詳しい根拠を教えてください」という問いに対して
 
「この時期の天候は晴れる日が多く、且つ温暖であるため、アスリートが最高の状態でパフォーマンスを発揮できる理想的な気候である。」「さらに、この時期は日本全国で・・・祝祭ムードが漂っている。」
 
と答えていますが、この時期は死ぬほど暑くても決して温暖ではないし、6日の広島と9日の長崎があるので、全国的に盆踊りの季節ではあるものの、「祝祭ムードが漂っている」というわけでもありません。プレゼンテーションの中で事故を起こした原発が「Under Control」という発言もありました。
 
こういう記述に間接的に言及しながら(あるいはそれを匂わせながら)変更をゴリ押しするのは、ゴリ押しする側にとっては楽しいと思います。
 
東京中心の天気予報などを拝見していると、たとえば台風が北海道に進むと「台風は本州の北側に、国外に抜けました、従って東京は安全です」的なニュアンスの発言をするアナウンサーや気象予報士もときどきいて、それはそれで正しい観察なので、そういう意味では「それなら北方領土くらいで」というのも的外れでないのかもしれません。


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2019年10月15日 (火)

土地の記憶、名前の記憶

今回の台風19号で首都圏も冠水被害を受けましたが、その一つが超高層マンションが近年密集してきた首都圏のある地域です。そこは都心に比較的近く通勤や通学のための公共交通機関の利便性もとても高いところです。
 
そのあたり一帯は以前は工場専用地帯でしたが(今でも一部は工場地域)、そのずっと前は田園だったようです。「旧河道(きゅうかどう)」だったかもしれないと思い調べてみましたが、100年と少し前の地図と現在の地図を見くらべても、川の流れはいくつかの蛇行部分を除きそれほど変化していないので、そのあたりが以前は川だったのがそのうち旧河道になったのかどうかはよくわからない。

旧河道とは、昔、河川だった場所で、河川の流路が変わって水が流れなくなってその結果できたものです(「山から海へ 川がつくる地形」本編資料編 国土地理院)。だから豪雨の場合などは自然が昔の記憶を呼び戻すので、水が流れ込んで冠水被害などを受けやすい。下は、上記資料からの引用で「都市部の旧河道」についての説明です。ちなみに、札幌市の東北部にある大きな美術公園(モエレ沼公園)は旧河道の跡地をうまく利用したものです。

Photo_20191014125301
 
北海道の札幌(さっぽろ)は「アイヌ語で『乾いた大きな川』を意味する『サッ・ポロ・ペツ』」に由来します。稚内・幌加内の「内」や登別・当別・江別「別」は、「ナイ」や「ペツ」という「川」を意味するアイヌ語を(漢字の当て字を通して)受け継いでいます。温泉地である登別の「登」は「ヌプル」の当て字、「ヌプル」の意味は「濁る」、つまり、登別は温泉地らしく「濁っている川」という意味になります。
 
北海道ではありがたいことに漢字の当て字を通してアイヌの土地の記憶が受け継がれており、そういう意味では東京の中心部も同じことです。溜池、赤坂、青山、四谷、渋谷、神泉、荻窪、池袋・・・。池、谷、山、坂、泉、窪、袋。池も窪も袋も「水がたまりやすい場所」という意味です。土地の形状と水の記憶です。
 
昔のいやな記憶を消すために電鉄会社やディベロッパーが自治体に働きかけて駅名や地域の地名をそれらしいものに変更するというのも需給の流れで致し方ないのかもしれませんが、地名は、あまり、いじりたくないものです。
 
氾濫しやすいことで有名な川に利根川支流の「鬼怒川」があります。「鬼」が「怒る」「川」なので、氾濫の記憶に満ちた命名です。北海道にも「深川市」と「沼田町」を流れる「雨竜川」という名前の川があります。氾濫の記憶が「雨」と「竜」に引き継がれています。
 
川が氾濫したり、山を切り崩して造成された高台の住宅地に激しく雨が降ると、「思わぬ場所」や「本来の場所でないところ」にあらたに川が発生することがあります。実際は「本来の場所」に久しぶりにまた川ができたということで、住民の数十年の記憶にある本来よりも、数百年から数千年の自然の推移においての本来のほうが本来度が強かったというわけです。
 
現在は「・・台」や「・・丘」と呼ばれている住宅地の、たとえば、50年前の地名、100年前の地名は何だったのか。古い土地の名前は、その土地の特性をたいていは凝縮しています。100年くらい前までの地形と現在を簡便に比較するには「今昔マップ on the web」が便利です。

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2019年10月11日 (金)

18歳の吉田健一と27歳のジョーン・ロビンソン

本棚の奥に紙が経年変化した「経済学の考え方」(宮崎義一訳)という本があります。著者はジョーン・ロビンソンという1903年に生まれ1983年に亡くなった女性経済学者です。その本の隣には「ゆたかな社会」(ガルブレイス著)が立っています。サムエルソンのような無味乾燥な内容の著作が得意な学者とは違って、彼女は思想的、情熱的な経済学者でした。
 
「経済学の考え方」の訳者あとがきにあるように、彼女は別の著書で「経済学を学ぶ目的は、経済問題について一連のでき合いの答えを得るためでなく、いかに経済学者にだまされないようにするかを習得するためである」と言っており、その言葉がそっくり「経済学の考え方」の内容要約にもなります。
 
彼女は何度かノーベル経済学賞の受賞候補に挙がりましたが、受賞できなかった理由として選考委員会の委員長は「賞を辞退する恐れもあったし、脚光を浴びる機会に乗じて主流派経済学を批判する可能性も考えられたからである」と述べたそうです(この項はWikipediaを引用)。
 
吉田健一の著作を拾い読みしていたら、短いケンブリッジ留学時代の思い出を書いたエッセイに次のような一節がありました。
 
「教育すると言っては言ひ過ぎで、彼(【註】ディッキンソンという長老フェロー)の態度にそのやうな所は少しも見えず、又事実、彼は若いものと付き合うこと自体に興味を持ってゐたらしく、彼の部屋での集まりは、寧ろサロンの感じがした。ライランズもよく来た。他に、二年、三年の学生や、ライランズと同年輩の教授達やその夫人達、それから、アイルランド系ではないかと思われる、会ってゐて何とも明るい感じがする、名前は忘れたが女の経済学者も、ディッキンソンの所に集まる常連の一人だった。一年生で来るのは、ロオスと私位なものだった。」
 
調べてみると、その女の経済学者がジョーン・ロビンソンで、吉田健一がケンブリッジにいたのは1930年から1931年なので、18歳の先の見えない暗い感じの吉田が、27歳の「何とも明るい感じがする」ジョーン・ロビンソンと出会っていたことがわかります。
 
ただそれだけのことですが、吉田は才気煥発な27歳がけっこう気になったのでしょう。27歳がその18歳をどう思ったのか、その18歳とどんな会話を交わしたかはわかりません。
 
そういう一節を眼にして本棚を確かめに行ったらいくぶん茶色くなった「経済学の考え方」が奥の方にあったというわけです。


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2019年10月10日 (木)

あまり好きではないけれど役に立つこともある言葉

昨日ラグビーについて、ワールドカップでメディアに乗せられてミーハーをしていると書いたついでに、またラグビーに(おそらく)関連したことについて触れてみます。
 
ぼくがあまり好きでない言葉がいくつかあって、その中の二つがラグビー関連用語というふうに聞き及んでいる「one for all, all for one」と「no side」です。「好きでない言葉」と言いましたが「それを聞くと眉に唾を付けたくなるような言葉」と言い換えてもかまいません。
 
「one for all, all for one」と「no side」は、それを称賛するかたは多くても嫌いだという人はとても少ないし珍しいようです。
 
価値観を共有している比較的小さなクローズド・サークルでそれらが使われている場合にはそれはまっとうな考え方なので、ある場面でその使用者にいろいろと利害の思惑があったとしても、それは駆け引きという景色の中のひとつの彩りなので、「one for all, all for one」と「no side」についてそれをわざわざ好きだとか嫌いだとか言う必要はありません。
 
しかし、そういうクローズド・サークルを離れた場合は、「one for all, all for one」や「no side」というのは、為政者とか経営者といった立場の人にとってはけっこう使い勝手のいい便利な言葉と化します。普段は心の奥では決してそんな風に思っていない人が、多数を前にした際のスピーチでその言葉をある意図をもって使うのを何度か目にしてきました。そういう立場だとそういう言葉を一度くらいは使ってみたくなるというのはよくわかります。
 
その美しい変形が「And so, my fellow Americans: ask not what your country can do for you--ask what you can do for your country. My fellow citizens of the world: ask not what America will do for you, but what together we can do for the freedom of man.」(ジョン・F・ケネディ 大統領就任演説 1961年)で、その後にベトナム戦争が続きました。
 
そういうことを考えると、「one for all, all for one」や「no side」というこの二つの表現は聞く側にとっても便利で有益な言葉です。それを口にする人のその時の表情や文脈やニュアンスによってその人の実際の思想や隠れた品性を判断する試験紙の役割を果たしてくれるだろうからです。


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2019年10月 9日 (水)

ラグビーと野球はローカルスポーツ

今はスポーツと言えば(これをスポーツと呼ぶとして)早歩きだけです。一人だと時速6㎞くらいで40分くらい歩きます。配偶者といっしょだと少し落として5.6kmくらい。
 
子供の頃から仲間と勝手に、あるいは学校の体育の授業でいろいろなスポーツを経験します。ラグビーなどというスポーツは、野球やバスケットボールと違って、たしか体育の授業でわずかに習った以外は経験がない。だから(というのも変ですが)普段から関心も興味もありません。ラグビー中継番組を見ることもないし、ルールも細かいことはよく知らない。
 
普通は自分の経験の延長(ただし決して真似のできない延長)として世界の一流スポーツ選手の動きを楽しみます。運動会の徒競走や体育の長距離走の延長に、たとえば世界陸上の100メートル走があり1万メートル走があります。女子プロゴルファーのプレイをテレビや現場で観戦するのもそういう意味においてです。
 
なら、ラグビーワールドカップなど観なければいいのですが、そこは姦しいメディアに気儘に操られるミーハーになって、一流選手のすばらしい動きを楽しみます。
 
そのすばらしい動きですが、結局のところ、そういう動きで突出しているのは旧大英帝国系の国や地域で、だから、有体に言えばラグビーは、誕生から現在まで、そういう地域のローカルスポーツです。ちょうど野球が、結局は、米国およびその周辺国限定のローカルスポーツであるように。
 
ミーハーになってよかったことはそういうことの確認というかそういう方向の理解を得られたことです。


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2019年10月 8日 (火)

シシャモの季節が始まった

シシャモの話です。北海道を取り囲む海は、左側が日本海、北側がオホーツク海、そして南側から東側ずっとが太平洋で、シシャモは北海道の南側の太平洋岸にのみ生息しています。シシャモは、漢字で「柳葉魚」。柳の葉がシシャモに変ったというアイヌ伝説にもとづいてそういう表記になったそうです。
 
居酒屋、とくに北海道以外の居酒屋で供される「シシャモ」は、たいていは「カラフトシシャモ」です。「シシャモ」によく似ていますが「シシャモ」ではありません。実際に「シシャモ」を何度かは食べてみないと、両者の風味と食感の違いはわかりません。札幌だと「シシャモ」は旬の時期(10月と11月)には魚売り場で簡単に手に入ります。たいていは、塩水で味を付けたのを軽く干したものです。一度、産地から氷水ボックスに入った大量の生のシシャモをもらった知り合いが多すぎて食べきれなくて、その一部がお裾分けで我が家にも回ってきたこともありました。
 
似て非なるものとはいえ「カラフトシシャモ」もそれなりに美味しい。だから、たとえば東京の居酒屋でも「シシャモ」という名のメニュー品目は定番品で、実際は「カラフトシシャモ」だからという理由でお客が文句を言うこともありません。そもそもたいていのお客は口にしているのが「カラフトシシャモ」だと気づいていない。
 
北海道産の「シシャモ」の漁獲量は年間1000トンくらいなのに対して、「カラフトシシャモ」の輸入量は年間約3万トン、「シシャモ」の30倍の流通量です。つまり、北海道以外の居酒屋の定番がどちらの種類かはとても理解しやすい。
 
その「シシャモ」ですが、北海道の消費者にとっては「オス」を選ぶか、それとも「(卵を持った)メス」を選ぶかが重要な問題です。価格は卵を持ったメスの方が高くその理由は卵の食感が付加価値だということですが、一方、身の味わいは値段は安いけれども「オス」に限るという消費者も少なくない。消費者は勝手なので「オスが美味いに決まっている」という意見の人たちはメスには見向きもしません。
 
しかし、収穫する側、売る側はオスもメスも均等にさばきたい。だから、それぞれの美味しさを均等にアピールしています。しかし、もっと直接的なマーケティング方法をとっているところもあります。たとえば、10尾ずつ串にさして売る場合、オスとメスをランダムに串に刺すというやり方です。串を3つも買えば、男女比は1に近くなり、値段はメスだけよりも穏当なものになり、どちらかが余りどちらかが足りなくなるとういう事態を避けることができます。
 
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2019年10月 4日 (金)

賞味期限が近づいてきたので「ごはんパック」を片付ける

以前のブログ記事に次のような防災関連の一節があります。
 
〈そのときもそれなりに防災グッズや食べものや予備バッテリーは用意してありとくに不自由はなかったのですが、停電が長引くかもしれない次回の災害に備えて、地震後に、スマホの充電パックや非常用ランプ、そしてカセットガスボンベなどをより充実させました。「ごはんパック」と「ペットボトルの水」、「自家製梅干し」と「自家製味噌」、それに抹茶のような粗挽き茶が手元に十分にあるので1週間くらいなら同じ食べものの繰り返しになりますがひもじい思いはしません。〉
 
引用の最初の「そのとき」とは、北海道全体が停電(ブラックアウト)してしまった2018年9月の「北海道胆振東部地震」が発生したときのことです。
 
現在「ごはんパック」は1日2食として5日分を人数分用意してあります。どんな「ごはんパック」かというと、米は北海道の「ななつぼし」、容器に「原材料も製造も北海道にこだわった北海道産食品です」「ガス直火炊き、無菌パック」といったアイキャッチャーがあり、「冷蔵不要 200g」「要加熱」「電子レンジ2分間」と続きます。加熱したほうがほかほかと美味いに決まっていますが、常温保存してあるのをそのまま加熱せずに食べても、出来の悪いおにぎりだと思えばそれなりに食べられます。ただし、美味しくはない。
 
パックに印刷されている「賞味期限」が近づいてくると、その分を新たに購入して古いのを頑張って食べてしまいます。現在の在庫は、5日分の備蓄のうち半分の賞味期限が今月初旬で、残りの半分はその1か月後です。現在消費しつつあるものの代わりに新しく買った「ごはんパック」の消費期限は来年の7月上旬。工場出荷後9カ月くらいが賞味期限のようです。店頭在庫になっている期間が長いと期限までの時間がそれだけ短くなります。しかし、それ以上長持ちするとあやしげな添加物が入っていることになるのでかえって気持ち悪い。そんな感じで回していきます。

「賞味期限」なので、それを少々過ぎても食べるのに問題はないのですが、ではどれだけ過ぎても大丈夫かということになるとそれを判断するのも面倒なので、製造会社が決めた賞味期限を基準としてそれに従います。
 
賞味期限前の平時の消費なので「ごはんパック」は加熱して食べるのですが、そしてさきほど「(ごはんパックは)常温保存してあるのをそのまま加熱せずに食べてもそれなりに食べられます」とは書いたものの、たとえ加熱しても、普段「土鍋」で炊いているごはんの美味しさに比べると、味わいが相当に物足りません。「ごはんパック」はやはり災害時用途に適したごはんのようです。

災害時には、別途在庫してある「切り餅」をカセットガスボンベ方式のコンロで焼いてヴァリエーションをつけましょうか。プーと膨らんだ餅に常温保存の味噌を少しつけて食べると美味しいですよ。

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2019年10月 1日 (火)

日常生活のなかで出会うボランティア

美術館では常設展以外の展示会や展覧会の時には、各部屋の隅や展示物の論理的な区切りに静かに控えている係員がいます。たいていは地味な制服を着て静かに目立たないように立っています(パイプ椅子に腰かけている場合もありますが)。
 
その部屋やコーナーの展示物について質問をされたときにその案内や説明をするのが主な役目なのか、マナー違反の観覧者が出ないように注意を払っているのか。彼女らは(女性の方が多いという印象なので)その美術館所属の学芸員なのか、それともボランティアなのか、外部からの派遣には見えない。自分をその立場に置いてみると、何時間ごとに交代しているのかわからないにしても、それなりに大変な仕事です。
 
北海道立近代美術館の場合だと、各地の関連美術館の展示会ポスターがけっこうたくさん貼ってあるところの向かいに、その美術館のボランティア募集案内が掲示されていて、その案内内容からすると、展示会の関連書籍や関連グッズの販売をされているかたや常設の売店でお土産というのか記念グッズというのかのレジを担当しているかたたちはボランティアらしい。
 
調べてみると、北海道立近代美術館の所管は北海道教育委員会で、それはそういうものだとしても、道立美術館関連のボランティアの募集や組織化は「道立の美術館の活動に協力し美術に関する様々な事業を行っている協力会」(一般社団法人)が行っているようです。ソーシャルマーケティングの一つではあります。
 
その協力会の運営やそこでのボランティア活動については
 
〈当協力会は会員の会費等によって支えられており、ボランティアにより事業活動を行っています〉
 
〈部の活動を通して美術館の運営や事業活動に協力しています。ボランティアになるためには、当協力会の会員になることが必要です。無報酬、交通費も自己負担となります〉
 
となっています。それなりの自己負担が必要です。
 
病院でも大きなところだと、公的な病院でも私的なそれでも、ボランティア活動中の比較的お年を召した女性をお見かけします。たいていは受診場所の案内や再診の際の機器操作のお手伝い、車椅子の患者のお世話などをされているみたいです。
 
ある大きな病院のサイトを拝見すると以下のようになっていました。一部を引用します。
 
【当病院ボランティア活動の概要】
 
〈活動場所〉
・病院外来ホール他
 
〈活動内容〉
・診療申込書の代筆、および書き方の説明
・病院内の案内
・身体の不自由な方に対する必要時の移動の介助
・自動再来受付機の操作案内
 
〈経費等〉
活動に要する費用は、交通費を含めてすべて自己負担となります。
また、提供できる駐車場はありませんので、公共の交通機関等の利用をお願いしております。
 
〈活動中の服装〉
貸与する被服等を着用し、ネームプレートを付けてください。
 
病院には電車やバスや自転車や徒歩で通うのでしょう。

ボランティア活動に従事する人たちを組み込んだ構造や組織(ここではとりあえずソーシャルマーケティング構造/組織ということにしますが)というものが誰によって運営されているのかなんとなく気にかかっていたので、身近な例で調べてみました。


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2019年9月27日 (金)

北海道産サフォーク・ラムの炭火焼き、再び

先日、「さっぽろオータムフェスト2019」で味わった士別(しべつ)など北海道で育成されたサフォーク種のラム肉の炭火焼きがあまりに美味しかったので、再びその簡易屋台に立ち寄りました。午後2時過ぎの遅い昼食です。
 
木曜の午後ですが、札幌市民と観光客でごった返しています。オータムフェストは北海道産の食べるものがいっぱいなので、皆さん、よく食べますし、それなりに飲む。皆さん、ゆったりと歩きながら美味しいもの候補を吟味するので、ぼくも目的の場所にはなかなか到達できません。
 
天気予報とは違って午後2時は気温が24度くらいのぽかぽか陽気で、とくにその後の予定もなかったので、周りに合わせてビールで一杯やることにしました。何しろそこは屋台です。昼間とはいえ飲むのがデフォです。奥まった席では還暦くらいの男性二人がワインを飲んでいます。1時間くらいはそこで飲み続けている雰囲気です。
 
ぼくが注文したのは、肩ロースとモモとラムロイン。ラムモモは最初から塩コショウで味がつけられていましたが、それ以外も塩コショウでいただくのがいちばんです。小皿で出してくれたタレは今までのそのお店のノウハウが詰まってその味になったのに違いなくても、試しに味を見る以外にはぼくにはとくになくてもかまわないという感じです。ビールを飲みながら温かい秋の午後をゆっくりと過ごします。
 
会場の案内には最近のトレンドを取り入れて「さっぽろオータムフェスト2019では、電子マネーが全会場・全店舗で使えます!!」となっていて、その屋台にも電子マネー専用端末が置かれていました。事務局で一括で用意したのでしょう。あるナショナルブランドスーパーと某巨大コンビニと札幌市とJRの電子マネー(ICカード)が利用できますが、最近にぎやかなQRコード決済までは対応していないようです。
 
で、その利用状況ですが、ぼく及びぼくの周りというミクロな環境に関して言えば、ぼくの左側の先客は現金決済でした。
 
「ラムロイン5人前、テイクアウト」と注文して「8分ほどお待ちいただきますが」「いいわよ」「お箸は?」「二膳」とやりとりした近所のベテラン主婦と思しきかたも複数の千円札で支払い、「ラムロインてどこ?」「牛だとサーロインにあたるところです」「じゃあ、それ2人前焼いてくれる、テイクアウトします、何分くらい待てばいい?」という中年女性も現金決済でした。ぼくも現金を出して現金でお釣りをもらいました。
 
ぼくの左側に坐ったいかにもラム肉を食べ慣れている感じのアラサー男女はどちらでしょうか?中国からの観光客がどういう支払い方をするかは、そのときはその屋台にはいなかったのでわかりません。


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2019年9月26日 (木)

ゲノム編集食品と遺伝子組み換え食品

遺伝子組み換え作物は、英語ではGMO、Genetically Modified Organismです(順番はGMOが先で、それが遺伝子組み換え作物という訳語になりました)。遺伝子組み換え食品は、英語ではGenetically Modified Foods、あるいはGenetically Engineered Foodsです
 
一方、ゲノム編集はGenome EditingないしはGenome Engineeringで、だからゲノム編集食品はGenome Edited FoodsないしはGenome Engineered Foods。
 
DNA(デオキシリボ核酸、その生物がもつ遺伝情報を規定する化学物質)の総体をゲノム(genome)といいます。ゲノム(genome)とは、遺伝子(gene)と染色体(chromosome)から合成された言葉で、「遺伝情報の全体・総体」を意味します。先ほど本棚をのぞいたら「ゲノムを読む」(松原謙一・中村桂子著、1996年)というタイトルの古い本がまだ棚の奥のほうにありました。いささか懐かしい。
 
遺伝子組み換えといってもゲノム編集といっても、要は両者とも、特定の目的のために遺伝子や遺伝情報を操作することです。特定の目的とは、一般的には生物の品種の改良とされていますが、その中には結果としての品種の改悪も含まれるので、遺伝子組み換えやゲノム編集の目的は品種の変更や修正としておいたほうがよさそうです。
 
先日、消費者庁は、ゲノム編集で品種改良した食品に関して、特定の遺伝子を切断しただけの食品についてはゲノム編集表示を義務付けないと決めたと発表しました(「ゲノム編集技術応用食品の表示について」 消費者庁食品表示企画課 2019年9月)。
 
その理由は、ゲノム編集食品は、当該食品(食材)にヒトが欲する機能や特性を持たせるために当該食品(食材)の特定の遺伝子を切断して作られますが、そのときに外部から遺伝子を挿入するタイプと挿入しないタイプがあり、現在開発が進んでいる食品の大半は挿入しないタイプで、そういうタイプだと、ゲノム編集食品はそれを作った本人しかそれがゲノム編集されたものだとはわからない(外部の第三者は当該食品の特徴がゲノム編集の結果でであるか従来の育種技術で起きたのかどうか科学的に判別できない)。それが表示義務がない理由だそうです。
 
ところでゲノムは遺伝情報の総体を意味する用語とはいえ、ゲノムの全部が遺伝子であるわけではなくて、ゲノムの中で「遺伝情報を持ったDNA」(つまり遺伝子)は、量としては数%~10%くらい、残り(残りという言い方は、残りに属するDNAにとっては失礼な話ではありますが)であるところの90%は遺伝情報とは直接の関係のない、存在理由がいまだによくわからないDNAです(だから、ジャンクDNAなどと呼ぶ礼を失した研究者もいます)。だから、いまのところ、ゲノムの90%は「無用者」ということになっています。
 
しかし、科学というのが常にそうであるように、ある時点で見えるものは見えるにしても、見えないものは見えない、見えないものの実態はよくわからない、だからとりあえずその「無用者」は「役立たず」としてその存在を許されていますが、そういう「役立たず」を生物はなぜずっと抱え込んでいるのか。かりに「無用者」の一部を毀損した場合その影響が長期でどうなるかは誰もわからない。況や、特定機能を担っている遺伝子をゲノム編集で切断して特定機能を殺した(抑止した)結果の長期の影響に於いておや。
 
身近な例で言うと、以前は(「腑に落ちない」とか「腹に落ちる」という慣用句の長い間の存在にもかかわらず)見向きもされなかった、あるいは頭や心臓と比べると非常に軽視されてきた「腸」や「腸内フローラ」のひそかで重大な役割が最近になって急に見直され始めたというような事例もあります。(関連記事は「食べものや体における『無用者の系譜』」)。
 
牧草と配合飼料とゲノム編集」で書いたように、ゲノム編集食材は日本が世界を一歩リードしています。
 
養殖の鯛やハマチは魚売り場ですでにおなじみですが、ゲノム編集技術を活用して開発した筋肉もりもりの鯛(肉厚マダイ)の生育が進行中だそうです。ゲノム編集した鯖の養殖も実験中です。魚が研究対象になれば、当然、トマトのような人気野菜やイネも対象になります。
 
しかし、ゲノム編集食品と名付けても遺伝子組み換え食品と言っても、遺伝子を操作した結果生まれた食材・食べものという基本的な事実に関して両者に差はありません。農産物でも(たとえばトウモロコシや大豆やジャガイモ)海産物(たとえばマグロや鯛やサバ)や畜産物(たとえば牛や鶏)でも、作りだす側の適用技術の違いから別の表現を付けているだけで遺伝子を操作して新品種を作ったという意味では同じです。「ゲノム編集は、別の種の遺伝子を導入するのではなく既存のDNAに改変を加えるもので、遺伝子組み換え作物(GMO)に使われる技術とは異なる」と主張されても「ああ、そうですか」と聞き流すだけです。
 
日本は、ECと同様に、遺伝子組み換え食品は表示義務があることになっていて、それが遺伝子組み換え少く品の増殖の防波堤になっているような気になりますが、担当省庁も熱心でないし、実質的には遺伝子組み換え農産物の輸入や流通は業者(作る人や運ぶ人)の「お気に召すまま」状態です。最近も「また遺伝子組み換えトウモロコシの輸入ですか」のような出来事がありました。
 
味噌や豆腐だとそこで使われている原材料の大豆が国産の「遺伝子組み換えでない」ものを選択的に購入できます。しかしゲノム編集食品では作った本人や企業はわかっているにもかかわらず自己申告が免れるとすると、消費者は、たとえば「どこどこ産の妙に筋肉モリモリの鯛は買わない」といった消費者の共有知による食材選択をするしかなさそうです。


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