女性

2020年9月17日 (木)

「面倒くさい人ね」

どちらかというと少々手垢のついたような表現でも、久しぶりに耳にすると新鮮に響く場合があります。

ある知的で穏やかな中年女性が、行動に鬱陶しいところがあり発言にまとまりを欠くところの別の中年女性のことを評して先日つぶやくように使ったのが「面倒くさい人ね」でした。洞察力に満ちたひとことです。それ以外の表現だと別の中年女性の鬱陶しさをきちんと蔽えない。

この表現はぼくが最近は耳にしていなかったというだけで以前からよく使われています。彼女のつぶやきを通してその表現を聴いたのが久しぶりだったせいか、あるいは、こちらの方がよりそうかもしれませんが、中年女性ともうひとりの中年女性という大人の女性の関係性において、相手の深層を描写するその言葉が正鵠(せいこく)を得ていたためか、とても説得力のあるひとことでした。

 


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2020年9月 9日 (水)

徒然草の中の枕草子、源氏物語や紫式部日記

「方丈記」はさてこれかどうなるのだろうというところでお終いなので、いささか肩透かしを食った気分になるエッセイです。もう一度読もうという気分になりにくい。それに対して、「徒然草」はまた気が向いたら気に入ったところをパラパラと(あるいは丁寧に)読み返してみるかという心持ちになります。有職故実(ゆうそくこじつ)に言及したような段や教科書に載るような内容の段と再び喜んでお付き合いするかどうかはわからないにしても。

「徒然草」を頭から順に読んでみると教科書向きの、つまり、教育官僚好みだと思われるような段は少なからずあって、これは教科書には採用されるかどうかはわからないけれど、第百六段<高野(かうや)の証空上人(しようくうしやうにん)、京へ上りけるに、細道(ほそみち)にて、馬に乗りたる女の、行きあひたりけるが、口曳きける男、あしく曳きて、聖ひじりの馬を堀へ落してンげり>なんかもそのひとつです。

それから教科書向きであるかどうかは関係なく、ページを繰っていくと、世に言われる兼好法師らしさの溢れた第七十五段<つれづれわぶる人は、いかなる心ならん。まぎるゝ方(かた)なく、たゞひとりあるのみこそよけれ>や第七十六段<世の覚(おぼ)え花やかなるあたりに、嘆(なげき)も喜びもありて、人多く行きとぶらふ中に、聖法師(ひじりほふし)の交(まじ)じりて・・・>に出会うことになりますし、さらに進むと、第百四十三段<人の終焉(しゆうえん)の有様のいみじかりし事など、人の語るを聞くに、たゞ、静かにして乱れずと言はば心にくかるべきを、愚(おろ)かなる人は・・・>や第二百二十九段<よき細工(さいく)は、少し鈍(にぶ)き刀を使ふと言ふ。妙観(めいくわん)が刀はいたく立たず>が待っています。

しかしそういうのとは違った匂いを持つ文章も少なくなくて、たとえば第百三十七段<花は盛りに、月は隈(くま)なきをのみ、見るものかは>は、<(月影の)椎柴(しひしば)・白樫(しらかし)などの、濡ぬれたるやうなる葉の上にきらめきたるこそ、身に沁みて・・>といった感じで枕草子風の香りを漂わせた段だし――「らしい」辛口や無常観が満載だとしても――、第百三十九段の<花は、一重(ひとえ)なる、よし。八重桜は、奈良の都にのみありけるを、この比ぞ、世に多く成り侍はべるなる。吉野の花、左近(さこん)の桜、皆、一重(ひとえ)にてこそあれ。八重桜は異様(ことやう)のものなり。いとこちたく、ねぢけたり。植ゑずともありなん。遅桜(おそざくら)またすさまじ。虫の附きたるもむつかし>は枕のパロディーを意図したのでしょうか。

また、第百四段<荒れたる宿(やど)の、人目(め)なきに、女の憚る事ある比(ころ)にて、つれづれと籠(こも)り居たるを、或人、とぶらひ給(たま)はむとて・・・>や第百五段<北の屋蔭に消え残りたる雪の、いたう凍(こほ)りたるに、さし寄(よ)せたる車の轅(ながえ)も、霜いたくきらめきて・・・>には源氏物語風の創作の趣きがあります。

それから、第百段<久我相国(こがのしやうこく)は、殿上(てんじやう)にて水を召しけるに・・・>や第百一段<或人(あるひと)、任大臣の節会(せちゑ)の内辨(ないべん)を勤(つと)められけるに・・・>や第百二段<尹大納言(ゐんのだいなごん)光忠卿(みつただきやう)、追儺(ついな)の上卿(しやうけい)を勤められけるに・・・>は情景と対象人物を眺める眼が、紫式部日記の著者の視線を連想させます。

第百七段<女の物言ひかけたる返事(かへりごと)、とりあへず、よきほどにする男はありがたきものぞ」とて、亀山院の御時、しれたる女房ども・・・>は、文体をそれらしいものに変えて、紫式式部日記の後半のどこかにそれとなく紛れ込ませてもそのまま通りそうです(と、勝手に妄想しています)。

以下は、その第百七段の原文と現代語訳ですが、この(谷崎潤一郎ではなく与謝野晶子を思わせる)現代語訳は「徒然草 (吉田兼好著・吾妻利秋訳)」というウェブサイトから引用させていただきました。この場を借りてお礼申し上げます。

◇第百七段(原文)

 「女の物言ひかけたる返事(かへりごと)、とりあへず、よきほどにする男はありがたきものぞ」とて、亀山院の御時、しれたる女房ども若(わか)き男達の参(まゐ)らるる毎(ごと)に、「郭公(ほととぎす)や聞き給へる」と問ひて心見られけるに、某(なにがし)の大納言(だいなごん)とかやは、「数ならぬ身は、え聞(き)き候(さうら)はず」と答へられけり。堀川内大臣殿は、「岩倉(いはくら)にて聞きて候ひしやらん」と仰(おほ)せられたりけるを、「これは難なし。数ならぬ身、むつかし」など定め合(あ)はれけり。

 すべて、男をば、女に笑はれぬやうにおほしたつべしとぞ。「浄土寺(じやうどじの)前関白殿(さきのくわんぱくどの)は、幼くて、安喜門院(あんきもんゐん)のよく教(をし)へ参(まゐ)らせさせ給ひける故に、御詞(おんことば)などのよきぞ」と、人の仰せられけるとかや。山階(やましなの)左大臣殿は、「あやしの下女(げぢよ)の身奉るも、いと恥(は)づかしく、心づかひせらるゝ」とこそ仰(おほ)せられけれ。女のなき世なりせば、衣文(えもん)も冠(かうぶり)も、いかにもあれ、ひきつくろふ人も侍(はべ)らじ。

 かく人に恥(は)ぢらるゝ女、如何(いか)ばかりいみじきものぞと思ふに、女の性(しやう)は皆ひがめり。人我(にんが)の相(さう)深く、貧欲(とんよく)甚(はなは)だしく、物の理(ことわり)を知らず。たゞ、迷(まよひ)の方(かた)に心も速く移り、詞(ことば)も巧(たく)みに、苦しからぬ事をも問ふ時は言はず。用意あるかと見れば、また、あさましき事まで問(と)はず語(がた)りに言ひ出(い)だす。深くたばかり飾れる事は、男(をとこ)の智恵(ちゑ)にもまさりたるかと思えば、その事、跡(あと)より顕(あら)はるゝを知らず。すなほならずして拙きものは、女なり。その心に随(したが)ひてよく思はれん事は、心憂うかるべし。されば、何かは女の恥(は)づかしからん。もし賢女(けんぢよ)あらば、それもものうとく、すさまじかりなん。たゞ、迷(まよひ)を主(あるじ)としてかれに随(したが)ふ時、やさしくも、面白くも覚ゆべき事なり。

◇第百七段(現代語訳、吾妻利秋訳)

 「突然の女の質問を、優雅に答える男は滅多にいない」らしいので、亀山天皇の時代に、女達は男をからかっていた。いたい気な若い男が来るたびに、「ホトトギスの声は、もうお聴きになって?」と質問し、相手の格付けをした。のちに大納言になった何とかという男は、「虫けらのような私の身分では、ホトトギスの美声を聞く境遇にありません」と答えた。堀川の内大臣は、「山城国の岩倉あたりでケキョケキョ鳴いているのを聞いた気がします」と答えた。女達は「内大臣は当たり障りのない答え方で、虫けらのような身分とは、透かした答え方だわ」などと、格付けるのであった。

 いつでも男は、女に馬鹿にされないよう教育を受けなければならない。「関白の九条師教は、ご幼少の頃から皇后陛下に教育されていたので、話す言葉もたいしたものだ」と、人々は褒め称えた。西園寺実雄左大臣は、「平民の女の子に見られるだけで心拍数が上昇するので、お洒落は欠かせない」と言ったそうである。もしもこの世に女がいなかったら、男の衣装や小道具などは、誰も気にしなくなるだろう。

 「これほど男を狂わせる女とは、なんと素敵な存在だろう」と思いがちだが、女の正体は歪んでいる。自分勝手で欲深く、世の中の仕組みを理解していない。メルヘンの世界の住人で、きれい事ばかり言う。そして都合が悪くなると黙る。謙虚なのかと思えば、そうでもなく、聞いてもいないのに下らないことを話し始める。綺麗に化粧をして化けるから、男の洞察力を超越しているのかと思えば、そんなこともなく、化けの皮が剥がれても気がつかない。素直でなく、実は何も考えていないのが女なのだ。そんな女心に惑わされ、「女に良く見られたい」と考えるのは、涙ぐましくもある。だから女に引け目を感じる必要はない。仮に、賢い女がいたとしよう。近付き難さに恋心も芽生えないだろう。恋とは女心に振り回されて、ときめくことを楽しむものなのである。


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2020年8月20日 (木)

桜狩り、サクランボ狩り、紅葉狩り

「狩る」とは、ぼくたちの間で継続されている意味は、一般的には、鳥や獣を追い出して捕えるということと、花や木を愛でるために探し求めることです。

「狩る」行事といえば、すぐに思いつくそのひとつは、「桃狩り」「サクランボ狩り」「梨狩り」「リンゴ狩り」などです。「狩る」ということなので実際に木の枝から採る、切り取るという作業が含まれるはずで、だから、ぼくたちは実際にそういう作業をして、出向いたその場(果樹園など)で季節の果実のいくぶんかを味わうのが恒例になっています。

もうひとつの「狩る」は、「桜狩り」、「紅葉(もみじ)狩り」などで、現在の上品な辞書的な意味は「桜花を訪ね歩いて鑑賞すること」あるいは「山野に紅葉をたずねて鑑賞すること」ですが、「狩る」という語を含むので、今よりも人の数も少なくてもっとおおらかな時代には、人びとは、たとえば、桜の枝を折り取り、髪にさしてのどかに遊びたわむれたのでしょう。桜が舞い落ちる毛氈(もうせん)や茣蓙(ござ)の上で、桜の簪(かんざし)の女性を相手にお酒でいい気分になっている花見客の姿も容易に想像できます。

「世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」は、折り取られた桜の花枝がそのあたりを歩く(あるいはそのあたりで舞う)人たちの頭髪や帽子(冠)にさされたのがたくさん見られたほうが背景としてはいちばん感じが出ます。もっとも最近は、自宅の庭の桜以外でそんなことをすると少々ややこしいことになってしまう恐れもありますが。

秋は、桜ではなく、紅葉(色づいた「楓」)の葉や小枝を髪や帽子にさすことになります。その場合、どんな歌が似合うでしょうか。色づいていない下の写真の様な「楓(かえで)」を一葉、散歩の途中で隣を歩いている人の帽子に飾るというのも、のどかでいいかもしれません。「世の中にたえて楓のなかりせば秋の心はのどけからまし」。

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2020年8月14日 (金)

美容室で散髪

散髪の為に美容室を利用するようになって20年になります。主に男性客が利用するいわゆる理髪店(ないし理容店)で、そこの親父さんと世間話をしながら髪を切ってもらうというのもなかなかにリラックスできる時間帯ではありますが、どちらかというと女性客のほうが多くて、男性顧客の年齢層も理髪店よりは若い美容室も慣れてしまうといいもので、もはや理髪店には後戻りできません。

配偶者もぼくもそろって同じ美容室のお世話になるのがなんとなくの習わしです。髪にこだわるかたはお気に入りの同じヘアスタイリストを追い求めて、その人が店を変わったら、あるいは自分で開業したら行きつけ店も新しくするというパターンがあるみたいですが、ぼくたちにそんな思い入れはなくて、要は散髪なので美容室は近所にあって、大きくなくても中が広くて、担当してくれるかたが(オーナーであっても従業員であっても)信頼できる技術と雰囲気の人であればまったく問題ありません。

7月までお世話になっていた美容室が別の場所に引っ越すので今までの場所では閉店ということになりました。新しいお店の場所が、ぼくたちの考えるところの近所であれば迷うことなくそこに通い続けたはずですが、そこはぼくたちにとっては近所ではなかったので、近所に新しいお店を探すことになりました。

候補店を二~三調べました。訪問して中の広さや雰囲気を肌で感じたり、直にお話しして直感的にその人と合いそうかどうかも確かめます。

8月になってすぐに新しい美容室のお客になりました。オーナーとパートナーという感じの経験豊富な中年女性二人でやっている小さな、しかし広々とした感じのお店です。理髪店の親父さんとの世間話も捨てがたいとしても、ベテラン・スタイリストである女性オーナーとの散髪中の会話もなかなかに興味深いものがありました。通い続けると思います。

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2020年7月14日 (火)

「ぴえん超えてぱおん」

「ぴえん超えてぱおん」や「ぴえん通り越してぱおん」というのが女子中学生や女子高生に(現在進行形ないしは現在完了形で)人気の言葉だと聞いて、わずかに解る気もしますが総体的に意味不明なので知り合いの女性にその意味を聞いてみました。その女性はおおまか年齢分類だと、アラフォーをすでに過ぎたかたです。

彼女によれば「ぴえん」とか「ビエン」というのは彼女が女子高校生時分からあって「ぴえーん」や「ビエーン」と長く伸ばすのもありで、悲しみの表現だそうです。お願いして「ぴえん」と「ぴえーん」を事例研究風に発音してもらうと確かに、辛いとか悲しいとか嫌だとかいう気分に対応する「泣いている」状態を表す単語だということが理解できました。

彼女によれば(「ぴえん」を超えた)「ぱおん」も、彼女は実際の使用経験はないにしても音的には悪くないとのことなので、またお願いしてジャズのように即興演奏をやってもらうと「ぱおーん」と泣いてくれました。その「風合い」になるほどと納得。「ビリー・ホリデイみたいですね。」

こういう知り合いがいるとなかなか便利です。


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2020年6月15日 (月)

6月に啓蟄(けいちつ)?

先週の金曜は札幌でも夏を感じさせる陽気で、6月半ばなので日も長い。まだまだ昼間の明るさの夕方6時ころに配偶者と速足散歩をしたのですが、それなりに多くのジョガーやウォーカーとすれ違いました。啓蟄(けいちつ)状態です。それなりに多くといっても、一週間前に比べるとやや多いというだけで、実際は「疎」に近い。まあ、そういうところを選んでいるので。

啓蟄は陽暦だと3月5日前後で「冬籠りの虫が這い出てくる」という意味ですが、陽気と新型コロナが一時的にでも終息しつつあるという何となくほっとした気分の相乗効果で、そうなったのでしょう。

こちらはウォーキングシューズを履いてただ歩くだけなのでエラそうなことは言えないのだけれど、きれいなフォームで走り抜けていくジョガーやランナーはとても少ないようです。たまにきれいなフォームが向こう側から接近してくると、すれ違ったあとも、後ろ姿を観察しています。

速足散歩をしているときに危険なのは、これも啓蟄状態の光景のひとつなのか、後ろから走ってきてすぐそばを速度を落とさずに走り抜けていく自転車です。

十人に二人くらいは速度を落としてぼくたちに声をかけて追い越していきますが、残りは結構危険運転です。そしてこれは声を大にして言いますが、そういう危険運転の主はたいていは女性です(中には乱暴な若い男子学生風も混じっていますが)。だから、女性の運転する自転車は、若い女性の自転車も、以前若かった女性の自転車も、信用していません。走る凶器に近い。いわんや、電動自転車に乗った中年女性においておや。


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2020年6月 9日 (火)

ジャニス・ジョップリンとサザン・コンフォート

モントレー・ポップ・フェスティバル(1968年)で「ボール・アンド・チェイン」というブルースを歌う、そのときは全く無名の24歳のジャニス・ジョップリンのライブ演奏動画をYouTubeで観ていたら、彼女の伝記本に目を通したくなりました。評論家はその日の彼女のパフォーマンスを評して「白人の女の子がブルースをあんな風に歌うのをそのときまでは誰も見たことがなかった」と書きました。「観客はその日何か特別なものを見ていることを知っていた」。

彼女は1943年にテキサスで生まれ、1970年に27歳で死去しました。麻薬のやりすぎが非常に短い生涯の原因だと言われていますが、酒も多量に飲んだらしい。写真は「ジャニス - ブルースに死す」(晶文社 1973年)というその伝記本の訳本のあるページを撮影したものです。大型な本なので重しで留めておかないとうまく開かない。

彼女が右手に持っている酒瓶のラベルには、サザン・コンフォート (Southern Comfort) と印刷されています。サザン・コンフォートは19世紀の終わりころに米国南部で生まれたリキュールなので、テキサス生まれの彼女にとっては、まあ、地酒です。リキュールなので強くてもフルーツフレーバーでとても甘い。彼女はステージのあとや休憩時間に楽屋で小瓶からそのままストレートで飲んでいたのでしょう。

ぼくも彼女をまねて、かつて、この写真と同じポケット瓶から試しにストレートで飲んでみたことがあるのですが、あまりの甘さに恐れ入りそれっきりになってしまいました。ぼく向きではなかったようです。

関連記事は「Summertime(子守唄)」。

Janis-joplin-southern-comfort-bw


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2020年5月15日 (金)

能と居眠りとフリージャズ

札幌では二か月近く前からStay Homeの霧が立ち込めていて晴れそうでいてなかなか晴れません。その霧の中で過ごすにはいい機会なので「能」を集中的に観てみました。「井筒」「葵上」「実盛」「安達原(黒塚)」「砧」「道成寺」「俊寛」などです。以前からも能はその時々の興味と必要に応じてDVDやテレビ放送などで観ていましたが、これほど集中的には時間を使わなかった。

能楽堂に出かけるわけにはいかないので(札幌にはないとしても)、以前から持っていたDVDや今回購入したDVD、かつてテレビ放送されたのを録画しておいたのを続けて再生します。インターネットに曲の全部がまとまって(あるいは分割されて)アップロードされているのもあり、それらも利用します。そうすると同じ曲でも複数の能楽師や囃子方や狂言方の演技の違いをその場で続けて楽しめます。

とまれ、詩や和歌が詠うものであるように、能は舞うもの謡うもので、音声表現されたシテ・ワキの科白や地謡の言葉としての存在感と、笛と小鼓・大鼓という楽器の持つ浸透力の強さを改めて認識することになりました。

先日ある能関連の本を読んでいたら、一般的な観客として能を観賞するとはどういうものかを実に的確にまとめた一節に出会いました。その一節を以下に引用します。

「能楽堂に行って聞くともなしに能の囃子(はやし)を聞いていると、段々眠くなってくる。(中略)時々薄目を開けて舞台を見ると、さっきと同じところにシテが座っている。また目を閉じてしばらくすれば能は終わっている。これがお能の鑑賞である。」(多田富雄「死者との対話-能の現代性」

たしかに能の囃子とゆったりとした科白を聞いていると夢幻能タイプでも歴史物語風でもいつの間にかウトウトしてきます。しかし「霊」や霊的なものが主人公のものであってもウトウトとは縁遠い曲もあって、六条御息所の「生霊」が登場する「葵上」や男性にすげなくされた女性の「死霊」が登場する「道成寺」などはウトウトする暇がない。

とくに「道成寺」の「乱拍子」などは名手のプレイするモダンジャズないしはフリージャズに近い。山下洋輔トリオの、ピアノとアルトサックスとドラムスがお互いに相手にどう反応し合って次にどう展開していくのかその両者(ないしは三者)の緊迫感に、ジョン・コルトレーンの「マイ・フェイバリット・シングズ」におけるソプラノサックスの官能性が加わったような世界を、道成寺におけるシテの舞と謡と小鼓と笛は、能舞台空間に創り出します。

今回観ることができなかったのが金春禅竹(こんぱるぜんちく)作の「芭蕉」。舞台は中国。(バナナの親戚であるところのつまり植物の)芭蕉の精が女性となって、僧侶の読経を、夜毎、そっと聴きに来るという内容の能です。しかし生の無常をずっと感じ続けてきたらしいその女性は、冴えわたる月光の下、静かにゆったりとした舞を舞い、舞いの後は、吹き荒ぶ秋風とともに消え去ってしまいます。僧侶の前には破れた芭蕉の葉だけ残されていたそうです。

この「芭蕉」の名演を収録したDVDがあれば欲しいと思っているのですが残念ながらこの曲は人気がないのかどこにも見あたらない。能のDVDには古い名演の録画が多い。しかし音楽やオペラや映画のDVDと違ってともかく値段が半端なく高い。

関連記事は《「井筒」と「死者への七つの語らい」》。


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2020年3月31日 (火)

「食べる量が増えるわけではない」のではなく、「食べる量は確実に増えた」

最近は下に引用したような主旨の記事、つまり「食べものの買いだめは控えてください」という論調の記事が多い。しかし少し考えたらその観察や発言が上滑りであることがわかります。

「新型コロナウイルスの感染拡大で、首都圏では週末の外出自粛要請を受け、食料品を求める客が小売店などに殺到した。
 政府の緊急事態宣言が出された場合も同様の事態が起きる恐れがあるが、専門家は、買い物は「不要不急」に当たらず自粛対象ではないと指摘。『マスクと違い食料は十分にある』と、冷静な行動を呼び掛けている。
 農林水産省によると、米は半年分、小麦は2カ月分以上の国内備蓄がある。生産や流通、輸入も止まっておらず、店頭の欠品は一時的という。担当者は『食べる量が増えるわけではない』と必要量の購買を求めた。」(時事通信 2020年3月30日)

首都圏に住むある知り合いの女性(主婦)と話す機会があってそういう発言の上滑りの具合を確認したのですが、農水省の担当者がいうところの 「『食べる量が増えるわけではない』と必要量の購買を求めた」というのは正しくない。なぜなら「食べる量は確実に増えた」からです。マクロで静的にしかものが見えないのが役人だとしても、マクロとミクロの複合視点で物事を見たあとで慎重に発言したほうがよかったかもしれません。

日本国民全体という点では確かに「食べる量が増えるわけではない」。日本人全体のマクロな食料消費量は短期でも長期でもとくには変化しない(巣ごもりでイライラした分、やけ食い消費が増えたかもしれませんが)。しかし、ある消費セグメントの新しい需要量や新しい需要パターンとそれに応ずる流通チャネルの供給量や供給タイミングが折り合うまでにはそれなりに時間がかかる。それまでは、穏やかな消費者の冷静な消費行動が、結果的には「買いだめ」行為として現象する。役所の教育的指導の対象となるような行為ではありません。

その女性の家庭構成は、IT関連の会社で働くご主人、大学生の息子さんと大学生の娘さん、それに主婦の彼女。月曜から金曜は、お昼ご飯は家庭では用意しない。ご主人は普段は会社の近所の食べもの屋か昼食を出す居酒屋などでお昼ご飯を食べる。二人の子供も週末以外は学食かどこかで友達とお昼ごはんです。週末は、主婦の時短のためにそろってファミレスでランチということも多い。食材や加工食品の貯め置きはしない。食べものは必要なものを都度購入している。

移動の自粛でご主人がテレワークになった。ご主人は普段は夕食も仕事柄外で済ませることが多いのだが、在宅勤務で事情が変わった。大学生の子供二人も学校は休校状態だしバイトも停止状態で友達と外で昼ごはんというわけにはいかなくなった。外出自粛なので、お昼ご飯は自宅で食べる。。今までひとり分だった昼食食材や昼食用の食料品が一挙に4人分になった。単純計算で普段の量の4倍です。インスタント食品で済ますのか、レトルト食品で済ますのか、ラーメンやパスタを茹でるのか、炊飯器でご飯を炊いておかずと味噌汁を作るのか、詳しくは聞かなかったけれど、家庭内で食べる量が確実に、大幅に、増えた。普段の外食分の食料消費が、全部、家庭に持ち込まれたということです。

さて、それをどこで買うか。例えば近所のスーパーで買う。普段の4倍は買わないと勘定が合わない。しかし不要不急の外出をしないように要請されているので、買い物に出かける頻度は普段よりも少なくなり、その結果一度に買う量は当然増える。つまり主婦は「冷静な購買判断と冷静な購買行動の結果」、昼食用だけでも普段の4倍以上を(晩ごはん分を合わせても普段の一回分の2倍から3倍を)一度に買い求める。常時在宅人数が増えた分だけ、日持ちのするお菓子も追加的に必要になり、そういう家庭が多くなれば、お店の棚から、コメやパン、パスタやパスタソース、インスタントラーメンやレトルト食品、カップ麺やカップ焼きそばや日持ちお菓子などが急速に消えていく。

そういう状況を観察・体験せずに、そして相変わらずマスク不足に悩まされている状態で、「農林水産省によると、米は半年分、小麦は2カ月分以上の国内備蓄がある。生産や流通、輸入も止まっておらず、店頭の欠品は一時的という。担当者は『食べる量が増えるわけではない』と必要量の購買を求めた」と言っても本人が思っているほどの説得力はありません。


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2020年2月17日 (月)

「長安の春」における春の花の季節感

立春も二週間ほど前に過ぎて、札幌の雪まつりも終わりました。札幌の春は遅い春ですが、ともかく春を待ちます。

石田幹之助の著した「長安の春」という論文風のエッセイは名文で、その冒頭に引用してある「葦荘」の詩に続く書き出し部分の春の花が描写がとくに美しい。

昔の陰暦の中国では、またそれを輸入した日本でも、一年を二十四に分けていました。それを二十四節気(せっき)と言いますが、ぼくたちはそれを今でも日常生活で(たとえば時候の挨拶や天気予報で)利用しています。「立春」から「立夏」に至るまでの春の節気は次の通りです。

・立春
・雨水(うすい)
・啓蟄(けいちつ)
・春分
・清明(せいめい)
・穀雨(こくう)

それぞれの節気をさらに五日くらいずつで、初候・次候・末候(ないし一候・二候・三候)の三つに分けるとそれぞれに花の春が現れます。

エッセイの冒頭で引用された「葦荘」の詩は「長安二月 香塵多し」で始まり、そのあとに石田の美しい文章が続きます。「香塵」とは風で落ちた花のことです。やや長くなりますが色々な春の花が溢れる最初の十行くらいを引用してみます。

 『陰暦正月の元旦、群卿百寮の朝賀と共に長安の春は暦の上に立つけれども、元宵観燈の節句の頃までは大唐の都の春色もまだ浅い。立春の後約十五日、節は雨水(うすい)に入って菜の花が咲き、杏花(あんずの花)が開き、李花(スモモの花)が綻ぶ頃となって花信の風も漸く暖く、啓蟄(けいちつ)に至って一候桃花、二候棣棠(ていとう、ヤマブキ)、三候薔薇(しょうび、バラ)、春分に及んで一候海棠(かいどう)、三候木蓮(もくれん)と、次々に種々の花木が繚乱を競ふ時に至って帝城の春は日に酣(たけなは)に、香ぐはしい花の息吹が東西両街一百十坊の空を籠めて渭水(いすい)の流も霞に沈み、終南の山の裾には陽炎が立つ。・・・時は穀雨(こくう)の節に入って春は漸く老い、・・・二橋の袂(たもと)に柳の糸を撫でて薫風が爽やかに吹き渡ると、牡丹(ぼたん)の花が満都の春を占断して王者の如くに咲き誇り、城中の士女は家を空しくして只管(ひたすら)に花の跡を追うて日を暮らす。』

日本では花は桜ですが、唐の長安では花は牡丹でした。なお、海棠(かいどう)とは、桜によく似た中国原産のバラ科植物で、下の写真は、morino296さんのブログ記事からお借りしました。この場を借りてお礼申し上げます。

C3 海棠

長安(現在の西安)は内陸部ですが渭水という大きな川が流れ、北緯は34度と北京と上海の間くらいなので札幌などよりははるかに南です(緯度は日本だと広島市くらい)。いろいろな花や柳には不自由しません。五月の連休あたりからすべてが他に遅れないように一緒に開花する札幌と違って、花は種類ごとに「節気」と「候」に応じて順番に開いていく。

李白の「少年行」という詩も舞台は春の長安で、馬に乗った青年が落ちた「牡丹」の花を踏んで、胡姬がいる酒場に笑顔で入って行きます。胡姬とはイラン系のきれいな女性です。緑の眼や碧い眼をしていたかもしれません。

五陵年少金市東,銀鞍白馬度春風。
落花踏盡遊何處,笑入胡姬酒肆中。

五陵の少年 金市の東 銀鞍の白馬 春風を渡る。
落下踏み尽くして何れの処にか遊ぶ 笑って入る 胡姫酒肆の中。

司馬遼太郎の「空海の風景」には、空海と同期の遣唐留学生として長安に遊んだ橘逸勢(たちばなのはやなり)が、勉学も思ったように進まず鬱屈気味で若い女性のいる場所に入り浸った様子が確か描かれていました。胡姫の舞う酒肆にもおそらく通ったに違いない。なお書に秀でた逸勢は空海、嵯峨天皇とともに三筆と呼ばれています。


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