女性

2024年5月15日 (水)

重宝なハットクリップ

帽子好きな配偶者の影響でぼくも帽子を愛用しています。衣類と同じで夏用、合い、冬用があります。配偶者の場合は極寒用の帽子もあって、ぼくは極寒用を持っていませんが、札幌の冬では外出時の必需品でした――瀬戸内では必要ではないにしても、関東以北への真冬の旅行にはあれば便利です。

帽子が風で飛ばされるのを防ぐための簡単な装備としてハットクリップというのがあります。デパートの女性帽子売り場で帽子を購入した時は、希望すれば、サービスとしてその場で取り付けてくれますし、ゴム紐でできた消耗品なのでその場で追加購入もできますが、婦人帽子メーカーが製造販売している部品的な扱いの商品なので、オンラインショップなどでは取り扱っていません。

配偶者は彼女の所有しているほとんどの帽子にその出来のいい――機能的で邪魔にならない――ハットクリップを付けていて、ぼくは雨用のレインハットだけに装着しています。装着という表現は大げさ過ぎるかもしれませんが、雨の日は、たとえば台風が近づく時のように風が強いことも多いので良しとします。

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    レインハットに取り付けた黒いゴム紐状のハットクリップ

ゴム紐を後頭部下部の髪の毛にひっかかるようにしておけばたいていの風に対応できます。もっと強い風の場合には、あご紐としてあごに引っ掛けます。

消耗品なので古くなると新しいのと取り替えますが、自宅在庫がなくなってきたので、デパートの婦人帽子売り場でまとめて購入する予定です。


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2024年5月14日 (火)

春の夕方の速足ウォーキングは気持ちがいい

陽が長くなったので――日の入りは午後七時五分前です――午後五時半に速足ウォーキングに出発して六時半に帰って来ても世の中はまだまだ明るくて気分がいい。

この春は四国のほうが関東よりも涼しい日が多いし、瀬戸内気候のすがすがしさもあって、こういう時期の夕方の軽い運動は雨模様で中止したりすると実にもったいない心持ちになります。そういう明るい環境なので、札幌でのように五月中旬に夏至を待ちわびる静かな興奮といったものとは縁が薄くなりました。ということは瀬戸内では札幌のようなジューンブライドの乾燥した空気は味わえないということです。

昨日も今日も起床時の気温は10℃前後で、昨日は日中も20℃未満だったので、速足ウォーキング時は長袖のポロシャツにダボっとしたTシャツを重ねたのがいい按配でした。

コースの途中で田植えが終わったばかりの水田を眼にすることもできます。そういう田のひとつで鴨が一羽盛んに餌を啄んでいるのに――おそらく――出会いました。近隣の川には鴨の生息地がありますが、田植え後の水田でときどき見かける白鷺(シロサギ)や青鷺(アオサギ)とは違って、鴨は珍しい。

幼稚園のそばも通過するのですが、最近気になっているのは、そこを通るのがウィークデイの五時過ぎくらいだと、職員用の車置き場にコンパクトカーや軽自動車と並んでシルバーグレーのフェアレディZが駐車していることです。車の雰囲気からして所有者は女性に違いない。スポーツカーで通勤する幼稚園の先生がいらっしゃるということで、幼稚園の先生のバックグラウンドも以前よりは相当に多様化しているのかもしれません。

そういう風景も楽しみながら、瀬戸内の明るい夕方の速足ウォーキングを満喫しています。


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2024年1月15日 (月)

美容師はマッサージ

村上春樹の「海辺のカフカ」では、比較的最初のあたりに登場する若い女性の美容師が次のように少年に話す場面があります。

「私はマッサージについては、けっこう才能があるんだよ。だから美容師として食べていけるわけ。マッサージがうまいと、どこに行っても重宝されるの」

確かにその通りで、美容師はマッサージと言ってしまうと語弊がありますが、同じように整髪技術がしっかりとした美容師ならマッサージの巧みなかたのほうがありがたい。

散髪はある時から理容室から美容室に変えました。遠いところは億劫なので近所にある美容室と決めています。またそう決めてから配偶者と同じ美容室の同じ美容師のお世話になることにしていて――女性のスタイリストであったり男性であったり、お店によって変わりますが――、現在、髪をカットしてもらっている女性美容師のマッサージ技術がすばらしい。

洗髪の時に頭皮マッサージをしてくれるのですが、つい眠ってしまうような丁寧さと長さと心地よさで、穏当な額であればそれだけで別料金を払ってもいいかもしれない。散髪の最中は、鋏の音を耳にしながら散髪してもらうということ自体が気持ちいいのでうとうとすることもあるとしても、彼女のマッサージの快適はそれとは次元が異なります。

そういうお気に入りの美容師には、配偶者が焼いたパウンドケーキなどを季節の挨拶に差し上げることにしています。


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2023年12月 8日 (金)

損切りは早い方がいい?

今日は、ミーハ―記事です。

超一流のプロスポーツ選手は、野球でもその他のスポーツでも少人数のプロジェクトチームのようなものを作ることが少なくありません。その選手とその選手を全面的にサポートするマネージャー、通訳(必要なら)、身体のケアを担当するトレーナー、栄養管理というもう一つの身体のケアにも長けたベテラン料理人などがそのチームの構成員です。

常にそれが正解ということではないにしても、たとえば株取引で損失が生じた場合にはできるだけ早く損切りしたほうが賢いと言われています。ナンピンをしながらぐずぐずと損を抱え続けるよりも、そこで損を確定し、別の株でやり直した方が全体的な利益確保のためには賢明であるという意味です。

「仕事が正妻」のハイスペック男性は損切りが異常に早い》というタイトルのオンライン雑誌コラムが眼に入りました。

それはある有名プロスケーターの離婚についての記事で、著者(女性)が婚活サポート会社の経営者という職業柄もあり、なかなかに興味深い内容でしたが、どういう内容の記事かは直接ご覧いただくとして、なるほどと思ったのは以下の二点です。

・(仕事が正妻のハイスペック男性は)結婚が互いの人生のプラスにならないと判断したら、結婚直後であっても、損切りを決断する、つまりすぐに離婚することを決断するし、相手がその結婚を幸せでないと感じているようなら、相手にも離婚を本心から勧めてしまう。

・超ハイスペック男性は独身だろうと既婚だろうと、既に「仕事」と結婚している。超ハイスペック男性と結婚した妻は自動的に「愛人枠」である。あくまでも彼らの人生の優先順位として。

当該選手はスケートという仕事と結婚していて、その仕事は長年にわたる、とてもスキンシップの強いプロジェクトチームに支えられてきたとすると、そのプロジェクトチームも仕事の属性のひとつなので――つまりサポートチームを含めて仕事が正妻なので――、女性が「愛人枠の中での妻」という役割や位置に満足できない場合は彼女はとても困ったことになってしまいます。困っている場合は、その原因の除去、つまり結婚の解消を超ハイスペックの配偶者から真剣に勧められる。

まあ、そういうことだったのかもしれません。


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2023年12月 1日 (金)

小学生の朝の通学風景は可愛らしい

朝の七時半くらいがその時刻です。配偶者がその光景を見て、わたしの子供の頃を思い出す、と言っていますが、小学生が二十人から三十人で列を作って近所の通学路を歩いていきます。先頭は高学年の生徒、その後にランドセルがまだ身体に大きすぎる一年生を挟んで、二年生から六年生が続きます。

一年生はランドセルに黄色いカバーがかかっているし、帽子も黄色い。だからだれが一年生かよくわかる。地域ごとにグループを作るのでしょう、通学時間帯は、何組もの列が、少し時間をおいて進んでいきます。

四月上旬と比べると一年生も、ランドセルに慣れたのか、身体も少し大きくなったのか、八カ月前はランドセルがよたよたと歩いている感じだったのが、今は大きすぎるランドセルを背負ったチビが頑張って歩いている雰囲気に変わってきました。

四国東北部の瀬戸内の現在暮らしているあたりは、子供が多い。朝の子供の通学風景でそれがわかるし、近所に小児科の看板やこども病院がけっこう目立つことからもそれが推察できます。

週日の夕方に速足ウォーキングをしていると、近所の幼稚園や小学校のすぐそばにある児童館――正確には何と呼ぶのか知りませんが、放課後の子供を母親が夕方に迎えに来るまで預かっている施設――には、大きな車やコンパクトカーや軽自動車が子供を載せて走り去っていきます。

迎えに来るのはたいていお母さんで、お父さんはほとんど見かけませんが、そのお母さんも働くお母さんだと思われます。駐車が上手です。小さな子供が歩いて通学通園するには距離が離れたところにお住まいだとすると、朝も子供を送り届ける訳で、朝夕の送迎がたいへんです。通学路を列を作って学校に向かっていく子供とは別に、そういう子供も歩くには遠い近所に暮しているということです。


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2023年11月16日 (木)

ルース・ベネディクト「菊と刀」

ルース・ベネディクト「菊と刀」を電子書籍で再読してみました。大きな活字は読みやすい。再読と書きましたが、一度目は必要な部分の拾い読みに近かったので今回はページを順番に繰っていきますが、ゆっくり目を通すところと速読に近い部分が混在するのはしかたありません。

著者のルース・ベネディクトが、タイトルのように、日本という文化を織っている縦糸と横糸として「菊」と「刀」を選び、「菊」を「一般大衆が大事にしているところの菊の栽培に工夫を凝らす美的感覚」、「刀」を「刀をあがめ武士(もののふ)をうやうやしく扱う風習」だと考えて読み進むと訳が分からなくなります。

読み進んでも「菊」と「刀」がそれぞれ象徴的に意味するものが何なのか判然としない。「自制心・献身(たとえば「雨月物語『菊花の約(ちぎり)』」と意志(刀は決して錆びさせてはいけない)」ともとれるし「天皇と武士」かもしれない。しかしそれがどちらであっても全体としてはすっきりとしない。「菊と刀」を内容だけで「恥と義理」に置き換えるのは無理がある。

彼女の著書には「菊と刀」より10年前に書かれた「文化の型 (Patterns of Culture)」というのがあります。ある特定の文化に存在する(複数の)文化の型をいくぶん紋切り型風に追い求める傾向が彼女にはあるようです――たとえばアポロ的文化とディオニソス性文化。ぼくは以前「文化の型」を、マーガレット・ミードの「男性と女性」というけっこう読みにくい本とほぼ同時期に目を通したのですが、「文化の型」を日本というわかりにくい文化素材を対象にした応用編が「菊と刀」です。

「日本における善悪は実のところ、欧米が理解しているようなものとは、天と地ほども異なっていた。価値体系は特異なものであった。仏教でもなければ、儒教でもなかった。それは日本的なものであった。そこに日本の強みも弱みもあった。」

なお「菊と刀」は米軍から委託された研究に基づく成果で、研究が委託されたのは1944年6月、「1944年6月わたしは日本研究を委託された。日本人とはどのようなものか、文化人類学者として駆使することのできる手法を総動員して説明せよ、とのことであった」。1944年6月は太平洋戦争の後半部分に相当に踏み込んだあたりです。日本が劣勢に転じるミッドウェー海戦が1942年6月5日~6月7日、日本の敗戦が1945年8月15日なので、1944年6月は日本の敗戦が、それが見える人たちにはよく見え始めた時期です。そういう時にわかりにくい敵国の文化人類学的分析を学者に依頼するというのは、戦後処理も視野に入れた戦勝国になる予定の国の余裕です。

「第12章」の「子どもは学ぶ」が面白い。「子どもは学ぶ」はベネディクトやマーガレット・ミードなどの米国の女性文化人類学者の筆が冴える分野です。

日本人の人生に於ける自由度を図にすると「底の浅いU字型の曲線」となるそうです。日本では「最大の自由と我儘が許されるのは、曲線の両端に位置する乳幼児と老人である。制約は乳児期を過ぎると次第に増し、したいことをする自由は結婚言語に底に達する。曲線の谷は壮年時代に何年も続く。しかし、それは再び上昇に転じる。そして60歳を過ぎると、恥の意識にとらわれることはなくなる。ちょうど、子供と同じように」。しかし、壮年期であるところのU字型の底では、「義理」と「恥」の精神的な訓練が継続し、それが日本人の修養になっていると「菊と刀」の著者は考えていたようです。

なぜタイトルを「菊と刀」にしたのかはよくわかりませんが、エッセイの題名としては秀逸です。それぞれの形のイメージを組み合わせると、よくわからないところの「日本」なるものを読者も直感的に想起できるし、「桜と刀」とするよりも緊張感があります。


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2023年9月19日 (火)

中学生教科書に採用された吉行淳之介の短篇

吉行淳之介の「暗室」を久しぶりに読み返したくなりそれが収まっている「吉行淳之介自選作品 V」を本棚から取り出しました。ページを繰っていると中から「枝折り」と題された12ページの月報風の印刷物が出てきて、そこに「童謡」という短編小説が、かつて(昭和四十一年に)、中学三年生用の国語教科書(三省堂)に、芥川龍之介の「鼻」と並んで採用されたと書いてあります。

吉行淳之介と中学生用教科書とは似合わないにしても、「童謡」を読むとその選択は不思議ではありません。

その「童謡」は彼の短編集「子供の領分」に他の十篇の短篇や随筆といっしょに収められていて、その内訳は小説が「夏の休暇/暗い半分/梅雨の頃/斜面の少年/悪い夏/崖下の家/童謡/子供の領分/窓の中/春の声」)、随筆が「子供の時間/私と教科書」です。

「童謡」は病気になって入院した中学二年か三年生くらいの少年の心理の変化を描いた短編で、同級生の男の子と女の子が登場しますが、その中に

「僕は静かな大男、
枕の丘から眺めてる。
すぐ眼の前は谷や野だ。
楽しい蒲団の国なのだ」

という外国の童謡の一節が挿入されています。入院前に見舞いにきた友人の男の子がその一節を歌い「君は蒲団の国へ行くわけだな。あそこはいいぞ」とうらやましそうに言います。

主人公の少年は熱が続いてひどく痩せ、うまく歩けなくなり、病院で歩行練習をしている時にお見舞いに来た少し知り合いの同級生の少女とぎこちなく言葉を交わします。なかなか回復しないので転地療法で親戚の家があるところのもともと生まれた土地に運ばれますが、そこでどういうわけかひどく太り始め太るばかりで体重は落ちません。それでも入院前の元の住所に帰るとまた痩せ始めます。しかし体重は発病前の状態に戻ったのに、走り高跳びは以前の高さがどうしても跳べません。

中学三年生用の教科書に載ったこの短編は「自分の内部から欠落していったもの、そして新たに付け加わってまだはっきり形の分からぬもの。そういうのがあるのを、少年は感じていた」で終わります。

吉行淳之介の作品はそのほとんどが他者との間にある距離の具合やその様相の変化、あるいは他者との関係についての構造や色彩やその濃淡を描くもので、他者は男性でも女性でも大人でも子供でもかまわない。ストーリーの展開などは気にせずに、相手との距離の変化や関係の変遷描写を楽しむのも吉行の作品の読み方のひとつだと思います。

驕慢な少女がいたとして、彼女と対峙する主人公が「少女の眼の奥をじっと見つめた。彼女の内部で何かが確実に壊れた」といったいささか残酷な一文が吉行の他の作品にあったと記憶していますが、それも短いものなら「童謡」と同じように教科書に採用されてもおかしくない。

昭和四十一年は1966年なので、その教科書が三~四年は使われたとしたら、その頃十五歳だった中学生は今は七十歳くらいです。当時、先生から無理やりに「童謡」の読書感想文の提出を求められたとして、彼ら(あるいは彼女ら)はどんな感想文を提出したのでしょうか。


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2023年9月12日 (火)

表情を思い描く楽しみのある言葉

三年ほど前に「ぴえん」という言葉が、若い女性(というより女子中学生・女子高校生)の間でおおいに流行したようです。悲しいので涙が出る、嬉しいので涙で眼がウルウルしてくるといった時に使う言葉です。しかし知り合いの女性によれば「ぴえん」はけっこう以前から限定的にでも若い女性の間で存在していたそうです。

ITジャーナリストの鈴木朋子さんのお書きになったものから具体的な説明を引用すると、『ぴえんは、悲しいときやうれしいときに泣いていることを表す言葉だ。泣いているといっても、号泣ではなく、目を潤ませる程度である。使用法としては「指を蚊に刺された。ぴえん」のように、ちょっと情けなくて泣いてしまうようなときや、「優衣がスタバおごってくれた。ぴえん」のようにうれしいときに語尾に付ける。「ぴえんこえてぱおん」は、ぴえんよりも感極まっているときに使う』(鈴木朋子 《SNSの流行語「ぴえん」、なぜ女子中高生の心を捉えたのか》 2020年10月)ものだそうです。

この言葉にはじめて出会ったのはそれが流行し始めた頃ですが、違和感はありませんでした。なかなかにいい表現だと思いました。眼の大きな少女が登場する少女漫画の世界が想起されるとしても当事者の表情がその言葉でそれなりに想像できるからです。

「本来(の)」という言葉があります。「もとからずっとその状態であること」「性質や能力などがもともと備わっていること」といった意味を伝えるときに使われる言葉だとして、この言葉がとくに頻繁に登場するのはプロスポーツやレベルのとても高い運動競技で、「(今日は)本来の力が発揮できていません」とか「試合の中盤以降は本来の姿を取り戻すでしょう」というのが標準的な使い方のようです。

プロ野球中継やスポーツ中継のアナウンサーは、以前と違って、少ない言葉で状況を的確に伝えることのできる人がほとんどいなくなったこともその理由のひとつなのか――沈黙の圧力を飼いならすのが苦手らしく、僅かの沈黙も嫌がってどうでもいいことをやたらとしゃべり続けようとする――最高に調子が良かったときのその選手のパフォーマンスを指して「本来の調子」と呼ぶことが慣わしのようです。沈黙回避には使い勝手のいい言葉です。だとすると選手は本来の調子を発揮することは稀にしかできない。

しかしそうであったとしても、気楽に(あるいは無反省に)使い過ぎる「本来の調子」という擦り切れた表現も、その表現で形容されている選手のプレイ(たとえばピッチング)を何度も球場で観てよく知っている場合には、「(今日は)本来の力が発揮できていません」という声がテレビ画面から流れてくると、たとえ声しか聞いていなくても、その投手の顔のわずかな歪みやポーカーフェースに潜む汗の滲みが想像できるので、その手抜き表現がかえって役に立つようです。

「ぴえん」は自分で自分の気分を俯瞰的に描写するときに使い、「本来の調子」は第三者が当事者を描写する場合に使うので安定しているとして、「今日は本来の調子が出ませんでした」と自身について発言する選手がでてくると――偶にいますが――聞くほうとしては笑うに笑えず困ってしまいます。


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2023年8月 4日 (金)

続・陸上の格闘技でもある1500メートルが楽しみ

陸上の格闘技でもある1500メートルが楽しみ」の続きです。

昨夜、録画してあったインターハイの女子1500メートルを観ました。腰高のきれいなフォームで走る高校一年生のドルーリー朱瑛里選手に注目していたのですが、優勝したのはアフリカからの留学生と思われる高校三年生で、その三年生には全く歯が立ちませんでした。二人の今回の記録は4分06秒54と4分15秒50で、ともに自己最高記録でしたが、二人の差はほぼ9秒です。この9秒という差は、おおざっぱに言って、女子1500メートルの世界記録と日本記録の差であるところの10秒に近い。

最後のスパートで引き離されたというのではなく途中からずるずると差を付けられまったくついていけない状態でした。一年生の彼女は最後の200メートルのスピードが最後まで持続すれば二位になれたかもしれません。二位は二年生の選手で彼女もアフリカからの留学生のようです。

インターハイ関連のウェブサイトがあり、そこには競技日程や出場選手、陸上競技などはそれまでの各出場選手の自己最高記録が記載され、記録のいい選手が予選で互いに潰し合うことのないような組別の組み合わせになっています。それをスタートリストと呼びますが、女子1500メートル予選だと選手は四組に分けれれ、決勝に出られるのは各組の上位の三人と、四位以下の選手は全体で記録のいいほうから四人です。

スタートリストには最後にランキングリストというのが付属しており、そこにはインターハイ前までの記録が上位の選手が十人、記録順に並んでいて、それを見ると、女子1500メートルではランキングリストの上位三人がインターハイでもそのまま上位三人になりました。テニスなどでシード選手がそのまま決勝に勝ち上がるパターンと似ています。一位の三年生と三位の一年生のランングリスト上の記録差は7秒半でした。

陸上の中距離レースは観ていて刺激的です。


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2023年8月 3日 (木)

陸上の格闘技でもある1500メートルが楽しみ

速足ウォーキングは好きだとしても、子供の頃はいざ知らず、今は、走ることを楽しいとは思いません。札幌では運動としての速足ウォーキングをしているときによくジョギングをしている老若男女――多くは中年男女――とすれ違いましたが、なかには疲れているのか歩く速度よりはやや速いあたりでよたよたと進むかたもいて、そういうことなら無理して走る必要もないのにと思ったものです。歩いている分には、走るのと違って、速足でも膝を傷めることはありません。

走るのは好きではないのですが、観る陸上競技は、とくに800メートルから1500メートルくらいの中距離が好みで、しかし中距離競技はよく言われるように格闘技です。駆け引きや位置取りをする際に、あるいは内側に閉じ込められたような状態の選手が外側や前に抜け出すときに選手間相互の身体の接触が頻繁にあります。そういうところは5000メートルでも10000メートルでも同じです。

今日(2023年8月3日)の午後に行われるインターハイの女子陸上1500メートル決勝が「みなさまのNHK」で実況中継されるそうです――競技場所は、札幌市厚別公園競技場。女子1500メートルには走る姿の美しいドルーリー朱瑛里選手が出場します。そういう記事がネットで眼に入り、しかしそれが本当かどうか、テレビ番組欄を調べてみると確かに15:30から15:54までが放送枠になっていました。トラック競技であるところの女子1500メートル決勝の開始時刻は15:35なので、中継目的は明らかで、さすがに「みなさまのNHK」です。

みなさまのNHKはプロ野球中継でも可愛らしい女性観客の応援する様子を途中に挟むという遊び心があり――複数のテレビカメラのうちの一台がそういう映像を常に確保しているのでしょう――、今回の特別枠らしきものも似たような発想の産物かもしれません。

ドルーリー朱瑛里選手(15歳)の1500メートルの最高記録は、先日、中国地方の大会で達成したばかりの4分16秒76(記録時15歳)です。

日本記録は田中希実選手の3分59秒19(記録時21歳)で、世界記録はケニアのフェイス・キピエゴン選手の3分49秒11(記録時29歳)。日本記録と世界記録の差は10秒なので、かりにその二人がそれぞれの記録でいっしょに競ったとするとゴールでの二人の差は距離にして約65~66メートルになります。

高校一年生のドルーリー朱瑛里選手が世界記録保持者のフェイス・キピエゴン選手と上述のタイムでいっしょに走った場合はその差が27~28秒です。キピエゴン選手がゴールした時には日本の高校一年生は半周近く離された状態でトラックを駆けている。

そういうことを解った上で、ドルーリー朱瑛里選手や他の高校生の競争相手がどれくらいの記録で1500メートルを走りきるのか楽しみです。競技をライブで観るのは無理なので中継を録画予約しておきます。


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