女性

2019年7月18日 (木)

美容室の女性スタッフが少なくなった

最近は、といっても20年くらい前からの最近ですが、散髪は男性向けの理髪店・理容室ではなくて、顧客が女性だけでなく男性もそれなりにいるところの美容室のお世話になっています。最初は敷居が高かったのですが、慣れるとけっこう楽しい。

3年ほど前から美容室勤務の女性スタッフ(スタイリストやアシスタントと呼ばれている女性従業員)の割合が目立って少なくなってきました。顕著な減少傾向が見られるのはアシスタント職の女性です。美容学校を卒業して美容室に入り、スタイリストとして独り立ちするまでの間、見習いというかシャンプーや掃除や雑用などのお手伝いをしながら閉店後に練習しながら仕事を覚えている女性たちのことですが、彼女らの数が減ってきました。代わりに、男の子のアシスタントが増えてきた。

そのお店でこの4月から勤め始めた女性アシスタントがいます。おしゃべりではないけれど話すと受け答えもしっかりとしているし、洗髪も新人のぎこちなさはまったくなく、嬉しいのはマッサージも上手いことです。気になっていることを尋ねてみました。

「最近女性スタッフが少ないんだけど、美容専門学校に行く女の子が少なくなっているの?」
「学校は、女の子のほうが多いです。」
「美容室に入ったあと、すぐに辞めちゃうのかな?」
「そういう人もいるけど、卒業しても美容室に入らない子も多いから」
「どこか他の業界に行くの?」
「アパレルとかに行く子もいますけど、ネイルや睫毛エクステンションが人気です。とくに睫毛エクステンション。今は美容師免許がないと睫毛エクステンションはできないので。そういう子は、学校でもカットの勉強とかはあまり熱心じゃないですね。」

調べてみると、睫毛(まつげ)エクステンションなどを施術するアイリストには美容師免許が必須だそうです。衛生と品質維持のために厚生労働省通達で2008年3月からそうなった。

その子によると、睫毛エクステンションは、睫毛が代謝するのでメンテナンスが必須で、リピーター需要が安定しているそうです。

たしかに、美容室の労働はけっこう過酷で、労働時間は長そうです。見習い中の子は閉店後夜遅くまで練習している。そういうところは徒弟制度のいいところが残っている雰囲気で、だからそういうところはぼくは嫌いではない。

しかし、美容室は洗髪やスタイリングやヘアカラーリングなどに化学物質の混じった薬液を使う仕事なので、ケミカルに弱い体質の人は肌荒れやもっとひどい皮膚疾患などの健康被害を経験するし(実際にそういうのが理由で別の業界に移った女の子を複数人知っている)、将来結婚して生まれてくるであろう赤ちゃんへの悪影響も気になるようです。

それに比べると、睫毛エクステンションというのは重労働ではないし、使う薬剤は接着剤だけなので施術者にはケミカル被害もなさそうです。手先の器用さに自信のある女性に向いた職業だと思います。美容専門学校の卒業生が髪を対象とする美容室ではなくそちらに進むのも納得できます。大きい括りでは美容業界です。

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2019年5月14日 (火)

繰り返し楽しめる本

回数の多寡やジャンルは問わないとしても繰り返し読む本というのはそれほど多くはありません。しかしとても少ないというわけでもない。繰り返し読むといっても、表紙から表紙まで全部に目を通す場合と、必要な章や気になるあたりを集中的に読み返す場合があります。40年ぶりに本棚の奥から引っ張り出すということもままあります。

そのひとつが1992年発行の(つまり30年近く前に出版された)単行本で書名が「男流文学論」。「論」の形式は女性三人の鼎談で、その三人とは「上野千鶴子、小倉千加子、富岡多恵子」、社会学系の学者二人と詩人でもある作家の組み合わせになっています。そして、たまたまなのか三人とも広義の関西文化圏育ちです。

「男流文学論」なので、男性作家の著作とその著作についての他の男性による評論が対象です。手元の本の帯に印刷してあるアイキャッチャーをそのまま引用すると「有名男性作家六人と、それをめぐる評論を、真正面からたたき斬る!刺激的な鼎談」。賑やかに知的に、ときには猥雑に、そして匕首(あいくち)で気に入らない相手(この場合、男)をブスっと刺しかねない怖さを漂わせながら三人の濃密なおしゃべりが続きます(匕首が適当な手段でない場合は、男性作家が持てない視点で足を掬うとか)。

この平成初めの頃の鼎談で取り上げられている有名男性作家六人とは、「吉行淳之介、島尾敏雄、谷崎潤一郎、小島信夫、村上春樹、三島由紀夫」。議論の対象となった作品もあわせて書くと、以下の通りです。

・吉行淳之介 「砂の上の植物群」「驟雨」「夕暮まで」
・島尾敏雄 「死の棘」
・谷崎潤一郎 「卍」「痴人の愛」
・小島信夫 「抱擁家族」
・村上春樹 「ノルウェイの森」
・三島由紀夫 「鏡子の家」「仮面の告白」「禁色」

ぼくは、ここにある作品は、読んで面白かったかあるいはそうでなかったかを別にすると、三島由紀夫の「鏡子の家」と「禁色」以外はすべて読んでいて(退屈なので途中で放り出しそうになったのもありますがそれが何かはここでは言わないことにして)、また、鼎談者であるところの「上野千鶴子」と「富岡多恵子」の著書もそれぞれ複数すでに読んでいて、だから、本屋で遭遇したこの本をその場で買ったというわけです。

たしかに刺激的な内容の鼎談で、最初は机で一気に読了したと記憶しています。二回目以降は、ベッドで就寝前にページを繰ることが多いようです。なんとなく読みたくなると本棚から取り出してきてその夜の気分が求めるあたりに目を通します。ある作家についての三人のジャムセッションを再読したくなる場合もあるし、彼女らの発言内容の刺激を味わいたくなってページをランダムに開ける場合もあります。

吉田健一は繰り返し読むに足る本が五百冊あったそうですが(倉橋由美子の「偏愛文学館」による)、どんな分野であれ、その冊数を再読対象にできるいうことは並み大抵ではありません。イスラム学者の中には、必要な書物の内容はすべて頭の中に記憶していた人もいたらしい。そういう碩学はいつでも五百冊(たとえば)を、眼を閉じたまま味わえるし、また折々で切実度を変えるであろう一節を縦横に引用することもこともできるわけです。これはもっと並み大抵ではありません。

いずれにせよ「男流文学論」はぼくの本棚に坐り続けるはずです。

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2019年4月16日 (火)

「結局、思想の理解は感性だからね」

先日、ある新聞記事が眼に入りました。

『文系の博士課程「進むと破滅」 ある女性研究者の自死』『大きな研究成果を上げ、将来を期待されていたにもかかわらず、多くの大学に就職を断られて追い詰められた女性が、43歳で自ら命を絶った。日本仏教を研究してきた西村玲(りょう)さんは、2016年2月に亡くなった。・・・後略・・・』(朝日DIGITAL 2019年4月10日

気になる記事だったので、彼女の著作「近世仏教思想の独創 僧侶普寂の思想と実践」の目次や内容の一部をネット通販サイトで拝見したのですが、その時に、「〔私家版〕西村玲 遺稿拾遺―1972~2016」という自費出版本があることを知りました。タイトルからしてご両親が編集された私的な彼女の遺稿集ということになりますが、その一部が、当該遺稿集を送られたかたがた(彼女の関係者であるところの編集者や研究者)によってネット上で紹介されていました。紹介された部分はそれぞれのかたが第三者に紹介しても差支えないと判断された箇所だと思われます。ぼくにはネット上の供養と映りました。

ちなみに、彼女の専攻は「日本思想史、日本仏教思想」、細かくは「日本の近世(江戸時代)における仏教・仏教思想研究」、ニッチな分野です。その中の18世紀の「僧侶・普寂(ふじゃく)」に焦点を合わせた研究が軸なのでさらにニッチです。たとえば、彼女の著作の主人公である「普寂」は、「日本仏教史入門」(田村芳朗著)では、「浄土宗では西山派に普寂徳文(ふじゃくとくもん、1707-81)が出て、宗風を高揚した。普寂は各宗に通じ、近代仏教学の先駆ともみられる」と言及されていますが、別のタイプの入門書であるところの「日本仏教史 思想史としてのアプローチ」(末木文美士著)では、彼の名前は登場しません。

ネット上の「〔私家版〕西村玲 遺稿拾遺―1972~2016」のなかから、ぼくにとってとても印象的だった部分を以下にいくつか引用させていただきます。「私家版」となっていますが、ご両親が本の形に整えて関係者に配ったものだし、お嬢さんの研究や自死に関して新聞社のインタビューにも対応しておられるので、その一部をこういう形で引用しても失礼にはあたらない、そう勝手に判断しました。

以下の『・・・』が引用部分です。なお、各文章の前のタイトル風の語句は「高いお米、安いご飯」が本文から抜き出したものです。

■「冗談ぬきでゼッサンの嵐だったのよ」

『さて、発表が終わった。本当に、冗談ぬきでゼッサンの嵐だったのよ。発表が終って皆が出たいった後、ある教授に開口一番「あなたは将来どうなさるつもりですか」てきかれた。「一応、院に」といったら「それは非常にケッコウなことです。いい研究者になれるでしょう。高校球児で150キロの豪速球を投げる人がいますが、あなたのキレにはそういうものが感じられる。投げようと思っても投げられない人は投げられないし、あなたみたいに最初から投げられる人もいる。」一介の三年生にそこまで言っていいのかよ、と思っちゃった。特に私の主張は「非常にわかりやすく聞かせるもの」であったそうだ。』

■「私は全体を見てるつもりなんだもの」

『本質しか見てないなんて思わないもの。私は全体を見てるつもりなんだもの。これは頭いいというよりは、こういう傾きとしか言いようがないな。
 しかしこういう自己認識は、随分楽になるね。私は特殊だから皆に分かってもらうためには、相当の作業が必要なんだ。分かってもらえないのは、当然なんだな。ああ、そっかあ。平凡じゃないってこういうことかあ。ということは、私の直感は正しいんだな。唯識の選択ににせよ、先生たちの選択にせよ、なんかの本質なんだな。ああ、ほんとに目から鱗が落ちた気がするよ。私は特殊なんだね。知らなかったわ。本質を突くという性格は現実から乖離する陥穽であるけれど、自分にとってどうか、というただその一点から出てくるものだ。』

■「結局、思想の理解は感性だからね」

『「過酷な現実と高潔な跳躍を接近させること」こそ、宗教の役目、思想の役目。そのままでは蹂躙されてしまう切ない心情を、かなしい願いと祈りを、言語と論理によって普遍化すること。それこそが知識人の役目。つまり「先駆者がそれを救うために全力を尽くしたであろうものを救う」ことであるのだな。しかもこの寥寥たる荒廃を見るに付け、私がやるしかないではないか。・・なんたることか。
 しかしほんっとに日本の教理ないし思想を女がやってない(会った試しがないぞ)。いまだに私が初めてってのは、どういうことだ。まだキリスト教には、いるようだけれど。これは一体何なんだ。修道院の思想はおしゃれできれいだから?日本の僧房だって、おしゃれできれいだもんっ・・というのは、やっぱり特殊な感覚なのだろうな。内容において本当に同じことやってるのに。西洋の思想は、西洋庭園と同じく、言うほどわかりやすくはないよ、根幹において。結局思想の理解は感性だからね。』

■「だから、日本思想史には私が必要なんだ」

『学問に半分しか向いていないのは、けっして悪いことではない。それはそれ以上の器であるということ、より広い可能性を持っているということだ。半分だから、あとの半分に伝えられる。学会が嫌いで仕方がない坂口先生は、だから素人に伝えられた。唯識が大嫌いで仕方がない太田先生は、だから素人のために唯識を伝えられた。私は学会が大嫌いで日本思想史を心から軽蔑しているから、きっと思想史を伝えられるだろう。因縁というものだ。
 実際、思想史は駄目だ。思想がない上に史もない。名著を読んでも、思想史のものは歴史や哲学のものより二段ほど劣ってる。あれは思想がないからだ。イデオロギーしかない人間が思想を語れるはずがない。京大に日本哲学の講座ができたそうだが、とにかく日本の学界では、思想とか倫理とか哲学とか言うと、主体性のない人間、くずしか集まらない仕組みになっているらしいからな。だから日本思想史には私が必要なんだ。』

■「大丈夫。私は源水から海にたどりつける」

『分かった者は、伝えなくては。安易に流されず、丁寧に追っていくしかないと思う。飛ばすとイカン。その瞬間に退廃する。どこがどうなって、どこに行くのかは知らない。でもこれは、やる意味があることだ。この大衆化の、なし崩しの退廃の時代にあって、精神性、霊性、あの光が、どのように和光同塵していったか、霊性の通俗化、いやそれよりも倫理化の道筋を示すこと。そこを動かすな。そこがブレることはないはずだ。そこがブレなければ、見失わなければ大丈夫。私は源水から海にたどりつける。』

関連記事は『「井筒」と「死者への七つの語らい」』。

合掌。

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2019年2月14日 (木)

チョコレートは苦いのに限る

チョコレートやココアはカカオ豆を微生物(酵母、乳酸菌、酢酸菌など)で発酵させて作った発酵食品です。従ってチョコレートは発酵したお菓子、ココアは発酵した飲み物ということになります。

チョコレートやココアには、フリーラジカル(活性酸素がその代表)と戦う抗酸化物質のポリフェノールが豊富に含まれています。

砂糖がとても控えめでカカオ濃度が高い、つまり相当に苦いチョコレートが好みです。甘いのは歓迎しません。しかし濃度100%というのは、100%というのがどういう味わいであるかを知るにはいいのですが、その味を上手には楽しめません。ぼくには95%~96%くらいがいい按配です。

写真は知り合いからいただいたチョコレート。カカオ豆の種類はクリオロ種、チョコのタイプはトリュフ。うまいです。しかしぼくには甘すぎる。6個入りですが、甘すぎると言いながらも、1個はすでに口の中です。

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クリオロ種カカオ豆のトリュフ・チョコ(6個入りだが1個は口の中)

少し以前の統計資料に面白い情報が含まれていました。「家計調査通信456号(平成24年2月15日)」に「チョコレートへの支出」という記事があり、下のグラフはそこから引用したものですが、これを見ると、2月のチョコレート売り上げのスパイクが、業界のマーケティング・プロモーションの結果であることがよくわかります。

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昭和45年では、バレンタインデー・スパイクは存在していません。平成2年では巨大なスパイクが発生しています。昭和は実質的には63年までであり、昭和45年と昭和61年のチョコレート消費支出はほぼ同じなので、昭和の終わりから平成初めにかけて、バレンタインデー・スパイクが作られていったのでしょう。その結果、平成22年のチョコレート消費支出は、昭和45年(ないし昭和61年)の3.3倍に達しています。

2月というのは食品を始めいろいろな商品のプロモーションが難しい月です。そのなかで平成後半における「2月のマーケティング・スパイク」を作ったのが「恵方巻き」です。「節分の恵方巻き」は「バレンタインデーのチョコレート」という平成初めの先行例を上手にコピーしたようです。

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2018年10月10日 (水)

食品添加物と美容室のシャンプー

下は良心的な作りの納豆の原材料欄です。いつも贔屓にしている納豆が品切れの場合は、これを選択します。納豆の原材料は北海道産の小粒大豆と納豆菌です。

ぼくの食べ方は、製造者には申し訳ないのですが、まず、付属の「たれ」と「からし」を捨てます(誰が「たれ」と「からし」をつけるという習慣を作ったのか)。そして納豆に、亜麻仁油やインカインチオイルなどオメガ3系の植物性オイルを軽く垂らし、塩を少しかけ、粘り気が出るまでまで混ぜ合わせます。以上です。わざわざ食品添加物の入ったタレや辛子を味付けに使う気分にはならない。軽い塩味のシンプルな味付けが、ぼくにとってはいちばんおいしい。

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醤油・味噌・味醂・塩・胡椒などではなく一般家庭で使わない不思議な名前の調味料に原材料欄で出合ったら、それらは食品添加物です。食品添加物のすべてが眉唾というわけではありません。ウコンのような伝統的な食品添加物もあります。同時に、「調味料(アミノ酸等)」や「ビタミンC」、「たん白加水分解物」のような不思議な名前の衣装をまとった食品添加物も存在します。すべて役所のガイドラインでその利用が認められたものですが(製造コストを下げながら、商品棚である程度長持ちさせるためには必要なので)、しかし、それらを摂らない選択肢を消費者は持っている。

北海道産の昆布と北海道産のスルメイカを使った、これも良心的な加工食品の原材料欄は以下のようになっています。

「原材料: するめ(北海道)、真昆布(函館)、がごめ昆布(函館)、還元水飴、発酵調味料、醤油、果糖ぶどう糖液糖、鰹エキス、食塩、たん白加水分解物、酵母エキス」
「アレルギー物質: 小麦、大豆、いか」

商品説明には「保存料・化学調味料無添加の美味しいタレを添付しました」と書かれています。お役所ガイドラインに従えばその通りです。

美容学校を卒業して美容業界に入ってくるときの男女比はほぼ1対1だそうですが、2~3年が経過するころには、女性の割合が急に少なくなるらしい。美容業界の知り合いから、そう聞きました。

美容業界は労働時間が長くて(それに修行中は勤務後の夜のトレーニングなどもあるし)、休憩時間も不規則なので(お昼ご飯は午後遅くに適当な隙間時間にさっとすませることになっているみたいです、食べないこともある)、つまり女性にはより辛い労働環境という事情がその状況の背景にはあるのかもしれませんが、それだけではなさそうです。

たいていの美容室で使うシャンプーや整髪料、髪の毛のカラーリング剤などは、役所で承認されているとはいえ化学合成物質のオンパレードみたいなものです。仕事でそれらを、たとえば毎日10人以上のお客にシャンプーや整髪で使っていると弱い人は手や手のまわりの皮膚が傷ついてしまいます。

行きつけの美容室でマッサージが上手だった女の子がそろそろ一人前になるというその段階で、急にやめることになりました。身体を壊してしまったそうです。理由は労働時間の長さではなく、化学合成物質の悪影響による皮膚炎。こうなるとその仕事は続けられない。別の職種で働くことになります。女性の場合は将来の妊娠のことも配慮しないといけない。

使用量や消費量が一定量を超え、また対象物の使用時や消費時の組み合わせが複合化するとどういう結果になるか、実際のところはよくわからない(そんなところまで確認できない)というのが、こうしたガイドラインの持つ含意なので、結局は消費者や利用者の自己判断ということになりそうです。

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2018年10月 9日 (火)

夕方のコンビニの新しい利用の仕方

岩村暢子著「家族の勝手でしょ!」を素材にして作ったドキュメンタリ風のテレビ番組を、以前、拝見したことがあります。そのなかで、夕食準備は近所のコンビニを2~3軒回れば完了という若いお母さんが取材対象のひとりになっていました。僕の記憶が正しければ、夕食の準備(つまりコンビニめぐり)は夕方の6時に開始、6時半には自宅に帰り、7時にはごちそうが食卓に並んでいます。

コンビニ1店舗では、鮭の塩焼きからヒジキの煮物、きんぴらゴボウまで各種の惣菜がそろわないのでコンビニのはしごをする。この賢明な若いお母さんの付加価値は、決してコンビニのトレーをご主人や子供に見せないことだそうです。調達してきた調理済みの食材を自宅のきれいなお皿に美しく盛り付け直すと、それだけで、ご主人の舌の上では「おふくろの味」が引き立つそうです。

夕方のコンビニは混雑しています。レジにお惣菜や弁当やアイスクリームやお菓子やその他の日用品を手にいろいろな世代の男女が並んでいるのは最近では見慣れた光景ですが、そういう品物ではなく、薄いのだけれどやや厚みのある四角い紙の箱を手に子連れで並んでいる女性がいらっしゃいました。郵便物らしい姿かたちの紙の箱です。

上記の「夕食準備はコンビニめぐり」の若いお母さんと同じ年代ですが、やや雰囲気が違います。

気になったので、なんとなく視線を移して、ATMのとなりにある背の低い専用端末のほうを見ると、勤め帰りの若い女性と、小さな子供を連れた若いお母さんが二組、短い行列を作っていました。お互いに知り合いではなさそうです。その専用端末で、以前、札幌ドームのプロ野球観戦チケットを発券してもらったことがある。そういう用途の端末です。

そういうことか、と思い至りました。おそらくフリーマーケット・アプリで売れた不用品をコンビニから発送しているのだと思います。すぐに着られなくなる小さい子どもの洋服は使い捨てみたいなんものなので、若いお母さんの間でフリマ需要がけっこう高いらしい。そういうものや読み終わった趣味のムック本などをコンビニから発送しているのでしょう。スマートフォンがあれば簡単です。

お惣菜調達の消費者として夕方のコンビニに立ち寄るのではなく、フリーマーケットの販売者として夕方にコンビニを利用するという変化がここでは見られます。実際は、一方向の変化ではなく、同一場所で両方の機能をいわば並列処理しているしっかりとした若いお母さんが増えてきたということだと思います。こうすることで、消費税対策だけでなく、次の子供服や次のムック本を買う原資の一部が確保できます。

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2018年8月10日 (金)

安田 南という女性ジャズシンガーのこと

あるところで「安田 南」についての短い思い出風の記事に出会い、懐かしくなったのでネットで当時のレコードの一部を検索して聴いてみました。彼女は、ご健在なら、現在74歳。

「江夏の21球」は1979年11月4日の日本シリーズ第7戦(近鉄 vs. 広島)での江夏の投球を題材にした山際淳司のノンフィクションです。ぼくの中では、「江夏の21球」と「安田 南」のライヴが時期的に重なっています。

「江夏の21球」が収録された「スローカーブを、もう一球」というタイトルの本はまだ本棚にありますが、安田南のエッセイ集「みなみの三十歳宣言」は残念ながらすでに処分してしまったようです(「みなみの三十歳宣言」は1977年の出版)。

東京郊外のさるJR駅の南口から歩いて2~3分の喫茶店、決して大きくはない喫茶店ですが月に2~3回くらい(だったか毎週1回だったか)、夜はお酒を楽しめるジャズのライヴハウスに変貌するところがあって、そこで安田 南のライヴ演奏を何度か楽しみました。もっと聴きたかったのですが、急に出演しなくなった(と、記憶しています)。短期間の出演契約が終了しただけだったのかもしれません。

ライヴは毎回ジャズのスタンダードナンバー中心の構成でしたが、その当時ぼくが気に入っていたのは「あかとんぼ ~ Fly Me To The Moon」。「赤とんぼ」から「Fly me to the moon」に移ってまた「赤とんぼ」に戻ってくる抒情性に満ちた「一曲」です。日本語の童謡と英語のジャズを組み合わせて抒情性あふれる叙事詩を謳っているようでもありました。

世の中には親切なかたがいらっしゃるもので、探してみたらネットでデジタル化されたその歌が見つかりました。下にURLを引用します。

なお、彼女の「あかとんぼ」は下をクリックしてください。

彼女には日本語の歌がよく似合う。

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2018年8月 9日 (木)

怖い自転車、ホッとする自転車

20代後半から30代前半のころは、サイクリング用の自転車で週末に数十キロ以上は走っていたこともときどきはあったので、自転車が嫌いというわけではありません。

一般道は、歩行者と自動車にそれぞれ別の角度から配慮しないといけないので(歩行者にぶつからないように、あるいは車にひっかけられないように)、それなりに距離のあるサイクリングロードまでけっこうな道のりを漕いでいき、そこを複数回往復していました。堤防上に作られたサイクリング向けの道路です。

最近は自転車には乗りません。だからというわけでもないのですが、近頃は自転車、とくに歩道を走る自転車を、いつのまにか、走る凶器とみなすようになりました。そういう風に考えておかないと危なくて仕方ない。

自転車が走ってよい広い歩道とそうでない歩道があります。しかし、そういう区分は実質的には存在していません。自転車が道路交通法の分類上は車に該当するという事実が実際上はほとんど存在していないのと同じことです。

向かってくる自転車は、乗っている人の眼と視線を見るようにしていますが、その女性や男性が見ているであろうものや次の動きが全く読み取れない場合が少なからずあります。そういう場合は警戒警報の発動です。

後ろに近づくものの気配を感じて振り向くと、すごい速度ですぐそばを追い抜いていく自転車にもよく遭遇します。急に振り向くと身体や腕の位置が変化して自転車との接触の可能性が発生しますが、運転者はぼくが振り向くという行為を想定していないのかもしれません。歩行者は自転車に道を譲るものだと考えているらしい。

複数の歩行者が横断歩道で信号待ちしているときに、左や右から急にその人たちの間を横切っていく自転車というのも恐怖です。

自転車の運転者を恐ろしい順に並べると、

①一部の若い男性
②かつて若かった女性
③若い女性
④かつて若かった男性、そして、
⑤残りの若い男性

となります。

配偶者とそろって歩いているときに、向こうからやってきた自転車に直進空間を提供するためにばくが道を譲ったとして、それを当然という顔(ないしは無表情)でそばを走りすぎる自転車と、にっこりと微笑んでくれる自転車と、すみませんと声をかけてくれる自転車がいます。先日、同じ状況で、にっこりと笑ってくれた自転車に出会いました。運転していたのは20代なかばの女性。可愛らしいかただったのでよく覚えています。

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2018年7月 5日 (木)

化粧品とコミュニケーション

写真は、この季節になるとアーチに沿ってきれいに伸びるホップ(あの、ビールに使うホップ)です。場所は大通公園という札幌の中心部にある公園です。

20180704

この写真には写っていませんが(写していませんが)、ホップに向かってスマートフォンを構えているぼくの近くで、複数の中国からの家族連れが高級なコンパクトカメラやスマートフォンでお互いに写真を撮りあっていました。地味なホップのアーチの近所には、噴水があり、花壇にはとてもカラフルな花が植えられています。

この公園を歩き続けたり、この公園に隣接する商業地域を歩いていると、あるいは、藻岩山(もいわやま)の麓を経由してきた夜の市電に飛び乗ったりすると、聞こえてくるのはたいていは中国語で、そういう環境にいると、自分が中国のどこかの地域の少数民族の一員であるような気分になります。かりに彼らがしゃべっていなくても顔つきや醸し出す雰囲気で隣の国からの観光客だとわかります。

その異国感を、そしてとくにそれがやや変形した感じのものを味わいたければ、配偶者のお供でデパート一階の化粧品売り場に行くのが最適です。

これは配偶者の受け売りですが、世界の化粧品売り場の中で、日本のデパートの化粧品売り場ほど、顧客への対応と実物説明を含む解説が丁寧で親切なところはないそうです。だから、中国人女性観光客の足が絶えない。

中国語が堪能とは思えない日本人の販売員女性と中国人顧客がどうやって細かいニュアンスを伝えあっているのかわかりませんが、きれいになりたいという気持ちときれいにしてあげたいという意思、そして、本物の化粧品という現実的な媒体とボディ・ランゲッジがあればコミュニケーションは比較的簡単なのかもしれません。

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2018年4月24日 (火)

「#YouToo」という言葉のある種のおそろしさ

「井上ひさし」の小説に平成11年に出版された『東京セブンローズ』というのがあります。旧漢字遣い・旧仮名遣いのこの800ページ近い本は、あまり売れなかったらしく、今は古本でしか手に入りません。
 
この本の帯には『日本語を救った女たちの物語!』『戦局いよいよ見通しのない昭和二十年春のこと、(・・中略・・)そして敗戦、日記はつづく。占領軍は、忌むべき過去を断つべく日本語のローマ字化をはかる・・・。国家、市民、そして国語とは何なのか?』」とあり、これがこの本の主題ですが、本の帯には、同時に、『その驚倒・讃嘆すべき戦下の日常の細密な叙述には、一片の嘘もなく、まじりっけなしの真実のみ』とも印刷してあります。
 
敗戦日をはさんだ東京とその近郊の1年間の市民の日常と心理、B29の空襲警報、サツマイモの雑炊、時折り細い鋭い目をする特高刑事やうさんくさい町会長、隠匿物資の闇取引にかかわる人たちのしたたかさと抜け目なさ、混雑の極みの酒場や銭湯、新しいお上である「濠端(ほりばた)天皇」にあてた一般市民の手紙など、「日常の細密叙述」は圧倒的でほとんど百科全書の趣きです。
 
国や国民がある方向に傾斜していったときに、為政者や官僚だけでなく市民(オジサンやオバサン)の精神構造がどうなるか、日常生活における当時の具体例が満載なので、なかなか得難い資料本として手元においてあります。
 
その中から「オバサン」から「オジサン」へ向けて発せられた批判的発言の例を抜き出してみます。
 
『・・・満蒙(まんもう)は帝國の生命線、昭和維新、高度國防國家建設、非常時の波高し、國民精神總動員、擧国一致、堅忍持久(けんにんじきゅう)、代用品時代・・・』『大東亞新秩序、紀元二千六百年、月月火水木金金、一億一心、大政翼贊、八紘一宇、玉砕、どれもこれもぴかぴかの漢字、かういつた御立派な漢字で天下國家を論じて、それで日本はどんな國になりましたか。少しでも立派な國になりましたか。答えは出ています。すつかりだめな國になつてしまつた』
 
いわば当時の「#MeToo」「#YouToo」メッセージです。「パワハラ」告発メッセージとも解釈できます。
 
しかし、そういう「日本をダメにした」ところの原因であるところのオジサンから、声高なオバサンへの反論メッセージもその小説の中に含まれていますが、オジサンの反論はやや弱々しい。弱々しいのは、オバサンという集団は視野を狭めて一方向に走り始めると、けっこう恐ろしい存在になるということをオジサンは知っているからかもしれません。以下は、その弱々しい反論の例です。
 
『大日本婦人會の襷(たすき)を大袈裟にかけて<進め一億、火の玉だ>と連呼しながら、そこの不忍(しのばず)通りを嬉しそうに提灯行列してゐたのはどこのだれだ』
 
タスキをかけて「進め一億、火の玉だ」と提灯行列していたオバサンも、この文脈では、「#YouToo」の対象になります。つまり、オジサンに投げかけた言葉が自分に戻って来た。お互いに魔女狩りの状態です。
 
魔女狩りや魔女裁判について調べてみると、「マシュー・ホプキンス」という17世紀の魔女狩り活動家(イギリス人男性)が巧妙な方法を考案していました。
 
水は聖なるものなので魔女を受け入れない。つまり、魔女は水に浮く。そういう言い伝えがあった。だから、魔女と思われる人物を紐で縛り上げ、水に投げ入れる。浮かんだら有罪、沈めば無罪とする方法だったそうです。浮かんだら、そこでは死なないけれど、有罪なのであとで死刑になる。浮かなかったら無罪だけれど、縛られて水の中なので、その場合は溺死してしまう(その恐れが高い)。いずれに判定されようと、悲劇が待っています。つまり、ターゲットにされたらおしまい、とまではならないにしてもそうなる可能性が非常に高い。
 
「#YouToo」に関する報道記事を読んで、両者の類似性について考えることになりました。
 

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