植物と花

2020年9月 3日 (木)

枝を手折(たお)る

先日のブログ記事「桜狩り、サクランボ狩り、紅葉狩り」で、次のように書きました。

《「世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」は、折り取られた桜の花枝がそのあたりを歩く(あるいはそのあたりで舞う)人たちの頭髪や帽子(冠)にさされたのがたくさん見られたほうが背景としてはいちばん感じが出ます。もっとも最近は、自宅の庭の桜以外でそんなことをすると少々ややこしいことになってしまう恐れもありますが。》

「世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」は古今集と伊勢物語の中の歌なので、十世紀初めの日本では春のお祝いや喜びに花の咲いた桜の枝が人々の手で折り取られていたらしい。

以下は「方丈記」からの引用です。蛇足ですが、鴨長明はその歌が新古今に十首も入集(にっしゅう)された歌人でもあり十二世紀後半から十三世紀初めにかけての方です。

「かへるさには、折につけつつ桜を狩り、紅葉(もみじ)をもとめ、わらびを折り、木の実を拾いて、かつは仏にたてまつり、かつは家づとにす」(帰り道は、季節に応じて、春なら桜の枝、秋なら紅葉(もみじ)の枝を手折り、ワラビを折ったり、木の実を拾ったりして、それらを仏前にも供え、土産にもする)

草庵に一人で住んでいた彼も、季節の折々には、出先からの帰り道に、ワラビを摘み木の実を拾い、そして桜や紅葉の枝を手折っていました。時間の範囲を控えめに言って九世紀の後半から十三世紀の前半くらいまでは、季節の手折りは、自然の草木と人との当時の関係が滲み出たとても自然な行為だったようです。

今年はなかったにしても、たいていは桜の樹の下の宴会で酔っ払って枝を折り取るオジサンやオニーサンという存在が登場しますが、自然保護にうるさいおばさんもそういうオジサンの行為に対して目くじらを立てることもないのかもしれません。

 


人気ブログランキングへ

 

| | コメント (0)

2020年9月 2日 (水)

札幌のホップの実

札幌(およびその近郊)らしいお酒と言えばビールとウイスキーです――最近はワインも加わりましたが。

以前、「ミュンヘン、札幌、ミルウォーキー、うまいビールの合言葉」という記憶に残るテレビコマーシャルがありました。ドイツのミュンヘンは北緯48度にあり、札幌は北緯43度、米国のミルウォーキーも北緯43度に位置しているので、北緯45度前後で造られたビールは美味いということらしいです。それを否定する証拠もないので、とりあえずそうしておきます。しかし北緯45度あたりで醸造されたビールだけがうまいというわけではありません。サンフランシスコは北緯37度ですが、サンフランシスコのAnchor Steam Beer (アンカー・スチーム・ビア)はとても美味い。その濃い味が後を引きます。

さて北緯43度の札幌ですが、その中心部にある大通り公園では、夏から秋にかけて、いろいろな草花に混じって、ビールの味わいには不可欠なホップもいっしょにアーチに這わせて育てられています。下の写真は昨日のそのホップですが、すでに淡い緑の実がたくさんついているのがわかります。こういう風景を見ると、北緯45度前後の都市とビールの美味さを関連付けるというのはけっこう上手いやり方だったように思われます。

20200901

札幌だと、ホップは自宅でも大丈夫です。ぼくもかつて夏の観葉植物として育てたことがあります。長く伸びていく蔓をどう這わせるかがやっかいですが、それとなんとか折り合いをつけると次の写真のような実がなってくれます。

B2_20120830


人気ブログランキングへ

| | コメント (0)

2020年8月20日 (木)

桜狩り、サクランボ狩り、紅葉狩り

「狩る」とは、ぼくたちの間で継続されている意味は、一般的には、鳥や獣を追い出して捕えるということと、花や木を愛でるために探し求めることです。

「狩る」行事といえば、すぐに思いつくそのひとつは、「桃狩り」「サクランボ狩り」「梨狩り」「リンゴ狩り」などです。「狩る」ということなので実際に木の枝から採る、切り取るという作業が含まれるはずで、だから、ぼくたちは実際にそういう作業をして、出向いたその場(果樹園など)で季節の果実のいくぶんかを味わうのが恒例になっています。

もうひとつの「狩る」は、「桜狩り」、「紅葉(もみじ)狩り」などで、現在の上品な辞書的な意味は「桜花を訪ね歩いて鑑賞すること」あるいは「山野に紅葉をたずねて鑑賞すること」ですが、「狩る」という語を含むので、今よりも人の数も少なくてもっとおおらかな時代には、人びとは、たとえば、桜の枝を折り取り、髪にさしてのどかに遊びたわむれたのでしょう。桜が舞い落ちる毛氈(もうせん)や茣蓙(ござ)の上で、桜の簪(かんざし)の女性を相手にお酒でいい気分になっている花見客の姿も容易に想像できます。

「世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」は、折り取られた桜の花枝がそのあたりを歩く(あるいはそのあたりで舞う)人たちの頭髪や帽子(冠)にさされたのがたくさん見られたほうが背景としてはいちばん感じが出ます。もっとも最近は、自宅の庭の桜以外でそんなことをすると少々ややこしいことになってしまう恐れもありますが。

秋は、桜ではなく、紅葉(色づいた「楓」)の葉や小枝を髪や帽子にさすことになります。その場合、どんな歌が似合うでしょうか。色づいていない下の写真の様な「楓(かえで)」を一葉、散歩の途中で隣を歩いている人の帽子に飾るというのも、のどかでいいかもしれません。「世の中にたえて楓のなかりせば秋の心はのどけからまし」。

917



人気ブログランキングへ

| | コメント (0)

2020年7月 7日 (火)

七月の声を聞くと立ち葵

六月の末には開花までまだしばらく時間がかかりそうな風情だったのが、七月の声を聞くと一斉に咲き始めました。立ち葵です。不思議なくらい季節の推移と同期しています。立ち葵は日本中で見られる夏の花だとしても、ぼくはかってに七月上旬の札幌の花と決めています。それにしても去年と同じ場所から葉を伸ばし開花します。

七月上旬は、見上げるような高いところは夏至の花であるところの「ニセアカシア」の遅く咲く質(たち)の白い花で、人の背丈くらいの高さは歩道や道路際の植栽場の白や赤や淡いピンクや濃いピンクの立ち葵です。まれに黒いのもある。地面に近いところは紫のラベンダー。統一感はありませんが、にぎやかです。その賑やかさが初夏らしい。

こういう言い方は申し訳ないけれど、立ち葵は鬱陶しいくらいにたくさんの数の花を咲かせます。以前は遠慮というものを少しは身に着けてほしいとも思っていましたが、最近は心置きなくどうぞと、ぼく自身の気持ちが少しずつ変わってきました。立ち葵の旺盛を諦め気味に称賛する気持ちになってきたのかもしれません。夏はこれくらい盛んなほうが、短い夏の札幌らしい。

C_20200705201401


人気ブログランキングへ

 

| | コメント (0)

2020年6月25日 (木)

アカシアは夏至の花

アカシア(正確にはニセアカシア)は札幌では夏至の花です。ぼくが勝手にそう決めました。やや黄色味を帯びた白い地味な花です。

「正確にはニセアカシア」と書きましたが、こういう場合の「正確には」という表現もいい加減なものです。植物分類上の名前がたまたまニセアカシアで、そういう場合は似たような植物が他にあってそれが本家のアカシアということになるのでしょう。てんとう虫とてんとう虫だましがいるように。植物や昆虫にとってはいい迷惑です。

ニセアカシアは札幌では本数の多いほうの街路樹で、1万9000本あまり植えられているので、街路を歩けば、6月下旬には写真のような花が咲いたのに出会えます。桜と同じで、全部が一斉に花開くのではなくて、早いのと遅いのがあり、二週間くらいはその地味な花を楽しめます。遅くなるとだんだんと黄色味が強くなってくるようです。

6


人気ブログランキングへ

| | コメント (0)

2020年5月22日 (金)

もうひとつのテイクアウト風ビジネス

下の写真は植えたばかりのハーブ野菜です。左がバジル、右が青紫蘇。近所の花屋さんで購入しました。

20200521

その花屋さんは業務用需要専門で、一般消費者相手に花を小売するといういわゆる花屋さんビジネスはごくわずか。ビジネスの中心はホテルや専用の式場で行われる結婚式や結婚披露宴におけるフラワーアレンジメント需要に丁寧なコンサルティングで対応することです。そのわずかな一般消費者相手の商売のひとつが正月飾りで、我が家の玄関の正月飾りはそのお店のお世話になっています。

結婚式ビジネスそのものが頭打ちになってきたということがそもそもの背景にあったとも想像できるのですが、今回の新型コロナ騒動の休業要請等で、結婚式や結婚披露宴そのものが、従って花の需要が急激に少なくなったのでしょう。気がついたらジャスミンやラベンダーといった季節の鉢植えと黒いポットに入った野菜の苗も販売し始めていました。小売りの範囲を広げたとも言えるし、テイクアウトビジネスに乗り出したとも解釈できます。テイクアウトは食べ物屋とは限らない。

で、タネをいつものタネ専門店にネット注文したばかりですがそれはそれで今後必要なので、バジルと青紫蘇の苗をホームセンターなどよりは高い値段で買って応援です。ボリュームのある野菜にバジルと青紫蘇とそれから(これはタネから栽培中の)ルッコラと組み合わせて自家製の塩麹風味のドレッシングを振りかけるとそれなりの野菜サラダができ上がります。


人気ブログランキングへ

| | コメント (0)

2020年5月19日 (火)

リラ冷え

札幌では5月中旬から下旬にかけて肌寒い日があります。薄いコートがないと外を歩けないくらいの肌寒さです。室内でも重ね着をする。そういう寒さを「リラ冷え」と呼んでいます。

「第62回さっぽろライラックまつりは、大通会場は令和2年5月20日(水)~31日(日)の12日間、川下会場は令和2年5月30日(土)、31日(日)の2日間で開催を予定していたところですが、現在全国的に拡大している新型コロナウイルス感染症の状況を鑑み、来場者や関係者の皆様の健康・安全を第一優先に考え、大通、川下両会場ともに中止することを決定いたしました。」(主催者の発表)

今年のライラックまつりは中止です。ライラックは札幌市の市の木です(ついでに市の花はスズラン)。市の木なので、季節になると、公園に限らず近所のそのあたりの歩道や道路際で、あるいは家庭の庭先で、紫や濃淡の具合がいろいろなピンクの花を咲かせます。白いのも少しいる。

この記事を呼んでらっしゃるかたがわざと混乱するような書き方をここまでしてきたのですが、「リラ」と「ライラック」は同じものです。しかし「リラ冷え」とは言いますが「リラ祭り」とは言わない。「ライラックまつり」とは称しますが「ライラック冷え」という表現は使わない。何故かは知らない。習慣です。

リラはフランスでのこの木の呼び名です。この木の英語名がライラックです。フランスで「リラの咲くころ」と言うのはいちばん気候の良い時期のことだそうですが、緯度の高い、湿気のない札幌だとその気持ちが手に取るように実感できます。「リラ冷え」くらいの寒さが混じる方が外気は心地いい。

軽やかなソメイヨシノタイプの桜が終ると、重い感じの八重桜とそれなりに華やかな桜桃が続き、そのあとライラックが桜よりは長い間咲き続けます。

下に、リラ冷えを感じさせる早朝の街路樹のライラックと、ライラックと同じ時期かたいていはそれよりも前に咲き終わる家庭鑑賞用の白い羽衣ジャスミン(近所の花屋で買ったもの)を並べておきます。

_0517d-s_20200517075101 May-bs


人気ブログランキングへ

| | コメント (0)

2020年5月15日 (金)

能と居眠りとフリージャズ

札幌では二か月近く前からStay Homeの霧が立ち込めていて晴れそうでいてなかなか晴れません。その霧の中で過ごすにはいい機会なので「能」を集中的に観てみました。「井筒」「葵上」「実盛」「安達原(黒塚)」「砧」「道成寺」「俊寛」などです。以前からも能はその時々の興味と必要に応じてDVDやテレビ放送などで観ていましたが、これほど集中的には時間を使わなかった。

能楽堂に出かけるわけにはいかないので(札幌にはないとしても)、以前から持っていたDVDや今回購入したDVD、かつてテレビ放送されたのを録画しておいたのを続けて再生します。インターネットに曲の全部がまとまって(あるいは分割されて)アップロードされているのもあり、それらも利用します。そうすると同じ曲でも複数の能楽師や囃子方や狂言方の演技の違いをその場で続けて楽しめます。

とまれ、詩や和歌が詠うものであるように、能は舞うもの謡うもので、音声表現されたシテ・ワキの科白や地謡の言葉としての存在感と、笛と小鼓・大鼓という楽器の持つ浸透力の強さを改めて認識することになりました。

先日ある能関連の本を読んでいたら、一般的な観客として能を観賞するとはどういうものかを実に的確にまとめた一節に出会いました。その一節を以下に引用します。

「能楽堂に行って聞くともなしに能の囃子(はやし)を聞いていると、段々眠くなってくる。(中略)時々薄目を開けて舞台を見ると、さっきと同じところにシテが座っている。また目を閉じてしばらくすれば能は終わっている。これがお能の鑑賞である。」(多田富雄「死者との対話-能の現代性」

たしかに能の囃子とゆったりとした科白を聞いていると夢幻能タイプでも歴史物語風でもいつの間にかウトウトしてきます。しかし「霊」や霊的なものが主人公のものであってもウトウトとは縁遠い曲もあって、六条御息所の「生霊」が登場する「葵上」や男性にすげなくされた女性の「死霊」が登場する「道成寺」などはウトウトする暇がない。

とくに「道成寺」の「乱拍子」などは名手のプレイするモダンジャズないしはフリージャズに近い。山下洋輔トリオの、ピアノとアルトサックスとドラムスがお互いに相手にどう反応し合って次にどう展開していくのかその両者(ないしは三者)の緊迫感に、ジョン・コルトレーンの「マイ・フェイバリット・シングズ」におけるソプラノサックスの官能性が加わったような世界を、道成寺におけるシテの舞と謡と小鼓と笛は、能舞台空間に創り出します。

今回観ることができなかったのが金春禅竹(こんぱるぜんちく)作の「芭蕉」。舞台は中国。(バナナの親戚であるところのつまり植物の)芭蕉の精が女性となって、僧侶の読経を、夜毎、そっと聴きに来るという内容の能です。しかし生の無常をずっと感じ続けてきたらしいその女性は、冴えわたる月光の下、静かにゆったりとした舞を舞い、舞いの後は、吹き荒ぶ秋風とともに消え去ってしまいます。僧侶の前には破れた芭蕉の葉だけ残されていたそうです。

この「芭蕉」の名演を収録したDVDがあれば欲しいと思っているのですが残念ながらこの曲は人気がないのかどこにも見あたらない。能のDVDには古い名演の録画が多い。しかし音楽やオペラや映画のDVDと違ってともかく値段が半端なく高い。

関連記事は《「井筒」と「死者への七つの語らい」》。


人気ブログランキングへ

| | コメント (0)

2020年5月14日 (木)

桜桃(サクランボの樹)・補遺

桜桃はその実であるサクランボに目がいってしまい、札幌では八重桜と時期が重なりながら桜桃の花を今まではとくには意識したことがなかったので、今年は新しい流儀のお花見です。桜桃は桜というよりも梅に近い。見方によっては華やかだけれど、重い雰囲気の八重桜のそばだと白い控え目な花となります。

0513-a

サクランボの産地であるところの山形県・寒河江(さがえ)市のウェブサイトには「さくらんぼ大百科事典【さくらんぼの歴史】」と題する箇所があり、そこから一部を引用すると、桜桃が日本で初めて植えられたのは北海道南部だったようです。そこからすぐに山形に桜桃が移植され栽培が始まった。

Photo_20200514075901

七飯(ななえ)町は、函館の北側にある町ですが、そこから、余市、仁木、札幌とサクランボが伝わってきた。そういう歴史を背景に、誰かの明確な意思のもとで、札幌の街路樹の一本としてサクランボの樹が植えられた。と考えると、散歩の途中になぜ桜桃があるのかも腑に落ちます。

「札幌市街路樹種別一覧」によると札幌市内には「サクラ類」が9100本あります。この「類」のなかに「桜桃」が含まれているとしても、具体的な本数はわからない。


人気ブログランキングへ

| | コメント (0)

2020年5月11日 (月)

遅咲きの八重桜と満開の桜桃を楽しむ

札幌だとお花見が始まるゴールデンウィークにさしかかるあたりは、今年は、スマホを片手にそばをさっと通り過ぎるだけでお花見にはわずかな時間しか割けませんでした。ゆっくりと桜という空気ではどうもなかったからです。その頃が満開であるところのソメイヨシノは今やすっかりと葉桜になってしまいました。葉桜の若い緑は花びら以上に目に沁みるにもかかわらず、葉桜見物というのはどうも人気がない。

というわけで、一昨日(先週の土曜日)に、人通りが閑散としたあたりを配偶者とゆっくりと散歩しながら、葉桜見物も兼ねて、一週間から十日遅れのお花見です。遅咲きの「八重桜」がそれなりに目に入り、ちょうど六分から七分咲きくらいの按配で濃い目の色合いの花が枝に溢れていました。

それから、その存在が札幌市内では珍しいところの「桜桃(おうとう)」が満開に近い状態で白い花を咲かせているのにも出合いました。桜桃も含めて、お花見です。北海道でも果樹栽培の盛んな仁木や余市(ウイスキーの生産地でもある)では7月にサクランボ狩りが楽しめるので、そのサクランボ園から車で2~3時間の距離であるところの札幌の一部で桜桃に遭遇しても別に驚くことではありません。

最初の写真が六分から七分の「八重桜」、二番目が満開の「桜桃」です。今年もお花見ができました。

0509

0509_20200510083601


人気ブログランキングへ

 

| | コメント (0)

より以前の記事一覧