情報処理

2020年11月 6日 (金)

ネットワークスピーカーという家庭内インフラは音楽に関してはそれなりに便利

ある程度以上のステレオ音質で音楽が鳴るネットワークスピーカーという家庭内インフラ(というか家庭内プラットフォーム)を先日導入した、それなりに利用しています。ただ我が家のネットワークスピーカーの「スマート」スピーカー相当部分は、あまりスマートではないので、その使い方は外出前に「外の気温は何度?」と聞くくらいです。その種の問いにはきちんと答えてくれる。

そういう音のインフラがなかった時には宝の持ち腐れであったところの、ある通販サイトの音楽配信サービスを――会員は一定数の楽曲の視聴やアルバムのダウンロードは無料――今は使っています。その一定数の中には、以前持っていたLPレコードで途中で処分し、その後CDも購入しなかったアルバムや購入し忘れたアルバムが入っていたりもするので、そういうものを中心に楽しんでいます。

動画配信サイトに投稿された音楽ライブを鳴らすのも悪くないのですが、動画が混じるとタブレットやスマホの電力消費が想定以上に大きいので、音楽だけというほうが充電用機器には具合がいい。

昨日はタクアンの漬け込み作業を配偶者といっしょにやりながら、その音楽配信サービスでダウンロードしたピアノトリオのジャズや女性のジャズボーカルを聴いていました。

天日干し後の大根の総乾燥重量が12.5kgだったので、ためしに「12.5kgの4%は何グラム?」とそのスピーカーに「塩」の量を質問したらそのスピーカーに入っている担当の女の子は混乱してしまったようです。苛めてはいけません。


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2020年10月30日 (金)

リンゴの「旭」あるいは McIntosh Red

下の写真は、北海道・増毛(ましけ)町産の「旭(あさひ)」です。元の名前は McIntosh Red。カナダへ移住したスコットランド人のJohn McIntosh氏が19世紀の初めに移住先のカナダの森林で野生のリンゴを発見し、それを自分の農場に移植して育成、自分の名前をとってMcIntosh Red と名付けたそうです。

日本には、カナダから、1890(明治23)年に当時の札幌農学校(現在の北海道大学・農学部)にやってきました。明治25年に「旭」と名付けられた。なぜ「旭」という名になったのかは調べてもわからない。

Mcintosh-red-2020b
            北海道・増毛町産 「旭」

その「旭」ですが、北海道でも「旭」を栽培しているのは増毛町だけのようです。北海道の他の産地のものにはお目にかかったことがありません。青森では生産しているらしい。リンゴは品種改良や交配がそれなりに盛んな果物ですが、「旭」は日本にやって来てから品種改良をされていない稀有な種類だそうです。原種が130年間維持されています。

熟した「旭」は香りがいい。香りがよくて強い。匂い立ちます。数個を部屋に置いておくと部屋が「旭」の甘い香りですぐにいっぱいになる。

味は酸味が強く、濃い。果肉は柔らかい。「旭」を使ってアップルパイを焼いてみました。酸味は「紅玉」以上ですばらしい。そして柔らかいので煮崩れしやすいところは「紅玉」を超えています。

「旭」(McIntosh Red)は、痛快まるかじりの生食か――ぼくにとっては痛快な味ですが、酸っぱいので、ただ甘いのが好きな「おんなこども」向きではありません――、加工するならジャムです。パイには適していません。

「AppleコンピュータのMacintosh」は「リンゴのMcIntosh」とはわずかにスペルが違います。ぼくは、以前(インターネットが普及する前であるところの以前)、「SE/30」というMotorola 68030という石を搭載したモデルを使っていましたが、製品ロゴは確かにMacintoshという綴りでした。フロッピーディスク・ベースでハードディスクは外付けです(写真参照、写真の「SE/30」はカラー画面対応にアップグレードされていますが、もともとは白黒画面のCRTでした。ただし筐体は当時と同じです。写真はネットでお借りしました。この場を借りてお礼申し上げます)。当時も無償のツールや有償の「単機能アプリ」がMacintosh市場に溢れていて、そのあたりの状況はiPhoneと似ています。

Mac-se30-upgraded-2010


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2020年10月23日 (金)

宅配便も種類によっていろいろとややこしい

ウェブサイトなどのオンライン処理だと硬い(つまり自由度の少ない)システムで埒が明かないので――ぼくの感覚ではということですが――、近所の配達担当郵便局に電話です。午前8時以降なら電話は通じます。

 「荷物はすぐそばの配達担当郵便局までこの夜中に届いているので、荷物のお届け日時を当初の指定よりも早くしていただきたいのですが・・」
 「お問い合わせ番号はおわかりですか」
 追跡番号というか荷物の問い合わせ番号というか、それを答えます。
 「お客様はお受け取りの方ですか」
 「そうです」
 「申し訳ありませんがお届け日の前倒しは、発送元でないとできないことになっていますので、発送元にそう依頼していただけませんか」
 「品物はすぐそばの郵便局にあるのですが」
 「そういう規則ですので」と、電話対応の女性はそっけない。こういう種類の《迷惑》電話はきっと多いのでしょう。
 「うーん、そうですか、わかりました。」

しかたないので郵便局の宅配便を利用しているところのその発送元に電話をし、前倒し依頼です。この点に関しては競合他社と比べると柔軟性がない。システムフローをそういう風にせざるを得ないような事件や事情がかつてあったのでしょうか。それとも有職故実でしょうか。

 「注文日から一週間先かそのあとしかお届け日時を指定できない仕組みだったのでそうしましたが、荷物は既に近所の郵便局に届いているので、配達の前倒し依頼をお願いしたいのですが・・・」とぼくから発送元に事情を説明すると、すぐに対処してくれました。

 「お客様、そういう場合は、お届け時間帯は指定されても、お届け日を指定せずに空白のままのほうがお届けが早くなることが多いです。日にちを指定をされても、ご注文時のコメント欄に、配達はできるだけ早く、とでもお書きになっていただければそう対応いたします。」

配偶者にそのあたりのことを聞くと、そんなのあたりまえじゃない、という顔をされました。そういうノウハウはぼくに既に懇切丁寧に伝達済みだそうです。


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2020年10月15日 (木)

ステレオネットワークスピーカーの音の楽しみ

ステレオ仕立てのネットワークスピーカー(スマートスピーカーとも言いますが)を買ったので、当たり前のことを遅ればせながら楽しんでいます。

ダウンロードした音楽やYouTube上の音楽をPCやタブレットの組み込みスピーカーではなくもっといい音で気軽に楽しみたいというニーズに対応するために(あるいはそういうニーズを創り出すために)、情報端末のそばに置いたり、あるいは邪魔にならない場所に配置することのできるネットワークスピーカーが登場し、現在はその中でステレオ再生装置としてもそれなりに機能する品質の製品も出てきました。だから我が家でもそういうもののひとつを先日、慎重に選んで、購入したわけです。

CDなどから音楽管理ソフトを利用してタブレット端末に取り込んだ音楽をステレオ仕立てのネットワークスピーカーで気軽に鳴らすという楽しみは予定通りですが、CDでは手に入らないし商用ダウンロードサービスの対象にもなっていないライブ演奏でYouTubeにアプロードされているものがあります。その中にはひどい録音のものもあるとしても、演奏者やその関係者がおそらくプロモーション活動の一環として専門家の手で纏め上げたのも少なくありません。そういうのは音もいいし映像も美しい、あるいはきちんとしている。

で、そういうものの中から気に入ったのをネットワークスピーカーで再生しています。そういう使い方にはこの賢い音響再生装置はとても便利です。

昨晩は Storm Large という(いささか愉快な)名前の女性歌手の歌を続けて何度も楽しみました。そのうちのひとつは、Pink Martiniのゲストシンガーとしての歌唱。場所は夏のシアトル。2011年。彼女の声の艶がとてもいい。踊りもいい。


  Pink Martini - Amado Mio | Live from Seattle - 2011

もうひとつは、2014年。シアトルのライブミュージックホールでの演奏。この投稿動画ではシンガーソングライターとしての彼女の歌を楽しめます。

Storm Large - A Woman's Heart (Live at the Triple Door, Seattle, 2014)


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2020年10月13日 (火)

三世代の料理用温度計

三世代の料理用温度計です。

Photo_20201009194101

いちばん左が第一世代。配偶者が小学生の時に買ってもらった理科の雑誌のおまけだったそうです。なつかしい感じのアナログ温度計で数年前までは我が家の台所で現役でした。目盛りはマイナス20℃から110℃。じつに物持ちがいい。

まん中が第二世代。デジタル温度計です。10年ほど前に購入。下の白い細長いキャップを取ると長い針状になっており、それを対象物(調理中の料理など)に差し入れて温度を測ります。コイン型のリチウム電池を使い、測定範囲はマイナス50℃から250℃。欠点は、短いので熱いのを測りにくいというのを別にして、第一世代と同じで、料理と接触する測定部分を測定直前に熱湯消毒する必要があること。測定時間と表示周期は1秒と短いものの、瞬間的には測れない。

いちばん右が、買ったばかりの第三世代の料理用温度計で、非接触測定のデジタル表示です。測定範囲はマイナス30℃から400℃まで。単4乾電池2個で稼働し、調理中の料理に向けて(近づいて)ピッとやるとけっこう正確に測れます。熱湯消毒の必要もないし、ほぼ瞬間的に対象物の温度を表示してくれます。

こうした料理用温度計を我が家で何にいちばん頻繁に使うかというと、熱いものなどもいろいろ測るとしても、大根の「べったら漬け」を作る時です。

縦に二つに切った大根のまとまった大きさの切り身を塩漬けにしたのを、わずかな塩と唐辛子と柚子を加えた「甘酒」に、五日から一週間くらい漬けこんでおくと、「べったら漬け」ができ上がります。軽い塩味と軽い甘みが特徴の、タクアンなどとは方向のちがう軽快な感じの漬物です。

つまり、「べったら漬け」には「甘酒」が必要です。

では「甘酒」はどうやって作るかというと、原料は米麹(こめこうじ)と白米(炊きたてご飯)。米麹と少し冷ました炊きたてご飯を混ぜ合わせて温度を60℃くらいに維持してやれば半日(10時間くらい)で甘酒ができ上がります。シンプルな発酵プロセスです。ただし麹(こうじ)菌は70℃以上だと死んでしまうので温度管理が重要です。そこで活躍するのが写真のような料理用(ないしは理科実験用)温度計です。

しかし実際に温度測定に細かく気を遣うのは、米麹と少し冷ました炊きたてご飯を70℃未満で混ぜ合わせるという発酵工程の最初の段階だけで、そこを無事通過すれば、あとは発酵温度を60℃くらいに保ち続ける電気調理器具がその後の半日の面倒を見てくれます。

20190612  
           べったら漬け


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2020年9月29日 (火)

スマートスピーカーをペアでステレオスピーカーに

誰が言い始めたのかは寡聞にして存じませんが、OS(オペレーティング・システム)搭載の機器や器具をスマート云々と呼んでいます。携帯電話がOSを持つとスマートフォン、スピーカーにOSが組み込まれるとスマートスピーカーという具合です。その状況をAI機能搭載などと過剰広告に近いようなメッセージで形容するところもありますが、それはご愛嬌として受け取ります。

OSやその周りの関連ソフトウェアがもっと大きな対象にビルトインされて更新されていく状況を拡張・拡大していくとスマートカーやらスマートハウス、スマートシティーということになりますが、ぼくは不便な環境(つまり、スマートでない環境)というのもけっこう好きです。

音のいいステレオ再生装置として機能するネットワークスピーカーというのを探していました。スマートスピーカーはカテゴリー的にはそのうちのひとつです。小型で配置が自由で価格も穏当なものが対象です。

CDをセットしてこれからいい音楽(たとえば、アンナー・ビルスマの「バッハの無伴奏チェロ組曲」、あるいは菊地雅章の「黒いオルフェ~東京ソロ2012」など)を堪能するという感じで音に向き合う場合は、従来通りの再生装置の前に坐るに如(し)くは無い。

しかし、そういうのが面倒な場合や何かを作業しているときのBGMとして特定の曲やアルバムを聴きたい場合に、購入した多数のCDの中の曲をすでにPCやタブレット端末の音楽管理ソフトに取り込んであるときは、その音源を利用したほうが簡単だし便利です。従来の再生装置はそういう具合にはいかない。だからステレオ仕立てのネットワークスピーカーが追加的に必要ということになるとしても、音のひどいもの――このなかには設計者の作為が過ぎているような音も含まれます――には興味がありません。

このブログでは工業製品やソフトウェア製品に関してはあまり特定の商品名を出さないようにしているのですが――例外は農産物や食材で、北海道産の「ゆめぴりか」や「大豆」、奈良県産の「南高梅」、福井県で作られた「干し昆布」、大阪の「塩昆布」といった書き方はよくします――、ここではその私的規則から外れます。

ぼくにとっていい音を出すスピーカーの個人的な基準は、B&O (Bang & Olufsen) 製の(今は中古でしか手に入らない)BeoLab8000のような官能的な臨場感に溢れ、澄んだ歯切れのいい音を出すもので、ネットワークスピーカーも何となくそれに雰囲気が近いものが望ましい。

で、時間をかけて複数候補の現物の音を聴いて、落ち着いた先はAppleのHomePodのペアでした。白いのを選んだので淡いベージュの壁に溶け込みハードウェアとしての存在感が希薄なところも――つまり、音楽だけがどこかわからないところから湧いて出る感じ、スピーカーが論理的な存在になったような感じも――悪くありません。

 


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2020年9月23日 (水)

ネットワークスピーカー候補を引き続き調査中

久しぶりにオーディオコーナーでスピーカーの視聴」の続きです。

オーディオメーカーの中にはソフトウェアに弱いところもあるので、そういうところの製品(ここではネットワークスピーカー)でハードウェア機能的にはすぐれものがあってもそれが売れ筋でないとソフトウェア更新も遅れ遅れになり、そのうち捨て置かれてしまい、やがて製品カタログから消えてしまう(つまりサポートの提供も消滅する)というのは十分に予測される事態です。そういう事態が予測されるものは選択肢から外します。

スマートフォンやタブレット端末に組み込まれている機能のひとつに音声インターフェースというかおしゃべりインターフェースというか、そういうものがあります。そういうものについてのぼくや配偶者の評価は低くて、何かの具合で間違えてそれが機能し始めるとぼくから出る声は「うるさい」「しゃべるな」「黙ってろ」「お前は本当に頭が悪いね」くらいです。ぼくはまだそこまでの時間を取ってあげる親切心がありますが、配偶者はまったくのシカトです。

そのおしゃべりインターフェースを活用するために開発されたのが、宣伝等によればスマートスピーカーと呼ばれるものらしいのですが、我が家にそういう騒音インターフェースを利用するというニーズはありません。

しかし、です。そのスマートスピーカーを2台、ペアで組み合わせて左右に割り振ればけっこう音の良いステレオスピーカーとして使えるものがあるらしいことに気がつきました――実際は配偶者がそれに気がついてぼくに教えてくれたのですが。スマートスピーカーのおしゃべりインターフェースにはまったく興味はありませんが、そちらの、いわは設計製造販売会社にとっての副次機能にはとても関心があります。売り場で、ステレオ仕立てで音が聴けるかどうかはわからないにしても、一本なら、音の具合をゆったりとした空間で確かめられそうです。

連休中は「人混みを離れて」を実行していたので出かけたのはご近所野菜の購入と速足散歩くらいでした。売り場が暇そうな曜日を選んで好みの音楽を試聴してみるつもりです。


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2020年9月15日 (火)

久しぶりにオーディオコーナーでスピーカーの視聴

先週末に、あるお店のオーディオコーナーでスピーカーの視聴をしてきました。視聴したのはネットワークスピーカーと呼ばれているタイプです。実際に音を感じてその音の流れを浴びてみないとそのスピーカーの音の塩梅が実感できません。で、好きな音楽を選択的に保存してあるところのスマートフォンを持参していくつかの製品を視聴です。

先日「従来タイプのステレオスピーカーは若い人には絶滅危惧種?」で次のように書きました。

「最近人気のワイアレススピーカーというのかネットワークスピーカーというのかについてざっと調べてみました。音に対するニーズの変化がなんとなくわかりましたが、提供される音そのものの質が変わったとも思われません。凄く割り切った書き方をすると、ワイアレススピーカーを利用して家庭内のいろいろな場所でスマートフォンやテレビを媒体に室内に心地よく拡がる音を楽しみたいので、別にステレオである必要はない、モノラルでも構わない、ということみたいです。もちろん、ステレオ仕立てのワイアレススピーカーもありますが。」

それはネットや雑誌などで調べた情報で、自分の耳で感じたものではないので、実際のネットワークスピーカーなるものが出す音に、つまりそのライブ感(たとえば、すぐ目の前で人が歌い、すぐその隣でピアノの音がその声に絡む)に自分の耳がどう反応するか、それを確かめたい。勝手に視聴できるのはBluetooth経由という環境に限定されますが仕方ありません。

モノラル仕立てのものは、どうハードウェアとソフトウェアの音響技術を駆使してサラウンドスピーカー風に仕立てようと、やっぱりそういう種類の音でしかないようです。ぼく向きではない。あるいはその場で一緒に音を聴いた配偶者向きでもない。ステレオ仕立てのものにはそれなりに心を動かされるの音を出す(出しているらしい)ものが二つほどありましたが・・・。

そういうネットワークスピーカー環境が今までの音と比べてアップサイジングになる人にとってはモノラルであっても低音の豊かなスピーカーになり、その環境が相当なダウンサイジングになる人にとっては、その製品の物理的な大きさなども考慮してどこでその音と妥協するかが問題になる、ということのようです。

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2020年9月 7日 (月)

天気予報用語に関する違和感のことなど

自然災害は人為的には抑制できないので災害をもたらす大きな台風などはないに越したことはないのだけれど、気象庁担当者や気象予報士が近頃頻繁に使う「『観測史上最大の』風速」という類の表現の意味というか、そういう曖昧な表現を使う意図がよくわからない。

災害回避について国民の注意を喚起するために大げさな言葉を使いたいというのならわからなくもないのですが、なら、もう少し具体的な年数で表現して欲しい気がします。もっともそういう予報の中では、過去のいくつかの「最大風速」事例も紹介してくれるので、観測史上というのはここ数十年のことらしいというのはその結果としてわかります。

気象庁担当者や気象予報士の口調からは、「観測史上最大の」が「過去1000年間で最大の」ということはあり得そうもないので、そうなら気象台(ないしその前身機関)が明治5年(1872年)に函館で発足して以来なら例えば150年、地域によって気象台(や、その前身機能)の設置時期は違うのでその地域で観測が始まって50年なら50年間で最大のと言えば、ひとは比較対象をそれなりに想定できるのでよりわかりやすいのに、と思ってしまいます。それが年寄りの「生まれてからそんなことは経験したことはない、従って今回もあり得ない」という思い込みに陥る欠点はあるにしても。

日本で文字が使われた歴史を背景尺度にするのなら50年や100年は一瞬ではないししても、地球や日本のマクロな気象変化を言うなら50年や100年は一瞬です。その一瞬がどの程度の範囲や長さの一瞬なのか、「観測史上最大」ではよくわからない。

こういう物わかりの悪い国民の気持ちが届いたのか、直近(9月5日)の気象庁と国土交通省の台風10号に関する記者会見では「(南九州の)これらの河川では、おおむね100年に1度の雨量を想定した河川整備計画を進めていますが、7日正午までの24時間雨量の見通しでは、多いところでこの計画を上回る雨量が予想されています」とメッセージに「年数」が入ってきました。しかし「100年に1度の雨量を上回る雨量」という表現も街頭政治演説みたいでよくわからない。

「国交省や気象庁が各地域や河川流域で想定している24時間最大雨量を超える雨量が今回の台風では予想される」ということなら、それぞれの危険地域の想定雨量と予想雨量を明示しながらそう説明してもらうと少なくとも僕は理解しやすい。それから「(令和2年の時点で現在生きている日本人が)経験したことのないような大雨が予想され、河川の越水が十分考えられる」というような説明も「観測史上最大の」よりは理解しやすい。

40万年前に遡れば、地球の気温は10万年ごとの周期で同じような形の波――気温はある値(あとでこれを平均値と名付けるとして)から4度程度上昇して偏差がプラス4度になり、またそこから8度くらいぐんと下降して平均値からの偏差がマイナス4度になるという形の波――を形成していますが、それも地球物理学者の観測値ではあるのでそこまで遡る観測値というのもあり得ます。風速や雨量にもあるいは同じような代替観測値が存在しているかもしれません。

現在の地球は温暖の頂点(ないしそれに近いところ)にいるようです。風速や雨量をはじめ「異常気象」なるものの原因説明に困るといささか便利なので「地球温暖化現象」に逃げ込む気象予報士のかたもいらっしゃいますが、気温が頂点にいるということはこれから下がり始める可能性がとても高いということなので、寒冷化や氷河期への突入が嫌いなぼくとしては、カーブの反転は望みません。

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2020年9月 1日 (火)

「徒然草」は、今風に言えば、「出家おじさんブログ」

「徒然草」は全部で二百四十三段なので、一日一段で二百四十三日で終了というのでなくても、長いのは三日ほどかけて書くかもしれないし、休みの日もおそらくあるので、今様に云えば、十四世紀の前半の半ばくらいに(詳細ははっきりしないにしても)、一年くらいかけて書き続けられた人気の高い「出家おじさんブログ」ということになるかもしれません。

「徒然草」は、現在も国語教科書の定番だそうです。下の写真はあるウェブサイトでお借りした「中2国語」教科書の中の関連ページです(写真の引用についてはこの場を借りてお礼申し上げます)。

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おじさんも年齢を重ねるといろいろと理由はあるにせよ、出家していてもいなくても、今よりも昔のほうにより大きな価値と深い美しさを見るようになるようです。徒然草にもそういう例は少なくありません。たとえば

* 「この比(ごろ)の歌は、一ふしをかしく言ひかなへたりと見ゆるはあれど、古き歌どものやうに、いかにぞや、ことばの外(ほか)に、あはれに、けしきおぼゆるはなし」(この頃の歌には面白く言い得ていると見えるものはあるが、昔の歌などのように、言外に情趣深く余情を感じるものはない。)(第十四段)

* 「なに事(ごと)も、古き世のみぞしたはしき。今様(いまやう)は無下(むげ)にいやしくこそなりゆくめれ。かの木の道のたくみの造れる、うつくしき器物(うつはもの)も、古代の姿こそをかしと見ゆれ」(何事でもすべて古い時代ばかりが懐かしく思われる。今の世は何とも言いようのないほど下品になっていくようだ。あの木工の造った美しい器物も、古風な姿のものがすばらしいと思われる。)(第二十二段)

* 「そのうつはもの、昔の人に及ばず」(今の人は、その器量が昔の人にかなわない)(第五十八段)

とかです。

中学や高校の教科書に載るというのは世間や教育界で高い評価が定着しているということになりますが、小林秀雄は教科書や参考書の解説とはずいぶんと違う意味合いで「徒然草」を褒め、本居宣長は、兼好法師のもののあわれの理解はいかがなものかと批判的です。

小林秀雄の著作からその部分を引用すると

「兼好は誰にも似てゐない。・・(中略)・・文章も比類のない名文であって、よく言われる枕草子との類似なぞもほんの見掛けだけの事で、あの正確な鋭利な文体は稀有のものだ。一見さうは見えないのは、彼が名工だからである。『よき細工は、少し鈍き刀を使ふ、といふ。妙観が刀は、いたく立たず』、彼は利き過ぎる腕と鈍い刀の必要とを痛感してゐる自分の事を言ってゐるのである。物が見え過ぎる眼を如何に御したらいいか、これが徒然草の文体の精髄である。」(「徒然草」)

と静かに歯切れよく称賛しているのに対し、本居宣長は

「けんかうほうしがつれづれ草に、花はさかりに、月はくまなきのみ見る物かはとかいへるは、いかにぞや。・・(中略)・・さるを、かのほうしがいへるごとくなるは、人の心にさかひたる、後の世のさかしら心の、つくり風流(ミヤビ)にして、まことのみやびごゝろにはあらず、かのほうしがいへる言ども、此のたぐひ多し、皆同じ事也」(「玉勝間」)

と相当に辛口です

日本文化の中で自分の気に入ったところをとくに取り上げて誉め、自分の気に入らないところを集中してけなす、ということかもしれないにしても、小林秀雄と本居宣長の二人の美意識の違いには興味深いものがあります。

そのことに関連して、山崎正之の《「古事記伝」私考》に次のような一節があります。二人の好みの差(というか、共感や理解のしかたの差)が徒然草の評価にも反映されているようです。

《かつて小林秀雄氏が折口信夫博士を訪ねての帰り、大森駅まで送られて来たときにいきなり博士に「小林さん、本居さんはね、やはり源氏ですよ、では、さよなら」と言われたという。

このことについて山本健吉氏は、

宣長の美意識の中心には、王朝文学、ことに源氏物語がどっかと腰をおろしていた。それは古事記的なるものよりも、宣長の心の奥深く根づいている。彼の古事記伝には、ややともすると源氏によって養われた美意識、言語感覚が顔を出す。いや、あまりにしばしば顔を出す。そのことを言おうとされたのであろう。そして、彼の古道意識よりも、「もののあはれ観」の方が、宣長を知る人に大事な命題であることを言おうとされたのであろう。

と記している。》

 


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