雑感

2021年2月24日 (水)

冬のシャクナゲ

シャクナゲ(石楠花)は常緑広葉樹です。奈良の室生寺などでは手入れのされたその常緑広葉樹の姿を数多く堪能できます。しかしシャクナゲは比較的に温かい地域だけが好きというわけではなく、札幌のような雪の多い寒冷地にまで分布しています。シャクナゲの原種は亜寒帯から熱帯山地に分布し、ネパールや中国の雲南省にも多くの種が存在しているそうなので、札幌もそれなりに好みの土地のひとつなのかもしれません。

落葉広葉樹は雪の季節には雪の重みで倒壊しないように葉を落としますが、常緑広葉樹は葉をつけたまま越冬します。だから雪の地域ではシャクナゲの葉にも雪が積もります。

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雪は気温が氷点下にならなくても降るので、ただ雪が降ったくらいではシャクナゲの葉は広葉樹らしさを失いません。しかしもっと寒さが厳しくなって氷点下5~6℃やマイナス10℃の凍りつくような日々が続くと、シャクナゲは広葉樹らしい幅広の葉を針葉樹のように細くしぼませて寒さを乗り切ります。人が身をこごめて寒さに対応するようなもので、植物の生活の知恵です。

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そして、ぼくたちにはまだコートが必需な時期でも、高い山地も大丈夫な「しゃくなげ」にとって心地よい温度になると、それまで細く閉じていた葉を、本来の広葉樹に戻って葉の表面積を大きく広げます。

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冬の間観察していると、シャクナゲは葉を細く閉じたり広く開いたりしながら、温度差を乗り切っているようです。

 


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2021年2月22日 (月)

とても小さい活字の文庫本を何冊か処分

先週、古い文庫本を20冊くらい処分しました。古いので捨てたのではなく、もう読み返すこともないと判断してゴミ扱いをしたのでもありません。購入してざっと目を通しその後僕と一緒に何度か引っ越しをしながら本棚で座り続けていた単行本や著作集を30年ぶりに読み返すといった事態は(しばしばではないにせよ)それなりに発生します――何かの物理的ないしはその他の都合で捨てていなければ。

その処分した20冊というのは、文庫本(岩波文庫・新潮文庫・中公文庫・ハヤカワ文庫など)と新書版(岩波新書・中公新書・講談社現代新書など)だけを集めてある本棚に並べてあったとても活字サイズの小さい、従って紙の色も経年変化した文庫本の小説類です。読めなくはないけれど、たとえば読み返すかもしれないし参照用にも保管しておきたい(たとえば、プラトンの「饗宴」、あるいは「古事記」)という種類の文庫本ではない。

伊丹十三「女たちよ!」(文春文庫)はなかなか刺激的なエッセイ集です。出版年が古く、処分した小説と同じように驚くほど小さい活字が並んでいます。電子書籍があると思うので捨ててもいいのですが(註:電子書籍はなさそうだが、文庫の新版はあった)、茶色くなった紙も含め懐かしい内容なのでとってある。

以前は新聞紙の活字もとても小さかったのがある時期から各全国紙で大きく読みやすくなりました。金融情報などが満載の日本経済新聞だけが抵抗を続けていたのが抵抗しきれなくて、全国紙では最後に大きな活字に移行したと記憶しています。調べてみると、大きな活字になったのは、毎日新聞が2007年末、朝日新聞と読売新聞が2008年春、日本経済新聞はよくわからない。

そのあたりから文庫本の活字の小ささの不愉快が目につき始め、従って文庫本の出版社もその前後から大きめの活字の文庫本に方向転換したのだと勝手に考えています。

手元にあるワイド版岩波文庫の「聊斎志異」(上下)の出版は2010年、「華国風味」(青木正児著)は2001年です。「ワイド版岩波文庫」や「講談社文芸文庫ワイド」(たとえば吉田健一著「絵空ごと・百鬼の会」)がぼくは好きだとしても需要がないのか出版本数が少なく人気のないのは最初の印刷だけで廃版になってしまう。活字を読者が好みの大きさに拡大できる電子書籍という選択肢もありますが、電子書籍よりも紙の中古本です。ぼくは実用書や実用書風以外は電子書籍をあまり歓迎しないので。

 


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2021年2月19日 (金)

日経平均が3万円

ただのつまらない感想です。日経平均が3万円を超えて金融メディアは姦しいみたいです。日経平均が前日比でプラスになっている日に主要銘柄の株価を拝見しても必ずしも同じ方向には動いていません。逆に日経平均が前日よりも下がった日に、プラスに転じる銘柄も多い。

不思議な現象だと思って適当に各企業の株価を眺めていたら、取引単位が1000万円の株が目に入りました。とても大雑把に言うとこの株の株価の動きが日経平均を左右しているように見えます。取引単位、つまり株を買ったり売ったりする最小単位が1000万円ということは普通の個人投資家は手を出せない、そんな金額です。

そんな株に手を出せるのは資金の豊富な機関投資家だけです。日経平均やその他の指数をいじって、指数の取引で儲けているのでしょう。札幌だと建設業界は活況を呈していますが、それ以外で景気がいいという実感がない時の日経平均3万円というのは、おそらくプロの指数ゲーム、オプション取引ゲームの結果なのでしょう。

 


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2021年2月18日 (木)

短いゴム長の出番・補遺

「車道に残っている根雪は車線の確保のためにすぐ隣の歩道に移すので、歩道では雪の壁が小さな薄汚れた万里の長城風に続いていて、つまり水たまり形成のための水の供給には苦労しません。しかし、今年はその根雪が例年よりも少ないようです」と「短いゴム長の出番」で書きましたが、それについて写真付き補足説明です。

写真は札幌中心部を東西に走る片側2車線の幹線道路です。車が信号待ちで視界に入らないときに撮影しました。幹線道路なので市の整備が行き届いていて、排気ガスで黒く汚れていますが、形がきれいな万里の長城の一例です。幹線道路でないところはこんなに形が整っているわけではありませんし、水たまりも多い。

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こういうのが、道路沿いに(つまり歩道に)ずうっと続いています。交差点で、たまたまそのあたりの地盤が低いと大きな水たまりができ、歩行者は短いゴム長でないとけっこう辛いというわけです。


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2021年2月17日 (水)

短いゴム長の出番

ゴム長といっても膝下までの長いのではなく、短いゴム長です。ちょっと近所に買いものに出かけたり、近くの郵便ポストに郵便物を投函したりする場合には便利で、この時期の必需品です。札幌の道路は傷みやすい。雪と氷が道路の亀裂に入り込んで膨張するので、そういうところはアスファルトなどが割れて剥がれて穴になり雪融けの水たまりができています。

日中最高気温がプラスになる日が継続すると、夜中や明け方の最低気温は氷点下のであっても、車道や歩道には水が溢れはじめます。道路の穴の水たまりも嫌ですが歩行者の立場からはとくにやっかいなのが、横断歩道と歩道とが接するあたりです。深い水たまりになっていることが多い。普通の靴では歩けない。普段の革の冬靴で何とかしようとするなら、水の中を爪先立って進むしかありません。しかしその冒険が途中で失敗すると、その歩行者をどういう悲劇が待っているかは簡単に想像できる。

車道に残っている根雪は車線の確保のためにすぐ隣の歩道に移すので、歩道では雪の壁が小さな薄汚れた万里の長城風に続いていて、つまり水たまり形成のための水の供給には苦労しません。しかし、今年はその根雪が例年よりも少ないようです。

多くの車は、それが大型の業務用でも小さな自家用車でも、そういう水たまりのすぐそばや水たまりのなかを普通の速度で走っていきます。だから、横断歩道で信号待ちをしているときは、水たまりをよけるだけでなく、濁った水しぶきが飛んでくるのを避けないといけない。たまには遠慮がちで親切な車にも遭遇しますが、たいていは、水しぶきを歩道側に跳ね上げながら走っていくようです。歩行者をいちいち気にしてはいられない。従って歩行者は日本国の国防と同じで専守防衛です。戦闘機でスクランブルをかけるわけにもいかない。

ゴム長が、短いのも長いのも、いちばん活躍するのは、札幌では雨の季節ではなく――幸いなことに日本の各地で見られるタイプの長い梅雨は札幌にはありませんが――、雪融けが始まるこの時期です。


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2021年2月15日 (月)

サツマイモの糖度と味わいとその好み

米(コメ)だと現在のデファクト標準は「コシヒカリ」やその系統の米(北海道米なら「ゆめぴりか」、山形米なら「つや姫」)で、甘くて白くて粘り気が強い。ざっくりと言うと糯米(もちごめ)風味がいっぱいの粳米(うるちまい)です。そういうコメじゃないと消費者需要がありません。1979年くらいからそうなってきました。だから、昔風の粳米(昔といっても数十年前ですが)で当時は一世を風靡した「ササニシキ」もその人気は凋落し、今では一部のファンを除いては見る影もないようです。

我が家は、昔風の粳米(うるちまい)が好きなので、とてもマイナーな品種ですが、北海道産の粳米が常食です。たまに、人気の「甘くて白くて粘り気が強い」品種を食する機会がありますが、美味しいとは思わない。まあ、好みの問題です。

なので、サツマイモも味の好みの問題ということになりますが、サツマイモの好みのコメの好みと似ていて、「サツマイモは美人の鳴門金時」や「蔵出しの鳴門金時が夜10時に届いた」で書いたように、我が家はもっぱら「鳴門金時」です。焼き芋としておやつとしても楽しみますが、サツマイモの食べごろの季節は野菜サラダやスープとしても頻繁に味わいます。

Photo_20210211180501  鳴門金時

トレンディーとされるサツマイモも2~3種類オーブンで焼いて試しに口にしてみましたが、また食べようとは思いませんでした。なぜか。

ねっとりとし過ぎているからです。鳴門金時のようなホクホク系はコメだとササニシキのような粳米(うるちまい)に近く、トレンディーとされるねっとり系はコシヒカリを通り越して糯米(もちごめ)に近かったからです。

ネット記事に以下のようなサツマイモの甘味と味わいの比較表がありました(「品種別 サツマイモ比較表」)。現役のサツマイモ生産農家がこの比較表の作成をお手伝いしたようです。別の所には品種ごとに測定糖度を表記した一覧もありました。両者は必ずしも一致しませんが、「ねっとり系」はねっとりとしていてとても甘い、とは言えそうです。

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                          Photo_20210211161901 

「ホクホク系」が好きな人は「ねっとり系」を評価できないし、「ねっとり系」を美味しいと思う人は「ホクホク系」をパサパサしていて味気ないと思う。おそらくお互いに「蓼(たで)食う虫も好き好き」と考えているのでしょう。


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2021年2月12日 (金)

般若心経はとても哲学的なお経

奈良の南都六宗の学問指向の強い寺に限らず、週末に写経体験教室などを開いている各地の寺で使う写経テキストには、宗派を横切って密教系でも禅宗系でも、「般若心経(摩訶般若波羅蜜多心経)」が使われることが多いようです。内容と文字数(二百六十二文字、あるいは二百七十八文字)が写経教室に向いているからです。この「般若心経」は仏式の葬儀や法事などでよく読経されるお経のひとつでもあります。

佛說摩訶般若波羅蜜多心經
觀自在菩薩行深般若波羅蜜多時照見五蘊皆空度一切苦厄舍利子色不異空空不異色色卽是空空卽是色受想行識亦復如是舍利子是諸法空相不生不滅不垢不淨不增不減是故空中無色無受想行識無眼耳鼻舌身意無色聲香味觸法無眼界乃至無意識界無無明亦無無明盡乃至無老死亦無老死盡無苦集滅道無智亦無得以無所得故菩提薩埵依般若波羅蜜多故心無罣礙無罣礙故無有恐怖遠離一切顚倒夢想究竟涅槃三世諸佛依般若波羅蜜多故得阿耨多羅三藐三菩提故知般若波羅蜜多是大神呪是大明呪是無上呪是無等等呪能除一切苦眞實不虚故說般若波羅蜜多呪卽說呪曰
揭諦揭諦波羅揭諦波羅僧揭諦菩提薩婆訶
般若心經

ちなみに、空海には「般若心経秘鍵」という著作があり、道元の著書である「正法眼蔵」の第二巻は「摩訶般若波羅蜜」です。

中江藤樹という江戸時代初期(十七世紀前半)の陽明学者は、道を求める人たちを「聖人」を最高位として「俗学・角者・狂者・大賢・聖人」という具合に下から順にレベル分けし、「釈迦や達磨や荘子」などは「聖人」の下の下であるところの「狂者」に配置しました。仏教や老荘思想はその本質は哲学、形而上学なので、釈迦や達磨や荘子は哲学的な思弁を専らにするだけの軽い存在と考えればそういう位置づけになります。かれらは「だからどうした」という問いかけには答えない。

あるいは、荘子がなぜ「狂者」かというと、「昔者(むかし)、荘周は夢に胡蝶と為る。栩栩然(くくぜん)として胡蝶なり。・・・俄然(がぜん)として覚(さ)むれば、則ち蘧蘧然(きょきょぜん)として周なり。知らず、周の夢に胡蝶為(た)るか、胡蝶の夢に周為るか」(「荘子」斉物論篇)のような、 蝶々と荘子が互いに入り混じり、状況が「くくぜん」「がぜん」「きょきょぜん」と流れていくような世界は、藤樹好みではなかったのでしょう。

「般若波羅蜜多心経(Prajna Paramita Hrdaya Sutra)」の哲学的な「空(くう)」の香りを改めて味わうために梵語(サンスクリット)から現代日本語に訳したもの(「世界古典文学全集 7 筑摩書房」平川彰訳)を下に引用してみます(引用すると長く感じますが)。「シャーリプトラ」は漢字だと「舎利子」です。

一切智者に帰依します。

聖者観自在菩薩が深遠なる般若はらみつにおいて、修業をおこなっていたとき、人間は五種の構成要素から成立していると照見した。しかもそれらの五種の構成要素は、その本性は空であると洞察した。

シャーリプトラよ、この世において、物質現象(色)は実体のないもの(空)である。実体のないもの(空)こそが、物質現象(色)として成立するのである。実体のないこと(空)は、物質現象(色)を離れてあるのではない。物質現象(色)も実体のないこと(空)と別にあるのではない。およそ物質現象であるもの(色)が、そのまま実体のないもの(空)なのである。実体のないこと(空)が、そのまま物質現象(色)なのである。感覚・表象・意志作用・判断についても、これと全く同じである。

シャーリプトラよ、この世において、存在物はすべて、実体のないことを特質としているのである。生じたと言えないものであり、滅したとも言えないものであり、汚れたとも言えず、汚れを離れたものでもない。減ることもなく、増すこともない。それ故にシャーリプトラよ、実体がないという見方に立てば、物質現象は成立せず、感覚も成立せず、表象も成立せず、意志作用も成立せず、判断も成立しない。視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚、意識も存在しない。色、声、香り、味、触られるもの、観念も存在しない。視覚の領域も存在せず、ないし、意識的判断の領域も存在しない。

智慧もなく、無知もなく、智慧の滅尽もなく、無知の滅尽もない。ないし、老いること、死ぬこともなく、老いること、死ぬことの滅尽もない。苦・集・滅・道(の四つの真理)もなく、智もなく、悟りに達することもない。それ故に、達することがないから、人は菩薩の般若はらみつを依り所として、心の覆障なしに住している。心に覆障がないから、恐怖がなく、顚倒を超越しており、究極のニルヴァーナに入っている。三世における諸仏たちはすべて、般若はらみつを依り所として、無上の正しい悟りを現実に悟ったのである。

それ故に知るべきである。般若はらみつの大なる真言、大なる智慧の真言、無上の真言、比較を絶した真言は、すべての苦悩を鎮めるものであり、偽りがないから真実であると。その真言は般若はらみつにおいて次の如く説かれている。

ガテー ガテー パーラガテー パーラサンガテー ボーディ スワーハー
(行ける者よ、行ける者よ、彼岸に行ける者よ、彼岸に共に行ける者よ、悟りよ、栄えあれ!)

『般若はらみつの心髄』おわる。

とても哲学的、形而上学的な内容のお経です。こういう哲学的な内容を持つ「般若心経」の読経や写経は何のためにするのか、誰のためにするのか。死んだ人の為か、残されている人の為か、自分自身の為か。

なかでも「智慧もなく、無知もなく、智慧の滅尽もなく、無知の滅尽もない。ないし、老いること、死ぬこともなく、老いること、死ぬことの滅尽もない。苦・集・滅・道(の四つの真理)もなく、智もなく、悟りに達することもない」というところは、「空」ということを言葉で語ろうとした場合の根源的な一節で、そういうことならこちら側もあちら側も「空」なのでそういう意味では両者に違いはありません。

とくに、「智もなく、悟りに達することもない」というところはドラスティックで、つまり悟りなどというものはそもそもないのだから、そういうものがどこかにあって修行の結果悟りに達することができるといった風に悟りを実体化してはいけない、そんなことをすると余計に迷うだけだと断言している。そういうことを含めて「般若心経」を読誦したり写したりすることは日常の隙間で深く哲学することだと言えそうです。

 


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2021年2月 9日 (火)

立春を過ぎると夕方の空が明るい

午後5時が近づいても大きく広がる空がほの明るいというのは嬉しいものです。ひと月前は午後4時で真っ暗に近かったのですから。立春(今年は2月3日)を過ぎて数日経ったので、宜(うべ)なるかな、です。「冬至です、これから日が長くなります」から一月半経過しました。

気温は立春をあとにしても、最高気温がわずかにプラスに転じる日もあれば、二桁に近い氷点下で推移する日もあり、札幌のこの時期に適当な表現かどうかわかりませんが、三寒四温を凝縮したような現象が続いています。最高気温がプラスになると、道路の雪と氷が融け、そのあたりは日中はゴム長でないと辛い状態になり、その同じ場所が、氷点下になると、ごたごたした形で融けたのがそのまま氷と化すので、車は滑りながらタイヤを取られるといった状態になります。

この時期の雪は厚く降ってもはやパウダースノーではないし、道路を路肩から一車線分塞いでいる雪の山も排気ガスでまだらな黒や濃いグレーに薄汚れ、立春後の空の明るさになじまない。しかし、湿った雪が夜中から朝までホワイトアウト気味に降り続いて、地面を一面の白で覆ってくれると僥倖もあります。

今年は新型コロナで中止になりましたが、例年だと今は「さっぽろ雪まつり」の最中です。そういえば、「さっぽろ雪まつり」の期間は、凍てつくような寒さと、雪像の形が変わるのではないかというような大雪と、雪像が融けてしまうかもしれないという温かい雪が交互にやってきます。


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2021年2月 5日 (金)

別にどうということもない発言内容だと思うのですが・・

2月3日の日本オリンピック委員会(JOC)の臨時評議員会における森喜朗会長の長い挨拶の一部がテレビでも活字媒体でも取り上げられて、どういうことになっているかというと、「社会に逆行、波紋広げる森喜朗氏発言」(毎日新聞)という主旨の報道になっているようです。発言の一部を切り取り、それを、マスメディアの主張に照らし合わせてプラス方向ないしはマイナス方向に報道するというのはそういうメディアの抜けない癖です。似たような雰囲気の海外の報道にしても、日本から特派員や契約記者が英文で、あるいは日本語記事を英訳して同じ方向の原稿を送るのでしょう。今回もそうなのか。

その毎日新聞の記事をもう少し長く引用すると、「日本のスポーツ界は女性進出が遅れ、国が指針を出して各競技団体へ女性役員の増加を求めている。国際オリンピック委員会(IOC)も男女平等への取り組みを強化し、東京オリンピック・パラリンピック組織委員会も「多様性と調和」がコンセプトの一つ。トップに立つ森喜朗会長の発言は、一連の流れに逆行しており、波紋を広げている」という具合です。

こういうときは、手に入るのならその40分の発言の全体を聴くか、文字起こしがされている場合は全文を読めばいいのですが、幸い「日刊スポーツ」に文字起こしされた全文が「発言全文 1」と「発言全文 2」に分かれて掲載されていました。

その「問題発言」とされた部分(「註」太字にした)を、その前後も少し含めてそのまま引用してみます。

『・・・いろいろ考えましたが、いずれにしてもみんな力を合わせて山下会長を守っているのだと安心しました。しかし、演説をしたのは山下さん。私もいろんな話の間、すばらしい山下さんのリーダーシップ、あらためて、大いに評価をし、これからもオリンピックに向けてしっかり頑張っていただきたいと。ご協力を賜ります。

これはテレビがあるからやりにくいんだが、女性理事を4割というのは、女性がたくさん入っている理事会、理事会は時間がかかります。これもうちの恥を言います。ラグビー協会は倍の時間がかかる。女性がいま5人か。女性は競争意識が強い。誰か1人が手を挙げると、自分もやらなきゃいけないと思うんでしょうね、それでみんな発言されるんです。結局、女性はそういう、あまり私が言うと、これはまた悪口を言ったと書かれるが、必ずしも数で増やす場合は、時間も規制しないとなかなか終わらないと困る。そんなこともあります。

私どもの組織委にも、女性は何人いますか。7人くらいおられるが、みんなわきまえておられる。みんな競技団体のご出身で、国際的に大きな場所を踏んでおられる方ばかり、ですからお話もきちんとした的を射た、そういうご発言されていたばかりです。

長くなって恐縮です。山下さんが、私に最初にあいさつしろと。こう言うもんですから。私は長くなるよ、と。議事進行にご迷惑になるからと。というよりは私の立場を考えて、何か先にしないと失礼になると事務局は考えたと思う。そういう考えは無用です。ここに来れば、みんな同じなんです。・・・』(そのまま引用)

女性に関してもそれなりにバランスの取れた(バランスを取ろうとした)発言です。もっとも、女性解放思想の推進者という意味でのフェミニストは彼の発言に苛々するかもしれません(ちょうど環境問題の活動家がどんな環境問題にもバランスを崩して苛々するように)。かりに「女性」を「若い国会議員」や「教職経験者」に置き替えてみると問題発言部分はどうなるか。「教職経験者」と置き替えてみます。

『これはテレビがあるからやりにくいんだが、教職経験者理事を4割というのは、教職経験者がたくさん入っている理事会、理事会は時間がかかります。これもうちの恥を言います。ラグビー協会は倍の時間がかかる。教職経験者がいま5人か。教職経験者は競争意識が強い。誰か1人が手を挙げると、自分もやらなきゃいけないと思うんでしょうね、それでみんな発言されるんです。結局、教職経験者はそういう、あまり私が言うと、これはまた悪口を言ったと書かれるが、必ずしも数で増やす場合は、時間も規制しないとなかなか終わらないと困る。そんなこともあります。

私どもの組織委にも、教職経験者は何人いますか。7人くらいおられるが、みんなわきまえておられる。みんな競技団体のご出身で、国際的に大きな場所を踏んでおられる方ばかり、ですからお話もきちんとした的を射た、そういうご発言されていたばかりです。』

かりにこの発言に違和感や反論があっても、これはある個人の経験にもとづく意見です。そういう意見があってもかまわない。女性の気持ちが、女性の立場がと、めくじらを立てる類の話ではないと思います。


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2021年2月 2日 (火)

「新型コロナの死者の平均年齢が日本の平均年齢と0.1歳しか変わらない」

「新型コロナの死者の平均年齢が日本の平均年齢と0.1歳しか変わらない」という主旨の記述と出合いました。もしそうなら、コロナの影響があっても、つまり若干背中を押されるということがあっても、死ぬ時期に近づいた(あるいは死ぬ時期に到達した)かたがその時期に亡くなっているということになり、「コロナによる死」ということに関しては、日本では、それほど大騒ぎをする類のことではないのかもしれません(新型コロナに係る外国人の受け入れ問題は別)。

厚生労働省の「簡易生命表(令和元年)」によると、2019年の日本人の平均寿命は男性が81.41歳、女性が87.45歳で、2018年と比較して男性は0.16年、女性は0.13年長くなりました。また、平均寿命の男女差は6.04年で前年より0.03年減少したようです。なお、平均寿命とは、0歳の人の平均余命を指します(生まれたばかりの赤ちゃんはあと何年生きられるか)。平均余命は時代とともに変化します。

下は以前(2018年3月13日)のブログ記事「平均寿命と健康寿命」で使ったグラフです。明治から太平洋戦争くらいまでは、日本人の平均寿命は50年未満だったことがわかります。

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以下は「国立社会保障・人口問題研究所」のサイトから引用した「(日本における)新型コロナによる死亡者の性別・年齢階級構造(2021年1月25日現在)」です。正確に調べないと「新型コロナの死者の平均年齢が日本の平均年齢と0.1歳しか変わらない」かどうかは不確かですが、ざっくりとは、その指摘が正しそうです。

2021125

そういう指摘やデータもそれなりに役に立ちます。


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より以前の記事一覧