雑感

2019年10月18日 (金)

「それなら北方領土くらいで」

『2020年東京五輪の男女マラソンと競歩について、国際オリンピック委員会(IOC)は16日、猛暑対策で、コースを東京から札幌に移すよう、大会組織委員会や東京都などに提案すると発表した』(朝日新聞デジタル 2019年10月16日)。その結果、結構な騒ぎです。
 
東京五輪のマラソンと競歩の札幌開催提案という今回の「青天の霹靂」(という言葉を借用して)という事態を、当事者には申し訳ないのですが、「決定事項の一部の内容が何らかの『真っ当な理由で』別のものにゴリ押し的に変更になった場合にどう対応・収拾するか」という一般問題の一事例と考えて、ミーハーとして楽しんでいます。ぼくは札幌に住んでいるので全く関係がないわけではない状況におかれてはいるのですが。
 
なかなか愉快な発言は、《マラソン変更「それなら北方領土くらいで」小池知事》(朝日新聞、見出し)で、長く引用すると「涼しいところでというのなら、『北方領土でやったらどうか』くらいなことを連合から声を上げていただいたらと思うわけです」(朝日新聞デジタル 2019年10月17日)。切れてしまって苛々するとこれくらいの皮肉を言いたくなるというのはよくわかります。
 
「日本経済新聞」(2019年10月18日)の一面コラムにも書いてあったので「皆さんご存知のように」ということなのでしょう。Tokyo2010組織委員会がIOCに提出した「立候補ファイル」というものがあり、当然公開されているのでその重要な一部(全体コンセプト)を引用してみます。
 
Tokyo-2020
 
 
「2010年第32回オリンピック競技大会を開催するに当たり、貴都市が予定する開催期間とその詳しい根拠を教えてください」という問いに対して
 
「この時期の天候は晴れる日が多く、且つ温暖であるため、アスリートが最高の状態でパフォーマンスを発揮できる理想的な気候である。」「さらに、この時期は日本全国で・・・祝祭ムードが漂っている。」
 
と答えていますが、この時期は死ぬほど暑くても決して温暖ではないし、6日の広島と9日の長崎があるので、全国的に盆踊りの季節ではあるものの、「祝祭ムードが漂っている」というわけでもありません。プレゼンテーションの中で事故を起こした原発が「Under Control」という発言もありました。
 
こういう記述に間接的に言及しながら(あるいはそれを匂わせながら)変更をゴリ押しするのは、ゴリ押しする側にとっては楽しいと思います。
 
東京中心の天気予報などを拝見していると、たとえば台風が北海道に進むと「台風は本州の北側に、国外に抜けました、従って東京は安全です」的なニュアンスの発言をするアナウンサーや気象予報士もときどきいて、それはそれで正しい観察なので、そういう意味では「それなら北方領土くらいで」というのも的外れでないのかもしれません。


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2019年10月17日 (木)

プラタナスの大規模剪定の季節

プラタナスは札幌市では比較的本数の多い街路樹で(全部で約12,000本)、10月はそのプラタナスの剪定の時期です。プラタナスはともかくひとつひとつの葉が大きい。野球のグローブより大きい。で、秋に枝を思い切って根元あたりから剪定しないと、そのあたりの道路がグローブ大の葉だらけになってしまいます。
 
それに、この時期に大胆な剪定をしておかないと、雪の重みで枝が折れて危ないし、枝に積もった雪が下を歩く人の頭上にドンと落ちてきてこれもやや危険です。冬は、歩道に面した人の出入りの多い建物の歩道側に「落雪注意」という掲示板が置かれますが、そういうことです。
 
下の写真は、手前側が風で道路に落ちたプラタナスの葉と、奥側が札幌市に委託された業者が剪定用の専用車両で葉のついた枝をバサッバサッと切り落としているところです。その作業は早いところは10月中旬に着手し、雪が降り始めるまでには全部を回り終えるようです。切り落とされた葉と枝はけっこうな量になり、トラックで燃えるゴミ捨て場かどこかに運ばれていく。
 
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ビフォー&アフター風に言うと、左が初夏の午後のプラタナス、右が同じ場所の秋の夕方のプラタナスです。この、剪定後に微妙な感じでほぼ裸になった樹を眼にすると、あまり歓迎したくない雪が徐々に近づいてきていることを改めて知ることになります。

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2019年10月15日 (火)

土地の記憶、名前の記憶

今回の台風19号で首都圏も冠水被害を受けましたが、その一つが超高層マンションが近年密集してきた首都圏のある地域です。そこは都心に比較的近く通勤や通学のための公共交通機関の利便性もとても高いところです。
 
そのあたり一帯は以前は工場専用地帯でしたが(今でも一部は工場地域)、そのずっと前は田園だったようです。「旧河道(きゅうかどう)」だったかもしれないと思い調べてみましたが、100年と少し前の地図と現在の地図を見くらべても、川の流れはいくつかの蛇行部分を除きそれほど変化していないので、そのあたりが以前は川だったのがそのうち旧河道になったのかどうかはよくわからない。

旧河道とは、昔、河川だった場所で、河川の流路が変わって水が流れなくなってその結果できたものです(「山から海へ 川がつくる地形」本編資料編 国土地理院)。だから豪雨の場合などは自然が昔の記憶を呼び戻すので、水が流れ込んで冠水被害などを受けやすい。下は、上記資料からの引用で「都市部の旧河道」についての説明です。ちなみに、札幌市の東北部にある大きな美術公園(モエレ沼公園)は旧河道の跡地をうまく利用したものです。

Photo_20191014125301
 
北海道の札幌(さっぽろ)は「アイヌ語で『乾いた大きな川』を意味する『サッ・ポロ・ペツ』」に由来します。稚内・幌加内の「内」や登別・当別・江別「別」は、「ナイ」や「ペツ」という「川」を意味するアイヌ語を(漢字の当て字を通して)受け継いでいます。温泉地である登別の「登」は「ヌプル」の当て字、「ヌプル」の意味は「濁る」、つまり、登別は温泉地らしく「濁っている川」という意味になります。
 
北海道ではありがたいことに漢字の当て字を通してアイヌの土地の記憶が受け継がれており、そういう意味では東京の中心部も同じことです。溜池、赤坂、青山、四谷、渋谷、神泉、荻窪、池袋・・・。池、谷、山、坂、泉、窪、袋。池も窪も袋も「水がたまりやすい場所」という意味です。土地の形状と水の記憶です。
 
昔のいやな記憶を消すために電鉄会社やディベロッパーが自治体に働きかけて駅名や地域の地名をそれらしいものに変更するというのも需給の流れで致し方ないのかもしれませんが、地名は、あまり、いじりたくないものです。
 
氾濫しやすいことで有名な川に利根川支流の「鬼怒川」があります。「鬼」が「怒る」「川」なので、氾濫の記憶に満ちた命名です。北海道にも「深川市」と「沼田町」を流れる「雨竜川」という名前の川があります。氾濫の記憶が「雨」と「竜」に引き継がれています。
 
川が氾濫したり、山を切り崩して造成された高台の住宅地に激しく雨が降ると、「思わぬ場所」や「本来の場所でないところ」にあらたに川が発生することがあります。実際は「本来の場所」に久しぶりにまた川ができたということで、住民の数十年の記憶にある本来よりも、数百年から数千年の自然の推移においての本来のほうが本来度が強かったというわけです。
 
現在は「・・台」や「・・丘」と呼ばれている住宅地の、たとえば、50年前の地名、100年前の地名は何だったのか。古い土地の名前は、その土地の特性をたいていは凝縮しています。100年くらい前までの地形と現在を簡便に比較するには「今昔マップ on the web」が便利です。

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2019年10月11日 (金)

18歳の吉田健一と27歳のジョーン・ロビンソン

本棚の奥に紙が経年変化した「経済学の考え方」(宮崎義一訳)という本があります。著者はジョーン・ロビンソンという1903年に生まれ1983年に亡くなった女性経済学者です。その本の隣には「ゆたかな社会」(ガルブレイス著)が立っています。サムエルソンのような無味乾燥な内容の著作が得意な学者とは違って、彼女は思想的、情熱的な経済学者でした。
 
「経済学の考え方」の訳者あとがきにあるように、彼女は別の著書で「経済学を学ぶ目的は、経済問題について一連のでき合いの答えを得るためでなく、いかに経済学者にだまされないようにするかを習得するためである」と言っており、その言葉がそっくり「経済学の考え方」の内容要約にもなります。
 
彼女は何度かノーベル経済学賞の受賞候補に挙がりましたが、受賞できなかった理由として選考委員会の委員長は「賞を辞退する恐れもあったし、脚光を浴びる機会に乗じて主流派経済学を批判する可能性も考えられたからである」と述べたそうです(この項はWikipediaを引用)。
 
吉田健一の著作を拾い読みしていたら、短いケンブリッジ留学時代の思い出を書いたエッセイに次のような一節がありました。
 
「教育すると言っては言ひ過ぎで、彼(【註】ディッキンソンという長老フェロー)の態度にそのやうな所は少しも見えず、又事実、彼は若いものと付き合うこと自体に興味を持ってゐたらしく、彼の部屋での集まりは、寧ろサロンの感じがした。ライランズもよく来た。他に、二年、三年の学生や、ライランズと同年輩の教授達やその夫人達、それから、アイルランド系ではないかと思われる、会ってゐて何とも明るい感じがする、名前は忘れたが女の経済学者も、ディッキンソンの所に集まる常連の一人だった。一年生で来るのは、ロオスと私位なものだった。」
 
調べてみると、その女の経済学者がジョーン・ロビンソンで、吉田健一がケンブリッジにいたのは1930年から1931年なので、18歳の先の見えない暗い感じの吉田が、27歳の「何とも明るい感じがする」ジョーン・ロビンソンと出会っていたことがわかります。
 
ただそれだけのことですが、吉田は才気煥発な27歳がけっこう気になったのでしょう。27歳がその18歳をどう思ったのか、その18歳とどんな会話を交わしたかはわかりません。
 
そういう一節を眼にして本棚を確かめに行ったらいくぶん茶色くなった「経済学の考え方」が奥の方にあったというわけです。


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2019年10月10日 (木)

あまり好きではないけれど役に立つこともある言葉

昨日ラグビーについて、ワールドカップでメディアに乗せられてミーハーをしていると書いたついでに、またラグビーに(おそらく)関連したことについて触れてみます。
 
ぼくがあまり好きでない言葉がいくつかあって、その中の二つがラグビー関連用語というふうに聞き及んでいる「one for all, all for one」と「no side」です。「好きでない言葉」と言いましたが「それを聞くと眉に唾を付けたくなるような言葉」と言い換えてもかまいません。
 
「one for all, all for one」と「no side」は、それを称賛するかたは多くても嫌いだという人はとても少ないし珍しいようです。
 
価値観を共有している比較的小さなクローズド・サークルでそれらが使われている場合にはそれはまっとうな考え方なので、ある場面でその使用者にいろいろと利害の思惑があったとしても、それは駆け引きという景色の中のひとつの彩りなので、「one for all, all for one」と「no side」についてそれをわざわざ好きだとか嫌いだとか言う必要はありません。
 
しかし、そういうクローズド・サークルを離れた場合は、「one for all, all for one」や「no side」というのは、為政者とか経営者といった立場の人にとってはけっこう使い勝手のいい便利な言葉と化します。普段は心の奥では決してそんな風に思っていない人が、多数を前にした際のスピーチでその言葉をある意図をもって使うのを何度か目にしてきました。そういう立場だとそういう言葉を一度くらいは使ってみたくなるというのはよくわかります。
 
その美しい変形が「And so, my fellow Americans: ask not what your country can do for you--ask what you can do for your country. My fellow citizens of the world: ask not what America will do for you, but what together we can do for the freedom of man.」(ジョン・F・ケネディ 大統領就任演説 1961年)で、その後にベトナム戦争が続きました。
 
そういうことを考えると、「one for all, all for one」や「no side」というこの二つの表現は聞く側にとっても便利で有益な言葉です。それを口にする人のその時の表情や文脈やニュアンスによってその人の実際の思想や隠れた品性を判断する試験紙の役割を果たしてくれるだろうからです。


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2019年10月 9日 (水)

ラグビーと野球はローカルスポーツ

今はスポーツと言えば(これをスポーツと呼ぶとして)早歩きだけです。一人だと時速6㎞くらいで40分くらい歩きます。配偶者といっしょだと少し落として5.6kmくらい。
 
子供の頃から仲間と勝手に、あるいは学校の体育の授業でいろいろなスポーツを経験します。ラグビーなどというスポーツは、野球やバスケットボールと違って、たしか体育の授業でわずかに習った以外は経験がない。だから(というのも変ですが)普段から関心も興味もありません。ラグビー中継番組を見ることもないし、ルールも細かいことはよく知らない。
 
普通は自分の経験の延長(ただし決して真似のできない延長)として世界の一流スポーツ選手の動きを楽しみます。運動会の徒競走や体育の長距離走の延長に、たとえば世界陸上の100メートル走があり1万メートル走があります。女子プロゴルファーのプレイをテレビや現場で観戦するのもそういう意味においてです。
 
なら、ラグビーワールドカップなど観なければいいのですが、そこは姦しいメディアに気儘に操られるミーハーになって、一流選手のすばらしい動きを楽しみます。
 
そのすばらしい動きですが、結局のところ、そういう動きで突出しているのは旧大英帝国系の国や地域で、だから、有体に言えばラグビーは、誕生から現在まで、そういう地域のローカルスポーツです。ちょうど野球が、結局は、米国およびその周辺国限定のローカルスポーツであるように。
 
ミーハーになってよかったことはそういうことの確認というかそういう方向の理解を得られたことです。


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2019年10月 7日 (月)

「50年ぶりの異常気象です」という報道と、自然の循環

遅めの時刻にテレビを見ていたらニューヨークが33.9℃で異常な暑さだという報道がありました。「ニューヨークで10月に33℃以上の気温になったのは78年ぶりだそうです」と画面の中でレポーターがしゃべっています。
 
「30年ぶりの暑さとか、50年ぶりの大雨」という表現で現在の気象の異常事態を報道するのがマスメディアはお好きなようです。78年ぶりもその一つです。ただ、最近はそういう久しぶりの事象を「その原因は地球温暖化、その原因の原因は人為的な二酸化炭素の排出だ」というのと係り結びのように結びつけるのが好きな媒体と、その二つを直接的に結びつけることにためらいのあるらしい媒体の両方がある雰囲気ではあります。
 
冷静に考えると、50年ぶりの激しい降雨とか78年ぶりの高温とか言うのは、50年前と78年前に同じ事象が確実に存在したということなので、そういうゆったりとした周期で自然の事象が循環しているとも言えます。
 
時間というのはぼくたちが感じるものとしては常に現在しかないにしても、それとの付き合い方としては、もっぱら直線の上をどんどんと進んでいくような時間の中で生きるのが好きな文明や文化もあるし、時間の本質は循環(春夏秋冬)や交替(昼と夜、太陽と月)だと考えて循環や交替の中で過ごすのを重んじる文明や文化も存在します。一人の人間のなかでも、直線的な動きで進む時間を心地よく感じるときもあれば、時間が円環状に流れるなかで深いくつろぎを覚える場合もあります。
 
地球や宇宙というのは基本的に循環が好きなのだと考えると、その循環の波と、文明を直線的な改良の進行だと考えるぼくたちの仮説的な直線指向が交差したところが、マスメディアがかしましいところの「何十年ぶりの事象」かもしれません。災害につながるような何十年ぶりかの異常事象や台風や地震についてはじつに困ったことではあっても、残念ながら自然はそういうことをとくには気にしていないようです。
 
下のグラフはプランクトンの外殻化石の分析に基づく1万1300年前から現在までの気温変化(1961~1990年の気温の平均値からの偏差)のグラフです(「A Reconstruction of Regional and Global Temperature for the Past 11,300 Years」オレゴン州立大学 ショーン・マーコットら 2013)。
 
11300-shaun-a-marcott
 
このグラフを見て
 
・データは、我々が、現在、長期の寒冷期の中にいることを示している
・また、データは、我々が数千年にわたる寒冷期の一番底にいるということも示している
・ただし、過去100年の間に気温が劇的に上昇したので、過去数千年の間に起こった寒冷化の影響をすっかり打ち消している
 
と解釈するかたもいらっしゃるようです。
 
これを過去1万年ではなく過去40万年の気温変化(偏差)を描いたグラフ(丸山茂徳 地質学者、元東京工業大学教授)の中に位置づけてみると以下のようになります(赤い縦長の楕円で囲んだ部分が上のグラフに相当する部分)。
 
40_20191004155601
 
おおまかに10万年ごとに気温の上昇と下降(温暖化と寒冷化)を「循環的に」繰り返しています。丸山茂徳氏の言葉をお借りすると『人間が文明を創って、化石燃料をたきCO2を出すようになった時代は、過去300 年前ぐらいからです。このわずかな変化に今ナーバスになっている訳ですが、人間の文明とは無関係に、地球というのはこれぐらい(±4℃)を平気でやっています。』

46億年という地球の今までの経過時間の中で最近の40万年というのはわりあいに「刹那」なので(割り算をすると0.0087%)、循環と言ってもそういう短期間における循環です。ひょっとして現在が寒冷期にさしかかる入り口あたりかもしれないと考えると、けっこう憂鬱になります。

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2019年10月 1日 (火)

日常生活のなかで出会うボランティア

美術館では常設展以外の展示会や展覧会の時には、各部屋の隅や展示物の論理的な区切りに静かに控えている係員がいます。たいていは地味な制服を着て静かに目立たないように立っています(パイプ椅子に腰かけている場合もありますが)。
 
その部屋やコーナーの展示物について質問をされたときにその案内や説明をするのが主な役目なのか、マナー違反の観覧者が出ないように注意を払っているのか。彼女らは(女性の方が多いという印象なので)その美術館所属の学芸員なのか、それともボランティアなのか、外部からの派遣には見えない。自分をその立場に置いてみると、何時間ごとに交代しているのかわからないにしても、それなりに大変な仕事です。
 
北海道立近代美術館の場合だと、各地の関連美術館の展示会ポスターがけっこうたくさん貼ってあるところの向かいに、その美術館のボランティア募集案内が掲示されていて、その案内内容からすると、展示会の関連書籍や関連グッズの販売をされているかたや常設の売店でお土産というのか記念グッズというのかのレジを担当しているかたたちはボランティアらしい。
 
調べてみると、北海道立近代美術館の所管は北海道教育委員会で、それはそういうものだとしても、道立美術館関連のボランティアの募集や組織化は「道立の美術館の活動に協力し美術に関する様々な事業を行っている協力会」(一般社団法人)が行っているようです。ソーシャルマーケティングの一つではあります。
 
その協力会の運営やそこでのボランティア活動については
 
〈当協力会は会員の会費等によって支えられており、ボランティアにより事業活動を行っています〉
 
〈部の活動を通して美術館の運営や事業活動に協力しています。ボランティアになるためには、当協力会の会員になることが必要です。無報酬、交通費も自己負担となります〉
 
となっています。それなりの自己負担が必要です。
 
病院でも大きなところだと、公的な病院でも私的なそれでも、ボランティア活動中の比較的お年を召した女性をお見かけします。たいていは受診場所の案内や再診の際の機器操作のお手伝い、車椅子の患者のお世話などをされているみたいです。
 
ある大きな病院のサイトを拝見すると以下のようになっていました。一部を引用します。
 
【当病院ボランティア活動の概要】
 
〈活動場所〉
・病院外来ホール他
 
〈活動内容〉
・診療申込書の代筆、および書き方の説明
・病院内の案内
・身体の不自由な方に対する必要時の移動の介助
・自動再来受付機の操作案内
 
〈経費等〉
活動に要する費用は、交通費を含めてすべて自己負担となります。
また、提供できる駐車場はありませんので、公共の交通機関等の利用をお願いしております。
 
〈活動中の服装〉
貸与する被服等を着用し、ネームプレートを付けてください。
 
病院には電車やバスや自転車や徒歩で通うのでしょう。

ボランティア活動に従事する人たちを組み込んだ構造や組織(ここではとりあえずソーシャルマーケティング構造/組織ということにしますが)というものが誰によって運営されているのかなんとなく気にかかっていたので、身近な例で調べてみました。


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2019年9月30日 (月)

コートと半袖がいっしょに歩く季節

日曜日、北海道立近代美術館の「カラヴァッジョ展」に足を運びました。カラヴァッジョは宗教画をそれまでの約束事を無視して光と影でとてもリアルに描いたイタリアで画家です。16世紀末から17世紀初めにかけて活躍し38歳で死去するまでの彼の人生も光と影が入り混じり晴れやかさと無頼が交差しています。
 
彼の作品を観ていると、リアルな人物描写であっても、描かれた人物の眼の表情が感情の表れで微細に違っても、男性も女性も同一人物の眼のようです。すべての人物画は自画像の変奏曲ということかもしれません。
 
美術館から大通公園までゆっくりと向かっているときに、陽が降り注ぐ午後3時くらいの歩道の人たちの格好を拝見すると、コートとジャケットとセーターと半袖シャツが混在しています。ぼくはサマーセーターです。早朝はけっこう寒くて、それが日中はポカポカと心地よくなる、札幌の今はそんな季節です。早朝に家を出たかたはコートを着て、暖かくなったお昼くらいに外に出た方は半袖でということでしょう。だから街中をコートと半袖がいっしょに歩く。
 
日本の文化は季節の着物や衣類の色や種類に約束事として敏感で、それはそれでけっこうなことで、でもこのくらいのヴァリエーションの対比はあってもいい。プールサイドのリクライニングチェアで高価そうな毛皮のコートを着て本を読んでいるおばあさんのすぐ前を、若い女性がセパレートというよりもビキニ風で元気に泳いでいくという光景にさる晩夏にさる外国で出会いましたが、それに比べるとその対比はそれほど印象的ではないにしても。
 
途中、ナナカマドに日が差して光と影を作っていて、「カラヴァッジョ展」のあとなのでなんとなくその光と影を写してみました。あまり印象的な写真ではないのですが。
 
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2019年9月27日 (金)

北海道産サフォーク・ラムの炭火焼き、再び

先日、「さっぽろオータムフェスト2019」で味わった士別(しべつ)など北海道で育成されたサフォーク種のラム肉の炭火焼きがあまりに美味しかったので、再びその簡易屋台に立ち寄りました。午後2時過ぎの遅い昼食です。
 
木曜の午後ですが、札幌市民と観光客でごった返しています。オータムフェストは北海道産の食べるものがいっぱいなので、皆さん、よく食べますし、それなりに飲む。皆さん、ゆったりと歩きながら美味しいもの候補を吟味するので、ぼくも目的の場所にはなかなか到達できません。
 
天気予報とは違って午後2時は気温が24度くらいのぽかぽか陽気で、とくにその後の予定もなかったので、周りに合わせてビールで一杯やることにしました。何しろそこは屋台です。昼間とはいえ飲むのがデフォです。奥まった席では還暦くらいの男性二人がワインを飲んでいます。1時間くらいはそこで飲み続けている雰囲気です。
 
ぼくが注文したのは、肩ロースとモモとラムロイン。ラムモモは最初から塩コショウで味がつけられていましたが、それ以外も塩コショウでいただくのがいちばんです。小皿で出してくれたタレは今までのそのお店のノウハウが詰まってその味になったのに違いなくても、試しに味を見る以外にはぼくにはとくになくてもかまわないという感じです。ビールを飲みながら温かい秋の午後をゆっくりと過ごします。
 
会場の案内には最近のトレンドを取り入れて「さっぽろオータムフェスト2019では、電子マネーが全会場・全店舗で使えます!!」となっていて、その屋台にも電子マネー専用端末が置かれていました。事務局で一括で用意したのでしょう。あるナショナルブランドスーパーと某巨大コンビニと札幌市とJRの電子マネー(ICカード)が利用できますが、最近にぎやかなQRコード決済までは対応していないようです。
 
で、その利用状況ですが、ぼく及びぼくの周りというミクロな環境に関して言えば、ぼくの左側の先客は現金決済でした。
 
「ラムロイン5人前、テイクアウト」と注文して「8分ほどお待ちいただきますが」「いいわよ」「お箸は?」「二膳」とやりとりした近所のベテラン主婦と思しきかたも複数の千円札で支払い、「ラムロインてどこ?」「牛だとサーロインにあたるところです」「じゃあ、それ2人前焼いてくれる、テイクアウトします、何分くらい待てばいい?」という中年女性も現金決済でした。ぼくも現金を出して現金でお釣りをもらいました。
 
ぼくの左側に坐ったいかにもラム肉を食べ慣れている感じのアラサー男女はどちらでしょうか?中国からの観光客がどういう支払い方をするかは、そのときはその屋台にはいなかったのでわかりません。


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