花と存在、存在と花

2017年2月10日 (金)

続・さっぽろ雪まつり

一昨日の「札幌雪祭り」という記事で、大小の雪像が依代(よりしろ)だ、と書きましたが、その大きな雪像のひとつが、現在復元工事が進んでいる「興福寺 中金堂」です。お寺がかみさまの依代になっている。そういうことをぼくたちはじつに自然に納得します。
 
神仏習合という言葉や本地垂迹(ほんじすいじゃく)説という考え方があります。神仏習合はかみさまと仏さまがいっしょになってワイワイという曖昧な雰囲気があり、その曖昧さに魅力があります。本地垂迹説となると、「垂迹」(あとを垂れる)というのは難しい言葉ですが「化身」という意味なので、つまり、かみさまは、「本地」であるところの仏が衆生救済のために姿を変えたもの(すなわち、「化身」)である、という考え方です。妙に理屈っぽい。
 
Img_0600
 
本地垂迹説という理論に行き着くまでには、かみさまは仏教との関連で、その前にあたる段階を経験したようです。下の写真は、宇佐神宮(大分)にある弥勒寺(つまり、神宮寺)の跡ですが、神宮寺とはかみさまのために用意されたお寺という意味です。
 
Photo
 
仏教で六道という考え方があります。衆生が徘徊する六つの迷界のことですが、その六つとは、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天で、仏教が伝わったころは、かみさまは「天」という迷界の住人でした。人間にお寺が必要なように、かみさまにも衆生救済の対象という意味で(なにしろ迷界の住人なので)お寺が必要で、神宮寺が作られました。かみさまが、仏様の化身として「菩薩」や「大菩薩」に出世するのはその後のことです(たとえば、八幡大菩薩)。
 
依代としての雪像寺院を彩るプロジェクションマッピングを見ながら、そんなことを考えていました。
 
蛇足ですが、「垂迹」(すいじゃく)と同じような意味の言葉に「権現」(ごんげん)があります。「権」(かり)に「現れる」ということなので、「化身」です。「■■権現」は各地にあります。

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2017年2月 8日 (水)

札幌雪祭り

公式名称は「さっぽろ雪まつり」です。
 
日本の「まつり」とは、神道以前の昔から日本にいらっしゃる「かみさま」のおいでを、身を清めて待ち、かみさまと出会う手段のことなので、雪まつりもそのひとつということになります。
 
かみさまが来臨する場が「依代(よりしろ)」ですが、依代が神社である必要はありません。木でもいいし岩でもいい。即席に作ったものでもいい。大小の雪像が依代です。かみさまとのコミュニケーションの方法が「祝詞(のりと)」です。昼は歌手という「巫覡(ふげき)」・「巫女(ふじょ、みこ)」を媒体とした歌が歌われ、夜は音楽と色彩の華やかなプロジェクションマッピングが輝き、それらが祝詞になります。
 
祝詞のひとつであるところのプロジェクションマッピングを、配偶者と、ミーハーしてきました。まつりには不可欠なお酒も食べ物も、軒を連ねた屋台でふんだんに用意されています。
 
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「さっぽろ雪まつり」のころは、例年、一時的に気温が緩むことが多くて、せっかく作った雪像に悪影響が出ることがあります。しかし、「雪まつり」が終わるとまた寒気がぶりかえすので、皮肉なものです。今年も初日は日中の最高気温が氷点下という冬日ではありませんでした。しかし、二日目以降は十分に寒いようです。

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2016年5月13日 (金)

ライラックとアカシア、あるいは、夏至に向かう季節

花を咲かせる札幌の樹のなかでいちばん好きなのが、ライラックとアカシアです。ライラック(あるいはリラ)は北の街であるところの札幌の樹でもあるので街に溶け込んでおり、赤紫や青紫、ピンクや白などが5月中旬から下旬にかけて花開きます。一方、アカシアは6月中旬から下旬にかけて白い花を咲かせ、通りの緑の列に白い飾りが加わります。(札幌のアカシアは植物辞典的にはニセアカシアだそうですが、ここではどうでもいいことです。)

_0517d_p ライラック

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                    アカシア

ライラックとアカシアが好きな理由は、花の風情もありますが、花の持つ、あるいは花がいっしょに持ってくる季節感のためです。

北の街で暮らしていると、桜や梅のあと、夏至に向かって日の長さが伸びていく夕方の薄暮の空と空気が何ものにも替えがたいと思うようになります。一年でもっとも気候の良い時期をさしてある国では「リラの咲くころ」と云い、別の国ではその時期に「ジューンブライド」が登場します。それぞれの土地のもともとの意味合いや意味の深みはわからないにしても、そういう気持ちが実感できる季節がこれから札幌にやってきます。

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2016年5月12日 (木)

名前がつけられる前の存在、そんな彫刻

札幌の中心部に、洋館建築の旧北海道知事公館があり、その裏庭にあたる芝生を敷き詰めた広い洋風庭園は冬季はクローズされていますが、ゴールデンウィークからは日中は市民に開放されます。その週のある晴れた日の午後、そこは家族連れや子供連れでおだやかににぎわっていました。終わりかけた桜や梅の風情を愛でながら芝生の上にマットを敷いて寝転んでいる人たちもいます。

そこに、安田侃(やすだ かん)という彫刻家の作品がひとつ置かれています。白くて滑らかで大きな大理石の塊(かたまり)で、近寄ってくる小さな子供に手や指で触れらたり頬ずりされたりすることをじっと待っているような雰囲気を漂わせています。

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この丸くて白い充実は、おおもとの存在が徐々に個別化して、やがて花とか樹とか石とかといった名前がつけられる、その少し前の状態としてそこにあるようです。

この白い塊と向かい合っていると、「名無きは、天地の始め、名有るは、万物の母」(老子)という一節や、友人の好意によって分析的な知性につながる七つの穴をあけられた結果七日間で死んでしまった「渾沌(こんとん)」の物語(荘子)を思い出します。

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2016年4月27日 (水)

古い梅の樹が開花するとき、世界は起こる・・・

道元の「正法眼蔵」「第五十三 梅花」に次のような一文があります。

「老梅樹忽開花のとき、花開世界起なり。花開世界起の時節、すなはち春到なり。」(老いた梅の樹がにわかに開花するとき、花が開いて世界は起こる。花が開き世界が起こるとき、すなわち春の到来である。)

この一文の形而上的な意味合いの光景ではなく(華厳哲学はこういう事態の静かな側面をを「事事無礙(じじむげ)」と呼び、空海はもっと動的に「六大無碍(むげ)にして常に瑜伽(ゆが)なり」と詠みましたが)、その形而下的な光景は、今の札幌の中心部をぶらぶらすると簡単に眼にすることができます。

梅の花が開くときには、ほかの花も開く瞬間を競うように一斉に花開きます。ピンクの花だと「梅」と「桜」、そして「桃」。彼らがおたがいの違いを意識しているかどうかはわかりませんが、それぞれの微妙な濃淡をぼくたちは楽しみます。黄色だと、人の目線くらいの高さに「れんぎょう」があり、地面近くには「水仙」が咲き、もっと地面寄りには「タンポポ」が上を向いて風に揺れています。白は、黄色の隣に白い「水仙」。ブルーや紫だと「ビンカ・ミノール」。車道の植え込みや公園の歩道際の植え込みに絨緞のように広がって青い小さな花を並べています。

この前の日曜日の午後、帰宅途中の歩道に、三枚の桜の花びらの根元が一緒になった状態で落ちていました。風で落ちたのか、カラスが悪戯でもしたのか。落ちたばかりかとてもきれいだったので、持ち帰って、冷酒用のグラスに活けました。

  Photo

桜は、多くの花びらが作りだすぼんやりとした淡い空間が昼も夜も美しい。しかし、目の前に一樹だけある場合は、梅の凛とした風情のほうがぼくには好ましい。

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2016年2月 4日 (木)

神と仏の二重構造や神と神の二層構造と、グローバリゼーション

経済のグローバリゼーションというのは、有体に云えば、商品やサービスやビジネスプロセスが世界中で均質化することです。グローバル企業で求められている人材も労働意識や一定以上の才能の均質化(たとえば、朝から夜中まで、時差を気にせずに、世界中どこへで移動して懸命に働く)が前提となっており、そういう止まりそうもない流れが世界にはあります。

同時に、もうひとつそれと並行する流れに管理化があります。社会はますます管理化の度合いを増しています。日本だとマイナンバー制度の導入などがその典型事例です。マイナンバー制度は、為政者や国民を管理する側にとってははなはだ便利な仕組みです。そして、管理対象が均質化の度合いを増せば、マイナンバー制度も運用範囲が拡大し運用効率が上昇するという意味で、グローバリゼーションによる均質化の波とマイナンバー制度は適合的です。

戸籍制度というものがあります。戸籍制度が、誕生と結婚と死亡という人の生の区切りの管理システムなら、マイナンバー制度は生まれてから死ぬまでの私生活のいろいろなプロセスや局面を継続的にトラッキングしながら管理するシステムなので、「うんざりするようなスーパー戸籍制度」と呼べなくもありません。

仏教や神道というものに関しては、ぼくたちの間で葬儀や法事や写経や仏像拝観、あるいは結婚式や初詣を通してそれなりに共通理解がある(と思う)ので、ここでは仏教や神道という言葉をそのまま使います。ただし、ここでいう神道とは、仏教伝来のはるか以前に日本に生まれ、記紀神話や神仏習合を経由して現在まで、日本という風土において日本人の霊性のあり方に関与してきた何ものかだとします。ぼくたちは神道というと、大和朝廷の記紀神話や廃仏毀釈をプロモーションした明治政府によってつくられた国家神道という国家(政府)御用達の神道に知らぬ間に影響されていますが、ここではもっと広い意味で神道ないしは神さまという言葉を使います。

今でも神棚のある家庭は多い。神棚のある家庭では、たいていは、国家御用達の普遍的な神様としてたとえば「天照大神(あまてらすおおみかみ)」ないしは近隣の有名神社の神さまが正面(座敷)に祀られ、裏(台所)には、その家の守り神である竈(かまど)の神さま、お荒神(こうじん)さまが祀られています。この普通の家庭で見かける正面と裏、言葉を換えれば、一般と個別、普遍と特殊、あるいは公的な神さま(あるいは仏さま)と私的な神さまという二重構造は、有名な神社や寺でも同じです。有名な寺や神社の二重構造(ないし二層構造)が家庭に持ち込まれたというよりも、同じ感性に基づいて二重構造がおのずと定着した。

たとえば、出雲神社では本殿の後ろに静かなたたずまいの素鵞社(そがのやしろ)があり(写真参照)、寺院では(この場合は仏さまと神さまという関係になりますが)、その寺の本尊の後ろに、「後ろ戸の神」(寺の守護神)として、たとえば摩多羅(またら)神や宿神(しゅくしん)と呼ばれる聞き覚えのない神道系の神様が座っています。神と神の二層構造というか仏と神の二重性というか、要は、公的なもの(鎮護国家的なもの)と私的なもの(それぞれの家や寺社の守り神的なもの)がおたがいに支え合う構造です。それを一般的な用語でくくると(神さまと神さまの習合を含んだ)神仏習合ということになります。

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  出雲大社本殿の裏にある素鵞社(そがのやしろ)

明治の国家神道振興策のひとつである廃仏毀釈運動で当時まで残っていた神仏習合の状態が相当に破壊されたようですが、それでもそういうものが全部なくなったわけではない。寺には神社と鳥居があり、神社には神宮寺などのお寺があります。今でもよく見られる光景です。奈良の室生寺には龍谷神社があり、高野山の金剛峯寺では赤い鳥居と狛犬に出会えます。大分の宇佐神宮には弥勒寺の跡が残っている。

Photo_2 室生寺境内の龍穴神社

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  金剛峯寺境内の鳥居と狛犬              宇佐神宮内の弥勒寺跡

公的な神さまや仏さまと私的なそれとの二重構造、二層構造を作り出したのは、被為政者である人々がそれぞれの仕方でそれなりに生きていくための知恵だったように思われます。国家や為政者は国家御用達の神さまや仏さまを通して国民の意識を均質化しようとしますが、そういう均質化政策への対抗策が、二重構造や二層構造にビルトインされています。

<国家御用達の神さまにおける本地(ほんち)と垂迹(すいじゃく)の二重構造は、目的が、より普遍的なもの(たとえば仏教の如来)を自身の本地とすることによる権威づけ、および自己の権力を他者の眼にわかりやすく正当化することなので、構造は同じですが意味合いは異なります。>

お客をおもてなしする場所である座敷には政府御用達の有名神社の神さまをお祀りし、私的な空間である台所には私的な守り神であるところの荒神(こうじん)さまを配するというのは、国という地域の集合体の中での均質化政策(つまり、当時の「グローバリゼーション」)に一応は従いながら、それに流されてしまうことなくしたたかに生きるという姿勢のおだやかな表明だったようにぼくには思われます。

そういう意味では、現代のグローバリゼーションや管理社会化の均質化の流れの中で、強い均質化の圧力を適度に受け流そうとすれば、仏さまと神さま、あるいは神さまと神さまの二重構造をぼくたちが個別に意識的にビルトインすることが必要かもしれません。

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2016年1月28日 (木)

神社と神様

私的な旅行先や仕事で立ち寄った先で神社を見かけ時間に余裕がある場合は、ちょっとお参りでもしておくかという気分になります。そういう気分になることをぼくたちはとくには不思議だとは思わないし、そしてそういう場合にその神社にはどんな神様が祀られているのかもいちいちは気にしません。神社らしい空気が張りつめていれば、それで十分です。そういう気分は九百年近く前も同じだったようです。

十二世紀の後半に、「ねかはくは 花のしたにて 春しなん そのきさらきの もちつきのころ」という歌の作者である佐藤さんという方が伊勢神宮に参詣したときに、「なにごとのおはしますかは知らねどもかたじけなさに涙こぼるる」という歌を詠みました。そこになにがいらっしゃるのか知らないけれど、神々しくて涙が出る、というくらいの意味です。つまり、佐藤さんによれば、日本の神社の特徴は神々しさであり、そこにどんな神様が祀られているかなどと云うことは本質的には重要ではない。

ぼくたちも、その神社にどの神様が祀られているかをたいていの場合はあまり気にしません。札幌市内にある北海道神宮。北海道神宮は、明治の国家神道構築政策の一環でできた神社ですが、その祭神は、当該神宮のホームページを拝見すると、以下の四柱です。

大国魂神 (おおくにたまのかみ)
大那牟遅神(おおなむちのかみ)
少彦名神 (すくなひこなのかみ)
明治天皇 (めいじてんのう)

お正月やその他の機会に北海道神宮を参詣する人たちに、この四柱を意識しているかと尋ねたら、答えはおそらく否でしょう。明治神宮に参詣する人たちの多くが、明治天皇を意識していないのと同じです。しかし、祀られているがどの神様であれ、そういうこととは関係なく、神社には神々しさが存在しているようです。

日本の神様には成り立ちや性格の違いがあります。成り立ちと云うことでは、大和朝廷や明治政府が創った官製(政府御用達)の神様もあれば、その地域の人たちのなかで自然発生的に生まれた神様もあります。また神様の性格も、国家や為政者、あるいは民間の一般の人々を守る守護神タイプと、ある人を酷い目に合わせそのままにしておくと関係者(とくに為政者)に祟りをもたらすのでその人に神様になってもらったという障礙神(しょうげしん)タイプの二つがあります。

たとえば、天照大神は守護神タイプの官製の神様だし、菅原道真は官製で障礙神(祟りをもたらす)タイプの神様です。天満宮が入学試験の合格に役に立つかどうかはよくわからない。「国つ神」と総称される大和朝廷に滅ぼされた日本各地の先住豪族も、滅ぼされた人たちの祟りを鎮めるために大和朝廷が神様に祀り上げた障礙神タイプの神様といえます。現在は交通安全の神様と云うことになっている猿田毘古神(さるたひこのかみ)は、天照大神の孫の道案内を務め、平和裏に大和朝廷の支配関係に組み込まれた神様です。明治神宮や北海道神宮や日光東照宮は江戸時代以降に造られた守護神タイプの官製(政府御用達)神社です。

ぼくたちは、成り立ちや性格の違う神社に、そういうことをとくには意識せずに、自由に出入りしていますが、どうしてそうできるのか。佐藤さんは平安時代の終わりころに「なにごとのおはしますかは知らねどもかたじけなさに涙こぼるる」と詠みましたが、ぼくたちが涙をこぼすかどうかは別にして、そこに祀られている神様(人から神様に昇格した神様も含めて)は、もっと奥に存在している古い神様(神々しさ)のぼくたちにとってわかりやすい媒体なのにちがいない。そう考えると佐藤さんの感性とぼくたちの感性が共鳴する理由もよくわかります。

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2016年1月21日 (木)

ぼくは長日性の植物と相性がいい?

12月下旬と比べると、1月の下旬は明らかに日の入りが遅くなります。午後4時には夜が始まっていたのが、午後4時半を過ぎてもまだ明るい。そういう時刻に所用で雪道を歩いていて、ふと日の長くなりつつある気配に気づくと、急に元気になります。

もっとも、寒さは1月、2月とより厳しくなり(札幌では最高気温が零度以下という冬日も多い)、寒さと雪道の不便は元気を低下させますが、日照時間の長さが持ってくる元気の上昇方が低下分よりも大きいようです。

北欧などの寒い国では夏至や冬至をお祝いすることが多い。札幌で暮らしていると、その気持ちが実感できます。夏至は日がいちばん長い日で、冬の夜の長い地域の人たちがこれをお祝いするのはよくわかる。それから冬至は、これ以上日照時間の短い日はない、明日からは太陽とのつきあい時間が少しずつ長くなる区切りの日なので、だからお祝い、ということになるのもよくわかります。

冬至とクリスマスは12月下旬のほぼ同じころなので、クリスマスと関係のない文化圏でクリスマスというのも、それが寒い地方なら、冬至のお祝いの変種だと考えることもできます。

植物には、長日性のものと短日性のもの、それからその中間タイプのものがあります。

日照時間が長くなると開花するのが長日性植物。冬至を過ぎると元気になり夏に向かって花を咲かせるタイプです。このタイプには、農産物だと小麦や大根やキャベツ、花だとペチュニアなどが長日性植物です。

日照時間が短くなると開花するのが短日性植物。夏至を過ぎてから冬に向かって花を咲かせるタイプです。このタイプには、農産物だと、コメや大豆があります。花なら朝顔。

日照時間の影響を受けないのが中間のタイプです。このタイプの野菜は、たとえばトマトです。熊本などの南の地域では冬春トマト、北海道などの北の地域では夏秋トマトが栽培されています。

人(ヒト)はたいていは日照時間の長い方が好きだと思いますが、なかには夜の方を愛好する方もいるし、野生の動物に夜行性の種類も多い。だから、控えめに考えて、ぼくに関しては、長日性の植物と相性がいいとは云えそうです。

人と仲のいい植物に芭蕉(ばしょう)があります。芭蕉の精は女の人になって、僧侶の読経を、夜毎、そっと聴きにきます。

芭蕉はバナナの親戚で、原産地は中国南部。芭蕉とバナナの違いを大ざっぱに云えば、美味しい実がなるのがバナナ、食べられない実がなるのが芭蕉、寒さに弱いのがバナナ、ある程度寒さに強いのが芭蕉です。能の金春禅竹(こんぱるぜんちく)も俳諧の松尾芭蕉も、ちょっと不思議な植物を選んだものです。葉が長く大きいのでいろいろな風が見えるからでしょうか。そういう芭蕉が、長日性なのか短日性なのか、中間の性質のものなのか、気になったので調べてみたのですが、よくわからない。バナナの収穫期は不定期なので、バナナも芭蕉もおそらく中間性の植物だと思います。

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2015年10月30日 (金)

サンスクリット語のアルファベットと、仮名の五十音

英語の辞書では、単語が「a, b, c ….x, y, z」の順番に並んでいます。日本語の辞書(いわゆる国語辞典など)は「あいうえお かきくけこ・・・」の順番で、ぼくたちはそのことに違和感を持ちません。要は辞書は、ある言語がアルファベット(ないしはアルファベットに相当するもの)を持つ場合は、その言語のアルファベットの順番に単語を並べるというのがぼくたちの長い間の約束事のようです。

「abc」のようなラテン系文字で表記された言語の辞書や簡易辞書風のつくりの用語集を見ると、単語や用語の並びの順番は「abcdefg…」であり、国語辞典の様に「あいうえお かきくけこ」の順番に並んでいるとは普通はぼくたちは考えない。サンスクリット(語)も利用者の利便を考えてラテン文字で表記されます。しかし、ぼんやりとそのラテン文字表記の辞書や用語集を見ると、頭の中では自動的に「abcdefg…」が語の順番のデフォになります。まさか、サンスクリットが「あいうえお」「あかさたなはまやらわ」の順番に並んでいるとは、最初は、想像もしません。

鈴木大拙の代表作のひとつに「Studies in The Lankavatara Sutra」(楞伽経りょうがきょう研究)があります。本の最後に80数ページの「A Sanskrit-Chinese-English Glossary」という用語集があり、便利なので必要に応じてときどき参照しています。「Karma」の項を見ると「Karma、業、act ・・・」、「Dharma」の項は「Dharma、法、the truth、the law ; for various shades of meaning attached to the term・・・」といった具合に主要仏教用語が簡明に用例付きで説明されています。ところで、この二つの項目の記載順は、「abc <d>…hij <k>…」の順番ではなく、Kで始まる「Karma」が先に来て、Dで始まる「Dharma」があとに続きます。

片仮名は、九世紀初めに、奈良の古学派の学僧たちが漢文を和読するために、訓点として万葉仮名の一部の字画を省略し付記したものに始まると考えられています(たとえば、「阿」の左側部分から「ア」、「伊」の左側部分から「イ」、「宇」の上の部分から「ウ」、江の右側部分からエ、於の左側部分からオなど)。余計なことですが、この発想は、中国の簡体文字 Simplified Chinese作成の発想となんとなく似ているな、とぼくは勝手に考えています。

さて、仮名(ここではその成立が古い片仮名を例にとりますが)は、その基本要素は文字の「形」と「音」です。「形」とは、たとえば「阿」の左側部分を借りた「ア」、「伊」の左側部分を持ってきた「イ」のことで、「音」とは「ア」の場合は「a」、「イ」の場合は「i」という発音です。しかし、ぼくの興味は、個々の仮名文字ではなく、以下のような仮名四十八文字(ないしは五十音)という構成が、つまり「アイウエオ」という順番、および「アカサタナハマヤラワ」という順番からなる文字構成が、どのようにしてできたのかということの方に向かいます。

       あ段 い段 う段 え段 お段
   あ行   ア  イ   ウ  エ   オ
   か行   カ   キ   ク   ケ   コ
   さ行     サ   シ   ス  セ    ソ
   た行     タ  チ   ツ   テ   ト
   な行     ナ   ニ   ヌ   ネ   ノ
   は行    ハ    ヒ   フ  ヘ    ホ
   ま行    マ    ミ    ム  メ    モ
   や行    ヤ   ■   ユ  ■   ヨ
   ら行     ラ   リ    ル   レ   ロ
   わ行    ワ   ヰ   ■  ヱ    ヲ
                           ン

調べてみると、片仮名四十八文字(あるいは五十音)の構成はサンスクリット語のアルファベットを参考にしているらしい。サンスクリット語のアルファベットとは以下のようなものです。サンスクリット辞書(や用語集)は、単語や用語がこのアルファベットの順番で、つまり左上から右下にかけての順番で、並んでいます。

B

この表と仮名五十音図を見較べてみます。母音は、ラテン文字で表すと、a、ā、i、ī、u。ū、ṛ、ṝ、ḷ、ḹ、e、ai、o、au で、日本語が直接に対応しない母音もありますが、日本語対応母音は「あいうえお」の順に並んでいます。また子音の配列も (母音)、 k、kh、g、gh、ṅ、c、ch、j、jh、ñ、ṭ、ṭh、ḍ、ḍh、ṇ、t、th、d、dh、n、p、ph、b、bh、m、y、r、l、v、ś、ṣ、s、h となっており、当時の「ts」に近かった「さ行」や、それ以前では「f」よりも「p」に近かった「は行」の発音を考えると、また「y」が「ヤ」、「r」が「ル」(ルの「あ段」は「ラ」)、「v」が「ワ」という発音に相当することを考えると、この順番は「あかさたなはまやらわ」です。

念のために、サンスクリットのアルファベットと仮名五十音(の一部)を重ね合わせてみると次のようになります。

B

片仮名の起源は九世紀初めの奈良の古宗派の学僧たちの漢文和読だと書きましたが、当時、サンスクリット(悉曇 しったん)を詳しく知っているのは、南都六宗や密教系の僧侶の一部や仏教に造詣の深い帰化人だけでした。そういう人たちが、サンスクリットのアルファベットを参考に、「あいうえお」「あかさたなはまやらわ」「ん」という五十音(あるいはその基礎)を作り上げたのでしょう。

そして、いつのころか、この仮名四十八文字の全部が重複なく使われて、無常感の漂うきれいな歌になりました。「色は匂へど 散りぬるを 我が世誰ぞ 常ならむ 有為の奥山 今日越えて 浅き夢見し 酔ひもせず」。

さきほどの「A Sanskrit-Chinese-English Glossary」という用語集に関して云えば、万葉の時代の発音らしきもので「あいうえお」「あかさたなはまやらわ」と云いながらページをめくると、目的のサンスクリット語の単語や用語に楽に到達できます。

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2015年10月29日 (木)

黄檗山(おうばくざん)萬福寺と黄檗希運(おうばくけうん)の語録

京都七福神めぐりという確か京都駅を出発するお正月限定の観光バスツアーがあり、十数年前に配偶者といっしょに参加しました。丸一日かけて七福神をめぐるのですが、布袋尊(ほていさん)には宇治市にある禅寺の黄檗山(おうばくざん)萬福寺(まんふくじ)で出会えます。モノの本によれば、太鼓腹と笑顔の絶えないこの御仁は、外出する時はいつも大きな布袋(ぬのぶくろ)をかついで物乞いをし、貰ったものは何でもその袋の中に放り込んでしまうので、布袋(ほてい)と呼ばれるようになったそうです。

それが最初に訪れた萬福寺でした。到着したのが遅めの午後ということもあって、境内の部外者が立ち入れるあたりには、バスツアーの三十人足らずの乗客以外は見あたりません。三十人足らずの乗客も、めいめいが個人であるいは二人連れで勝手に歩くのでお互いに邪魔にはなりません。ある建物の一画から修行中の若い僧の声が響いてきます。

二度目の萬福寺は、ある所用を片づけたあと宇治まで足を延ばしたときで、数年前のことです。修復工事前の平等院鳳凰堂と萬福寺が目的地でした。萬福寺を訪れたのが週日の遅めの午後という時間帯だったためか、ぼくたち二人のほかには観光客風の人影は見あたらず、回廊をめぐっていた時に建物の内部から修行中と思われる若い僧の声が流れてきました。ぼくにとって萬福寺の記憶といえば、若い僧の修行中の声です。

英語で書かれたある本の翻訳を久しぶりに読み直したのがきっかけで、九世紀前半から半ばにかけて活動した唐の禅僧、黄檗希運(おうばくけうん)の語録「伝心法要」の一部に再び出会いました。最初の出会いの記憶はほとんどありません。語録といっても、杖と喝がちりばめられた種類ではなく、黄檗希運と語録の編者の斐休(はいきゅう)の資質がそういう方向で一致していたからだと思いますが、哲学的な色彩、形而上学的な雰囲気の濃いものです。

哲学書のような内容なので、禅の語録としては人気がないのでしょうか、文庫本などは初版が戦前発行の、現在では廃版になったものしかありません。しかし、John Blofeld という英国人の手になるこの語録の英訳本があることに気づき、1958年に出版され現在でも販売され続けているその英訳本に目を通しました。よくわからないところもあるのですが、「Enlightenment(悟り)とは、概念化によってすぐにわれわれが陥ってしまう主体と客体の Dualism(二元論)から自由になること」といった思いを軸に翻訳されているので、そういう意味ではわかりやすい。

先日、かつて禅の語録の一冊として出版された「伝心法要」の中古本が手に入りました。原文(漢文)に読み下し文と語句解説と日本語訳を付け加えたもので初版は1969年。著者は入矢義高。十年くらいあとで廃版になっているようです。語句の解説と日本語の訳文がすばらしい。「Dualism(二元論)からの自由」という調べの英訳本で準備運動をしていたので、その分だけわかりやすかったのかもしれません。十数年前と数年前にその声を聞いた萬福寺の修行僧たちは、それぞれの修行の場面で、主体と客体のDualism(二元論)から自由になれたのでしょうか。

Dualism(二元論)から自由であるとは、「伝心法要」の一部を引用すれば以下のようなことです。

『法はもともとそのものとして無法なのであるが、無法もまたそのものとして法なのである。今この無法を君に授ける時、永遠なる法が嘗て(かつて)法だったことがあろうか。』

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