存在が花する

2020年3月30日 (月)

コロナの巣ごもり読書には「聊斎志異(りょうさいしい)」

新型コロナウィルス騒動で巣ごもり状態が要請され退屈するかと思ったら、世間は、というか政治と行政の世界はほとんど毎日がコメディなので思ったほど退屈しません。コメディは役者が真面目に演じれば演じるほど滑稽になるとしても、最近の政治行政コメディは登場人物がおのおのの利害と利権の追及にバラバラな方向で熱心なので、その結果、普通のシナリオライターが描く筋書きをはるかに超えたおかしさに満ちています。

「外出は自粛してください。」「不要不急の用事で外に出かけないでください。」「ただし、旅行券と外食券を提供しますので、(外出自粛要請などは気にせずに)旅行し、レストランで思うまま食事を楽しんでください。」「肉や高級魚の購入を支援するクーポンも用意します。」「日常生活で必要なものは政府が責任をもって製造と流通を保証するので心配無用です。」「マスクがいまだに買えないのですがどうなっているのでしょうか?」「申告所得税、贈与税及び個人事業者の消費税の申告期限・納付期限について、令和2年4月16日(木)まで延長することといたしました。」「経済的支援は、前例のない規模で速やかに行います。」「(現金による給付は)当面のキャッシュがない人など(だけ)を対象に(します)。」「(実際の現金給付は)早くても5月末になります。」「首都封鎖も検討しています。」「これでわたしの支持率上がったわね。」「花見や宴会での外出は控えてください。」「都が自粛を求めている公園で花見のような宴会を行っていた事実はない。・・・レストランに行ってはいけないのか。」

「レストランに行ってはいけないのか」を「おいしいケーキを食べてはいけないのか」に翻訳するとフランスやルーマニアではほとんど革命前夜ですが、先日の記事「Financial Times のコロナ(COVID-19)関連の無料記事」で参照した “Coronavirus tracked: the latest figures as the pandemic spreads | Free to read” でも戯画化されているように、日本は「従順で社会規範が強くてマスク着用」の国なので、まだ革命には至っていないようです。

最近になって、東京都でも「密閉」「密集」「密接」の「三密」を回避しようという主旨のメッセージが飛び交うようになってきました。三密の意味は違いますが、三密と言えば密教で、空海です。ただし密教の場合は「三密の回避」ではなく、「肉体と言語と意識のひそかな相互作用であるところの三密、の勧め」になります。

空海の「即身成仏義」という著書に七言八句の頌(じゅ、韻文)があり、下にその上四句を引用します。世界はそのままで(即身)、つまり、ヒトを便利な乗り物として生存しようとしている出自がはっきりとしないがとても頭のよさそうなコロナウィルスを含めてそのままで、悟っている(成仏)という意味の韻文です。

《六大無碍にして 常に瑜伽なり》(宇宙の六つの構成要素はお互いに融けあっていて常に瞑想している)

《四種曼荼 各(おのおの) 離れず》(そういう宇宙を四種類の曼荼羅(まんだら)で象徴的に表現した場合でも、おのおのが離れることはない)

《三密加持すれば 速疾(そくしつ)に顕わる》(私たちの肉体・言語・意識の三種類の働きが仏のそれぞれの働きと応じ合えば、速やかにさとりの世界が顕われる)

《重々(じゅうじゅう)帝網(たいもう)なるを即身と名づく》(六大と四種曼荼と三密は宇宙の網の中で重なり合っていて互いに映り合うような状態であり、だからそのままで私たちは仏の状態にあると言える)

今回のコメディで登場した演者の(まだまだ進行中なので新しい役者も裏に控えていると思いますが)いろいろな言葉や表現はぼくたちの笑いを誘ってくれるし、またいろいろなことを考えさせてもくれるようです。

さて「聊斎志異」です。

巣ごもり読書には推理小説でもいいのですが、あまりに犯罪者の心理分析が重いものは鬱陶しいので、こういう場合は、神仙・幽霊・妖しい狐や妖しい美女・魑魅魍魎(ちみもうりょう)にまつわる中国の怪異譚「聊斎志異」にしくはない。

日本語訳にいくつかの種類があります。ここでは岩波文庫版の「聊斎志異」(上下二巻)が対象です。完訳本だと短篇掌篇合わせて491篇を訳すので膨大な量になるので、たいていは翻訳者と出版社が読者に面白そうなものを選んで一冊か二冊に収まるようにしてあります。岩波文庫版だと上下二巻で92篇。それぞれ450ページ余り。文字数はとても多く、各ページは(ジジイ、ババア向きでない)非常に小さいポイントの活字で埋まっています。ただし篇ごとに挿絵もついている。

この世のものではない美しさの女性や傾国の美女、えも言われぬ香りの女性が数多くの篇に現れます。路上でそういう女性に出会うこともあるし、そういう女性が深夜に戸を静かに叩く場合もあります。だから題名を手掛かりにそういう女性が登場するに違いない、その可能性の高そうな篇を選んで読み進めるのは一つの方法です。たとえば女性や女性の名前が題名になっているところの「青鳳(せいほう)」「侠女(きょうじょ)」「蓮香」「巧娘(こうじょう)」「紅玉」「連城」「花姑子(かこし)」「緑衣女」「青蛾(せいが)」「嫦蛾(こうが)」など。

「ある日も読書をしているとき、不意に室内にえも言われぬ香りが満ちてきて、しばらくすると佩玉(はいぎょく)の音がしきりに聞こえてきた。驚いて振り返ると、きらびやかな簪(かんざし)や耳輪を飾った美人が入ってきた。」(「甄后(しんこう)」

あるいは「労山道士(ろうざんどうし)」のようないわゆる道教や神仙を匂わせる篇を開くのももう一つのやり方です。「労山道士」では次のようなわくわくする描写に出会えます。

「日もとっぷりと暮れてきたのに灯もない。すると、師匠が紙をまんまるく切り抜いて壁に貼りつけた。と、その紙がたちまち月にかわって、室内をこうこうと照らし出した。・・・・『せっかくこんな月明かりをいただいたのに、黙りこくって飲んでいるのも曲もない。ひとつ嫦蛾(月宮の仙女)でも呼びましょうか』と言って箸を月の中に投げ入れたかと思うと、ひとりの美女が月光の中から姿をあらわした。」

短篇集なので頭から読んでもいいし、書き出しが気に入った篇をつまみ読みしてもいい。一度読んで好きになったのを読み返しても楽しい。


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2020年3月24日 (火)

「アクティブ・ババア」「アクティブ・ジジイ」と姥(うば)捨て山

今回の新型コロナウィルス騒動でも、初期段階でぼくたちの眼に見えた現象は、アクティブシニア層やその層より少し若いアクティブ熟年層がウィルスの攻撃対象やウィルスの顕著な運搬媒体になっていたということです(現在がどういう形の感染カーブのどのあたりにあたるのかよくわからないにしても、初期段階の現象でした)。複数の外洋クルーズ船の主要乗客はアクティブシニア層でしたし(そういう層しか参加しないということであるにせよ)、ライブハウスやスポーツクラブの主要顧客層のひとつは確かにアクティブシニア層です。彼らは体調がいいので、あるいは、体調に如何にかかわらず、昼も夕方もともかくよく動く。

以前はシニア層が屯(たむろ)する場所は午前中の整形外科の待合室や図書館や近所の公園などが多かったようです。今も公立図書館の新聞などは開館時からシニア層に占有されているらしい。早い時間帯のスーパー銭湯もシニア層のサロンだと聞きます。動いていないと気が済まないアクティブシニア層は、静的な空間だけでなく浴室設備のあるスポーツジムやスポーツクラブにも浸透し始めました。

外へ出て積極的に何かをするという意味では図書館通いからスポーツクラブ通いまで一貫していますが、外出先での彼らの自由な振る舞いが若い人の眼にはオーボーな行為と映っているのかもしれません。そういうシニア層には傍若無人な態度を見せる人たちが確かに混じっていて、そういうことも合わさって彼らが「アクティブ・ジジイ」や「アクティブ・ババア」と呼ばれている模様です。

昔々「姥捨て(うばすて)」という風習があったようです。そういう民話や伝説が日本の各地に伝わっていて、これを棄老(きろう)伝説といいます。伝説や民話が残っているということは、そういうこと(あるいは、それに近いこと)が実際に行われたということなのでしょう。柳田國男の「遠野物語」はその一例です。

「姥(うば)」とは老女や老婆を指します。爺ではない。しかし「姥捨て」となると棄(す)てられるのはお年寄りで、そこにはおばあさんもおじいさんも入ってきます。しかし古人が選んだ名称は「姥」。共同体や家族の負担でしかなくなった「ジジイ」や「ババア」を山に棄てた。

世の中には、元気であっても、大きな網に放り込んで姥(うば)捨て山に持っていって棄ておきたい、そういう婆さん連中や爺さん連中が確かにいらっしゃる。そういうシニア層が若い人たちから「アクティブ・ジジイ」や「アクティブ・ババア」と呼ばれているのでしょう。

COVID-19が猛威を振るっているイタリアでは医療スタッフや設備不足で全員を同時に同様な設備で治療できないときに、誰を治療し誰を治療しないのか、その優先順位の決定で苦しんでいる医者もいらっしゃるようです。かりにある70歳の重篤な感染者と、ある20歳の重篤な感染者と、ある1歳の重篤な感染者がいるときに、医療スタッフと医療設備が不足した環境で3人の治療優先順位をつけるとすると、

第1案は、①20歳 ② 1歳 ③70歳
第2案は、① 1歳 ②20歳 ③70歳

となります。20歳と1歳の優先順位をどうするかは「すでに才能や実績として顕在化したもの」と「今後開花する潜在能力や可能性の大きさ」をどう組み合わせてどういう視点で評価するかという哲学的な議論が絡んできますが、70歳の順番を一番後回しにすることについてはその合意形成にとくに悩まなくてもよさそうです。しかしその場合は、捨て置かれる70歳については安楽死という選択肢も必要になります。

しかし実際には当該70歳の持つ政治力や取り巻きが、「70歳の置かれた土俵」と「1歳と20歳の置かれた土俵」を切り離し、70歳の土俵を高みに持ち上げて70歳の優先治療を医者に迫るといった事態も発生します。「アクティブ・ジジイ」や「ババア」の属性のひとつです。


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2020年3月19日 (木)

オリンピックには新興宗教の香り?

運動やスポーツは走るだけのタイプであってもボールを扱うタイプであっても、好きなら下手なりに楽しいものです。下手なりに楽しいというのは、それを職業や職業に類するものと考える必要がないからです。オリンピックを仕事にしている人たちはそうはいかない。

東京オリンピックをどうするかに関する議論を拝聴していると、なかにはほとんど近代オリンピック教という新興宗教の信者のような考え方のかたがいらっしゃるのでいささか驚かされます。オリンピックの理念や原則といった言葉といっしょに教義らしきものが生な形で姿を見せるのでびっくりするわけです。オリンピックを材料に金儲けを企んでいる人たちではなく、オリンピックを仕事にしている人たちにそういう考えの方が多い。そうでないと仕事にならないのでしょう。

「新興宗教」と言ったのは、IOCができたのが1894年、第一回目のアテネ大会が1896年、つまり近代オリンピックなるものは、わずか125年くらい前(日本だと明治時代半ば、日清戦争の頃)に生まれたました。「新興」です。

新興宗教はその基本的な教義や考え方を、ユダヤ教・キリスト教のような絶対者を想定する宗教的な宗教や、仏教のような絶対者を想定しない哲学的な宗教など三千年から二千年くらい前の世界に生まれた宗教に依拠していることが多い。あるいはそうでなければ、その後世界(に拡がることになった)宗教が出現する以前に各地域に生まれていたその地域固有の神々(たとえばギリシャ神話に登場する神々や日本の神道の神々など)に根差してしていることも多いようです。

近代オリンピックもその基本的な考え方は古代ギリシャ人がオリンピア祭に催した古代オリンピック競技のそれから来ています。古代オリンピック競技は運動だけでなく詩の競演も含んでいたようですが、紀元前776年から紀元393年まで4年ごとに開催されました。

紀元393年の古代オリンピック競技が最後になったのは、その翌年,オリンピック競技会の開催を禁じるテオドシウス帝の勅令が出されたからです。キリスト教徒であったテオドシウス帝は「ギリシャの神」に捧げられるオリンピックを「異教的なもの」(キリスト教の勝手な言い草ですが)として排除しました。ギリシャ人も他民族・異民族をバルバロイ(よくわからない言葉を話す人たち)と呼んでいたので似たようなものです。中華思想では東夷・北狄・西戎・南蛮がバルバロイです。

「宗教」といったのは、オリンピックを仕事にしている人たちにとっては、オリンピックは他のスポーツ競技会(たとえば世界選手権)やスポーツイベントとは違ってたかがスポーツではないらしいからです。そういうところに原理主義的・教条主義的な匂いが漂います。オリンピック以外の競技会は「バルバロイ的」なのでしょう。

古代ギリシアにおいて開かれていた大規模なスポーツの祭典としては、古代のオリンピックにあたる「オリンピュア大祭」のほかに、「ネメア大祭」と「イストモス大祭」と「ピューティア大祭」の三つの競技大会があったそうです。

「オリュンピア大祭」は4年に1度、「ネメアー大祭」は2年に1度、「イストモス大祭」も2年に1度、「ピューティア大祭」は4年に1度開催されましたが、4つの競技大祭のうちゼウスに捧げられるオリュンピア祭が最も盛大に行われたそうです。だから、これが近代オリンピックにつながった。

ちなみに、古代ギリシャの哲学者プラトンは青年期はアテナイを代表するレスリング競技者として活躍し「イストモス大祭」(4年に1度のオリュンピア大祭の開催年の前後の年に、つまり古代オリンピックを挟んで2年ごとに開催された)に出場したらしい(そういう弟子の記録が残っている)。当時のギリシャ世界の世界選手権大会です。オリュンピア大祭(古代オリンピック)と比べると格が落ちる。プラトンがオリュンピア大祭(古代オリンピック)に参加したかどうかはわからない。多分参加していない。プラトンが「バルバロイ的」な「イストモス大祭」だけに参加していたかもしれないというのは何となく興味深い。本当は何十キロも歩くのが面倒なのでアテナイと地理的に近い大会に参加しただけかもしれないのですが。

オリンピックの聖火採火式が行われるのはヘラ神殿跡です(ヘラはゼウスの奥さん)。ゼウスも天の高みから採火式を見下ろしているのでしょう。ギリシャ神話的な意味で宗教的な儀式です。古代ギリシャの神々の息吹が、どうして現在のオリンピック関係者の教条主義的な(ギリシャの神々からすれば異教的な)姿勢に繋がるのかぼくにはよくわからない。


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2020年3月 5日 (木)

とても賢いかもしれない新型コロナウィルス

新型コロナウィルスが蔓延しているらしい「北海道クラスター」で暮らしているという事情もあるので、本棚から「免疫の意味論」(多田富雄著)を二十数年ぶりに引っ張り出して気になる箇所を読み返してみました。基礎知識をリフレッシュしこの名著から刺激をもらうためです。

生物の最もわかりやすい存在目的は、ウィルスや細菌から野原の草やミミズ、そしてヒトまで、その種が再生産を繰り返しながら生存しつづけることです。

ウィルスの「生き甲斐」はたとえばヒトという宿主の免疫系を破壊することではあっても、ウィルスは宿主がいないと存続できないという事情もあるので、極右(ないしは極左)武闘派のようにむやみと宿主を殺傷してしまうのは得策ではありません。宿主に棲むためにその免疫系と戦いながら、宿主という集団を「殺さず生かさず」風に維持するのが賢いやり方です。

つまり、

① 感染者の致死率が高くなく(Coronavirus COVID-19 Global Cases by Johns Hopkins CSSEによれば、Total DeathsをTotal Confirmedで割った2020年3月4日現在の世界の平均値は3.4%)、
② 感染者数や感染者の致死率は、子どもや若い年代はとても低くて、熟年から高齢者になるほど急激に高くなる
③ 8割の感染者が軽症で自覚症状がほとんどない
④ それから症状が治まって陰性になった感染者も再感染する、つまり免疫系が必ずしもうまく働かない(というのが事実だとすると)、

といったことを総合すると、新型コロナウィルスの「ヒトという宿主集団を殺さず生かさず」という主旨の生存戦略は、再生産(予備・可能)年齢層には親切に宿り再生産年齢を過ぎた人たちにはやや冷酷に取りついているところを見ると、実に賢く考えられているということになります。長くなり過ぎたかもしれないヒトの平均寿命を中・高齢者層を中心に調整しているとも言えます。

地球は、40万年前から10万年の単位で8℃の気温の上昇(温暖化)と下降(寒冷化)を繰り返していて、これは人為では実質的には如何ともしがたい。新型コロナウィルスが人為によるものでなければ、ヒトは防御的に折り合いをつけるしかないという意味では両者は似ています。

エイズウィルスとそのうち折り合いがついたように、今度のコロナウィルスと折り合える方法が見つかる(作られる)までは、家庭や個人のできる範囲で折り合いをつけていくしかなさそうです。


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2020年2月17日 (月)

「長安の春」における春の花の季節感

立春も二週間ほど前に過ぎて、札幌の雪まつりも終わりました。札幌の春は遅い春ですが、ともかく春を待ちます。

石田幹之助の著した「長安の春」という論文風のエッセイは名文で、その冒頭に引用してある「葦荘」の詩に続く書き出し部分の春の花が描写がとくに美しい。

昔の陰暦の中国では、またそれを輸入した日本でも、一年を二十四に分けていました。それを二十四節気(せっき)と言いますが、ぼくたちはそれを今でも日常生活で(たとえば時候の挨拶や天気予報で)利用しています。「立春」から「立夏」に至るまでの春の節気は次の通りです。

・立春
・雨水(うすい)
・啓蟄(けいちつ)
・春分
・清明(せいめい)
・穀雨(こくう)

それぞれの節気をさらに五日くらいずつで、初候・次候・末候(ないし一候・二候・三候)の三つに分けるとそれぞれに花の春が現れます。

エッセイの冒頭で引用された「葦荘」の詩は「長安二月 香塵多し」で始まり、そのあとに石田の美しい文章が続きます。「香塵」とは風で落ちた花のことです。やや長くなりますが色々な春の花が溢れる最初の十行くらいを引用してみます。

 『陰暦正月の元旦、群卿百寮の朝賀と共に長安の春は暦の上に立つけれども、元宵観燈の節句の頃までは大唐の都の春色もまだ浅い。立春の後約十五日、節は雨水(うすい)に入って菜の花が咲き、杏花(あんずの花)が開き、李花(スモモの花)が綻ぶ頃となって花信の風も漸く暖く、啓蟄(けいちつ)に至って一候桃花、二候棣棠(ていとう、ヤマブキ)、三候薔薇(しょうび、バラ)、春分に及んで一候海棠(かいどう)、三候木蓮(もくれん)と、次々に種々の花木が繚乱を競ふ時に至って帝城の春は日に酣(たけなは)に、香ぐはしい花の息吹が東西両街一百十坊の空を籠めて渭水(いすい)の流も霞に沈み、終南の山の裾には陽炎が立つ。・・・時は穀雨(こくう)の節に入って春は漸く老い、・・・二橋の袂(たもと)に柳の糸を撫でて薫風が爽やかに吹き渡ると、牡丹(ぼたん)の花が満都の春を占断して王者の如くに咲き誇り、城中の士女は家を空しくして只管(ひたすら)に花の跡を追うて日を暮らす。』

日本では花は桜ですが、唐の長安では花は牡丹でした。なお、海棠(かいどう)とは、桜によく似た中国原産のバラ科植物で、下の写真は、morino296さんのブログ記事からお借りしました。この場を借りてお礼申し上げます。

C3 海棠

長安(現在の西安)は内陸部ですが渭水という大きな川が流れ、北緯は34度と北京と上海の間くらいなので札幌などよりははるかに南です(緯度は日本だと広島市くらい)。いろいろな花や柳には不自由しません。五月の連休あたりからすべてが他に遅れないように一緒に開花する札幌と違って、花は種類ごとに「節気」と「候」に応じて順番に開いていく。

李白の「少年行」という詩も舞台は春の長安で、馬に乗った青年が落ちた「牡丹」の花を踏んで、胡姬がいる酒場に笑顔で入って行きます。胡姬とはイラン系のきれいな女性です。緑の眼や碧い眼をしていたかもしれません。

五陵年少金市東,銀鞍白馬度春風。
落花踏盡遊何處,笑入胡姬酒肆中。

五陵の少年 金市の東 銀鞍の白馬 春風を渡る。
落下踏み尽くして何れの処にか遊ぶ 笑って入る 胡姫酒肆の中。

司馬遼太郎の「空海の風景」には、空海と同期の遣唐留学生として長安に遊んだ橘逸勢(たちばなのはやなり)が、勉学も思ったように進まず鬱屈気味で若い女性のいる場所に入り浸った様子が確か描かれていました。胡姫の舞う酒肆にもおそらく通ったに違いない。なお書に秀でた逸勢は空海、嵯峨天皇とともに三筆と呼ばれています。


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2020年1月23日 (木)

吉田健一の文章を楽しむ方法

吉田健一の書いたものは、出版社がどう分類していようと凡てがエッセイ風です。しかし、エッセイ風の文章といっても必ずしも読みやすいものだけとは言えず、重い主題について、論述の展開というものがあやふやで、彼の頭の中にぼんやりとあるものを言葉でなぞりながら言葉にしていくときに、同じ辺りをぐるぐると歩き続けるということも多い。

吉田の文章は彼の頭に生まれた想念(ないしは意識)の流れをただ文章にしたものではあるのですが、想念(意識)を言葉に移していく際に、最初に出会った言葉を手掛かりにしてもっとぴったりとする言葉を探し続けるので、長くてまわりくどくて何を言っているのかわからない状態にお付き合いさせられる場合も少なくありません。そういう散歩に付き合わされるといささかうんざりだし、それから、彼の(とくに後期の作品の)文章には句読点が甚だ少ないので、それもあって、彼の文章のリズムと読む側の呼吸が合わないと読んでいてとても息苦しくなってしまいます。

吉田健一の散文を心地よく読む方法は、エッセイや評論風の書き物であれば、そのなかのアフォリズムを感じさせる一節を、それが短くても長くても、賞味することです。彼の同語反復風の粘っこい記述が読む側のその時の体調リズムと合わないと判断したら斜め読みで構わない。小説なら、たいていは哲学的なエッセイ風味の記述が不意に顕れるので、ストーリといっしょに(あるいはストーリとは別でもいいのですが)ゆっくりと味わうことです。ストーリと書きましたが彼の長編小説にわくわくするような筋の展開があるわけではありません(長編小説も短編小説の集合体という趣きなので)。

もう一つの方法は、彼の小説における時空感覚の自由さ、つまり昭和の日本と唐や宋の中国と十八世紀のヨーロッパなどを、庭や月、絵や磁器や川や幽霊や幻を媒介にして自在に出入りする自在さとそのことによってもたらされる夢見心地や酔い心地を楽しむことです。

それから、これは「もう一つの方法」の一部になると思いますが、次のような書き出しで始まる短編小説があるとして、そこまで読んで「なんだこの訳の分からない小説は」と呆れて放り出すのではなく、どう進んでいくのか判然としない文章に少し我慢して付き合ってみると、必ずそうなるとは決して保証の限りではありませんが、少し酔っぱらったような(時には急に酔いが醒めてしまうような)不思議な読後感に浸れます。

 「昼になった頃の食べもの屋が繁盛するのに対して、その時刻のバアががらんとしてゐてバアよりも物置きか何かに似てゐることは、誰でも知ってゐると言ひたくても、そんなに早く開くバアもあることは多くのものにとってどうでもいいことに違いない。併しさういふ一軒に入って見れば、そのやうな感じがする。そしてこの経験をするものは余程の暇人か、何か特別の目的があるものに決まってゐて、その男がさうしてそこのバアに来てゐるのは人目が避けたいからだった。」(「逃げる話」)

ドナルド・キーンは吉田健一の文章を次のように評しました。

 「・・・・・吉田の書くものは、その対象が英国の詩、あるいは日本の通俗小説、あるいはまた食べ物、酒の話であっても妙に洗練された懐の深さを感じさせる。吉田の文章は常に完璧な自信に満ちていて、その難解で時に意味が取りがたくなるような入り組んだ文体に吉田は明らかに誇りを持っていた。そしてそれは英語とは対照的に日本語の特徴をもっともよく生かした書き方であり文体であると吉田は思っていたようである。」(ドナルド・キーン「日本文学の歴史」(18)、ただし、長谷川郁夫「吉田健一」より孫引き)

吉田の時空感覚の深さや自在さが顕れた例を下にいくつか並べてみます。なお、引用文のあとの丸括弧の中は「作品名」《エッセイか小説か》です。

 「冬の朝が晴れていれば起きて木の枝の枯れ葉が朝日という水のように流れるものに洗われているのを見ているうちに時間がたって行く。どの位の時間がたつかというのではなくてただ確実にたって行くので長いのでも短いのでもなくてそれが時間というものなのである。」(「時間」《エッセイ》)

 「我々が時計を見て朝の十時であるあるのを知るのは用向きの上での意味しか持たないが光線の具合で朝であると感じるのは我々が朝の世界にいるのを認めることで朝の十時であるのはそれを知るもの次第であっても朝であるのは世界が朝なのである。」(「時間」《エッセイ》)

 「時間がたって行くことを知るのが現在なのである。」(「時間」《エッセイ》)

 「従ってあるのは現在と現在でない状態であって普通は過去であることになっているものに我々がいればそれが現在であり、一般に現在と見られているものも我々にとってただの空白であり得る。」(「時間」《エッセイ》)

 「併し世界を見廻してそこに間違いなくあると認められるものはそこにあり、それがあったのでないのはその感覚を生じさせるものがないからであって我々がものを見る時の眼を世界に向ければそうなる。そこにあるものはあって我々に語り掛けるがこういうことが曾てあったと語るものはなくてそこにも流れる時間というのは常に現在である。」(「時間」《エッセイ》)

 「・・・別にそれを見てこれから一日が始まろうとしている気配を感じるのでもなければ前の日にあったことの結果で今日することになることを思い浮かべるのでもなくてただ眠気が去って朝になり、ものが自然の光で見えて来て体も一日の間覚めているのに堪える状態に戻っている朝というものがもの心が付いたその日からのことであっても、或はそのこともあって懐かしかった。」(「本当のような話」《小説》)

 「又一日は二十四時間でなくて朝から日が廻って、或は曇った空の光が変って午後の世界が生じ、これが暮れて夜が来てそれが再び白み始めるのが、又それを意識して精神が働くのが一日である。」(「埋れ木」《小説》)

 「・・・見ているのは緑でも紅でもなくて或る種の青磁が帯びている色ともしこの世にそういうことがあるならばその青磁の底に浮かび上がるかもしれない真紅だった。こういう紅は燃えるということがない。それはそれだけのものを蔵して何気なしに拡がるものでただ見ていてそれでいいのだと思う。又その緑も色よりもその緑と一応は言える色をしたものなのでそれがものであるから変じ、それが雨で濁った川の流れの草色からその川に向かって伸びた枝に止まっている川蝉の羽に日が差した紺青にまで及ぶ。又それはそういう緑と紅の配合でもなかった。寧ろ精神にこの二つを思い浮かべることが出来るならばその状態でそれが眼の前にあってそれは隣り合わせなのでも互いに溶け込むのでもなくてその一つがもう一つに自在に代る関係に置かれて二つともそこにあった。」(「金沢」《小説》)

 「『とてものことにあの宋の碗をもう一度見せて下さいませんか、』と言った。『これですか、』と山奥が言って内山の目に置いた。それはやはり淀(よど)んだ緑に紅を浮かべていて内山は紅の色が一切の原因であるような気がした。それ程静まり返ったものはなくて今にも改めて溶けるか燃えるかしそうであり、そういうものだったからそれが山上の寺もそこまで桃源郷を縫っていく川も、また女が持つ炉の火も春の夜に漂う花の花の匂いもその中に沈めていて少しも不思議でなかった。それだけの魔力があるものが人間の眼には美しいと映る。・・・・内山はその碗が壊れない、又壊せないことを知っていた。それは永遠の瞬間ということと同じでその碗がある所に、或はそれを人間が見る時にそこに天地が息づき、それを人間が見なくなれば碗は初めからないことになるのだった。」(「金沢」《小説》)

 「・・・二人が廃園をさ迷う幽霊であってもいいと思った。まだ二人は昼のままの服装でいて背広を着て廃園に現れる幽霊というのはなくても女が着ているものを見るといつの時代のものなのかフランスの所謂、執政期、十八世紀も革命が終ってギリシャの風俗が真似られた頃を聯想させる白い服を胸の所で止めたのがその庭を一人で行き来するならば幻であることを失わなかった。何も顧愷之の女の詩人でなくても女といるのにその顔を見ることはなかった。ただ酒を勧める袖にも女はいてそれは匂いと息遣いであり、それがやがてそれだけではなくなることが解っている時に一層それはその袖のようなものにその一切が籠ることになる。」(「金沢」《小説》)


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2019年12月24日 (火)

物理学者の「明日は晴れです、なぜなら明日は運動会だから」風な発想

ある必要から「古事記」を読み返していた時に、もっと無機質な「創世記」というか「創宇宙記」風に目を通したくなり、本棚に放り込んでおいた、アマチュア読者を対象にした宇宙論研究者ホーキンスの著作(講演論文集の日本語訳、1990年)を読んでみたら、そこで実証主義者ということになっているホーキンスや彼以外の物理学者の「明日は晴れです、なぜなら明日は運動会だから」的な発想や仮説や前提に出会うことになりました。仮説を突き詰めていくと文学的に、ないしは形而上的に、ないしはわからないものはわからないので、説明のためにはとりあえずジャンプして「人間的に」表現せざるを得ないところがあるのでしょう。

ここで実証主義者とは、我々が知ることのできるものは実験や観測によって知られることだけなので、その結果と矛盾しないそのための考え方や理論は、どれほど奇妙なものであっても(たとえば虚時間 Imaginary Time)正しいとする立場をとる科学者のことです。

その本の中からぼくが興味深かったことを二~三まとめてみます。

時間が、アインシュタインの相対論で予言されるように特異点で始まるのなら、始まりの前はどうなっていたのか、物理法則を定義できない特異点で宇宙の始まり方を決めたのは何か(あるいは誰か)という疑問がとうぜん生まれます。そこで無境界仮説が生まれました。無境界仮説とは宇宙には端(ビッグバンのような特異点)がないという仮説です。

宇宙の端(特異点)での物理量は物理法則で決めることができません(だそうです)。だから宇宙のすべてが物理法則で説明できる存在ならば(宇宙は摂理によってそう作られているならば)、そのような端はないに違いないという考え方です。なぜなら宇宙には物理法則が成立しない端(たとえば宇宙の始まり)があってはならないから、端がないのです。宇宙は時空の隅々まで物理法則のあまねく顕現する場として作られている。

「時間の矢」という考え方があります。時間の矢は時間に方向性を与え過去と未来を区別するもので三つある。

まず、熱力学的な時間の矢。これによって無秩序、つまりエントロピーが増加する時間の方向を与えられます。次が心理的な時間の矢で、我々が感じる時間の経過方向です。過去は憶えているが未来は憶えていないということ(時間の方向)です。三つめが宇宙論的な時間の矢です。これによって現在、宇宙が(収縮ではなく)膨張しているという時間の方向が与えられます。

とすれば「昔はよかった」といういつの時代にもある老人の感想は、「熱力学的な時間の矢」と「心理的な時間の矢」が組み合わさった時の必然的な時間感覚、方向感覚ということになります。時間は過去から今へと心理的に変化し、過去は今よりも無秩序が少ないので、無秩序状態が好きな人以外は昔の方がよかったということになります。

人間原理とは、宇宙が現にあるような姿をしているのは、それ以外の宇宙では、我々のような存在が現れず宇宙を観察することが出来ないから、宇宙は今のような姿だというけっこう強引な考えです。

観測結果からして、宇宙は現在確かに膨張しているそうです。しかし、宇宙は膨張(ビッグバンという特異点から始まって膨張)したのち収縮(ビッグクランチという特異点に収縮して崩壊)するのだとして(そういう考え方もあるので)、我々人類はなぜ収縮期ではなく膨張期に存在しているのかというと、そのほうが「宇宙の膨張と同じ時間の方向になぜ無秩序(エントロピー)は増加するのか、というような質問を発することのできる知的生物が存在するためには、膨張期の条件はふさわしいけれども収縮期の条件はふさわしくないから」だそうです。

解り易く書かれているので読んでいて面白いのですが、上記のような例は「明日は晴れです。なぜなら明日は運動会だから」という発想にとても近いかもしれません。つまり「明日は運動会、だから明日は晴れ」という子供らしい考え方もそれなりに役に立ちます。宇宙の平穏を維持するために、自分の作った方程式にあとで定数を追加して辻褄を合わせるというようなことも、あるいは神様はバクチをしないので偶然性と不確定性が内在する量子力学を信じないと権威的に主張することも実際にはあるので。


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2019年10月11日 (金)

18歳の吉田健一と27歳のジョーン・ロビンソン

本棚の奥に紙が経年変化した「経済学の考え方」(宮崎義一訳)という本があります。著者はジョーン・ロビンソンという1903年に生まれ1983年に亡くなった女性経済学者です。その本の隣には「ゆたかな社会」(ガルブレイス著)が立っています。サムエルソンのような無味乾燥な内容の著作が得意な学者とは違って、彼女は思想的、情熱的な経済学者でした。
 
「経済学の考え方」の訳者あとがきにあるように、彼女は別の著書で「経済学を学ぶ目的は、経済問題について一連のでき合いの答えを得るためでなく、いかに経済学者にだまされないようにするかを習得するためである」と言っており、その言葉がそっくり「経済学の考え方」の内容要約にもなります。
 
彼女は何度かノーベル経済学賞の受賞候補に挙がりましたが、受賞できなかった理由として選考委員会の委員長は「賞を辞退する恐れもあったし、脚光を浴びる機会に乗じて主流派経済学を批判する可能性も考えられたからである」と述べたそうです(この項はWikipediaを引用)。
 
吉田健一の著作を拾い読みしていたら、短いケンブリッジ留学時代の思い出を書いたエッセイに次のような一節がありました。
 
「教育すると言っては言ひ過ぎで、彼(【註】ディッキンソンという長老フェロー)の態度にそのやうな所は少しも見えず、又事実、彼は若いものと付き合うこと自体に興味を持ってゐたらしく、彼の部屋での集まりは、寧ろサロンの感じがした。ライランズもよく来た。他に、二年、三年の学生や、ライランズと同年輩の教授達やその夫人達、それから、アイルランド系ではないかと思われる、会ってゐて何とも明るい感じがする、名前は忘れたが女の経済学者も、ディッキンソンの所に集まる常連の一人だった。一年生で来るのは、ロオスと私位なものだった。」
 
調べてみると、その女の経済学者がジョーン・ロビンソンで、吉田健一がケンブリッジにいたのは1930年から1931年なので、18歳の先の見えない暗い感じの吉田が、27歳の「何とも明るい感じがする」ジョーン・ロビンソンと出会っていたことがわかります。
 
ただそれだけのことですが、吉田は才気煥発な27歳がけっこう気になったのでしょう。27歳がその18歳をどう思ったのか、その18歳とどんな会話を交わしたかはわかりません。
 
そういう一節を眼にして本棚を確かめに行ったらいくぶん茶色くなった「経済学の考え方」が奥の方にあったというわけです。


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2019年10月 7日 (月)

「50年ぶりの異常気象です」という報道と、自然の循環

遅めの時刻にテレビを見ていたらニューヨークが33.9℃で異常な暑さだという報道がありました。「ニューヨークで10月に33℃以上の気温になったのは78年ぶりだそうです」と画面の中でレポーターがしゃべっています。
 
「30年ぶりの暑さとか、50年ぶりの大雨」という表現で現在の気象の異常事態を報道するのがマスメディアはお好きなようです。78年ぶりもその一つです。ただ、最近はそういう久しぶりの事象を「その原因は地球温暖化、その原因の原因は人為的な二酸化炭素の排出だ」というのと係り結びのように結びつけるのが好きな媒体と、その二つを直接的に結びつけることにためらいのあるらしい媒体の両方がある雰囲気ではあります。
 
冷静に考えると、50年ぶりの激しい降雨とか78年ぶりの高温とか言うのは、50年前と78年前に同じ事象が確実に存在したということなので、そういうゆったりとした周期で自然の事象が循環しているとも言えます。
 
時間というのはぼくたちが感じるものとしては常に現在しかないにしても、それとの付き合い方としては、もっぱら直線の上をどんどんと進んでいくような時間の中で生きるのが好きな文明や文化もあるし、時間の本質は循環(春夏秋冬)や交替(昼と夜、太陽と月)だと考えて循環や交替の中で過ごすのを重んじる文明や文化も存在します。一人の人間のなかでも、直線的な動きで進む時間を心地よく感じるときもあれば、時間が円環状に流れるなかで深いくつろぎを覚える場合もあります。
 
地球や宇宙というのは基本的に循環が好きなのだと考えると、その循環の波と、文明を直線的な改良の進行だと考えるぼくたちの仮説的な直線指向が交差したところが、マスメディアがかしましいところの「何十年ぶりの事象」かもしれません。災害につながるような何十年ぶりかの異常事象や台風や地震についてはじつに困ったことではあっても、残念ながら自然はそういうことをとくには気にしていないようです。
 
下のグラフはプランクトンの外殻化石の分析に基づく1万1300年前から現在までの気温変化(1961~1990年の気温の平均値からの偏差)のグラフです(「A Reconstruction of Regional and Global Temperature for the Past 11,300 Years」オレゴン州立大学 ショーン・マーコットら 2013)。
 
11300-shaun-a-marcott
 
このグラフを見て
 
・データは、我々が、現在、長期の寒冷期の中にいることを示している
・また、データは、我々が数千年にわたる寒冷期の一番底にいるということも示している
・ただし、過去100年の間に気温が劇的に上昇したので、過去数千年の間に起こった寒冷化の影響をすっかり打ち消している
 
と解釈するかたもいらっしゃるようです。
 
これを過去1万年ではなく過去40万年の気温変化(偏差)を描いたグラフ(丸山茂徳 地質学者、元東京工業大学教授)の中に位置づけてみると以下のようになります(赤い縦長の楕円で囲んだ部分が上のグラフに相当する部分)。
 
40_20191004155601
 
おおまかに10万年ごとに気温の上昇と下降(温暖化と寒冷化)を「循環的に」繰り返しています。丸山茂徳氏の言葉をお借りすると『人間が文明を創って、化石燃料をたきCO2を出すようになった時代は、過去300 年前ぐらいからです。このわずかな変化に今ナーバスになっている訳ですが、人間の文明とは無関係に、地球というのはこれぐらい(±4℃)を平気でやっています。』

46億年という地球の今までの経過時間の中で最近の40万年というのはわりあいに「刹那」なので(割り算をすると0.0087%)、循環と言ってもそういう短期間における循環です。ひょっとして現在が寒冷期にさしかかる入り口あたりかもしれないと考えると、けっこう憂鬱になります。

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2019年8月23日 (金)

短編の集まりとして読むと味わい深い「無為で閑適な生活」小説

吉田健一の小説は、単行本や文庫本のページ数が二百ページくらいの、四百字詰め原稿用紙だと三百枚くらいの日本における一般的な分類上は長編小説になるもの(たとえば「金沢」や「絵空ごと」など)も、登場人物やストーリーがお互いになんとなく関連しているようなしていないようないくつかの短編の集まりとして読んだ方が、話の筋の展開を気にする必要もなくてその分個々が味わい深いかもしれません。

たとえば「4」(第四章とは表記されていないことが多い)を開いて読み始めて、そのまま物語の展開に入っていって気が付けば「4」の終りになっていたら、そこで止めてもかまいません。「3」や「1」に戻る必要は必ずしもない。彼の小説はエッセイみたいなもので、わくわくするようなストーリーがあるのではないので、そういう読み方で差し支えありません。長編小説は短編小説集です。あるいは複数の物語風エッセイで構成されるエッセイ集とも言えます。

吉田健一が、実際になかばそういう世界に住んでいて、そしてその連続や拡がりを小説の中でも目指していたのは「無為な生活」あるいは「閑適な生活」だったようです。

それがどういう生活かというと、「実際に一つの、或は幾つかの職業に携わっていても或はいなくても外見には閑人であること、或は少なくとも何をやっているのか解らない人間であることが大切だった。・・・如何にも役人らしい役人だとか画家らしい画家だとかいうのが日本、それも今の日本人に限られた現象で、それ以外の場所で職業が顔に書いてある人間などというものは先ずないことだった」(「絵空ごと」)、そういう生活です。知の水準の高い「高等遊民」の生活とも言えるので、そういう「無為な生活」についてのおしゃべりに拒否反応を起こす人たちも少なくないかもしれません。

しかし、そういう生活を描いた彼の幻想的な小説やエッセイにおいて特徴的なことは、自然と人間の間に境がないということ、そして過去と現在が連続して一体化しているということです。こういう世界はすでにどこかで描かれているようであまり描かれていない。

時間(過去と現在の連続)に関して言えば、たとえば「現在の領分が過去まで拡つてゐるのが、我々が生きてゐるといふことなのではないだらうか。それならば、男は生きてゐた」(「逃げる話」)という具合です。

人と自然が地続きであることについては、「誰も行ったことがない海に誰か行っても海はいやがりはしないんですよ、人間を見て人間に姿を見せるのも自然がすることのうちなんですからね。」(「金沢」)

それから、人と自然が地続きであることと過去と現在が連続していることの両方について言えば「『貴方が私には見えてこうして二人で日が差している川の傍らにいてこれが過去でも現在でもなくてその両方であることがこれが現在である証拠なんですから。』そうすると相手が又椀に川の水を汲んで内山の前に置いた。」(「金沢」)といった按配です。同じような表現、似たような描写が彼のそれ以外の作品にしばしば登場します。

以下は老子と荘子からの引用です。

『道のいうべきは、常の道にあらず。名の名づくべきは、常の名にあらず。名無きは、天地の始めにして、名有るは、万物の母なり。・・・玄のまた玄、衆妙の門なり。』(老子)

『むかし、荘周は夢に胡蝶(こちょう)となる。栩栩然(くくぜん:ふわふわするさま)として胡蝶なり。・・・知らず、周の夢に胡蝶となるか、胡蝶の夢に周となるかを。』(荘子)

この二つを混ぜ合わせて頭の中でぼんやりとした出発点とし、その出発点のイメージを現代の(たとえば日本の昭和という時代の)流れと風景の中で、吉田健一流の同語反復の多いくねくねした文体と時間感覚で小説風に膨らませると、自然と人間が地続きになり過去と現在が一体化した「金沢」のような幻想的な作品が出来上がります。

そういう作品の欠点は、読む側がバタバタしているときには楽しめないことです。だから、長い小説が短編の集まり風というのは結構ありがたい。

 

  

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