存在が花する

2019年8月23日 (金)

短編の集まりとして読むと味わい深い「無為で閑適な生活」小説

吉田健一の小説は、単行本や文庫本のページ数が二百ページくらいの、四百字詰め原稿用紙だと三百枚くらいの日本における一般的な分類上は長編小説になるもの(たとえば「金沢」や「絵空ごと」など)も、登場人物やストーリーがお互いになんとなく関連しているようなしていないようないくつかの短編の集まりとして読んだ方が、話の筋の展開を気にする必要もなくてその分個々が味わい深いかもしれません。

たとえば「4」(第四章とは表記されていないことが多い)を開いて読み始めて、そのまま物語の展開に入っていって気が付けば「4」の終りになっていたら、そこで止めてもかまいません。「3」や「1」に戻る必要は必ずしもない。彼の小説はエッセイみたいなもので、わくわくするようなストーリーがあるのではないので、そういう読み方で差し支えありません。長編小説は短編小説集です。あるいは複数の物語風エッセイで構成されるエッセイ集とも言えます。

吉田健一が、実際になかばそういう世界に住んでいて、そしてその連続や拡がりを小説の中でも目指していたのは「無為な生活」あるいは「閑適な生活」だったようです。

それがどういう生活かというと、「実際に一つの、或は幾つかの職業に携わっていても或はいなくても外見には閑人であること、或は少なくとも何をやっているのか解らない人間であることが大切だった。・・・如何にも役人らしい役人だとか画家らしい画家だとかいうのが日本、それも今の日本人に限られた現象で、それ以外の場所で職業が顔に書いてある人間などというものは先ずないことだった」(「絵空ごと」)、そういう生活です。知の水準の高い「高等遊民」の生活とも言えるので、そういう「無為な生活」についてのおしゃべりに拒否反応を起こす人たちも少なくないかもしれません。

しかし、そういう生活を描いた彼の幻想的な小説やエッセイにおいて特徴的なことは、自然と人間の間に境がないということ、そして過去と現在が連続して一体化しているということです。こういう世界はすでにどこかで描かれているようであまり描かれていない。

時間(過去と現在の連続)に関して言えば、たとえば「現在の領分が過去まで拡つてゐるのが、我々が生きてゐるといふことなのではないだらうか。それならば、男は生きてゐた」(「逃げる話」)という具合です。

人と自然が地続きであることについては、「誰も行ったことがない海に誰か行っても海はいやがりはしないんですよ、人間を見て人間に姿を見せるのも自然がすることのうちなんですからね。」(「金沢」)

それから、人と自然が地続きであることと過去と現在が連続していることの両方について言えば「『貴方が私には見えてこうして二人で日が差している川の傍らにいてこれが過去でも現在でもなくてその両方であることがこれが現在である証拠なんですから。』そうすると相手が又椀に川の水を汲んで内山の前に置いた。」(「金沢」)といった按配です。同じような表現、似たような描写が彼のそれ以外の作品にしばしば登場します。

以下は老子と荘子からの引用です。

『道のいうべきは、常の道にあらず。名の名づくべきは、常の名にあらず。名無きは、天地の始めにして、名有るは、万物の母なり。・・・玄のまた玄、衆妙の門なり。』(老子)

『むかし、荘周は夢に胡蝶(こちょう)となる。栩栩然(くくぜん:ふわふわするさま)として胡蝶なり。・・・知らず、周の夢に胡蝶となるか、胡蝶の夢に周となるかを。』(荘子)

この二つを混ぜ合わせて頭の中でぼんやりとした出発点とし、その出発点のイメージを現代の(たとえば日本の昭和という時代の)流れと風景の中で、吉田健一流の同語反復の多いくねくねした文体と時間感覚で小説風に膨らませると、自然と人間が地続きになり過去と現在が一体化した「金沢」のような幻想的な作品が出来上がります。

そういう作品の欠点は、読む側がバタバタしているときには楽しめないことです。だから、長い小説が短編の集まり風というのは結構ありがたい。

 

  

人気ブログランキングへ

| | コメント (0)

2019年6月26日 (水)

札幌と、『荒地』の書き出し部分の季節感

以下はT・S・エリオット『荒地』 (The Waste Land, 1922) の第一部「死人の埋葬」の書き出し部分です(吉田健一訳)。

「四月は残酷な月で、死んだ土地から
リラの花を咲かせ、記憶と欲望を
混ぜこぜにし、鈍った根を
春雨で生き返らせる。
冬は何もかも忘れさせる雪で
地面を覆ひ、干からびた根で少しばかりの生命を養い、
それで我々は温くしてゐることが出来た。
夏は俄か雨となってスタルンベルガエゼを渡って来て、
我々を驚かせた。我々は柱廊の所で立ち止り、
日光を浴びてホフガルテンに出て行き、
そこでコオヒイを飲んで一時間ばかり話をした。」

札幌に住んでいると引用した詩の季節感を、表面的には、よく理解できます。著者の土地(英国)の緯度は札幌よりも高く(従って夏の日は長く)、しかし暖流の関係で冬は札幌よりも暖かいのですが、英国と札幌は季節の雰囲気が似ているのかもしれません。

「四月は残酷な月」の「残酷」の意味が、「その月」がもはや冬でもないけれど、しかしまだまだ寒くてとても春とは言えない、春の暖かさを期待しているのに毎日のように裏切られてしまう、そんな中途半端な感じなので「残酷」だ、というのでしょうか。

「冬は何もかも忘れさせる雪で地面を覆ひ」は確かにその通りで、冬は地面がどこまでも雪と氷で覆われます。でもその「死んだ土地」に「春雨」(根雪を溶かせる雨)が降ると、「死んだ土地」から「リラ(ライラック)」が、冬の「記憶」と春への「欲望」を「混ぜこぜにして」5月半ばに薄紫色の花を咲かせ始めます。

そして、翌月にはニセアカシアの白い花が続き、短い夏が俄かに、ちょうど「俄か雨」が来るようにやってきます。

「死んだ土地から、リラの花を咲かせ、記憶と欲望を混ぜこぜにし、鈍った根を春雨で生き返らせる。」

こうした瞬間の連なりがゆっくりと、しかし気がつけば急に動いているのを実感できるのは札幌に生活することの楽しみのひとつです。

 

人気ブログランキングへ

| | コメント (0)

2019年6月19日 (水)

「同行二人Tシャツ」と「サクランボ」

札幌の6月の早歩きは、Tシャツ1枚だと、勤め人が帰宅の途にある時刻をある程度過ぎたあたりの時間帯にするには寒いので、その上にダボっとしたグレーのTシャツを重ね着して、歩いていて暑くなってきたら重ねたのを脱ぐ、あるいは、歩き終わって汗をかいているので重ねを脱ぐといった使い方をしています。

下に着ているのは背中に「南無大師遍照金剛 同行二人」(なむだいしへんじょうこんごう どうぎょうににん)、そして胸に「ユ」という音の梵字が印刷されたTシャツです。その梵字の象徴的な意味は「弥勒菩薩」(みろくぼさつ)。お遍路さん用です。去年購入したもので、ときどきしか使いませんが、すれ違うジョガーはたいていがスポーツ用品メーカーのブランド衣類をお召しなので、けっこう雰囲気が違います。

T-1a T

「同行二人」とはお遍路さんがいつも弘法大師(空海)と一緒に巡礼しているという意味ですが、その効果なのか、夏至前でまだまだ明るい帰り道の道路際の桜の樹の下で、母親二人と子供数人が楽しそうに騒いでいるのに出会いました。サクランボです。

低いところに実がなっているのは母親がそのまま手を伸ばして、それから少し樹に登ればその周辺のサクランボの実も採れるのでそこは身軽な子供の受け持ち範囲。熟したのを慎重に選んでその場で口に運んでいました。何年か前に、三人連れの元気な小学生と思われる女の子が、近隣の別の場所でサクランボ狩りをしていて、その子たちから収穫をお裾分けしてもらったことがありますが、それを思い出しました。

下の写真は、「同行二人」中は手ぶらだったので、翌日その場に出かけて撮影したもの。色を見ると完熟にはしばらく日がかかりそうです。

20190614-b

関連記事は「木登りの女の子たちからもらったサクランボ」。確認してみたらこの関連記事のお転婆(おてんば)な小学生の女の子たちに会ったのが4年前の2015年の初夏、そのあとサクランボを同じ樹で確認したのが2017年の初夏なので、今回の樹はその樹とは別の桜ですが、わりに近い場所にあるので、どうも近所のサクランボは2年ごとに実がなるみたいです。

人気ブログランキングへ

| | コメント (0)

2019年6月18日 (火)

サウジアラビアのスンニー派とイランのシーア派に関して

以前に書いたものの再掲です(ただし一部を変更、一部を追加)。

サウジアラビアとイランの関係がよくありませんが、サウジアラビアとイランの不仲は1000年以上前からです。1000年以上前から多くの血が流され続けました。そして、現在はそこに、例によって、ある非イスラム国家による政治と経済の無茶な介入が絡んで、不仲の状況はさらにややこしいものになっています。

配偶者からサウジアラビア(スンニー派)とイラン(シーア派)の違いについて聞かれたので、以下のように答えました。「ともにイスラム教だけれど、サウジは商売・ビジネスの国、イランは哲学と文学の国」。その回答の後ろにはある参考書の存在があって、その参考書とは井筒俊彦著『イスラーム文化』です。

この記事は、配偶者とぼく自身のための簡単な備忘録として書いています。『イスラーム文化』の読書記憶をもとに自由にまとめているので記憶違いや勝手なはみだしがあるかもしれませんが、個人的な備忘録なのでよしとします。

イスラム教は、アラビア半島のメッカで、商人であるムハンマド(マホメット)を預言者として生まれました。預言者とは神の言葉を預かり民に伝達する者という意味です。その意味では神託を伺い口寄(くちよせ)をする者であるところの巫女(みこ)やシャーマンも預言者です。

ムハンマドによれば、イスラム教は、ユダヤ教とキリスト教と対立するものではなく、その二つを包み込むという意味で、ユダヤ教とキリスト教のスーパーセットと云うことになっています(逆に云えば、ユダヤ教とキリスト教はイスラム教のサブセットということになる)。だから、イスラム側からすれば、対立などあり得ない。サブセットと位置付けられた方は、その位置づけに憤慨しているかもしれませんが。

イスラム教の聖典はコーランです。コーランは宗教の聖典であると同時に法の聖典でもあるという二重性(二重の性格)を持っています。法教一致、政教一致の聖典です。

宗教も法も、もともとは一体化していたので、同じ重みをもっていましたが、時代の流れとともに、そして人々の思惟の方向の変化や価値観の変化とともに、どちらかに比重が偏ってきます。つまり、コーランに書かれた文字の意味するところを(法の条文を解釈するように)そのままに受け取る人たちと、書かれた文字の向こう側の見えない奥に深い意味を読み取ろうとする人たちが現れます。前者は法の人であり、後者は霊の人です。イスラム教は宗教なので、かりに顕教と密教という用語を使えば、前者は顕教の世界、後者は密教の世界です。

サウジアラビアのイスラム教宗派はスンニー派(一部はシーア派)で、イラン(ペルシャ)のそれはシーア派ですが、両者を先ほどの価値の重みのかけ方という座標軸に沿って配置してみると、スンニー派は「法の宗派・政治的な宗派・現実主義的な宗派・顕教の宗派」、一方、シーア派は「霊の宗派・哲学的な宗派・神秘的な宗派・密教の宗派」ということになります。

イランといえばペルシャであり、ペルシャといえば、ペルシャ絨緞、千夜一夜物語、光と闇のゾロアスター教を思い浮かべます。神秘的で幻想的です。形而上学者・神秘哲学者であるところの井筒俊彦は、1975年(61歳)から1979年(65歳)までイラン王立研究所の教授でした。イランとはそういう国です。一方、サウジアラビアという土地は、形而上学や神秘哲学はあまり似合わない。

ただしそういう区分となじまない個人がいるのは当然のことで、以前、短期間ですがいっしょに仕事をしたことのあるイラン出身のITエンジニアは、アラブ以上にアラブ的な現実主義者でした。もっとも、それは昼間の仕事場だけで、夜は哲学的瞑想にふけっていたのかもしれません。

そういう世界観の対立がメッカ期とメディナ期以来、ずっと続いています。世界観の違う二つがぶつかった時には、現実主義的な政治権力に価値を置く宗派が、そうでない宗派を、たいていは政治的に圧迫します。そういう場面では、聖職者の犠牲も多い。現在の対立の底にも、そういう歴史的な思惟の違いと価値の体系の違いが潜んでいます。

世界のイスラム人口のうち圧倒的に多いのはスンニー派です。シーア派は少ない(統計資料によれば、イスラム人口の10%から13%)。北海道でも、イスラム教徒向けの食材の調達や礼拝設備を充実してインドネシアからの観光客誘致に努めていますが、インドネシアのイスラムはスンニー派です。

 

人気ブログランキングへ

| | コメント (0)

2019年6月13日 (木)

オムニバス形式

オムニ(omni-)という用語(接頭辞)は「全部」という意味ですが、最近は流通の最先端でオムニチャネルといった使い方がよくされます。ある企業の持っているすべての流通チャネルの相互利用・相互乗り入れといった内容です。ある商品を自宅で受け取ってもいいし、コンビニで受け取ってもいいし、会社帰りに実店舗でピックアップしてもいい。受け取り場所は、その企業の持っている複数の流通チャネルを消費者の都合に合わせて自由に選択できます。

以前は、たとえば、ぼくなどが最初に英語に接したときなどはまだバスといっしょにオムニバスという単語も習った記憶があります。現代風のバスでなく、エンジンがフロント部分に位置している乗合自動車の雰囲気です。

オムニバスは死語ではなく、今でも、すでに発表されたある作家の(とくに同一作家の)複数の作品を集めた本という意味で「オムニバス形式の小説」と呼ばれます。この用語の日本語での使い方はもっと幅広くて、同じテーマを扱った複数の人の作品を一つにまとめたものもオムニバス作品と名付けられているようです。

今、ある日本人作家(故人)のオムニバス作品を読んでいます。二重の意味でオムニバス形式になっています。

特定のテーマを、別々の、しかし似たようなサブテーマで取り扱ったもので、サブテーマごとの短編は一冊の本にまとめられる前に雑誌にすでに発表されているので、そういう意味では、オムニバス形式の短編集です。

そして、同時に、あるサブテーマに関する短編の中に、複数の時間と記憶と場面がサブサブテーマ風に連続して流れます。小説ですが、随想風の味わいです。文体が読点が多くて独特で、そして読点から読点までの繋がりがときにねっとりと続くので、慣れるまでに少し時間がかかります。意識の流れや感性の流れ、時間の流れや記憶の流れ、夢と現の往還をゆらゆらと追いかけてそのまま言葉に移しているような文体なので、そのリズムに同調できると、作者の歩く速度で作者といっしょに過去の意識や無意識を散策できるといった按配です。しかし、リズムに同調できないと、流れを楽しんでいるのは作者だけで、読者は埒の外ということになります。

人気ブログランキングへ

| | コメント (0)

2019年5月14日 (火)

繰り返し楽しめる本

回数の多寡やジャンルは問わないとしても繰り返し読む本というのはそれほど多くはありません。しかしとても少ないというわけでもない。繰り返し読むといっても、表紙から表紙まで全部に目を通す場合と、必要な章や気になるあたりを集中的に読み返す場合があります。40年ぶりに本棚の奥から引っ張り出すということもままあります。

そのひとつが1992年発行の(つまり30年近く前に出版された)単行本で書名が「男流文学論」。「論」の形式は女性三人の鼎談で、その三人とは「上野千鶴子、小倉千加子、富岡多恵子」、社会学系の学者二人と詩人でもある作家の組み合わせになっています。そして、たまたまなのか三人とも広義の関西文化圏育ちです。

「男流文学論」なので、男性作家の著作とその著作についての他の男性による評論が対象です。手元の本の帯に印刷してあるアイキャッチャーをそのまま引用すると「有名男性作家六人と、それをめぐる評論を、真正面からたたき斬る!刺激的な鼎談」。賑やかに知的に、ときには猥雑に、そして匕首(あいくち)で気に入らない相手(この場合、男)をブスっと刺しかねない怖さを漂わせながら三人の濃密なおしゃべりが続きます(匕首が適当な手段でない場合は、男性作家が持てない視点で足を掬うとか)。

この平成初めの頃の鼎談で取り上げられている有名男性作家六人とは、「吉行淳之介、島尾敏雄、谷崎潤一郎、小島信夫、村上春樹、三島由紀夫」。議論の対象となった作品もあわせて書くと、以下の通りです。

・吉行淳之介 「砂の上の植物群」「驟雨」「夕暮まで」
・島尾敏雄 「死の棘」
・谷崎潤一郎 「卍」「痴人の愛」
・小島信夫 「抱擁家族」
・村上春樹 「ノルウェイの森」
・三島由紀夫 「鏡子の家」「仮面の告白」「禁色」

ぼくは、ここにある作品は、読んで面白かったかあるいはそうでなかったかを別にすると、三島由紀夫の「鏡子の家」と「禁色」以外はすべて読んでいて(退屈なので途中で放り出しそうになったのもありますがそれが何かはここでは言わないことにして)、また、鼎談者であるところの「上野千鶴子」と「富岡多恵子」の著書もそれぞれ複数すでに読んでいて、だから、本屋で遭遇したこの本をその場で買ったというわけです。

たしかに刺激的な内容の鼎談で、最初は机で一気に読了したと記憶しています。二回目以降は、ベッドで就寝前にページを繰ることが多いようです。なんとなく読みたくなると本棚から取り出してきてその夜の気分が求めるあたりに目を通します。ある作家についての三人のジャムセッションを再読したくなる場合もあるし、彼女らの発言内容の刺激を味わいたくなってページをランダムに開ける場合もあります。

吉田健一は繰り返し読むに足る本が五百冊あったそうですが(倉橋由美子の「偏愛文学館」による)、どんな分野であれ、その冊数を再読対象にできるいうことは並み大抵ではありません。イスラム学者の中には、必要な書物の内容はすべて頭の中に記憶していた人もいたらしい。そういう碩学はいつでも五百冊(たとえば)を、眼を閉じたまま味わえるし、また折々で切実度を変えるであろう一節を縦横に引用することもこともできるわけです。これはもっと並み大抵ではありません。

いずれにせよ「男流文学論」はぼくの本棚に坐り続けるはずです。

人気ブログランキングへ

 

| | コメント (0)

2019年5月13日 (月)

もう一つの「春を感じるとき」

シャクナゲです。上が四月上旬の様子。下が同じシャクナゲの5月上旬の姿。ひと月かけて新しい芽が柔らかい緑の葉の形になってきました。札幌にいると、そのあたりにあるこういう当たり前の春の変化、季節の循環が嬉しいものです。

4-tm

5-tm

夢には、形があるものもないものも言葉があるものもないものもすべてが含まれます。あらゆる存在が夢を見るなら、シャクナゲは今どんな夢を見、どんな夢の中にいるのでしょう。

お互いに常にそれぞれに夢を見ているとしても、彼らと一緒にもっといい夢を見るには、もう少し季節が進んで緑の色合いも深く落ち着いたものになってくるころまで待った方がいいかもしれません。濃い緑と強くなった光が遊びはじめ、それを見ているこちらも夢見心地になり、気がついたらお互いがお互いの夢の中です。

Photo_7

関連記事は「桜が散るということ」。

人気ブログランキングへ

| | コメント (0)

2019年5月10日 (金)

桜が散るということ

満開の五弁の桜は風に落ちます。ハラハラと散る。あるいは、桜吹雪になって視界を遮りそのあたりの空の色を桜色に変えるように飛び散り、地面を花びらで淡いピンクに染めます。ぼくたちに馴染みの光景です。たとえば下の写真。

Photo_5  

Photo_6  

「埴谷雄高(はにや ゆたか)」晩年のインタビュー映像を偶然見る機会がありました。テレビ放送の再放送かなんかをとりあえず録画したものだと思います。映像にも音にもノイズが混じっていました。正確には覚えていませんが、とても印象に残った箇所がありました。だいたい次のような内容だったかと。

虚体という不思議な言葉が出てきます。

『我々だけでなく、あらゆる生物もあらゆる存在も夢を見ている、夢想している。・・・・・虚体は実現されていない夢の総体。実現したものはすべて夢の裏切り、つまり誤謬。椅子や靴下のようなモノも安心立命させたい。そういうものを書きたいけれど書けない。虚体は、生物の夢、物質の夢を全部集めたもの。・・・・・五弁の桜が散る。日本人には桜はワッと散るものだが、実際はいっきょに散るわけではない。五弁のうちの一枚が散る。四枚残っている。また一枚散る。まだ三枚残っている。残った三枚の気持ちになっていろいろ考えてみる。桜の花びらになっていっしょに夢想する。プルーストの「失われた時を求めて」の思索性とはそういうものだ。』

埴谷の「虚体」と「夢」を想起させる、老子と荘子の一部を下に引用してみます。

『道のいうべきは、常の道にあらず。名の名づくべきは、常の名にあらず。名無きは、天地の始めにして、名有るは、万物の母なり。・・・玄のまた玄、衆妙の門なり。』(老子)

『むかし、荘周は夢に胡蝶(こちょう)となる。栩栩然(くくぜん:ふわふわするさま)として胡蝶なり。・・・知らず、周の夢に胡蝶となるか、胡蝶の夢に周となるかを。』(荘子)

人気ブログランキングへ

| | コメント (0)

2019年4月24日 (水)

仏教の二重性、あるいは、生まれながらに「仏教徒」

ものごとにはたいていは二重性があります。仏教にも二重性があります。それをどういう位置から見るか、それをどういう立場で捉えるかによって、その二重性の意味と役割が変化します。

ここでいう仏教の二重性とは聖と俗の二重性のことで、俗とはここでは政治性のことです。だから、仏教の持つその二重性は「空と鎮護国家」や「空と治国平天下」という言い方をするとわかりやすい。(【註】「空と治国平天下」という表現は「西村玲」氏の著作から拝借しました。)

「空」とは「色不異空、空不異色、色即是空、空即是色」(般若心経)における「空」のことで、さまざまなものごと(物理的存在および観念や概念など)には固定的な実体がないという仏教の基本的な洞察(世界認識)です。この洞察(世界認識)は、坐ること(瞑想体験)によってもたらされましたが、「色不異空、空不異色、色即是空、空即是色」という言葉でなぞられた空の体験が解脱と呼ばれています。

「鎮護国家」とは、仏教には国家を守護・安定させる力があるとする思想です。また「治国平天下」とは「修身斉家治国平天下」(大学)ということで、その意味は、天下を平らかに治めるには、まず自分のおこないを正しくし、次に家庭をととのえ、次に国を治めて、次に天下を平らかにするとする儒教の基本的政治観です。

仏教は、それに複数の人間がかかわりあう存在となった時点で、聖的なものと世俗的なもの(政治的なもの)が同時に存在するという意味での二重性をもたざるを得ません。だから、僧侶のような仏教者も「空」を指向する存在であると同時に「鎮護国家」「治国平天下」を支援する存在であるという意味と役割の二重性を持つことになります。ただしその二重性は時代によってその濃淡が変化します。

この二重性を自覚せずに、あるいはそういう二重性を意識して捨て去って「空」探求ひとつに打ち込む一群の僧は常に存在しますが、たいていの仏教者は政治的機能、社会的機能としての仏教とかかわりを持って生きるので、この二重性からは逃れられません。

二重性は時代によってその濃淡が変化します。そのとてもわかりやすい例が江戸時代の寺檀制度(じだんせいど)です。寺請(てらうけ)制度ともいいます。これは、現在では形式的になっているとはいえ、菩提寺(ぼだいじ)や檀那寺(だんなでら)や檀家という考え方や仕組みによって(まもなく令和となるところの)今でもぼくたちに受け継がれています。

寺壇制度とは江戸幕府が寺檀関係、つまり檀那寺(だんなでら)と檀家(だんか)の関係を利用して制定した戸籍管理の制度です。初めはキリスト教禁圧を目的としてつくられましたが(つまり、寺僧がその檀家がキリシタンでないことを証明するという意味での「寺請」の制度)、檀那寺が国家の行政支配網の末端として機能し始めてからは政治権力(「治国平天下」)の一部となりました。

檀那寺は檀家の祖先供養のための菩提寺(ぼだいじ)であり、菩提寺の僧侶(住職)は、葬式と法事だけでなく、出生,結婚,旅行,転住,奉公といった日常生活の節目相談までを寺請(てらうけ)証文の発行を通して引き受けたので、檀那寺には檀家(住民)に関するほとんどすべての情報が流入しました。寺はアナログ情報を使った当時のマイナンバー制度の地域ノードです。この制度により、すでに平安仏教や鎌倉仏教の信徒であった人たち以外のほとんどすべての日本人も、生まれながらに(檀那寺の宗派の)「仏教徒」になりました。

しかしそういう行政支配網の末端の「寺請」寺僧にとっても、朝夕の勤行はものごとの二重性のもうひとつの側面であるところの「空性」をあらためて自覚する時間帯でした。

この二重性をもっと濃密に保持し、この二重性を個人の内部で自覚的に激しく操作した人物も存在します。たとえば、平安初期の空海です。彼と真言密教における二重性とは「空と鎮護国家」の二重性です。「空の象徴である高野の山奥」に引きこもった時の瑜伽(瞑想)と、「国家権力と権威の代表である京都の嵯峨天皇」との親密な交友。高野の金剛峯寺と京都の教王護国寺(東寺)。書と言葉が媒介する、聖なるものと政治的なものの空間的・時間的クロスオーバー。

さきほど、江戸時代(徳川幕藩体制)になって、ほとんどすべての日本人が、生まれながらに(檀那寺の宗派の)「仏教徒」になったと書きましたが、寺壇制度の導入から400年後の現在の状況はどのようなのか。

寺は国家の行政支配網の末端としてはもはや機能していませんが、集合体としての一部の寺は、政治的な指向性を持った私的組織体としては、機能しているようです。菩提寺(ぼだいじ)や檀那寺(だんなでら)や檀家という考え方は、形式的ではあっても、今も葬儀や法事を介して持続しています。二重性のもう一つの側面である「空」に関しては、「無常観」「無常感」の浸透という意味では、状況は400年前とそれほど変わっていないと思われます。法事では般若心経を声に出すし、桜の花は毎年落ちる。

以下は「平成30年版『宗教年鑑』(文化庁)」の数字です。平成29年12月31日現在の奈良仏教と平安仏教と鎌倉仏教の信者を主な宗派別にまとめたものです。そういう仏教信者の数は4800万人。宗教年鑑のデータは、寺院(および神社や教会など)を対象にした調査で、信者数というのも寺院(神社や教会など)に提供してもらった数字なので、寺の場合は檀家数だと考えると、奈良仏教系と平安仏教系と鎌倉仏教系のそれぞれが占める割合も含めて、そういうものかと理解できます。ちなみに、2015年(平成27年)の国勢調査では、日本の人口は1億2710万人、世帯数は5333万世帯です。

2018_1

人気ブログランキングへ

| | コメント (0)

2019年4月16日 (火)

「結局、思想の理解は感性だからね」

先日、ある新聞記事が眼に入りました。

『文系の博士課程「進むと破滅」 ある女性研究者の自死』『大きな研究成果を上げ、将来を期待されていたにもかかわらず、多くの大学に就職を断られて追い詰められた女性が、43歳で自ら命を絶った。日本仏教を研究してきた西村玲(りょう)さんは、2016年2月に亡くなった。・・・後略・・・』(朝日DIGITAL 2019年4月10日

気になる記事だったので、彼女の著作「近世仏教思想の独創 僧侶普寂の思想と実践」の目次や内容の一部をネット通販サイトで拝見したのですが、その時に、「〔私家版〕西村玲 遺稿拾遺―1972~2016」という自費出版本があることを知りました。タイトルからしてご両親が編集された私的な彼女の遺稿集ということになりますが、その一部が、当該遺稿集を送られたかたがた(彼女の関係者であるところの編集者や研究者)によってネット上で紹介されていました。紹介された部分はそれぞれのかたが第三者に紹介しても差支えないと判断された箇所だと思われます。ぼくにはネット上の供養と映りました。

ちなみに、彼女の専攻は「日本思想史、日本仏教思想」、細かくは「日本の近世(江戸時代)における仏教・仏教思想研究」、ニッチな分野です。その中の18世紀の「僧侶・普寂(ふじゃく)」に焦点を合わせた研究が軸なのでさらにニッチです。たとえば、彼女の著作の主人公である「普寂」は、「日本仏教史入門」(田村芳朗著)では、「浄土宗では西山派に普寂徳文(ふじゃくとくもん、1707-81)が出て、宗風を高揚した。普寂は各宗に通じ、近代仏教学の先駆ともみられる」と言及されていますが、別のタイプの入門書であるところの「日本仏教史 思想史としてのアプローチ」(末木文美士著)では、彼の名前は登場しません。

ネット上の「〔私家版〕西村玲 遺稿拾遺―1972~2016」のなかから、ぼくにとってとても印象的だった部分を以下にいくつか引用させていただきます。「私家版」となっていますが、ご両親が本の形に整えて関係者に配ったものだし、お嬢さんの研究や自死に関して新聞社のインタビューにも対応しておられるので、その一部をこういう形で引用しても失礼にはあたらない、そう勝手に判断しました。

以下の『・・・』が引用部分です。なお、各文章の前のタイトル風の語句は「高いお米、安いご飯」が本文から抜き出したものです。

■「冗談ぬきでゼッサンの嵐だったのよ」

『さて、発表が終わった。本当に、冗談ぬきでゼッサンの嵐だったのよ。発表が終って皆が出たいった後、ある教授に開口一番「あなたは将来どうなさるつもりですか」てきかれた。「一応、院に」といったら「それは非常にケッコウなことです。いい研究者になれるでしょう。高校球児で150キロの豪速球を投げる人がいますが、あなたのキレにはそういうものが感じられる。投げようと思っても投げられない人は投げられないし、あなたみたいに最初から投げられる人もいる。」一介の三年生にそこまで言っていいのかよ、と思っちゃった。特に私の主張は「非常にわかりやすく聞かせるもの」であったそうだ。』

■「私は全体を見てるつもりなんだもの」

『本質しか見てないなんて思わないもの。私は全体を見てるつもりなんだもの。これは頭いいというよりは、こういう傾きとしか言いようがないな。
 しかしこういう自己認識は、随分楽になるね。私は特殊だから皆に分かってもらうためには、相当の作業が必要なんだ。分かってもらえないのは、当然なんだな。ああ、そっかあ。平凡じゃないってこういうことかあ。ということは、私の直感は正しいんだな。唯識の選択ににせよ、先生たちの選択にせよ、なんかの本質なんだな。ああ、ほんとに目から鱗が落ちた気がするよ。私は特殊なんだね。知らなかったわ。本質を突くという性格は現実から乖離する陥穽であるけれど、自分にとってどうか、というただその一点から出てくるものだ。』

■「結局、思想の理解は感性だからね」

『「過酷な現実と高潔な跳躍を接近させること」こそ、宗教の役目、思想の役目。そのままでは蹂躙されてしまう切ない心情を、かなしい願いと祈りを、言語と論理によって普遍化すること。それこそが知識人の役目。つまり「先駆者がそれを救うために全力を尽くしたであろうものを救う」ことであるのだな。しかもこの寥寥たる荒廃を見るに付け、私がやるしかないではないか。・・なんたることか。
 しかしほんっとに日本の教理ないし思想を女がやってない(会った試しがないぞ)。いまだに私が初めてってのは、どういうことだ。まだキリスト教には、いるようだけれど。これは一体何なんだ。修道院の思想はおしゃれできれいだから?日本の僧房だって、おしゃれできれいだもんっ・・というのは、やっぱり特殊な感覚なのだろうな。内容において本当に同じことやってるのに。西洋の思想は、西洋庭園と同じく、言うほどわかりやすくはないよ、根幹において。結局思想の理解は感性だからね。』

■「だから、日本思想史には私が必要なんだ」

『学問に半分しか向いていないのは、けっして悪いことではない。それはそれ以上の器であるということ、より広い可能性を持っているということだ。半分だから、あとの半分に伝えられる。学会が嫌いで仕方がない坂口先生は、だから素人に伝えられた。唯識が大嫌いで仕方がない太田先生は、だから素人のために唯識を伝えられた。私は学会が大嫌いで日本思想史を心から軽蔑しているから、きっと思想史を伝えられるだろう。因縁というものだ。
 実際、思想史は駄目だ。思想がない上に史もない。名著を読んでも、思想史のものは歴史や哲学のものより二段ほど劣ってる。あれは思想がないからだ。イデオロギーしかない人間が思想を語れるはずがない。京大に日本哲学の講座ができたそうだが、とにかく日本の学界では、思想とか倫理とか哲学とか言うと、主体性のない人間、くずしか集まらない仕組みになっているらしいからな。だから日本思想史には私が必要なんだ。』

■「大丈夫。私は源水から海にたどりつける」

『分かった者は、伝えなくては。安易に流されず、丁寧に追っていくしかないと思う。飛ばすとイカン。その瞬間に退廃する。どこがどうなって、どこに行くのかは知らない。でもこれは、やる意味があることだ。この大衆化の、なし崩しの退廃の時代にあって、精神性、霊性、あの光が、どのように和光同塵していったか、霊性の通俗化、いやそれよりも倫理化の道筋を示すこと。そこを動かすな。そこがブレることはないはずだ。そこがブレなければ、見失わなければ大丈夫。私は源水から海にたどりつける。』

関連記事は『「井筒」と「死者への七つの語らい」』。

合掌。

人気ブログランキングへ

| | コメント (0)

より以前の記事一覧