存在が花する

2019年10月11日 (金)

18歳の吉田健一と27歳のジョーン・ロビンソン

本棚の奥に紙が経年変化した「経済学の考え方」(宮崎義一訳)という本があります。著者はジョーン・ロビンソンという1903年に生まれ1983年に亡くなった女性経済学者です。その本の隣には「ゆたかな社会」(ガルブレイス著)が立っています。サムエルソンのような無味乾燥な内容の著作が得意な学者とは違って、彼女は思想的、情熱的な経済学者でした。
 
「経済学の考え方」の訳者あとがきにあるように、彼女は別の著書で「経済学を学ぶ目的は、経済問題について一連のでき合いの答えを得るためでなく、いかに経済学者にだまされないようにするかを習得するためである」と言っており、その言葉がそっくり「経済学の考え方」の内容要約にもなります。
 
彼女は何度かノーベル経済学賞の受賞候補に挙がりましたが、受賞できなかった理由として選考委員会の委員長は「賞を辞退する恐れもあったし、脚光を浴びる機会に乗じて主流派経済学を批判する可能性も考えられたからである」と述べたそうです(この項はWikipediaを引用)。
 
吉田健一の著作を拾い読みしていたら、短いケンブリッジ留学時代の思い出を書いたエッセイに次のような一節がありました。
 
「教育すると言っては言ひ過ぎで、彼(【註】ディッキンソンという長老フェロー)の態度にそのやうな所は少しも見えず、又事実、彼は若いものと付き合うこと自体に興味を持ってゐたらしく、彼の部屋での集まりは、寧ろサロンの感じがした。ライランズもよく来た。他に、二年、三年の学生や、ライランズと同年輩の教授達やその夫人達、それから、アイルランド系ではないかと思われる、会ってゐて何とも明るい感じがする、名前は忘れたが女の経済学者も、ディッキンソンの所に集まる常連の一人だった。一年生で来るのは、ロオスと私位なものだった。」
 
調べてみると、その女の経済学者がジョーン・ロビンソンで、吉田健一がケンブリッジにいたのは1930年から1931年なので、18歳の先の見えない暗い感じの吉田が、27歳の「何とも明るい感じがする」ジョーン・ロビンソンと出会っていたことがわかります。
 
ただそれだけのことですが、吉田は才気煥発な27歳がけっこう気になったのでしょう。27歳がその18歳をどう思ったのか、その18歳とどんな会話を交わしたかはわかりません。
 
そういう一節を眼にして本棚を確かめに行ったらいくぶん茶色くなった「経済学の考え方」が奥の方にあったというわけです。


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2019年10月 7日 (月)

「50年ぶりの異常気象です」という報道と、自然の循環

遅めの時刻にテレビを見ていたらニューヨークが33.9℃で異常な暑さだという報道がありました。「ニューヨークで10月に33℃以上の気温になったのは78年ぶりだそうです」と画面の中でレポーターがしゃべっています。
 
「30年ぶりの暑さとか、50年ぶりの大雨」という表現で現在の気象の異常事態を報道するのがマスメディアはお好きなようです。78年ぶりもその一つです。ただ、最近はそういう久しぶりの事象を「その原因は地球温暖化、その原因の原因は人為的な二酸化炭素の排出だ」というのと係り結びのように結びつけるのが好きな媒体と、その二つを直接的に結びつけることにためらいのあるらしい媒体の両方がある雰囲気ではあります。
 
冷静に考えると、50年ぶりの激しい降雨とか78年ぶりの高温とか言うのは、50年前と78年前に同じ事象が確実に存在したということなので、そういうゆったりとした周期で自然の事象が循環しているとも言えます。
 
時間というのはぼくたちが感じるものとしては常に現在しかないにしても、それとの付き合い方としては、もっぱら直線の上をどんどんと進んでいくような時間の中で生きるのが好きな文明や文化もあるし、時間の本質は循環(春夏秋冬)や交替(昼と夜、太陽と月)だと考えて循環や交替の中で過ごすのを重んじる文明や文化も存在します。一人の人間のなかでも、直線的な動きで進む時間を心地よく感じるときもあれば、時間が円環状に流れるなかで深いくつろぎを覚える場合もあります。
 
地球や宇宙というのは基本的に循環が好きなのだと考えると、その循環の波と、文明を直線的な改良の進行だと考えるぼくたちの仮説的な直線指向が交差したところが、マスメディアがかしましいところの「何十年ぶりの事象」かもしれません。災害につながるような何十年ぶりかの異常事象や台風や地震についてはじつに困ったことではあっても、残念ながら自然はそういうことをとくには気にしていないようです。
 
下のグラフはプランクトンの外殻化石の分析に基づく1万1300年前から現在までの気温変化(1961~1990年の気温の平均値からの偏差)のグラフです(「A Reconstruction of Regional and Global Temperature for the Past 11,300 Years」オレゴン州立大学 ショーン・マーコットら 2013)。
 
11300-shaun-a-marcott
 
このグラフを見て
 
・データは、我々が、現在、長期の寒冷期の中にいることを示している
・また、データは、我々が数千年にわたる寒冷期の一番底にいるということも示している
・ただし、過去100年の間に気温が劇的に上昇したので、過去数千年の間に起こった寒冷化の影響をすっかり打ち消している
 
と解釈するかたもいらっしゃるようです。
 
これを過去1万年ではなく過去40万年の気温変化(偏差)を描いたグラフ(丸山茂徳 地質学者、元東京工業大学教授)の中に位置づけてみると以下のようになります(赤い縦長の楕円で囲んだ部分が上のグラフに相当する部分)。
 
40_20191004155601
 
おおまかに10万年ごとに気温の上昇と下降(温暖化と寒冷化)を「循環的に」繰り返しています。丸山茂徳氏の言葉をお借りすると『人間が文明を創って、化石燃料をたきCO2を出すようになった時代は、過去300 年前ぐらいからです。このわずかな変化に今ナーバスになっている訳ですが、人間の文明とは無関係に、地球というのはこれぐらい(±4℃)を平気でやっています。』

46億年という地球の今までの経過時間の中で最近の40万年というのはわりあいに「刹那」なので(割り算をすると0.0087%)、循環と言ってもそういう短期間における循環です。ひょっとして現在が寒冷期にさしかかる入り口あたりかもしれないと考えると、けっこう憂鬱になります。

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2019年8月23日 (金)

短編の集まりとして読むと味わい深い「無為で閑適な生活」小説

吉田健一の小説は、単行本や文庫本のページ数が二百ページくらいの、四百字詰め原稿用紙だと三百枚くらいの日本における一般的な分類上は長編小説になるもの(たとえば「金沢」や「絵空ごと」など)も、登場人物やストーリーがお互いになんとなく関連しているようなしていないようないくつかの短編の集まりとして読んだ方が、話の筋の展開を気にする必要もなくてその分個々が味わい深いかもしれません。

たとえば「4」(第四章とは表記されていないことが多い)を開いて読み始めて、そのまま物語の展開に入っていって気が付けば「4」の終りになっていたら、そこで止めてもかまいません。「3」や「1」に戻る必要は必ずしもない。彼の小説はエッセイみたいなもので、わくわくするようなストーリーがあるのではないので、そういう読み方で差し支えありません。長編小説は短編小説集です。あるいは複数の物語風エッセイで構成されるエッセイ集とも言えます。

吉田健一が、実際になかばそういう世界に住んでいて、そしてその連続や拡がりを小説の中でも目指していたのは「無為な生活」あるいは「閑適な生活」だったようです。

それがどういう生活かというと、「実際に一つの、或は幾つかの職業に携わっていても或はいなくても外見には閑人であること、或は少なくとも何をやっているのか解らない人間であることが大切だった。・・・如何にも役人らしい役人だとか画家らしい画家だとかいうのが日本、それも今の日本人に限られた現象で、それ以外の場所で職業が顔に書いてある人間などというものは先ずないことだった」(「絵空ごと」)、そういう生活です。知の水準の高い「高等遊民」の生活とも言えるので、そういう「無為な生活」についてのおしゃべりに拒否反応を起こす人たちも少なくないかもしれません。

しかし、そういう生活を描いた彼の幻想的な小説やエッセイにおいて特徴的なことは、自然と人間の間に境がないということ、そして過去と現在が連続して一体化しているということです。こういう世界はすでにどこかで描かれているようであまり描かれていない。

時間(過去と現在の連続)に関して言えば、たとえば「現在の領分が過去まで拡つてゐるのが、我々が生きてゐるといふことなのではないだらうか。それならば、男は生きてゐた」(「逃げる話」)という具合です。

人と自然が地続きであることについては、「誰も行ったことがない海に誰か行っても海はいやがりはしないんですよ、人間を見て人間に姿を見せるのも自然がすることのうちなんですからね。」(「金沢」)

それから、人と自然が地続きであることと過去と現在が連続していることの両方について言えば「『貴方が私には見えてこうして二人で日が差している川の傍らにいてこれが過去でも現在でもなくてその両方であることがこれが現在である証拠なんですから。』そうすると相手が又椀に川の水を汲んで内山の前に置いた。」(「金沢」)といった按配です。同じような表現、似たような描写が彼のそれ以外の作品にしばしば登場します。

以下は老子と荘子からの引用です。

『道のいうべきは、常の道にあらず。名の名づくべきは、常の名にあらず。名無きは、天地の始めにして、名有るは、万物の母なり。・・・玄のまた玄、衆妙の門なり。』(老子)

『むかし、荘周は夢に胡蝶(こちょう)となる。栩栩然(くくぜん:ふわふわするさま)として胡蝶なり。・・・知らず、周の夢に胡蝶となるか、胡蝶の夢に周となるかを。』(荘子)

この二つを混ぜ合わせて頭の中でぼんやりとした出発点とし、その出発点のイメージを現代の(たとえば日本の昭和という時代の)流れと風景の中で、吉田健一流の同語反復の多いくねくねした文体と時間感覚で小説風に膨らませると、自然と人間が地続きになり過去と現在が一体化した「金沢」のような幻想的な作品が出来上がります。

そういう作品の欠点は、読む側がバタバタしているときには楽しめないことです。だから、長い小説が短編の集まり風というのは結構ありがたい。

 

  

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2019年6月26日 (水)

札幌と、『荒地』の書き出し部分の季節感

以下はT・S・エリオット『荒地』 (The Waste Land, 1922) の第一部「死人の埋葬」の書き出し部分です(吉田健一訳)。

「四月は残酷な月で、死んだ土地から
リラの花を咲かせ、記憶と欲望を
混ぜこぜにし、鈍った根を
春雨で生き返らせる。
冬は何もかも忘れさせる雪で
地面を覆ひ、干からびた根で少しばかりの生命を養い、
それで我々は温くしてゐることが出来た。
夏は俄か雨となってスタルンベルガエゼを渡って来て、
我々を驚かせた。我々は柱廊の所で立ち止り、
日光を浴びてホフガルテンに出て行き、
そこでコオヒイを飲んで一時間ばかり話をした。」

札幌に住んでいると引用した詩の季節感を、表面的には、よく理解できます。著者の土地(英国)の緯度は札幌よりも高く(従って夏の日は長く)、しかし暖流の関係で冬は札幌よりも暖かいのですが、英国と札幌は季節の雰囲気が似ているのかもしれません。

「四月は残酷な月」の「残酷」の意味が、「その月」がもはや冬でもないけれど、しかしまだまだ寒くてとても春とは言えない、春の暖かさを期待しているのに毎日のように裏切られてしまう、そんな中途半端な感じなので「残酷」だ、というのでしょうか。

「冬は何もかも忘れさせる雪で地面を覆ひ」は確かにその通りで、冬は地面がどこまでも雪と氷で覆われます。でもその「死んだ土地」に「春雨」(根雪を溶かせる雨)が降ると、「死んだ土地」から「リラ(ライラック)」が、冬の「記憶」と春への「欲望」を「混ぜこぜにして」5月半ばに薄紫色の花を咲かせ始めます。

そして、翌月にはニセアカシアの白い花が続き、短い夏が俄かに、ちょうど「俄か雨」が来るようにやってきます。

「死んだ土地から、リラの花を咲かせ、記憶と欲望を混ぜこぜにし、鈍った根を春雨で生き返らせる。」

こうした瞬間の連なりがゆっくりと、しかし気がつけば急に動いているのを実感できるのは札幌に生活することの楽しみのひとつです。

 

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2019年6月19日 (水)

「同行二人Tシャツ」と「サクランボ」

札幌の6月の早歩きは、Tシャツ1枚だと、勤め人が帰宅の途にある時刻をある程度過ぎたあたりの時間帯にするには寒いので、その上にダボっとしたグレーのTシャツを重ね着して、歩いていて暑くなってきたら重ねたのを脱ぐ、あるいは、歩き終わって汗をかいているので重ねを脱ぐといった使い方をしています。

下に着ているのは背中に「南無大師遍照金剛 同行二人」(なむだいしへんじょうこんごう どうぎょうににん)、そして胸に「ユ」という音の梵字が印刷されたTシャツです。その梵字の象徴的な意味は「弥勒菩薩」(みろくぼさつ)。お遍路さん用です。去年購入したもので、ときどきしか使いませんが、すれ違うジョガーはたいていがスポーツ用品メーカーのブランド衣類をお召しなので、けっこう雰囲気が違います。

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「同行二人」とはお遍路さんがいつも弘法大師(空海)と一緒に巡礼しているという意味ですが、その効果なのか、夏至前でまだまだ明るい帰り道の道路際の桜の樹の下で、母親二人と子供数人が楽しそうに騒いでいるのに出会いました。サクランボです。

低いところに実がなっているのは母親がそのまま手を伸ばして、それから少し樹に登ればその周辺のサクランボの実も採れるのでそこは身軽な子供の受け持ち範囲。熟したのを慎重に選んでその場で口に運んでいました。何年か前に、三人連れの元気な小学生と思われる女の子が、近隣の別の場所でサクランボ狩りをしていて、その子たちから収穫をお裾分けしてもらったことがありますが、それを思い出しました。

下の写真は、「同行二人」中は手ぶらだったので、翌日その場に出かけて撮影したもの。色を見ると完熟にはしばらく日がかかりそうです。

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関連記事は「木登りの女の子たちからもらったサクランボ」。確認してみたらこの関連記事のお転婆(おてんば)な小学生の女の子たちに会ったのが4年前の2015年の初夏、そのあとサクランボを同じ樹で確認したのが2017年の初夏なので、今回の樹はその樹とは別の桜ですが、わりに近い場所にあるので、どうも近所のサクランボは2年ごとに実がなるみたいです。

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2019年6月18日 (火)

サウジアラビアのスンニー派とイランのシーア派に関して

以前に書いたものの再掲です(ただし一部を変更、一部を追加)。

サウジアラビアとイランの関係がよくありませんが、サウジアラビアとイランの不仲は1000年以上前からです。1000年以上前から多くの血が流され続けました。そして、現在はそこに、例によって、ある非イスラム国家による政治と経済の無茶な介入が絡んで、不仲の状況はさらにややこしいものになっています。

配偶者からサウジアラビア(スンニー派)とイラン(シーア派)の違いについて聞かれたので、以下のように答えました。「ともにイスラム教だけれど、サウジは商売・ビジネスの国、イランは哲学と文学の国」。その回答の後ろにはある参考書の存在があって、その参考書とは井筒俊彦著『イスラーム文化』です。

この記事は、配偶者とぼく自身のための簡単な備忘録として書いています。『イスラーム文化』の読書記憶をもとに自由にまとめているので記憶違いや勝手なはみだしがあるかもしれませんが、個人的な備忘録なのでよしとします。

イスラム教は、アラビア半島のメッカで、商人であるムハンマド(マホメット)を預言者として生まれました。預言者とは神の言葉を預かり民に伝達する者という意味です。その意味では神託を伺い口寄(くちよせ)をする者であるところの巫女(みこ)やシャーマンも預言者です。

ムハンマドによれば、イスラム教は、ユダヤ教とキリスト教と対立するものではなく、その二つを包み込むという意味で、ユダヤ教とキリスト教のスーパーセットと云うことになっています(逆に云えば、ユダヤ教とキリスト教はイスラム教のサブセットということになる)。だから、イスラム側からすれば、対立などあり得ない。サブセットと位置付けられた方は、その位置づけに憤慨しているかもしれませんが。

イスラム教の聖典はコーランです。コーランは宗教の聖典であると同時に法の聖典でもあるという二重性(二重の性格)を持っています。法教一致、政教一致の聖典です。

宗教も法も、もともとは一体化していたので、同じ重みをもっていましたが、時代の流れとともに、そして人々の思惟の方向の変化や価値観の変化とともに、どちらかに比重が偏ってきます。つまり、コーランに書かれた文字の意味するところを(法の条文を解釈するように)そのままに受け取る人たちと、書かれた文字の向こう側の見えない奥に深い意味を読み取ろうとする人たちが現れます。前者は法の人であり、後者は霊の人です。イスラム教は宗教なので、かりに顕教と密教という用語を使えば、前者は顕教の世界、後者は密教の世界です。

サウジアラビアのイスラム教宗派はスンニー派(一部はシーア派)で、イラン(ペルシャ)のそれはシーア派ですが、両者を先ほどの価値の重みのかけ方という座標軸に沿って配置してみると、スンニー派は「法の宗派・政治的な宗派・現実主義的な宗派・顕教の宗派」、一方、シーア派は「霊の宗派・哲学的な宗派・神秘的な宗派・密教の宗派」ということになります。

イランといえばペルシャであり、ペルシャといえば、ペルシャ絨緞、千夜一夜物語、光と闇のゾロアスター教を思い浮かべます。神秘的で幻想的です。形而上学者・神秘哲学者であるところの井筒俊彦は、1975年(61歳)から1979年(65歳)までイラン王立研究所の教授でした。イランとはそういう国です。一方、サウジアラビアという土地は、形而上学や神秘哲学はあまり似合わない。

ただしそういう区分となじまない個人がいるのは当然のことで、以前、短期間ですがいっしょに仕事をしたことのあるイラン出身のITエンジニアは、アラブ以上にアラブ的な現実主義者でした。もっとも、それは昼間の仕事場だけで、夜は哲学的瞑想にふけっていたのかもしれません。

そういう世界観の対立がメッカ期とメディナ期以来、ずっと続いています。世界観の違う二つがぶつかった時には、現実主義的な政治権力に価値を置く宗派が、そうでない宗派を、たいていは政治的に圧迫します。そういう場面では、聖職者の犠牲も多い。現在の対立の底にも、そういう歴史的な思惟の違いと価値の体系の違いが潜んでいます。

世界のイスラム人口のうち圧倒的に多いのはスンニー派です。シーア派は少ない(統計資料によれば、イスラム人口の10%から13%)。北海道でも、イスラム教徒向けの食材の調達や礼拝設備を充実してインドネシアからの観光客誘致に努めていますが、インドネシアのイスラムはスンニー派です。

 

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2019年6月13日 (木)

オムニバス形式

オムニ(omni-)という用語(接頭辞)は「全部」という意味ですが、最近は流通の最先端でオムニチャネルといった使い方がよくされます。ある企業の持っているすべての流通チャネルの相互利用・相互乗り入れといった内容です。ある商品を自宅で受け取ってもいいし、コンビニで受け取ってもいいし、会社帰りに実店舗でピックアップしてもいい。受け取り場所は、その企業の持っている複数の流通チャネルを消費者の都合に合わせて自由に選択できます。

以前は、たとえば、ぼくなどが最初に英語に接したときなどはまだバスといっしょにオムニバスという単語も習った記憶があります。現代風のバスでなく、エンジンがフロント部分に位置している乗合自動車の雰囲気です。

オムニバスは死語ではなく、今でも、すでに発表されたある作家の(とくに同一作家の)複数の作品を集めた本という意味で「オムニバス形式の小説」と呼ばれます。この用語の日本語での使い方はもっと幅広くて、同じテーマを扱った複数の人の作品を一つにまとめたものもオムニバス作品と名付けられているようです。

今、ある日本人作家(故人)のオムニバス作品を読んでいます。二重の意味でオムニバス形式になっています。

特定のテーマを、別々の、しかし似たようなサブテーマで取り扱ったもので、サブテーマごとの短編は一冊の本にまとめられる前に雑誌にすでに発表されているので、そういう意味では、オムニバス形式の短編集です。

そして、同時に、あるサブテーマに関する短編の中に、複数の時間と記憶と場面がサブサブテーマ風に連続して流れます。小説ですが、随想風の味わいです。文体が読点が多くて独特で、そして読点から読点までの繋がりがときにねっとりと続くので、慣れるまでに少し時間がかかります。意識の流れや感性の流れ、時間の流れや記憶の流れ、夢と現の往還をゆらゆらと追いかけてそのまま言葉に移しているような文体なので、そのリズムに同調できると、作者の歩く速度で作者といっしょに過去の意識や無意識を散策できるといった按配です。しかし、リズムに同調できないと、流れを楽しんでいるのは作者だけで、読者は埒の外ということになります。

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2019年5月14日 (火)

繰り返し楽しめる本

回数の多寡やジャンルは問わないとしても繰り返し読む本というのはそれほど多くはありません。しかしとても少ないというわけでもない。繰り返し読むといっても、表紙から表紙まで全部に目を通す場合と、必要な章や気になるあたりを集中的に読み返す場合があります。40年ぶりに本棚の奥から引っ張り出すということもままあります。

そのひとつが1992年発行の(つまり30年近く前に出版された)単行本で書名が「男流文学論」。「論」の形式は女性三人の鼎談で、その三人とは「上野千鶴子、小倉千加子、富岡多恵子」、社会学系の学者二人と詩人でもある作家の組み合わせになっています。そして、たまたまなのか三人とも広義の関西文化圏育ちです。

「男流文学論」なので、男性作家の著作とその著作についての他の男性による評論が対象です。手元の本の帯に印刷してあるアイキャッチャーをそのまま引用すると「有名男性作家六人と、それをめぐる評論を、真正面からたたき斬る!刺激的な鼎談」。賑やかに知的に、ときには猥雑に、そして匕首(あいくち)で気に入らない相手(この場合、男)をブスっと刺しかねない怖さを漂わせながら三人の濃密なおしゃべりが続きます(匕首が適当な手段でない場合は、男性作家が持てない視点で足を掬うとか)。

この平成初めの頃の鼎談で取り上げられている有名男性作家六人とは、「吉行淳之介、島尾敏雄、谷崎潤一郎、小島信夫、村上春樹、三島由紀夫」。議論の対象となった作品もあわせて書くと、以下の通りです。

・吉行淳之介 「砂の上の植物群」「驟雨」「夕暮まで」
・島尾敏雄 「死の棘」
・谷崎潤一郎 「卍」「痴人の愛」
・小島信夫 「抱擁家族」
・村上春樹 「ノルウェイの森」
・三島由紀夫 「鏡子の家」「仮面の告白」「禁色」

ぼくは、ここにある作品は、読んで面白かったかあるいはそうでなかったかを別にすると、三島由紀夫の「鏡子の家」と「禁色」以外はすべて読んでいて(退屈なので途中で放り出しそうになったのもありますがそれが何かはここでは言わないことにして)、また、鼎談者であるところの「上野千鶴子」と「富岡多恵子」の著書もそれぞれ複数すでに読んでいて、だから、本屋で遭遇したこの本をその場で買ったというわけです。

たしかに刺激的な内容の鼎談で、最初は机で一気に読了したと記憶しています。二回目以降は、ベッドで就寝前にページを繰ることが多いようです。なんとなく読みたくなると本棚から取り出してきてその夜の気分が求めるあたりに目を通します。ある作家についての三人のジャムセッションを再読したくなる場合もあるし、彼女らの発言内容の刺激を味わいたくなってページをランダムに開ける場合もあります。

吉田健一は繰り返し読むに足る本が五百冊あったそうですが(倉橋由美子の「偏愛文学館」による)、どんな分野であれ、その冊数を再読対象にできるいうことは並み大抵ではありません。イスラム学者の中には、必要な書物の内容はすべて頭の中に記憶していた人もいたらしい。そういう碩学はいつでも五百冊(たとえば)を、眼を閉じたまま味わえるし、また折々で切実度を変えるであろう一節を縦横に引用することもこともできるわけです。これはもっと並み大抵ではありません。

いずれにせよ「男流文学論」はぼくの本棚に坐り続けるはずです。

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2019年5月13日 (月)

もう一つの「春を感じるとき」

シャクナゲです。上が四月上旬の様子。下が同じシャクナゲの5月上旬の姿。ひと月かけて新しい芽が柔らかい緑の葉の形になってきました。札幌にいると、そのあたりにあるこういう当たり前の春の変化、季節の循環が嬉しいものです。

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夢には、形があるものもないものも言葉があるものもないものもすべてが含まれます。あらゆる存在が夢を見るなら、シャクナゲは今どんな夢を見、どんな夢の中にいるのでしょう。

お互いに常にそれぞれに夢を見ているとしても、彼らと一緒にもっといい夢を見るには、もう少し季節が進んで緑の色合いも深く落ち着いたものになってくるころまで待った方がいいかもしれません。濃い緑と強くなった光が遊びはじめ、それを見ているこちらも夢見心地になり、気がついたらお互いがお互いの夢の中です。

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関連記事は「桜が散るということ」。

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2019年5月10日 (金)

桜が散るということ

満開の五弁の桜は風に落ちます。ハラハラと散る。あるいは、桜吹雪になって視界を遮りそのあたりの空の色を桜色に変えるように飛び散り、地面を花びらで淡いピンクに染めます。ぼくたちに馴染みの光景です。たとえば下の写真。

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「埴谷雄高(はにや ゆたか)」晩年のインタビュー映像を偶然見る機会がありました。テレビ放送の再放送かなんかをとりあえず録画したものだと思います。映像にも音にもノイズが混じっていました。正確には覚えていませんが、とても印象に残った箇所がありました。だいたい次のような内容だったかと。

虚体という不思議な言葉が出てきます。

『我々だけでなく、あらゆる生物もあらゆる存在も夢を見ている、夢想している。・・・・・虚体は実現されていない夢の総体。実現したものはすべて夢の裏切り、つまり誤謬。椅子や靴下のようなモノも安心立命させたい。そういうものを書きたいけれど書けない。虚体は、生物の夢、物質の夢を全部集めたもの。・・・・・五弁の桜が散る。日本人には桜はワッと散るものだが、実際はいっきょに散るわけではない。五弁のうちの一枚が散る。四枚残っている。また一枚散る。まだ三枚残っている。残った三枚の気持ちになっていろいろ考えてみる。桜の花びらになっていっしょに夢想する。プルーストの「失われた時を求めて」の思索性とはそういうものだ。』

埴谷の「虚体」と「夢」を想起させる、老子と荘子の一部を下に引用してみます。

『道のいうべきは、常の道にあらず。名の名づくべきは、常の名にあらず。名無きは、天地の始めにして、名有るは、万物の母なり。・・・玄のまた玄、衆妙の門なり。』(老子)

『むかし、荘周は夢に胡蝶(こちょう)となる。栩栩然(くくぜん:ふわふわするさま)として胡蝶なり。・・・知らず、周の夢に胡蝶となるか、胡蝶の夢に周となるかを。』(荘子)

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