存在が花する

2021年2月12日 (金)

般若心経はとても哲学的なお経

奈良の南都六宗の学問指向の強い寺に限らず、週末に写経体験教室などを開いている各地の寺で使う写経テキストには、宗派を横切って密教系でも禅宗系でも、「般若心経(摩訶般若波羅蜜多心経)」が使われることが多いようです。内容と文字数(二百六十二文字、あるいは二百七十八文字)が写経教室に向いているからです。この「般若心経」は仏式の葬儀や法事などでよく読経されるお経のひとつでもあります。

佛說摩訶般若波羅蜜多心經
觀自在菩薩行深般若波羅蜜多時照見五蘊皆空度一切苦厄舍利子色不異空空不異色色卽是空空卽是色受想行識亦復如是舍利子是諸法空相不生不滅不垢不淨不增不減是故空中無色無受想行識無眼耳鼻舌身意無色聲香味觸法無眼界乃至無意識界無無明亦無無明盡乃至無老死亦無老死盡無苦集滅道無智亦無得以無所得故菩提薩埵依般若波羅蜜多故心無罣礙無罣礙故無有恐怖遠離一切顚倒夢想究竟涅槃三世諸佛依般若波羅蜜多故得阿耨多羅三藐三菩提故知般若波羅蜜多是大神呪是大明呪是無上呪是無等等呪能除一切苦眞實不虚故說般若波羅蜜多呪卽說呪曰
揭諦揭諦波羅揭諦波羅僧揭諦菩提薩婆訶
般若心經

ちなみに、空海には「般若心経秘鍵」という著作があり、道元の著書である「正法眼蔵」の第二巻は「摩訶般若波羅蜜」です。

中江藤樹という江戸時代初期(十七世紀前半)の陽明学者は、道を求める人たちを「聖人」を最高位として「俗学・角者・狂者・大賢・聖人」という具合に下から順にレベル分けし、「釈迦や達磨や荘子」などは「聖人」の下の下であるところの「狂者」に配置しました。仏教や老荘思想はその本質は哲学、形而上学なので、釈迦や達磨や荘子は哲学的な思弁を専らにするだけの軽い存在と考えればそういう位置づけになります。かれらは「だからどうした」という問いかけには答えない。

あるいは、荘子がなぜ「狂者」かというと、「昔者(むかし)、荘周は夢に胡蝶と為る。栩栩然(くくぜん)として胡蝶なり。・・・俄然(がぜん)として覚(さ)むれば、則ち蘧蘧然(きょきょぜん)として周なり。知らず、周の夢に胡蝶為(た)るか、胡蝶の夢に周為るか」(「荘子」斉物論篇)のような、 蝶々と荘子が互いに入り混じり、状況が「くくぜん」「がぜん」「きょきょぜん」と流れていくような世界は、藤樹好みではなかったのでしょう。

「般若波羅蜜多心経(Prajna Paramita Hrdaya Sutra)」の哲学的な「空(くう)」の香りを改めて味わうために梵語(サンスクリット)から現代日本語に訳したもの(「世界古典文学全集 7 筑摩書房」平川彰訳)を下に引用してみます(引用すると長く感じますが)。「シャーリプトラ」は漢字だと「舎利子」です。

一切智者に帰依します。

聖者観自在菩薩が深遠なる般若はらみつにおいて、修業をおこなっていたとき、人間は五種の構成要素から成立していると照見した。しかもそれらの五種の構成要素は、その本性は空であると洞察した。

シャーリプトラよ、この世において、物質現象(色)は実体のないもの(空)である。実体のないもの(空)こそが、物質現象(色)として成立するのである。実体のないこと(空)は、物質現象(色)を離れてあるのではない。物質現象(色)も実体のないこと(空)と別にあるのではない。およそ物質現象であるもの(色)が、そのまま実体のないもの(空)なのである。実体のないこと(空)が、そのまま物質現象(色)なのである。感覚・表象・意志作用・判断についても、これと全く同じである。

シャーリプトラよ、この世において、存在物はすべて、実体のないことを特質としているのである。生じたと言えないものであり、滅したとも言えないものであり、汚れたとも言えず、汚れを離れたものでもない。減ることもなく、増すこともない。それ故にシャーリプトラよ、実体がないという見方に立てば、物質現象は成立せず、感覚も成立せず、表象も成立せず、意志作用も成立せず、判断も成立しない。視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚、意識も存在しない。色、声、香り、味、触られるもの、観念も存在しない。視覚の領域も存在せず、ないし、意識的判断の領域も存在しない。

智慧もなく、無知もなく、智慧の滅尽もなく、無知の滅尽もない。ないし、老いること、死ぬこともなく、老いること、死ぬことの滅尽もない。苦・集・滅・道(の四つの真理)もなく、智もなく、悟りに達することもない。それ故に、達することがないから、人は菩薩の般若はらみつを依り所として、心の覆障なしに住している。心に覆障がないから、恐怖がなく、顚倒を超越しており、究極のニルヴァーナに入っている。三世における諸仏たちはすべて、般若はらみつを依り所として、無上の正しい悟りを現実に悟ったのである。

それ故に知るべきである。般若はらみつの大なる真言、大なる智慧の真言、無上の真言、比較を絶した真言は、すべての苦悩を鎮めるものであり、偽りがないから真実であると。その真言は般若はらみつにおいて次の如く説かれている。

ガテー ガテー パーラガテー パーラサンガテー ボーディ スワーハー
(行ける者よ、行ける者よ、彼岸に行ける者よ、彼岸に共に行ける者よ、悟りよ、栄えあれ!)

『般若はらみつの心髄』おわる。

とても哲学的、形而上学的な内容のお経です。こういう哲学的な内容を持つ「般若心経」の読経や写経は何のためにするのか、誰のためにするのか。死んだ人の為か、残されている人の為か、自分自身の為か。

なかでも「智慧もなく、無知もなく、智慧の滅尽もなく、無知の滅尽もない。ないし、老いること、死ぬこともなく、老いること、死ぬことの滅尽もない。苦・集・滅・道(の四つの真理)もなく、智もなく、悟りに達することもない」というところは、「空」ということを言葉で語ろうとした場合の根源的な一節で、そういうことならこちら側もあちら側も「空」なのでそういう意味では両者に違いはありません。

とくに、「智もなく、悟りに達することもない」というところはドラスティックで、つまり悟りなどというものはそもそもないのだから、そういうものがどこかにあって修行の結果悟りに達することができるといった風に悟りを実体化してはいけない、そんなことをすると余計に迷うだけだと断言している。そういうことを含めて「般若心経」を読誦したり写したりすることは日常の隙間で深く哲学することだと言えそうです。

 


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2020年10月 5日 (月)

札幌の秋は「ななかまど」の赤

札幌では、「ななかまど」の実は、9月中旬以降雪が降り始めたあとまでも継続して、さまざまな色合いの赤を提供してくれます――札幌に限ったわけではないとしても――。その期間が長いのは「ななかまど」という樹の生命力が強いということがあり、色合いの豊富さは彼らに種類の差や個体の差があるからです。

実の色は濃い赤から、朱色に近い赤、橙色に近い赤などがあり、葉の色も濃い緑から淡い感じの黄緑までいろいろなので、それらの組み合わせの妙を街中の通りや植栽場や公園で堪能できます。

歩いているときに姿のきれいな女性が佇んでいるのを見かけた感じで「ななかまど」の鮮やかな赤や風情のある赤に出会うと、立ち止まってしばらく眺めてしまいます。

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2020年9月14日 (月)

「神社に狛犬、寺院に狛犬」、「阿形(あぎょう)の狛犬、吽形(うんぎょう)の狛犬」

狛犬に関して、神社本庁ウェブサイトは次のように説明しています。

『神社にお参りすると参道の両脇に一対で置かれた石製の狛犬を見かけます。神社境内のことを語るとき、鳥居と並んでまず思い浮かぶほど、狛犬は神社にとって一般的なものとなっています。普段、私たちは石製のものを多く目にしますが、このほかに、社殿内に置かれる木製や陶製のもの、また金属製のものなどがあります。』

「一対の狛犬(こまいぬ)」といっても、神社や寺院で狛犬をよく見るとほとんどの狛犬は左右で形が違います。わずかに違うというよりも、顔かたちや表情がけっこう違います。それから「狛犬」といってもとても普通の「犬」には見えない。鬣(たてがみ)を持った猛獣の雰囲気がある。

仏教はインドで始まりましたが、そのインドでは仏像の前に2頭のライオン(「獅子」)を置きました。「狛犬」の形はそこから来ています。仏像といっしょに、当然のことながら2頭のライオン(「獅子」)も日本に入って来て、仏像の前に2頭の「獅子」を置く習慣が始まりました。奈良時代までは「獅子」と「獅子」の組み合わせだったのが、平安時代から「獅子」と「狛犬」の組み合わせになったそうです。

「一対の狛犬」を観察すると、一方は口を開け、もう一方は口を閉じています。そして口を閉じた方には、たいていは頭に角(つの)がある。口を開けているの(阿形 あぎょう)が「獅子」で、口を閉じて(吽形 うんぎょう)角があるのが「狛犬」です。

神仏習合が盛んになったのは平安時代からで、だから狛犬もその所属先・勤務先に柔軟性を発揮できるようになったのでしょう。寺に坐っていてもおかしくないし、神社にいても違和感はない。

下の写真は、高野山・金剛峯寺のなかにある赤い鳥居の神社とその前の一対の狛犬です。全体配置とそれぞれの狛犬(左側が口を閉じて角のある「狛犬」、右側が口を開けた「獅子」)の拡大写真を並べてみます。筋肉や顔つきは猛獣です。

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Photo_20200911082201 Photo_20200911082301      狛犬(吽形と角)           獅子(阿形)

 


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2020年9月11日 (金)

徒然草の中の神仏習合

サラッと書いてあるのでサラッと読んでしまうのですが、不思議と言えば不思議な記述です。徒然草の第百九十六段は次のような書き出しで始まります。

「東大寺の神輿、東寺の若宮より帰座の時・・・」(東大寺の御輿が、東寺に新設した八幡宮から奈良に戻されることになったときに・・・)。寺に神輿(みこし)があり、寺に宮(みや)がある。

書いているのは吉田兼好。出家したので「兼好法師」と呼ばれていますが、彼の本名は卜部兼好(うらべかねよし)。「卜部」は卜占(ぼくせん)を司り神祇官を出す神職の家系なので、彼の中では何の不思議もなく「神仏習合」あるいは「本地垂迹(ほんちすいじゃく)」が生きていたようです。

「本地垂迹説」とは、日本の八百万(やおよろず)の神々は、仏教の様々な仏(菩薩なども含む)が化身として日本の地にかりに現れた権現(ごんげん)であるとする考えで――「権」は一時的な、かりそめの手立て、という意味、従って「権現」はかりそめに現れた、という意味――だから、各地に「熊野権現」のような「・・権現」があり、また神社内には神宮寺が作られ、「八幡神」は「八幡大菩薩」という名前でも祀られています。

確かに京都の東寺には小さな神社があります。空海は東大寺に関係していたとしてもその誕生の経緯については不案内でしたが、こういう一節を読むと、兼好が生きていた時代との距離が急に妙に縮まった気分にはなります。

神仏習合が今でもしっかりと存続しているのは、ぼくたちはそれをほとんど意識しませんが、身近な例で言えば、初詣です。ぼくたちはその場所が神社か寺か、とくには気にしません。たいていは近所の、いつもの神社やお寺に参拝・参詣します。そこに仏と神が本地や権現としてあるならそこが神社でもお寺でもどちらでも構わないわけです。

関連記事は、「神仏習合について雑感」と「神と仏の二重構造や神と神の二層構造と、グローバリゼーション」。


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2020年9月 9日 (水)

徒然草の中の枕草子、源氏物語や紫式部日記

「方丈記」はさてこれかどうなるのだろうというところでお終いなので、いささか肩透かしを食った気分になるエッセイです。もう一度読もうという気分になりにくい。それに対して、「徒然草」はまた気が向いたら気に入ったところをパラパラと(あるいは丁寧に)読み返してみるかという心持ちになります。有職故実(ゆうそくこじつ)に言及したような段や教科書に載るような内容の段と再び喜んでお付き合いするかどうかはわからないにしても。

「徒然草」を頭から順に読んでみると教科書向きの、つまり、教育官僚好みだと思われるような段は少なからずあって、これは教科書には採用されるかどうかはわからないけれど、第百六段<高野(かうや)の証空上人(しようくうしやうにん)、京へ上りけるに、細道(ほそみち)にて、馬に乗りたる女の、行きあひたりけるが、口曳きける男、あしく曳きて、聖ひじりの馬を堀へ落してげり>なんかもそのひとつです。

それから教科書向きであるかどうかは関係なく、ページを繰っていくと、世に言われる兼好法師らしさの溢れた第七十五段<つれづれわぶる人は、いかなる心ならん。まぎるゝ方(かた)なく、たゞひとりあるのみこそよけれ>や第七十六段<世の覚(おぼ)え花やかなるあたりに、嘆(なげき)も喜びもありて、人多く行きとぶらふ中に、聖法師(ひじりほふし)の交(まじ)じりて・・・>に出会うことになりますし、さらに進むと、第百四十三段<人の終焉(しゆうえん)の有様のいみじかりし事など、人の語るを聞くに、たゞ、静かにして乱れずと言はば心にくかるべきを、愚(おろ)かなる人は・・・>や第二百二十九段<よき細工(さいく)は、少し鈍(にぶ)き刀を使ふと言ふ。妙観(めいくわん)が刀はいたく立たず>が待っています。

しかしそういうのとは違った匂いを持つ文章も少なくなくて、たとえば第百三十七段<花は盛りに、月は隈(くま)なきをのみ、見るものかは>は、<(月影の)椎柴(しひしば)・白樫(しらかし)などの、濡ぬれたるやうなる葉の上にきらめきたるこそ、身に沁みて・・>といった感じで枕草子風の香りを漂わせた段だし――「らしい」辛口や無常観が満載だとしても――、第百三十九段の<花は、一重(ひとえ)なる、よし。八重桜は、奈良の都にのみありけるを、この比ぞ、世に多く成り侍はべるなる。吉野の花、左近(さこん)の桜、皆、一重(ひとえ)にてこそあれ。八重桜は異様(ことやう)のものなり。いとこちたく、ねぢけたり。植ゑずともありなん。遅桜(おそざくら)またすさまじ。虫の附きたるもむつかし>は枕のパロディーを意図したのでしょうか。

また、第百四段<荒れたる宿(やど)の、人目(め)なきに、女の憚る事ある比(ころ)にて、つれづれと籠(こも)り居たるを、或人、とぶらひ給(たま)はむとて・・・>や第百五段<北の屋蔭に消え残りたる雪の、いたう凍(こほ)りたるに、さし寄(よ)せたる車の轅(ながえ)も、霜いたくきらめきて・・・>には源氏物語風の創作の趣きがあります。

それから、第百段<久我相国(こがのしやうこく)は、殿上(てんじやう)にて水を召しけるに・・・>や第百一段<或人(あるひと)、任大臣の節会(せちゑ)の内辨(ないべん)を勤(つと)められけるに・・・>や第百二段<尹大納言(ゐんのだいなごん)光忠卿(みつただきやう)、追儺(ついな)の上卿(しやうけい)を勤められけるに・・・>は情景と対象人物を眺める眼が、紫式部日記の著者の視線を連想させます。

第百七段<女の物言ひかけたる返事(かへりごと)、とりあへず、よきほどにする男はありがたきものぞ」とて、亀山院の御時、しれたる女房ども・・・>は、文体をそれらしいものに変えて、紫式式部日記の後半のどこかにそれとなく紛れ込ませてもそのまま通りそうです(と、勝手に妄想しています)。

以下は、その第百七段の原文と現代語訳ですが、この(谷崎潤一郎ではなく与謝野晶子を思わせる)現代語訳は「徒然草 (吉田兼好著・吾妻利秋訳)」というウェブサイトから引用させていただきました。この場を借りてお礼申し上げます。

◇第百七段(原文)

 「女の物言ひかけたる返事(かへりごと)、とりあへず、よきほどにする男はありがたきものぞ」とて、亀山院の御時、しれたる女房ども若(わか)き男達の参(まゐ)らるる毎(ごと)に、「郭公(ほととぎす)や聞き給へる」と問ひて心見られけるに、某(なにがし)の大納言(だいなごん)とかやは、「数ならぬ身は、え聞(き)き候(さうら)はず」と答へられけり。堀川内大臣殿は、「岩倉(いはくら)にて聞きて候ひしやらん」と仰(おほ)せられたりけるを、「これは難なし。数ならぬ身、むつかし」など定め合(あ)はれけり。

 すべて、男をば、女に笑はれぬやうにおほしたつべしとぞ。「浄土寺(じやうどじの)前関白殿(さきのくわんぱくどの)は、幼くて、安喜門院(あんきもんゐん)のよく教(をし)へ参(まゐ)らせさせ給ひける故に、御詞(おんことば)などのよきぞ」と、人の仰せられけるとかや。山階(やましなの)左大臣殿は、「あやしの下女(げぢよ)の身奉るも、いと恥(は)づかしく、心づかひせらるゝ」とこそ仰(おほ)せられけれ。女のなき世なりせば、衣文(えもん)も冠(かうぶり)も、いかにもあれ、ひきつくろふ人も侍(はべ)らじ。

 かく人に恥(は)ぢらるゝ女、如何(いか)ばかりいみじきものぞと思ふに、女の性(しやう)は皆ひがめり。人我(にんが)の相(さう)深く、貧欲(とんよく)甚(はなは)だしく、物の理(ことわり)を知らず。たゞ、迷(まよひ)の方(かた)に心も速く移り、詞(ことば)も巧(たく)みに、苦しからぬ事をも問ふ時は言はず。用意あるかと見れば、また、あさましき事まで問(と)はず語(がた)りに言ひ出(い)だす。深くたばかり飾れる事は、男(をとこ)の智恵(ちゑ)にもまさりたるかと思えば、その事、跡(あと)より顕(あら)はるゝを知らず。すなほならずして拙きものは、女なり。その心に随(したが)ひてよく思はれん事は、心憂うかるべし。されば、何かは女の恥(は)づかしからん。もし賢女(けんぢよ)あらば、それもものうとく、すさまじかりなん。たゞ、迷(まよひ)を主(あるじ)としてかれに随(したが)ふ時、やさしくも、面白くも覚ゆべき事なり。

◇第百七段(現代語訳、吾妻利秋訳)

 「突然の女の質問を、優雅に答える男は滅多にいない」らしいので、亀山天皇の時代に、女達は男をからかっていた。いたい気な若い男が来るたびに、「ホトトギスの声は、もうお聴きになって?」と質問し、相手の格付けをした。のちに大納言になった何とかという男は、「虫けらのような私の身分では、ホトトギスの美声を聞く境遇にありません」と答えた。堀川の内大臣は、「山城国の岩倉あたりでケキョケキョ鳴いているのを聞いた気がします」と答えた。女達は「内大臣は当たり障りのない答え方で、虫けらのような身分とは、透かした答え方だわ」などと、格付けるのであった。

 いつでも男は、女に馬鹿にされないよう教育を受けなければならない。「関白の九条師教は、ご幼少の頃から皇后陛下に教育されていたので、話す言葉もたいしたものだ」と、人々は褒め称えた。西園寺実雄左大臣は、「平民の女の子に見られるだけで心拍数が上昇するので、お洒落は欠かせない」と言ったそうである。もしもこの世に女がいなかったら、男の衣装や小道具などは、誰も気にしなくなるだろう。

 「これほど男を狂わせる女とは、なんと素敵な存在だろう」と思いがちだが、女の正体は歪んでいる。自分勝手で欲深く、世の中の仕組みを理解していない。メルヘンの世界の住人で、きれい事ばかり言う。そして都合が悪くなると黙る。謙虚なのかと思えば、そうでもなく、聞いてもいないのに下らないことを話し始める。綺麗に化粧をして化けるから、男の洞察力を超越しているのかと思えば、そんなこともなく、化けの皮が剥がれても気がつかない。素直でなく、実は何も考えていないのが女なのだ。そんな女心に惑わされ、「女に良く見られたい」と考えるのは、涙ぐましくもある。だから女に引け目を感じる必要はない。仮に、賢い女がいたとしよう。近付き難さに恋心も芽生えないだろう。恋とは女心に振り回されて、ときめくことを楽しむものなのである。


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2020年9月 3日 (木)

枝を手折(たお)る

先日のブログ記事「桜狩り、サクランボ狩り、紅葉狩り」で、次のように書きました。

《「世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」は、折り取られた桜の花枝がそのあたりを歩く(あるいはそのあたりで舞う)人たちの頭髪や帽子(冠)にさされたのがたくさん見られたほうが背景としてはいちばん感じが出ます。もっとも最近は、自宅の庭の桜以外でそんなことをすると少々ややこしいことになってしまう恐れもありますが。》

「世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」は古今集と伊勢物語の中の歌なので、十世紀初めの日本では春のお祝いや喜びに花の咲いた桜の枝が人々の手で折り取られていたらしい。

以下は「方丈記」からの引用です。蛇足ですが、鴨長明はその歌が新古今に十首も入集(にっしゅう)された歌人でもあり十二世紀後半から十三世紀初めにかけての方です。

「かへるさには、折につけつつ桜を狩り、紅葉(もみじ)をもとめ、わらびを折り、木の実を拾いて、かつは仏にたてまつり、かつは家づとにす」(帰り道は、季節に応じて、春なら桜の枝、秋なら紅葉(もみじ)の枝を手折り、ワラビを折ったり、木の実を拾ったりして、それらを仏前にも供え、土産にもする)

草庵に一人で住んでいた彼も、季節の折々には、出先からの帰り道に、ワラビを摘み木の実を拾い、そして桜や紅葉の枝を手折っていました。時間の範囲を控えめに言って九世紀の後半から十三世紀の前半くらいまでは、季節の手折りは、自然の草木と人との当時の関係が滲み出たとても自然な行為だったようです。

今年はなかったにしても、たいていは桜の樹の下の宴会で酔っ払って枝を折り取るオジサンやオニーサンという存在が登場しますが、自然保護にうるさいおばさんもそういうオジサンの行為に対して目くじらを立てることもないのかもしれません。

 


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2020年9月 1日 (火)

「徒然草」は、今風に言えば、「出家おじさんブログ」

「徒然草」は全部で二百四十三段なので、一日一段で二百四十三日で終了というのでなくても、長いのは三日ほどかけて書くかもしれないし、休みの日もおそらくあるので、今様に云えば、十四世紀の前半の半ばくらいに(詳細ははっきりしないにしても)、一年くらいかけて書き続けられた人気の高い「出家おじさんブログ」ということになるかもしれません。

「徒然草」は、現在も国語教科書の定番だそうです。下の写真はあるウェブサイトでお借りした「中2国語」教科書の中の関連ページです(写真の引用についてはこの場を借りてお礼申し上げます)。

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おじさんも年齢を重ねるといろいろと理由はあるにせよ、出家していてもいなくても、今よりも昔のほうにより大きな価値と深い美しさを見るようになるようです。徒然草にもそういう例は少なくありません。たとえば

* 「この比(ごろ)の歌は、一ふしをかしく言ひかなへたりと見ゆるはあれど、古き歌どものやうに、いかにぞや、ことばの外(ほか)に、あはれに、けしきおぼゆるはなし」(この頃の歌には面白く言い得ていると見えるものはあるが、昔の歌などのように、言外に情趣深く余情を感じるものはない。)(第十四段)

* 「なに事(ごと)も、古き世のみぞしたはしき。今様(いまやう)は無下(むげ)にいやしくこそなりゆくめれ。かの木の道のたくみの造れる、うつくしき器物(うつはもの)も、古代の姿こそをかしと見ゆれ」(何事でもすべて古い時代ばかりが懐かしく思われる。今の世は何とも言いようのないほど下品になっていくようだ。あの木工の造った美しい器物も、古風な姿のものがすばらしいと思われる。)(第二十二段)

* 「そのうつはもの、昔の人に及ばず」(今の人は、その器量が昔の人にかなわない)(第五十八段)

とかです。

中学や高校の教科書に載るというのは世間や教育界で高い評価が定着しているということになりますが、小林秀雄は教科書や参考書の解説とはずいぶんと違う意味合いで「徒然草」を褒め、本居宣長は、兼好法師のもののあわれの理解はいかがなものかと批判的です。

小林秀雄の著作からその部分を引用すると

「兼好は誰にも似てゐない。・・(中略)・・文章も比類のない名文であって、よく言われる枕草子との類似なぞもほんの見掛けだけの事で、あの正確な鋭利な文体は稀有のものだ。一見さうは見えないのは、彼が名工だからである。『よき細工は、少し鈍き刀を使ふ、といふ。妙観が刀は、いたく立たず』、彼は利き過ぎる腕と鈍い刀の必要とを痛感してゐる自分の事を言ってゐるのである。物が見え過ぎる眼を如何に御したらいいか、これが徒然草の文体の精髄である。」(「徒然草」)

と静かに歯切れよく称賛しているのに対し、本居宣長は

「けんかうほうしがつれづれ草に、花はさかりに、月はくまなきのみ見る物かはとかいへるは、いかにぞや。・・(中略)・・さるを、かのほうしがいへるごとくなるは、人の心にさかひたる、後の世のさかしら心の、つくり風流(ミヤビ)にして、まことのみやびごゝろにはあらず、かのほうしがいへる言ども、此のたぐひ多し、皆同じ事也」(「玉勝間」)

と相当に辛口です

日本文化の中で自分の気に入ったところをとくに取り上げて誉め、自分の気に入らないところを集中してけなす、ということかもしれないにしても、小林秀雄と本居宣長の二人の美意識の違いには興味深いものがあります。

そのことに関連して、山崎正之の《「古事記伝」私考》に次のような一節があります。二人の好みの差(というか、共感や理解のしかたの差)が徒然草の評価にも反映されているようです。

《かつて小林秀雄氏が折口信夫博士を訪ねての帰り、大森駅まで送られて来たときにいきなり博士に「小林さん、本居さんはね、やはり源氏ですよ、では、さよなら」と言われたという。

このことについて山本健吉氏は、

宣長の美意識の中心には、王朝文学、ことに源氏物語がどっかと腰をおろしていた。それは古事記的なるものよりも、宣長の心の奥深く根づいている。彼の古事記伝には、ややともすると源氏によって養われた美意識、言語感覚が顔を出す。いや、あまりにしばしば顔を出す。そのことを言おうとされたのであろう。そして、彼の古道意識よりも、「もののあはれ観」の方が、宣長を知る人に大事な命題であることを言おうとされたのであろう。

と記している。》

 


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2020年8月20日 (木)

桜狩り、サクランボ狩り、紅葉狩り

「狩る」とは、ぼくたちの間で継続されている意味は、一般的には、鳥や獣を追い出して捕えるということと、花や木を愛でるために探し求めることです。

「狩る」行事といえば、すぐに思いつくそのひとつは、「桃狩り」「サクランボ狩り」「梨狩り」「リンゴ狩り」などです。「狩る」ということなので実際に木の枝から採る、切り取るという作業が含まれるはずで、だから、ぼくたちは実際にそういう作業をして、出向いたその場(果樹園など)で季節の果実のいくぶんかを味わうのが恒例になっています。

もうひとつの「狩る」は、「桜狩り」、「紅葉(もみじ)狩り」などで、現在の上品な辞書的な意味は「桜花を訪ね歩いて鑑賞すること」あるいは「山野に紅葉をたずねて鑑賞すること」ですが、「狩る」という語を含むので、今よりも人の数も少なくてもっとおおらかな時代には、人びとは、たとえば、桜の枝を折り取り、髪にさしてのどかに遊びたわむれたのでしょう。桜が舞い落ちる毛氈(もうせん)や茣蓙(ござ)の上で、桜の簪(かんざし)の女性を相手にお酒でいい気分になっている花見客の姿も容易に想像できます。

「世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」は、折り取られた桜の花枝がそのあたりを歩く(あるいはそのあたりで舞う)人たちの頭髪や帽子(冠)にさされたのがたくさん見られたほうが背景としてはいちばん感じが出ます。もっとも最近は、自宅の庭の桜以外でそんなことをすると少々ややこしいことになってしまう恐れもありますが。

秋は、桜ではなく、紅葉(色づいた「楓」)の葉や小枝を髪や帽子にさすことになります。その場合、どんな歌が似合うでしょうか。色づいていない下の写真の様な「楓(かえで)」を一葉、散歩の途中で隣を歩いている人の帽子に飾るというのも、のどかでいいかもしれません。「世の中にたえて楓のなかりせば秋の心はのどけからまし」。

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2020年7月30日 (木)

畳みかけるリズム感と人を酔わせる説得力

彼の文章には、酔ってしまうような心地よい、そして強引なリズム感があります。彼の牽引力の強いリズム感を持った文章は、読者には愉悦に近い心地よさを感じさせます――そういう方法にいくぶんの違和感を覚えるかもしれない他の一群の読者がいるとしても。

言葉を換えると、彼の書く文章には、歯切れのよさと強引さが――強引さ故のわかりにくさというところも含んで――同居していて、この強引な歯切れのよさは、それが書かれた(あるいは活字になった)文章の場合には、そこが小さな違和感や引っかかる感じとなって読者の頭の中に未消化のまま残るかもしれませんが、しかしそれが壇上からの講演のようなその場で後戻りのないような話し言葉の場合は、歯切れのよさと心地よいロジックだけがその場を支配します。ほとんど老練な英国政治家の雄弁な議会演説です。

「歯切れのよさ」と「切れすぎる歯切れのよさ」(後者は別の言い方をするとロジックのジャンプ)が同居している例を以下に引用してみます。

その前に要約風に言ってしまうと、相手が愚鈍でロジックを重ねるのが面倒な場合は――バカかお前は、そんなことはわかっているではないか、という場合は――論理が跳んで、「要するに、現実を、己の肉眼で見ると・・・のようになる」、あるいは「美しい花はあるが、花の美しさというようなものはない」と断定的に結論付けます。彼にとってそういう種類の「搦手(からめて)」は自家薬籠中のもので、それが、読者や聴衆を心地よいリズム感で包みます。

まずは書き言葉(エッセイ)の例

『室町時代といふ、現世の無常と信仰の永遠とを聊(いささ)かも疑わなかったあの健全な時代を、史家は乱世と呼んで安心してゐる。それは少しも遠い時代ではない。何故なら僕は殆どそれを信じているから。・・・中略・・・美しい『花』がある、『花』の美しさという様なものはない。彼の『花』の観念の曖昧さについて頭を悩ます現代の美学者の方が、化かされてゐるに過ぎない。肉体の動きに則って観念の動きを修正するがいい、前者の動きは後者の動きより遥かに神妙で深淵だから、彼はさう言ってゐるのだ。』(小林秀雄「当麻」、なお「彼」とは「世阿弥」)

僕が信じているから少しも遠い時代ではない。美しい花がある、美しい花というようなものはない。

次に講演記録の例。

『この新しい事態に接しては、彼の豊富な知識は、何んの役にも立たなかった。役に立たなかった許りではない、事態を判断するのに大きな障碍となった。つまり判断を誤らしたのは、彼の豊富な経験から割り出した正確な知識そのものであったと言へるのであります。これは一つのパラドックスであります。このパラドックスといふ意味を、どうかよくご諒解願ひたい。僕が、単にひねくれた物の言ひ方をしてゐると誤解なさらぬ様に願ひたい。太閤の知識はまだ足らなかった。もし太閤がもっと豊富な知識を持ってゐたなら、彼は恐らく成功したであろう、といふ風に呑気な考へ方をなさらぬ様に願ひたい。そうではない。知識が深く広かったならば、それだけいよいよ深く広く誤ったでありませう。それがパラドックスです。僕の見方如何によってさういふパラドックスが歴史の上に生じたり生じなかったりするのではありませぬ。さういふパラドックスを孕んでゐるものこそ、まさに人間の歴史なのであります。』(小林秀雄「事変の新しさ」)

彼は、『知識が深く広かったならば、それだけいよいよ深く広く誤ったでありませう』と断言します。その根拠や論拠は示しません。彼がそう考えるので、そうなのです。『それがパラドックスです』と結論付けて、それでおしまいです。政治家の演説ならそこで会場が深く納得します。一部の聴衆からは間髪を容れず拍手が沸くに違いない。

そして『僕の見方如何によってさういふパラドックスが歴史の上に生じたり生じなかったりするのではありませぬ。さういふパラドックスを孕んでゐるものこそ、まさに人間の歴史なのであります』と続きますが、ここで会場は再び深く肯くはずです。しかし『さういふパラドックスを孕んでゐるものこそ、まさに人間の歴史なのであります』というのはここでは飛躍です。あるいは『僕の見方如何』そのものです。しかし、その「飛躍」や「僕の見方如何」こそ畳みかけるリズム感で人を酔わせる説得力の源泉です。


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2020年5月15日 (金)

能と居眠りとフリージャズ

札幌では二か月近く前からStay Homeの霧が立ち込めていて晴れそうでいてなかなか晴れません。その霧の中で過ごすにはいい機会なので「能」を集中的に観てみました。「井筒」「葵上」「実盛」「安達原(黒塚)」「砧」「道成寺」「俊寛」などです。以前からも能はその時々の興味と必要に応じてDVDやテレビ放送などで観ていましたが、これほど集中的には時間を使わなかった。

能楽堂に出かけるわけにはいかないので(札幌にはないとしても)、以前から持っていたDVDや今回購入したDVD、かつてテレビ放送されたのを録画しておいたのを続けて再生します。インターネットに曲の全部がまとまって(あるいは分割されて)アップロードされているのもあり、それらも利用します。そうすると同じ曲でも複数の能楽師や囃子方や狂言方の演技の違いをその場で続けて楽しめます。

とまれ、詩や和歌が詠うものであるように、能は舞うもの謡うもので、音声表現されたシテ・ワキの科白や地謡の言葉としての存在感と、笛と小鼓・大鼓という楽器の持つ浸透力の強さを改めて認識することになりました。

先日ある能関連の本を読んでいたら、一般的な観客として能を観賞するとはどういうものかを実に的確にまとめた一節に出会いました。その一節を以下に引用します。

「能楽堂に行って聞くともなしに能の囃子(はやし)を聞いていると、段々眠くなってくる。(中略)時々薄目を開けて舞台を見ると、さっきと同じところにシテが座っている。また目を閉じてしばらくすれば能は終わっている。これがお能の鑑賞である。」(多田富雄「死者との対話-能の現代性」

たしかに能の囃子とゆったりとした科白を聞いていると夢幻能タイプでも歴史物語風でもいつの間にかウトウトしてきます。しかし「霊」や霊的なものが主人公のものであってもウトウトとは縁遠い曲もあって、六条御息所の「生霊」が登場する「葵上」や男性にすげなくされた女性の「死霊」が登場する「道成寺」などはウトウトする暇がない。

とくに「道成寺」の「乱拍子」などは名手のプレイするモダンジャズないしはフリージャズに近い。山下洋輔トリオの、ピアノとアルトサックスとドラムスがお互いに相手にどう反応し合って次にどう展開していくのかその両者(ないしは三者)の緊迫感に、ジョン・コルトレーンの「マイ・フェイバリット・シングズ」におけるソプラノサックスの官能性が加わったような世界を、道成寺におけるシテの舞と謡と小鼓と笛は、能舞台空間に創り出します。

今回観ることができなかったのが金春禅竹(こんぱるぜんちく)作の「芭蕉」。舞台は中国。(バナナの親戚であるところのつまり植物の)芭蕉の精が女性となって、僧侶の読経を、夜毎、そっと聴きに来るという内容の能です。しかし生の無常をずっと感じ続けてきたらしいその女性は、冴えわたる月光の下、静かにゆったりとした舞を舞い、舞いの後は、吹き荒ぶ秋風とともに消え去ってしまいます。僧侶の前には破れた芭蕉の葉だけ残されていたそうです。

この「芭蕉」の名演を収録したDVDがあれば欲しいと思っているのですが残念ながらこの曲は人気がないのかどこにも見あたらない。能のDVDには古い名演の録画が多い。しかし音楽やオペラや映画のDVDと違ってともかく値段が半端なく高い。

関連記事は《「井筒」と「死者への七つの語らい」》。


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