ヘルシーエイジング

2024年5月17日 (金)

日にち薬

「日にち薬」という言葉があります。もともとは大阪の言葉なのか、それとももっと広く関西文化圏で使われてきた表現なのか正確にはわからないとしても「日数を重ねてじっと養生していれば病気やケガが自然によくなってくる」という意味だとは理解できます。手持ちの辞書には載っていませんが、辞書によっては独立項目として採用しているものもあるらしい。

急に重いものを持った場合、相当に重いとわかったいたうえでその荷物を持つのではなく、そんなに重いとはまったく予期していなかったのに持ってみるとズシリと重くて荷物を床に落とさないためにその重みを支えるのに腰に急に負担がかかったような場合、腰に嫌な感じの痛みが発生することがあります。そういう時に高齢者で賑わう整形外科のお世話になっても、時間を無駄にするだけで、まず痛みは消えません。

多くの整形外科は、たいていの場合、診断は得意でも治療は不得手のようです。以前、診療所ではないところの規模の大きい整形外科病院でベテラン勤務医から同じ主旨の説明を受けた頃があります。「MRIなどで幾らでも細かい診断はできますが、だからといって治るわけではありません。どうなさいますか?」。

そういう事態を招き入れた自分が愚かだったということなので、言葉を換えれば重いかもしれない荷物に対する状況予想能力が欠如していたということなので仕方ないのですが、痛みを取ろうとすれば、腰の痛みなどの治療に長けた街の専門家のお世話になるか――しかしそういう整体専門家は非常に希少なので――、「経皮吸収型の鎮痛・抗炎症剤」を貼りながら「日にち薬」を飲むしかなさそうです。


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2024年5月14日 (火)

春の夕方の速足ウォーキングは気持ちがいい

陽が長くなったので――日の入りは午後七時五分前です――午後五時半に速足ウォーキングに出発して六時半に帰って来ても世の中はまだまだ明るくて気分がいい。

この春は四国のほうが関東よりも涼しい日が多いし、瀬戸内気候のすがすがしさもあって、こういう時期の夕方の軽い運動は雨模様で中止したりすると実にもったいない心持ちになります。そういう明るい環境なので、札幌でのように五月中旬に夏至を待ちわびる静かな興奮といったものとは縁が薄くなりました。ということは瀬戸内では札幌のようなジューンブライドの乾燥した空気は味わえないということです。

昨日も今日も起床時の気温は10℃前後で、昨日は日中も20℃未満だったので、速足ウォーキング時は長袖のポロシャツにダボっとしたTシャツを重ねたのがいい按配でした。

コースの途中で田植えが終わったばかりの水田を眼にすることもできます。そういう田のひとつで鴨が一羽盛んに餌を啄んでいるのに――おそらく――出会いました。近隣の川には鴨の生息地がありますが、田植え後の水田でときどき見かける白鷺(シロサギ)や青鷺(アオサギ)とは違って、鴨は珍しい。

幼稚園のそばも通過するのですが、最近気になっているのは、そこを通るのがウィークデイの五時過ぎくらいだと、職員用の車置き場にコンパクトカーや軽自動車と並んでシルバーグレーのフェアレディZが駐車していることです。車の雰囲気からして所有者は女性に違いない。スポーツカーで通勤する幼稚園の先生がいらっしゃるということで、幼稚園の先生のバックグラウンドも以前よりは相当に多様化しているのかもしれません。

そういう風景も楽しみながら、瀬戸内の明るい夕方の速足ウォーキングを満喫しています。


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2024年3月28日 (木)

血圧は10くらいはすぐに変動する

ここで血圧とは最高血圧のことですが、血圧はちょっとしたことですぐに10から15くらいは変化します。

寒い時期に血圧を測定する場合、早朝に起き出してきて部屋がまだ温まっていないときに寒いなあと感じながら測った血圧と、十分に温かくなったあとでのとでは10くらいは違うようです。

毎朝起きた後にハーブティーなどを飲みながら血圧を測るのを最近は日課にしています。一分くらいの間隔で二回測定します。よく眠れて頭がすっきりとした状態でぼんやりと春の植栽のことなどを考えながら測定した時の血圧と、その日のブログが書けなくてイライラしている時とでは後者の方が10から15くらいは血圧が高い。

ブログが書けないとは主題やキーワードがあるのに書けないというのではなくて、テーマがまったく思い浮かばないので先に進めない状態のことです。

自分で決めた毎朝の締切時刻が迫ってきているのに何を書いたらいいのかまったく手がかりがない。そういう日は当然のことながらある頻度で出現するわけで、そうなると最近の出来事や言葉や心象情景や近所の樹々や電線に停まった小鳥やカラスの風景などを思い浮かべても、それらは頭の中を通過するだけで定着しません。そういうときに測ると血圧計には高い数字が表示されます。一回目も高いし二回目も高い。何度か深呼吸をしても結果は変わらない。

日常生活におけるそういう種類の変動の存在を了解して、自分の血圧がだいたいどのあたりを推移しているのかを知っているのは無駄にはならないというか、それなりに面白い。この面白さは自分で時刻を決めて毎日のように測っていないとわからない。面倒くさいと言えば面倒くさい。


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2024年3月26日 (火)

人工知能化がとても難しいかもしれない身体の場所

動物が植物や他の動物、あるいはその両方を動き回ることによって食べないと生きていけないのに対して、植物は太陽と雨と土(の中の無機物)と空気中の二酸化炭素があれば光合成をしてその場を動かずに独りで生きていけます。そういう違いがある。庭のローズマリーでもタイムでも、あるいは近所の原っぱのスギナやドクダミでも何でもいいのですが、植物はその場を動かずに生長し続けます。

三木成夫の著した「生命形態学序説」を参照すると、植物的な営みとは、「栄養と生殖」を軸としたプロセスであり、動物的な営みとは、「感覚と運動」を軸としたプロセスですが、動物やヒトには、植物的なもの(栄養と生殖にかかわる植物性器官、あるいは内臓系)と動物的なもの(感覚と運動にかかわる動物性器官、あるいは体壁系)の双方の営みが存在します。

動物における植物性(内臓系)器官とは、吸収系(腸管系)と循環系(血管系、その中心が心臓)と排出系(腎菅系)にかかわる器官のことであり――昔からの用語だと「五臓六腑」――、また、動物性(体壁系)器官とは、感覚系(外皮系)と伝達系(神経系、その中心が脳)と運動系(筋肉系)にかかわる器官のことです。そしてヒトは「栄養と生殖」を軸としたプロセスにおける栄養面を、動物にはないところの知能・知性と技術を使って、つまり農業革命や産業革命などを通して、それなりに変化させました――動物から見れば、劇的に。

そういうさまざまな系の中で、カーツワイルの「シンギュラリティは近い」で言及されているような人工知能的な対応がいちばん困難なのは消化・吸収系(腸管系)のなかの腸ではないかと、その本を読みながら、直感的にそう思いました。

胃はそうでないとしても、知性の象徴としての脳やこころの象徴としての心臓と違って、愚鈍だとされていたのが実はとても賢いということがだんだんと解ってきた腸は――それで腸は第二の脳と言われるようになった――人工知能的な対応、つまり人工知能によってそれを置き換えたり、あるいは腸の機能を人工知能で補完したりすることが脳を相手にするよりもよりも難しいかもしれない。

モノの本によれば、腸には一億以上の神経細胞があり、これは脳よりは少ないとしても脊髄や末梢神経系よりも多く、脳とは独立して自らの判断で機能しています。腸は、脳からの指示を待つことなく消化吸収排泄という機能を自律的に遂行している。

腸には迷走神経という太くて大きな神経が埋め込まれています。その神経繊維の90%までが腸から脳へと情報を運んでいることが明らかになってきたそうです。脳は腸からの信号を感情に関するそれとして解釈します。感情を支配するところの脳内神経伝達物質の代表的なものにドーパミン(快感ホルモン)やノルアドレナリン(ストレスホルモン)やセロトニン(幸せホルモン)がありますが、その多くは腸で作られています。

また腸(腸菅関連リンパ組織)には体内の免疫細胞の70%が棲んでおり、免疫細胞は外部から侵入した細菌や食物に混じった毒物をそこで撃退してくれます。脳が唇や舌といっしょに騙されて旨そうだからと口にしてしまったものが実際には危険因子を含んでいた場合は、下痢などの症状を起こして自らそれらを武力排除するわけです。

つまり、腸は相当な以上の智慧と力を持っている。

腹や腑という言葉を使った心理や感情に関する表現は日本語に多くて、「どうも腑に落ちない」「腹に落ちた」「腹が立つ」「腹の虫が治まらない」「腹をくくる」「肚の底から」などいろいろあります。

植物系(内臓系)器官の中核は心臓であり、動物系(体壁系)器官の中心は脳だとして、脳が「知性や知能」なら、心臓は「こころ」です。脳死という状態を死とは言えないとするのは、体壁系の「知性や知能」が機能を停止しても、心臓という内臓系の「こころ」が死んではいない状態を死とは言えないとすることですが、その「知性や知能」と「こころ」の両方をサポートしている控えめなインフラ的存在が腸なのかもしれません――どういう風にそうなのかはわからないとしても、第六感がそう囁きます。なぜなら、「知性や知能」が届かないその先で理解しているのが腑に落ちるということだし、腹をくくると「こころ」も落ち着きます。

腹や腑を使った多くの表現が決して廃語にならないのは、腸に係るわれわれの集合的無意識が、腸の明示的でなかった役割に共鳴し、今までも今もその智慧を後押しし続けているためとも考えられます。だとすると、そういう高度に洗練された場所であるところの腸の非生物的な人工知能化は、あるいは腸の人工知能的なハイブリッド化は簡単ではなさそうです。


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2024年3月19日 (火)

カーツワイル著「シンギュラリティは近い」とハラリ著「サピエンス」と「生老病死」

特異点(Singularity)という言葉はいくつかの意味合いで使われますが、AI(人工知能)との関係において使われる特異点は、AIがヒトの知能を完璧に凌駕する歴史上のある時期といった文脈で登場します――2006年出版(日本語版は2010年)のレイ・カーツワイル著「シンギュラリティは近い」に詳しい。「2040年代までに非生物的知能はわれわれの生物的知能に比べて数十億倍、有能になっているだろう」。

そうなった場合のAIはヒトよりもはるかに高度な知能を駆使して勝手に自己更新や自己革新をともなった自己製造を自ら計画的に推し進めるので、将来のAI(人工知能)とヒトとの関係は、現在のヒトと家畜との関係に似たようなものになるだろうということをも意味します。

現在のチェスや将棋におけるヒトと人工知能の勝負、現在の検索エンジンのビッグデータ処理、あるいは現在のChatGPTの持つ能力から類推できるように、人工知能は、ヒトの情報処理能力や推論能力や情報処理量の総体をいとも簡単に凌駕します。収穫逓増ではなく指数関数的な収穫加速で人工知能が進歩するということは、人工知能そのものがとても安いコストで人工知能そのものとそれを使った製品や労働サービスなどのサービスを、アルゴリズムに沿って再生産(企画・開発・製造・サービス)するということなので、現在ヒトが従事している仕事の大部分を、人工知能が、とても高い経済効率で、代替するというわけです。

だから遺伝子工学やナノテクノロジーやロボット工学を駆使して生成される非生物的なAIは、生物としてのヒトの体内(脳や血液やその他の身体部分)に組み込まれると、とりあえずそういうことのできる富裕層はという限定があるにせよ、アナログなヒトはデジタルなAI(人工知能)とハイブリッドな共生関係を築くことができるようになります。

そういう意思を強く持つ人たちは確かに存在します。カーツワイルの文章の一節を「シンギュラリティは近い」から引用すると、「老化を人生のひとつの過程として潔く受け入れようとする人もいるが、私の考え方は違う。・・・わたしから見れば、何歳になっても病気と死は不幸な出来事であり、克服すべきものなのだ。・・(中略)・・デ・グレイは、みずからが目指すのは『遺伝子工学で老化に打ち勝つこと』つまり年をとっても身体や脳がもろくなったり病気にかかりやすくなったりしないようにすることだと説明している」。

仏教で四諦(したい)という考え方があります。「四諦」とは釈迦の説いた四つの真理「苦諦」「集諦(じったい)」「滅諦」「道諦」のことですが、このうち現世は生・老・病・死の四苦と、愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五取蘊苦の四苦を加えた八苦であるということを説いたものが「苦諦」で、現世の「苦」の原因はひとが無常を認識できないからだと述べているのが「集諦」です。

つまり、ひとは生・老・病・死などの苦しみに悩まされる苦的存在であり、なぜ苦しみが生ずるかというとその原因は渇愛に代表されるところの煩悩があるからです。その煩悩(とくに渇愛)が滅した状態が涅槃(ねはん)で、涅槃に至るには八正道(はっしょうどう)などの実践行が必要というのが釈迦の基本的な教えです。

しかし「シンギュラリティ(特異点)は近い」の著者であるカーツワイルにとって、「老」や「病」や「死」は苦しいこと・不幸なこと、したがって回避したいことではあっても「生」(あるいは生き続けること)は「苦」ではないようです。

仏教の面白い――あるいは奥深い――のは、「病」や「老」や「死」だけでなく「生」も等しく「苦」の原因だと説いているところです。「生」というのは仕事でも私生活でも何でも渇愛という心的動因の連続で成り立っています――だから何とか生き続けられるとも言えるわけですが。

上述の意味での特異点やAIに、それは避けられない事態だと共鳴している「ホモ・デウス」の著者であるユヴァル・ノア・ハラリは、しかし、彼の前作である「サピエンス」のなかで以下のように述べています。ハラリは仏教についてとても造詣が深いようです。

「現代の最も支配的な宗教は自由主義だ。自由主義が神聖視するのは、個人の主観的感情だ。自由主義は、こうした感情を権力の市場の源泉と見なす。物事の善悪、美醜、是非はみな、私たち一人ひとりが何を感じるかによって決定される。」

「宗教や哲学の多くは、幸福に対して自由主義とはまったく異なる探求方法をとってきた。なかでも特に興味深いのが仏教の立場だ。・・・仏教によれば、たいていの人はこころよい感情を幸福とし、不快な感情を苦痛と考えるという。その結果、自分の感情に非常な重要性を認め、ますます多くの喜びを経験することを渇愛し、苦痛を避けるようになる。・・・だから快い感情を経験したければ、たえずそれを追い求めるとともに、不快な感情を追い払わなければならない。・・・苦しみの真の根源は、束の間の感情をこのように果てしなく、空しく求め続けることなのだ。」

生の苦といっしょに死を視野に入れた場合の高齢化(あるいは生の意味合い)と、遺伝子工学やナノテクノロジーやロボット工学の成果を活用して病気や死を回避し続ける状況における高齢化(あるいは生の持つ意味)とは、同じ高齢化ではあってもその色合いはずいぶんと違います。


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2024年3月 6日 (水)

健康寿命は男性が72.68歳で女性が75.38歳

2019(令和元)年における我が国の「平均寿命」は男性が81.41歳で女性が87.45歳です。

若くして向こうの世界に行ってしまう方たちも少なくないので、平均寿命以上に長生きする高齢者も当然に多い。そういう意味では「人生100年時代」という生命保険会社などの標語もさほど大袈裟なものではないのかもしれません。

しかし同じ年(2019年)の「健康寿命」は――健康上の問題で日常生活が制限されることなく生活できる期間が健康寿命です――男性が72.68歳、女性が75.38歳と、「平均寿命」よりも男性は9年、女性は12年短い(厚労省データ)。

要は、男性は73歳、女性は75歳になると、要支援とか要介護の認定を受けるような身体の状態になってしまう人がとても多いということです。全員がそういう認定を受けるのではないとしても、日常活動や日常生活に以前と違った不都合な制約や制限を実感し始める人たちの年齢が平均値としては73歳と75歳ということなのでしょう。昔の、あるいは「遠野物語」の「姥捨て山」が今も存在すれば、山に担ぎ込まれる年齢です。

2019年で81.41歳であった男性の「平均寿命」は2022年では81.05歳、女性の「平均寿命」は87.45歳から87.09歳へと少し短くなりました(厚労省データ)。

その変化は新型コロナに関連した事やもモノがその原因だったのかどうかはわからないとしても、必要以上に長く生き続けることはホモ・サピエンスのDNAにとっては心理的にいささか荷が重いし鬱陶しくもあるので――そう感じない人たちも多いとしても――右肩上がりのグラフに落ち込みや停滞が見られたということは、「世界」がそれなりの按配になるように上手に差配されているとも言えます。

20012019


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2024年3月 5日 (火)

血圧は10くらいは簡単に上下する

血圧は――ここでは、あるいは一般的には最高血圧のことですが――10くらいは簡単に上下します。配偶者もぼくも朝起きて少しぼんやりとしているときに、たいていはパジャマを着たまま、血圧を二回測定することにしています。配偶者は左腕と右腕で、ぼくは二回とも左腕です。結果はスマートフォンのアプリに記録しておくので、推移がグラフで好きな時に一覧できる。

配偶者がどこかで仕入れた知識だと左腕で測った方がより心臓に近い分血圧は高くなるという話ですが、――心臓は体の中心あたりにあってわずかに左寄りではあっても特に左寄りというわけではないにしても――確かに少なくない複数回の結果を較べてみると左腕の結果の方が右腕よりは5くらいは高い。

それから、冬場は部屋が寒いと(あるいは寒いと感じると)血圧は高く、温かいと(あるいは温かいと感じると)血圧は低くなります。その差は、体調に差がないと思われる昨日と今日であっても、急に冷え込んだりすると10くらい高くなる。観察事例は配偶者とぼくの二つだけですが、血圧というのはそれなりに動きます。起き出したばかりでも考えことをし続けているときに測定する血圧は、そうでない場合よりも明らかに高い。

日本の循環器業界、つまり循環器学会と降圧剤メーカーおよび健康サプリメントメーカーなどの集合体ではいつの頃からか130というのが血圧のマジックナンバーになっていて、それを超えると、人間ドックや健康診断の際には病院から、普段はテレビ広告から警告の声が届くことになっています。

ぼくの血圧はそういう警告の声が届く範囲を推移しており、一方、配偶者の血圧はマジックナンバーのはるか下を移動していますが、日々の血圧の振れ幅に関して二人の間で差があるかというととくにそういうことはありません。海の中の別々の潮のように浅い辺りと深いところに分かれて流れる二人の日々の血圧数値を眺めていると、血圧は、それぞれに、気温の変化や熟睡度の具合やそのときの気分の強弱で10くらいはどうということもなく変化するようです。血圧計もそれなりに働き甲斐があるというものです。


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2023年12月26日 (火)

コインランドリーでスニーカーの洗濯と乾燥

スニーカーも履き続けていると薄汚れてくるので、ときどきは洗濯です。自宅で洗ってもいいのだけれど、それよりも、コインランドリーに行けばスニーカー洗濯用の専用機と専用乾燥機がセットになったのが揃っているのでそちらを利用します。費用は400円――20分の洗濯に200円、40分の乾燥に200円です。40分ならしっかりと乾きます。

札幌では土地柄か、雪が積もり出す頃になると、クリーニング屋のスニーカー洗濯サービスがそれなりに人気でした。雪の季節は戸外でのスニーカー利用の機会は減少するので、春に備えてきれいにしておくということです。店に入ったすぐのあたりにクリーイング済みのスニーカーが何足も引き取りを待っていました。それでそういうサービスの存在に気が付いたわけです。

札幌の子供や中学生は、雪道――北海道の雪はパウダースノウなので雪融けの春を除き白い小麦粉のようにサラサラとしています――や道路が凍り付いてアイスバーン状態になった上をスニーカーで平気で走っていくので、彼らにとってはスニーカーは季節を超えた履物です。

今利用しているクリーニング屋ではそういうサービス・メニューは見かけないとしても、どこかにあるのかもしれません。そうなら利用してみたい。札幌ではとてもきれいな仕上がりでした。冬の雪で汚れた冬用の革靴やブーツのクリーニングサービスもあったので地域差を感じます。


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2023年12月19日 (火)

ぶら下がるのもたいへん

たかがぶら下がりだと舐めていたら、これがけっこうたいへんでした。ぶら下がり健康器にぶら下がったまま15秒間その姿勢を維持するというのは、手や肩にはけっこうな負荷で、それ以上は今のところは難しい。しかしそれ(単純なぶら下がり)を一日に2~3回繰り返します。起きたばかりの身体がまっさらな早朝は15秒が比較的楽ですが、夕方は同じ秒数が苦しい。

中学生の時には何ということもなかった懸垂から逆上がりなどとてもじゃないができそうにありません。

体重は不惑を過ぎてから20歳代よりも5㎏くらい増加しましたが、今も体重の増加量はそのままです。しかし重さの配分が40歳の時と今では異なっているはずで――上半身の筋肉重量がおなかの脂肪縫う量に置き換わった――それがぶら下がりを辛くしていると思われます。運動も速足ウォーキングだけでは限界があるようですが、もっと腕を振ってみますか。

わりに根気はあるはずなので、毎日継続して30秒くらいは楽にぶら下がれるようになりたいものです。


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2023年12月15日 (金)

ぶら下がり健康器でぶら下がってみた

最近は背中の筋肉や肩の筋肉が硬いのでぶら下がることにしました。そのあたりの筋肉が硬くなってきたのは机の上の本やPC/タブレット端末に向かう時間が以前よりも相対的に長くなってきたからだと思います。速足ウォーキングやラジオ体操だけでは、その間腕を振り続けてもそれほどの刺激を肩や背中の筋肉に与えられません。意識的に肩や背中の筋肉に負荷をかけてやる必要があります。

広背筋が縮んでいると猫背になり、背中や腰の痛みにつながるそうです。縮んだ広背筋を伸ばすことで、猫背帽子や腰痛・肩こりの改善・防止が期待できます。自分の体重というツールを使って背中や肩の筋肉に負荷をかけたり腰椎を伸ばすのがいちばんコストがかからず手っ取り早い。すぐにできる。手元にないのはぶら下がり健康器という道具本体だけです。

ぶら下がり健康器は、以前に急にブームになり、しかしすぐに、物干し竿やハンガーラックへと姿を変えたとはよく耳にした話です。知り合いにもそういう家がありました。

今回のぶら下がり健康器は通販で購入したのですが、要はぶら下がり行為が安心してできたらいいので、シンプルで安定感があって組み立てが簡単そうなのを、ユーザーコメントも参考にしながら、選びました。耐荷重は100㎏です。その商品の商品説明には組み立て時間は書いてありませんでしたが、競合商品には30分かから1時間ぐらいとなっていたので、1時間が目安です。

宅配便で届いたぶら下がり健康器は、箱を開けて取扱説明書を取り出し、組み立て工具や組み立て部材、付属部品(ボルトやナット)がきちんとそろっているか、変な傷が付いていないかをまず確認です。全部揃っていることを確認後、組み立て手順を頭に入れます

床に傷が付くといけないので腹筋運動などの時に使っている運動用マットの上で組み立て開始です。取説には二人での組み立てを勧めてありましたがそんな余裕はないので独りでゆっくりと作業を勧めます。結局、箱からの部材の取り出しから設置まで1時間半以上かかり、それなりに疲れました。

ぶら下がり健康器の重量は16.5㎏です。設置場所は最初から決めてありました。重いし設置面積(フットプリント)もそれなり(64㎝ x 85cm)で、背もそれなりに高い(212cm)ので気軽に置く場所を変えられる種類の道具ではありません。床保護のために大きさの揃ったマットも必要です。

早速何度かぶら下がって見ました。一回のぶら下がり時間は初日なので15秒~20秒程度です。広背筋や肩の筋肉が自分の体重で伸びるのがよくわかります。ぶら下がり時間を徐々に増やしながら、継続します。このタイプなら、そうするかどうかはわからないとしても、配偶者もバーの高さ調整なしに利用できる。

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