ヘルシーエイジング

2020年4月 9日 (木)

コロナウィルス:各国の対応と、日本の「空気」対応

下に引用した主要国別の死者数と感染者数の推移グラフ(Financial Times ”Coronavirus tracked: the latest figures as the pandemic spreads | Free to read”)がコロナウィルスに関する各国の状況を一覧するには、ぼくにはいちばんわかりやすい。

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死者数グラフは、縦軸は日々の死者の数、横軸は1日の死者数が3人になった日から現在までの日数(グラフは4月8日まで)。感染者数グラフは、縦軸は日ごとの新たな感染者数、横軸は1日の感染者数が30人になった日から現在までの日数(グラフは4月8日まで)。

イタリアとスペインは1日の死者数が3人になった日から30日から40日経過して感染の拡大がピークを過ぎ、その結果、死者数カーブが横ばいからやや下降気味に(台地系に)なってきたようです。米国は感染がまだ拡大中で、日々の死者数も増加中。日本は死者数(絶対数、あるいは人口10万人に対しての死者数比率)は少ない。

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新たな感染者数もイタリアやスペインではピークを過ぎて減少中。米国はまだ増加中。日本では少ないことになっていた感染者数が「オリンピック延期決定」後の検査数の増加に伴ってそれなりに急に増加し始めた様子がグラフに現れています。

各国の対応を比べると、そこに国民性(ないしは民族性)の違い、あるいは西洋の思考方式や意思決定方式と東洋の思考方式や意思決定方式の違いがそれなりにきれいに反映されているようで、不謹慎を承知で言えばとても興味深い。

ヨーロッパや米国は感染防止対策として国や都市のロックダウン(lockdown)がお好きなようです。それがデフォな選択肢になっている。そしてそういう施策の一部として家計や個人の経済的な救済策が最初からセットになっていて、すぐに実施される。

中国も武漢をロックダウンしましたが、そのやり方をニュース報道やSNSで拝見していると、共産党政府らしいやり方というよりもほとんど漢王朝や唐王朝や明王朝のやり方です。各王朝でそれぞれに発生した騒乱や擾乱や民衆蜂起を制圧・鎮圧した方法のサブセットが今回も出現したようでした。

韓国は都市のロックダウンはせずに、感染検査の数を急速に増やすことで成功裡に対応してきました。この発想がどこから出てきたのかわかりませんが、西洋ロジックではない。

日本は、その点ではユニークです。都市のロックダウンはしない、大掛かりな感染検査を実施するわけではない、法的強制力のない「三密回避」と「外出自粛」を呼びかける。だからかならず「漏れ」はある。

たとえば、北海道の現在患者数が40人になってからそれを下回ることがなくてそのあたりで(最近は少しだすが急に増えたりしながら)停滞しているのは、原因はおそらく東京とのヒトの往来です。ビジネスで東京からヒトがやって来る。札幌から東京に仕事に行って二泊三日くらいで帰って来る。ヒトの往来が少なくて相互に関連のなさそうな北海道の複数の過疎部で急に同時発生的に感染者が出現したというのは学生や家族の「東京からの疎開」がその理由だと思われます。そういう「漏れ」がビルトインされている。「漏れ」としてもう一つビルトインされているのは家計や個人や中小企業や個人事業主の金銭的な救済策の曖昧さと制約と支払いの遅さです。

しかしそういう「漏れ」を抱え込んでいても、結果として「コロナ死者」「コロナ経済不況関連死者」がとても少なくて済むのであれば、ここでは、それはそれで結構であるとします。

欧米のコロナ対応を Democracy(字義通りの訳は「民衆支配」)とすると、日本のコロナ対応は「民主主義」で、つまり似て非なるものです。欧米の対応を Constitution(字義通りの訳は「いっしょに作る」)とすると、日本の対応は「憲法」です。「憲」は「のり、おきて」「法」も「のり、おきて」、つまり「憲法」は「おきて+おきて」という意味になる。欧米と日本のコロナ対応にそういう違いが出ています。

 安倍首相は4月7日の記者会見で、ある記者から、緊急事態宣言を発令しても新型コロナウィルスの感染拡大が抑えられなかった場合の自身の責任について質問された際に、「最悪の事態になった場合、私は責任を取ればいいというものではない」と答えました。本当は首相は「うまく行けば私の手柄だが、うまく行かなかった場合は私の責任ではない」というシンプルな考え方なのかもしれませんが、これは日中戦争から太平洋戦争に至る政府の意思決定を彷彿させます。

当時の政府の最終的な意思は、丸山眞男や山本七平が指摘したように、結局はその場の「空気」「空気感」によって決定されていた。今回の緊急事態宣言やその実行に不可欠な諸政策も中軸シナリオライターが不在のなかで醸成された「空気」が決定したのかもしれません。もしそうなら「最悪の事態になった場合、私は責任を取ればいいというものではない」というのは、うまく行かなかった場合に責任を取るのは閣僚や財務官僚などの官僚を含めたその場の「空気」であって「私」ではない。これももうひとつの「漏れ」かもしれません。

しかし、そういう曖昧さや「漏れ」があるにもかかわらず、ぼくには日本や日本人というもの基本部分に期待するところもあって、日本人は、よく手を洗う、毎日お風呂に入る、握手やハグをしない、マスクをするのが日常習慣である、風呂好き・温泉好きで清潔な国民である。こういう国民性要素や食生活を含む生活要素が、国民目線を失った政治家や官僚、勝手に安全地帯に疎開する人たちの存在にもかかわらず、上述のような漏れを相殺する可能性も高い。海外からのヒトの流入阻止や外出自粛というのも「ミニ鎖国」みたいなものだと考えたら、「鎖国」経験は普段はとくには意識しないけれどぼくたちの文化生活的なDNAの一部になっている。


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2020年3月24日 (火)

「アクティブ・ババア」「アクティブ・ジジイ」と姥(うば)捨て山

今回の新型コロナウィルス騒動でも、初期段階でぼくたちの眼に見えた現象は、アクティブシニア層やその層より少し若いアクティブ熟年層がウィルスの攻撃対象やウィルスの顕著な運搬媒体になっていたということです(現在がどういう形の感染カーブのどのあたりにあたるのかよくわからないにしても、初期段階の現象でした)。複数の外洋クルーズ船の主要乗客はアクティブシニア層でしたし(そういう層しか参加しないということであるにせよ)、ライブハウスやスポーツクラブの主要顧客層のひとつは確かにアクティブシニア層です。彼らは体調がいいので、あるいは、体調に如何にかかわらず、昼も夕方もともかくよく動く。

以前はシニア層が屯(たむろ)する場所は午前中の整形外科の待合室や図書館や近所の公園などが多かったようです。今も公立図書館の新聞などは開館時からシニア層に占有されているらしい。早い時間帯のスーパー銭湯もシニア層のサロンだと聞きます。動いていないと気が済まないアクティブシニア層は、静的な空間だけでなく浴室設備のあるスポーツジムやスポーツクラブにも浸透し始めました。

外へ出て積極的に何かをするという意味では図書館通いからスポーツクラブ通いまで一貫していますが、外出先での彼らの自由な振る舞いが若い人の眼にはオーボーな行為と映っているのかもしれません。そういうシニア層には傍若無人な態度を見せる人たちが確かに混じっていて、そういうことも合わさって彼らが「アクティブ・ジジイ」や「アクティブ・ババア」と呼ばれている模様です。

昔々「姥捨て(うばすて)」という風習があったようです。そういう民話や伝説が日本の各地に伝わっていて、これを棄老(きろう)伝説といいます。伝説や民話が残っているということは、そういうこと(あるいは、それに近いこと)が実際に行われたということなのでしょう。柳田國男の「遠野物語」はその一例です。

「姥(うば)」とは老女や老婆を指します。爺ではない。しかし「姥捨て」となると棄(す)てられるのはお年寄りで、そこにはおばあさんもおじいさんも入ってきます。しかし古人が選んだ名称は「姥」。共同体や家族の負担でしかなくなった「ジジイ」や「ババア」を山に棄てた。

世の中には、元気であっても、大きな網に放り込んで姥(うば)捨て山に持っていって棄ておきたい、そういう婆さん連中や爺さん連中が確かにいらっしゃる。そういうシニア層が若い人たちから「アクティブ・ジジイ」や「アクティブ・ババア」と呼ばれているのでしょう。

COVID-19が猛威を振るっているイタリアでは医療スタッフや設備不足で全員を同時に同様な設備で治療できないときに、誰を治療し誰を治療しないのか、その優先順位の決定で苦しんでいる医者もいらっしゃるようです。かりにある70歳の重篤な感染者と、ある20歳の重篤な感染者と、ある1歳の重篤な感染者がいるときに、医療スタッフと医療設備が不足した環境で3人の治療優先順位をつけるとすると、

第1案は、①20歳 ② 1歳 ③70歳
第2案は、① 1歳 ②20歳 ③70歳

となります。20歳と1歳の優先順位をどうするかは「すでに才能や実績として顕在化したもの」と「今後開花する潜在能力や可能性の大きさ」をどう組み合わせてどういう視点で評価するかという哲学的な議論が絡んできますが、70歳の順番を一番後回しにすることについてはその合意形成にとくに悩まなくてもよさそうです。しかしその場合は、捨て置かれる70歳については安楽死という選択肢も必要になります。

しかし実際には当該70歳の持つ政治力や取り巻きが、「70歳の置かれた土俵」と「1歳と20歳の置かれた土俵」を切り離し、70歳の土俵を高みに持ち上げて70歳の優先治療を医者に迫るといった事態も発生します。「アクティブ・ジジイ」や「ババア」の属性のひとつです。


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2020年3月23日 (月)

濃厚接触とソーシャル・ディスタンシング

今回の、世界的にはまだまだ落ち着かない新型コロナウィルス騒動が始まった時に驚いた用語のひとつが「濃厚接触」でした。

「濃厚接触」という言葉できれいな女性のいるところに行ってお酒を飲みながら親しく歓談する場面を連想したら、それもそのひとつには違いないにしても、主にはウィルスの感染者や保有者と親しくおしゃべりしたり、食事をしたり、同じスポーツクラブで運動したり、カラオケボックスで過ごすことなどを意味すると聞いてその不思議な日本語にいささか驚いたものです。その原語というか英語を調べてみると、CLOSE CONTACT でした。もともとは一般語です。それを、どなたが最初に訳したのか、術語(テクニカルターム)の翻訳とはいえなかなかに強烈な訳語です。

ちょっと前まで対岸の火事とみなしてボーとしていたヨーロッパや米国でこのウィルスが急速に蔓延し始めてからのことですが、英語のニュースで SOCIAL DISTANCING という耳慣れない用語が目につくようになってきました(感染症や疫学の専門家にとっては日常語かもしれませんが)。

「濃厚接触」のような刺激的な日本語に訳せないので、ソーシャル・ディスタンシングというカタカナ言葉をそのまま使うとしてもその意味は、「濃厚接触をしない、あるいは濃厚接触の逆をするということ」です。

仕事の場面だと、職場に来て一緒に働くのではなくてテレワークやリモートワーク、あるいは会議室で議論ではなくビデオ会議。学校だと休校やリモート授業。イベントは中止。私的な場面だと、外出は控える、外食はしない、ススキノも行かない。スポーツクラブも行かない。ドラッグストアでマスクの行列に並ぶときに限らず複数で集まる時も前後の人やまわりとは6フィート(1.8メートル)以上離れる、つまりは引きこもり的な生活の勧めということです。

理由は、COVID-19のような接触感染で拡がるタイプのウィルスには SOCIAL DISTANCING することが有効で、そうすることで、感染カーブをフラットにして(つまり低く長く引き伸ばして)感染の拡大を抑える、あるいは感染速度をゆるやかにして医療崩壊を避けることができる。そういう考え方です。

つまり日本では、地域によっては一ヶ月前から実行していることですが、そういう方法を「濃厚接触 CLOSE CONTACT」のように印象的なひと言で要約した表現がないものか。SOCIAL DISTANCINGを「社会(的)距離戦略」としたのでは専門用語辞典風で人口に膾炙しません。「そばに寄るな」「べたべた触るな」「でもバーチャルに濃厚接触したいね」というようなニュアンスを含んで発音しやすく記憶に残る漢字の4文字用語はないものか。

密閉・密集・密接・密着・密議などを避けることなので、とりあえず、「避密のすすめ」あるいは「疎のすすめ」とでもしておきますか。

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2020年3月18日 (水)

新型コロナウィルスの感染防止には日本式のお風呂、という暢気な仮説

あるアクティブシニア女性の憂鬱」の関連記事です。

日本における、新型コロナウィルス(COVID-19ないしは武漢ウィルス)の感染者数の絶対者数やその伸び率、あるいは人口1万人当たりの感染者数はに外国と比べて、つまり少し前までの中国や、現在、感染が急速に拡がっているヨーロッパや米国と比べて相当に低いようです。これらの数字は、国ごとに、検査の取り組みや感染者の特定の仕方、公表の仕方が違うので単純比較をすると「相当に低い」とは言えないかもしれないのですが、ここでは Coronavirus COVID-19 Global Cases by Johns Hopkins CSSE の数字を前提にします。

念のためにCOVID-19の直近の致死率を比べると、世界平均が4.0%、日本の致死率は3.3%、ドイツの致死率は驚くほど低くて0.3%。感染する人が少なければ死ぬ人も少ないというアプローチをとるか、それとも、感染しても8割の人はどうということもないのでしっかりした医療インフラがあれば致死率はとても低く抑えられるというアプローチをとるか。

丁寧な手洗いでウィルスがほぼ確実に除去されることはわかっています。たとえば、メディアやネットよく目にするのが下に引用したまとめ表ですが、両者の相関は理解しやすい。(そういうまとめ表の元データは2006年に発表された「Norovirus の代替指標として Feline Calicivirus を用いた手洗いによるウイルス除去効果の検討」みたいです)。

Photo_20200316161401 

水と石鹸で手をよく洗えばウィルスは確実に除去される。ならば、こういうことは誰でも思いつくことですが、シャワー(とボディーソープとシャンプー)でも結構な効果はあるにしても、日本のようなタイプの風呂(全身を流した後、湯船に入る)に毎日入って浴用石鹸とシャンプーで全身をきれいに洗えば、頭から手足の爪先まで新型ウィルスがほぼ確実に除去されることになります。感染防止を確実にするためには、帰宅時の手洗い等の毎回の実行が前提となるにしても。

日本のようなお風呂文化を持っている国と、そうでない国との違いがCOVID-19の感染者数や感染率に密接に関係しているように思えます。日本のような風呂好きな生活文化を持っている国は、そうでない国よりも、全般的には間違いなく清潔です(なかには風呂嫌いもいますが)。新型コロナウィルス予防や拡散防止には(「マスク」と「手洗い」と)「日本式のお風呂」です。中国からの観光客の流入がなくなってしばらくたつので、日本では「お風呂効果」の結果が素直に出ていると勝手に考えています。

感染症対策に関してドイツの医療インフラと致死率の低さに追いつけないのなら、また陰性・陽性検査も気軽にできないようなら、日本では手洗いとお風呂で防衛しますか。しかしお風呂は家庭ではいいとしても、では銭湯やスーパー銭湯でお風呂に入るのはどうかと問われるとよくわからない。

それから、これもまったくぼくの憶測ですが、かりに日本でCOVID-19の検査件数が急に増えて、その結果感染者数が増加しても、死亡者数が今までのような推移を辿るとすれば、致死率はそれにつれてドイツの数値に向けて逓減していきます。暢気な話ですが、そうであればありがたい。


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2020年3月10日 (火)

あるアクティブシニア女性の憂鬱

ある知り合いのアクティブシニア層の女性は、自宅の風呂場が以前から物置きと化しているそうです。だからお風呂は軽い運動のあとで毎日スポーツクラブだそうです。理由は、彼女によれば、ひとり暮らしなので自宅でお風呂に入ると毎日の浴室掃除が面倒であるから。そういうことであれば自宅の風呂場が物置きと化すのもなんとなく理解できます。

しかし、浴室掃除が面倒であるので自宅では風呂に入らないとはなっても、調理場やお皿の後片付けが面倒なので自宅で料理を作らないとはならないそうです。きっと料理が得意に違いない。

ところが3月に入ってすぐに、つまり10日ほど前からそのスポーツクラブが、新型コロナウィルス騒動にまつわる「行政指導」で営業休止になり、その女性は短く見積もっても19日まではお風呂に入れなくなった。高級銭湯風の温泉施設を利用するのもなんなので、風呂場の再オープン作業に着手しなくてはならなかったらしい。

「年末大掃除みたいなものだったわ。」
「以前バスタブが本の置き場になっているフランス人の話を聞いたことがありますが、それに近い話ですね。」


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2020年3月 5日 (木)

とても賢いかもしれない新型コロナウィルス

新型コロナウィルスが蔓延しているらしい「北海道クラスター」で暮らしているという事情もあるので、本棚から「免疫の意味論」(多田富雄著)を二十数年ぶりに引っ張り出して気になる箇所を読み返してみました。基礎知識をリフレッシュしこの名著から刺激をもらうためです。

生物の最もわかりやすい存在目的は、ウィルスや細菌から野原の草やミミズ、そしてヒトまで、その種が再生産を繰り返しながら生存しつづけることです。

ウィルスの「生き甲斐」はたとえばヒトという宿主の免疫系を破壊することではあっても、ウィルスは宿主がいないと存続できないという事情もあるので、極右(ないしは極左)武闘派のようにむやみと宿主を殺傷してしまうのは得策ではありません。宿主に棲むためにその免疫系と戦いながら、宿主という集団を「殺さず生かさず」風に維持するのが賢いやり方です。

つまり、

① 感染者の致死率が高くなく(Coronavirus COVID-19 Global Cases by Johns Hopkins CSSEによれば、Total DeathsをTotal Confirmedで割った2020年3月4日現在の世界の平均値は3.4%)、
② 感染者数や感染者の致死率は、子どもや若い年代はとても低くて、熟年から高齢者になるほど急激に高くなる
③ 8割の感染者が軽症で自覚症状がほとんどない
④ それから症状が治まって陰性になった感染者も再感染する、つまり免疫系が必ずしもうまく働かない(というのが事実だとすると)、

といったことを総合すると、新型コロナウィルスの「ヒトという宿主集団を殺さず生かさず」という主旨の生存戦略は、再生産(予備・可能)年齢層には親切に宿り再生産年齢を過ぎた人たちにはやや冷酷に取りついているところを見ると、実に賢く考えられているということになります。長くなり過ぎたかもしれないヒトの平均寿命を中・高齢者層を中心に調整しているとも言えます。

地球は、40万年前から10万年の単位で8℃の気温の上昇(温暖化)と下降(寒冷化)を繰り返していて、これは人為では実質的には如何ともしがたい。新型コロナウィルスが人為によるものでなければ、ヒトは防御的に折り合いをつけるしかないという意味では両者は似ています。

エイズウィルスとそのうち折り合いがついたように、今度のコロナウィルスと折り合える方法が見つかる(作られる)までは、家庭や個人のできる範囲で折り合いをつけていくしかなさそうです。


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2020年3月 2日 (月)

新型コロナウィルスとクラスターという用語のことなど

厚労省主導の新型コロナウィルスの蔓延予防対策で北海層がクラスター分析の対象になっているみたいです。北海道の当該クラスター属性の詳細については公表されていないにしても、久しぶりにマーケティングやITの用語でもあるところのクラスターという語に出会いました。

クラスター(cluster)とは「房」「集団」「群れ」などを意味する英語ですが、マーケティング分野では、異なるタイプや異なる特徴のものが混ざり合ったグループから互いに似た性質を持つものを集めて新しいグループ(クラスター)を作る分析手法をクラスター分析と呼んでいます。

ITでは、たとえば、クラスタリング。同じ構成の複数のコンピュータを相互接続し外部に対して全体で一台のコンピュータであるかのように振る舞わせることで、システムを常に使い続けられるようにする(高可用性のための)仕組みとしてのクラスタリングや、システム内での負荷分散をめざしたクラスタリングなどがクラスター関連の考え方として普及していました。

今度のコロナウィルス感染の分析では、クラスターという語は、一定の感染経路でつながりを持つ患者集団を指して使われているみたいです。あるクラスターの感染者(たとえば例年中国人観光客の多い札幌雪まつり会場の混雑したプレファブ休憩所などで新型コロナに感染した人たち)が、別の場所(たとえば札幌から遠く離れた北海道の別の地域に戻ってそこでいつものように参加した趣味のサークル)で感染を広げて新たなクラスターを作り、感染が当初とは別のタイプの径路で拡大するといった具合です。

感染が徐々に拡大するにつれ、マスクだけでなくトイレットペーパやティシューペーパーの品切れや不当値上げも目立っています。こういう場合には超短期の利に聡い人たちが流通チャネルである種のクラスターを形成することになります。医療医薬分野でも似たような利権クラスターが発生しているかもしれない。

また政府が(半ば思い付きで、周りにはそう見える)学校や国民に対して強い「要請」を急に連続して出し続けるようなときには、ひそかに気にしていることが二つあります。

そのひとつはその意思決定の論理がどう当事者から説明されるかということ。表面的な理由付け表現があったとしても、実際は「空気」といったもので理由が説明され、その「空気」が場の方向を左右し始めているかどうかということ。もう一つはそういう「空気」に異を唱える人たちを「非国民」やそれに類する言葉で形容する人たち(これもクラスター)が現れるかどうかということです。そうなら、「攻撃面はより華美に、損害面は実際よりも相当に矮小化して発表」という1930年代後半から1940年代前半にかけての日本がまた顔を覗かせていることになります。

「八紘一宇」といった言葉が当時の政府や当時の新聞で蔓延していたとしても、普段の(当初はまだゆったりしていたはずの)市民生活でそういう言葉の受け取り方はどうだったのか、どう変化したのか、どう変化させられたのか、その実感というのが書き物やその他の記録媒体からだけでは十分にはつかめない。だからそれに似た雰囲気のものが当時をそれなりにシミュレーションする感じで現在進行中だと考えると、国全体を巻き込む事態に巻き込まれながらその事態の在りようを当時の人たちの実感に似た気持ちで実際に観察・体験できるというのは、とても貴重なことかもしれません。

そういうかつての「空気」の実態に関して参考になるのは「失敗の本質―日本軍の組織論的研究」という共同研究の成果や、丸山眞男の「超国家主義の論理と心理」や「軍国支配者の精神形態」といった論文です。


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2020年2月21日 (金)

困った時の「大本営発表」

大本営(だいほんえい)とは、現代史辞典風に言えば、「戦時または事変の際に設置された、天皇直属の最高統帥機関」のことです。明治26年に制定され、第二次世界大戦後廃止されました。

大本営発表(だいほんえいはっぴょう)と言った場合には、太平洋戦争中に、大本営の陸軍部及び海軍部が行った、戦況などに関する公式発表を指します。公式発表だからといって内容の正確さが保証されているわけではありません。大本営に都合のいいように、言葉を換えれば国民の誘導に都合がいいように、攻撃面をより華美に、損害を実際よりも相当に矮小化して公表しました。そういう意味の大本営発表で最初に有名になったのが、おそらく以下の1942年6月の「ミッドウェー海戦」に関する発表です。

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現在の新型コロナウィルスに関する(とくに、クルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」に関する)厚労省やその関連機関の発表も、大本営発表に近い内容のものがあります。

国立感染症研究所は「現場からの概況:ダイアモンドプリンセス号におけるCOVID-19症例」を2月19日に発表しました。そのなかで、いささか断定的に次のような「暫定的な結論」なるものを提示しています。

「発症日の判明している確定例の検討に基づいて評価すると、2月5日にクルーズ船で検疫が開始される前にCOVID-19の実質的な伝播が起こっていたことが分かる(下記船内の常設診療所に発熱で受診した患者数参照)。確定患者数が減少傾向にあることは、検疫による介入が乗客間の伝播を減らすのに有効であったことを示唆している。」

「一部の症例は、客室内での二次感染例であった可能性はあるが、検疫が始まる前に感染した可能性も否定できず、実際にいつ感染したか、判断は難しい。」

確定患者数が減少傾向にあるグラフとは以下の棒グラフです。

《2020年2月6日から17日におけるクルーズ船乗員乗客の発症日別COVID-19確定症例報告数(n = 151)》

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これと矛盾するのが、当該クルーズ船の陽性者数(赤い部分)の日別の推移で、船内での二次感染増殖を明確に示唆しているようにぼくには思われます(この棒グラフは、三重大学名誉教授・奥村晴彦 (Haruhiko Okumura) 様のブログから引用させていただきました)。

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また、以下のニュースは、その内容に大本営発表風の脚色がないとして、その感染が明らかに追加的な船内の二次感染なので、上述の大本営発表風の強引さ(「2月5日にクルーズ船で検疫が開始される前にCOVID-19の実質的な伝播が起こっていたことが分かる」)と合わせて厚労省発表の信頼性を相当程度に損なっているようです。

「厚生労働省は20日、新型コロナウイルスの集団感染が起きた大型クルーズ船ダイヤモンド・プリンセス号の船内で事務業務をしていた、厚労省の40代男性職員と内閣官房の30代男性職員の計2人の感染が確認されたと発表した。2人は同じチームだったという。
 厚労省職員は12日から船内の業務にあたっていたという。18日夜から発熱を訴え、翌19日に熱は下がったものの、鼻水の症状はあった。その後、検査で陽性とわかったため、東京都内の医療機関に搬送された。
 内閣官房職員は11日から船内で業務。18日にせきなどの不調を感じ、翌19日はホテルで休んだという。その後、検査で陽性だとわかり、20日午前に都内の医療機関に搬送された。」

「大本営発表」についてその背景の政治構造や時代風景も含めて知りたい場合は、「失敗の本質―日本軍の組織論的研究」という本が参考になります。


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2020年2月19日 (水)

「うがい」に自家製梅酢

新型コロナウィルスの感染状況の報告(情報開示)については、地方自治体で温度差があります。

「(北海道で二人目の)患者は日本の方ですか」という記者の質問に対して、北海道庁の担当者が「申し上げられません」。「患者の国籍は?」「申し上げられません」「厚生労働省はその方は日本人だと先ほど発表しましたよ」というようなコメディ風もあり、ぼんやりしていた北海道庁も「道民目線」という知事の好きな言葉を思い出したようです。

それはさておき、こういう場合も含め「うがい」には梅酢です。風邪予防も兼ねて外から帰ってきた時は手を丁寧に洗い、梅酢を希釈してうがいをします。うがい薬があればそれに越したことはないのかもしれませんが、そうでないときは梅酢が便利です。

夏にはほぼ毎年梅干しを作るので、白梅酢と赤梅酢(白梅酢が赤紫蘇で赤く着色されたものが赤梅酢です)のストックができます。梅干しは朝ごはんで食べるとして、白梅酢も赤梅酢も料理に使います。白の方の使用量が多い。で、我が家では赤梅酢を薄めたのをうがいに利用することが多い。10倍程度に希釈してもクエン酸で結構酸っぱい。その酸っぱいので喉や口腔内をガラガラとやります。

L-2019  白梅酢と赤梅酢


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2020年2月10日 (月)

中国の人たちの立ち居振る舞いの美しさとそうでもないもの

新型コロナウィルスの発生と蔓延への中国共産党やその地方組織の対応を見ていると、先進国の性格と発展途上国の特徴が併存しているだけでなく、こういう問題に対する強圧的な政治体制の限界も現れています。皇帝支配の漢や唐でも一定以上の予期せぬ社会的混乱が起こると、ひとびとはもっとおおらかだったとしても、世間はこんな感じになっていたのかもしれないなと千数百年以上前のライブ映像を目の当たりにしているようです。司馬遷が生きていたらこの状態をどう纏め上げるでしょうか。

最近は中国のYouTuberも活躍中で各地域の家庭料理の映像も興味深いですし、「漢服舞踊」(簡体字だと「汉服舞蹈」)も印象的です。女性用の伝統的な「漢」の服を着て蝶のように舞います。チャイナドレスは「清」の洋服なのでそういうタイプではなくて、身にまとうのはそれより前の時代の(たとえば唐時代の)ひらひらする袖が優美な女性用の絹の着物です。

若い中国人女性が投稿した「漢服舞踊」の動画で出来のいいのを拝見すると、アマチュアだけれども伝統的な漢服で踊る彼女らには日本女性には真似ができない種類の優雅があるようです。この優雅の中には、嫋(たお)やかさだけでなく同性の仇敵を排除するときに見せる優雅な凶悪行為遂行能力も含まれます。そういう時には、今まで絵以外では会ったことも見たこともない中国四大美人である西施(せいし)や王昭君(おうしょうくん)、貂蝉(ちょうせん)や楊貴妃(ようきひ)、あるいは漢の高祖の皇后である呂雉(りょち)の姿を、舞う彼女らに重ね合わせてみたくなる。

またそういう時には、ぼくが高校生だったころに古典(古文と漢文)の先生だった当時40歳代半ば過ぎくらいの女性教師が授業中に雑談風に穏やかに話してくれたことも思い出します。なぜそんなことを男女高校生を相手に話してくれたのか当時も今もよくはわからないけれど。

国語の先生の資質というものが話題になった時に彼女は「国語の教師というのは結局はいい文章が書けるかどうかで決まりね。■■さんは、」と、ある有名女流作家の名を挙げて「今はとてもかなわないけど、学生時代は書くのが上手じゃなかったわ」。それから、漢文の授業のときに何かの具合で話が中国四大美人に飛んだついでに「中国の美人ということだけれど、大学で同級生だった中国人女性の中にはお風呂にいっしょに入ると日本人ではとてもかなわないというくらい肌がきれいでスタイルのいい人がいましたわ」。そういう中国人女性の後輩が今はYouTubeで漢服舞踊を舞っているのでしょう。

中国人の立ち居振る舞いの特徴のひとつは、とても大きな声でよくしゃべることです。札幌でも京都でも香港でも上海でも台北でもシンガポールでもどこでも。街の通りでも、ホテルのロビーでも、レストランでも、デパ地下でも、観光名所でもどこでも。声の大きさは中国語という言語を発声するその具合も関係しているとは思いますが、そういう場合の声の大きさは美学的には印象深いとは思えない。

一方、たとえば、唐の白居易の「琵琶行」(落ちぶれてしまったかつての長安の名妓の弾く琵琶を舟中に聞いて、左遷されたわが身に引き比べるという内容の歌、「行」は長い歌)を中国や台湾の男性や女性が朗誦しているYouTube投稿を聴くと、音から意味は解らないので一緒に表示される文字表現された漢詩を眼で追いながら聴くのですが、朗誦の巧みさもあって七言古詩の韻の流れ(平仄 ひょうそく)が美しく心地よく伝わってきます。

余計なことを付け加えれば、中国人ツアー客の泊まった部屋はたいていは汚れがひどくて、後の掃除が大変であるとはよく聞く話です。ぼくもある都市ホテルに働く方から同じ内容の話を直接に聞いたことがあります。

どこの国もそうだとしても、中国というのは、美しいものと必ずしもそうではないものと、衛生と不衛生と、効率と非効率と、「琵琶行」の朗誦と「漢服舞踊」の優美と広東省起源のSARS (Severe Acute Respiratory Syndrome 重症急性呼吸器症候群)のトラウマと今回の湖北省発生の新型コロナウィルスが、他よりも、よりにぎやかに同居している国のようです。そして統治者の意識は常に「中華」です。「長安の春」というのも、当時の人びとの性質は胡人も含めてもっとおおらかで激情的だったのかもしれませんが、社会生活的にはこんな感じだったのかもしれません。


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