言語・言葉

2020年9月17日 (木)

「面倒くさい人ね」

どちらかというと少々手垢のついたような表現でも、久しぶりに耳にすると新鮮に響く場合があります。

ある知的で穏やかな中年女性が、行動に鬱陶しいところがあり発言にまとまりを欠くところの別の中年女性のことを評して先日つぶやくように使ったのが「面倒くさい人ね」でした。洞察力に満ちたひとことです。それ以外の表現だと別の中年女性の鬱陶しさをきちんと蔽えない。

この表現はぼくが最近は耳にしていなかったというだけで以前からよく使われています。彼女のつぶやきを通してその表現を聴いたのが久しぶりだったせいか、あるいは、こちらの方がよりそうかもしれませんが、中年女性ともうひとりの中年女性という大人の女性の関係性において、相手の深層を描写するその言葉が正鵠(せいこく)を得ていたためか、とても説得力のあるひとことでした。

 


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2020年9月14日 (月)

「神社に狛犬、寺院に狛犬」、「阿形(あぎょう)の狛犬、吽形(うんぎょう)の狛犬」

狛犬に関して、神社本庁ウェブサイトは次のように説明しています。

『神社にお参りすると参道の両脇に一対で置かれた石製の狛犬を見かけます。神社境内のことを語るとき、鳥居と並んでまず思い浮かぶほど、狛犬は神社にとって一般的なものとなっています。普段、私たちは石製のものを多く目にしますが、このほかに、社殿内に置かれる木製や陶製のもの、また金属製のものなどがあります。』

「一対の狛犬(こまいぬ)」といっても、神社や寺院で狛犬をよく見るとほとんどの狛犬は左右で形が違います。わずかに違うというよりも、顔かたちや表情がけっこう違います。それから「狛犬」といってもとても普通の「犬」には見えない。鬣(たてがみ)を持った猛獣の雰囲気がある。

仏教はインドで始まりましたが、そのインドでは仏像の前に2頭のライオン(「獅子」)を置きました。「狛犬」の形はそこから来ています。仏像といっしょに、当然のことながら2頭のライオン(「獅子」)も日本に入って来て、仏像の前に2頭の「獅子」を置く習慣が始まりました。奈良時代までは「獅子」と「獅子」の組み合わせだったのが、平安時代から「獅子」と「狛犬」の組み合わせになったそうです。

「一対の狛犬」を観察すると、一方は口を開け、もう一方は口を閉じています。そして口を閉じた方には、たいていは頭に角(つの)がある。口を開けているの(阿形 あぎょう)が「獅子」で、口を閉じて(吽形 うんぎょう)角があるのが「狛犬」です。

神仏習合が盛んになったのは平安時代からで、だから狛犬もその所属先・勤務先に柔軟性を発揮できるようになったのでしょう。寺に坐っていてもおかしくないし、神社にいても違和感はない。

下の写真は、高野山・金剛峯寺のなかにある赤い鳥居の神社とその前の一対の狛犬です。全体配置とそれぞれの狛犬(左側が口を閉じて角のある「狛犬」、右側が口を開けた「獅子」)の拡大写真を並べてみます。筋肉や顔つきは猛獣です。

Photo_20200911082001
Photo_20200911082201 Photo_20200911082301      狛犬(吽形と角)           獅子(阿形)

 


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2020年9月11日 (金)

徒然草の中の神仏習合

サラッと書いてあるのでサラッと読んでしまうのですが、不思議と言えば不思議な記述です。徒然草の第百九十六段は次のような書き出しで始まります。

「東大寺の神輿、東寺の若宮より帰座の時・・・」(東大寺の御輿が、東寺に新設した八幡宮から奈良に戻されることになったときに・・・)。寺に神輿(みこし)があり、寺に宮(みや)がある。

書いているのは吉田兼好。出家したので「兼好法師」と呼ばれていますが、彼の本名は卜部兼好(うらべかねよし)。「卜部」は卜占(ぼくせん)を司り神祇官を出す神職の家系なので、彼の中では何の不思議もなく「神仏習合」あるいは「本地垂迹(ほんちすいじゃく)」が生きていたようです。

「本地垂迹説」とは、日本の八百万(やおよろず)の神々は、仏教の様々な仏(菩薩なども含む)が化身として日本の地にかりに現れた権現(ごんげん)であるとする考えで――「権」は一時的な、かりそめの手立て、という意味、従って「権現」はかりそめに現れた、という意味――だから、各地に「熊野権現」のような「・・権現」があり、また神社内には神宮寺が作られ、「八幡神」は「八幡大菩薩」という名前でも祀られています。

確かに京都の東寺には小さな神社があります。空海は東大寺に関係していたとしてもその誕生の経緯については不案内でしたが、こういう一節を読むと、兼好が生きていた時代との距離が急に妙に縮まった気分にはなります。

神仏習合が今でもしっかりと存続しているのは、ぼくたちはそれをほとんど意識しませんが、身近な例で言えば、初詣です。ぼくたちはその場所が神社か寺か、とくには気にしません。たいていは近所の、いつもの神社やお寺に参拝・参詣します。そこに仏と神が本地や権現としてあるならそこが神社でもお寺でもどちらでも構わないわけです。

関連記事は、「神仏習合について雑感」と「神と仏の二重構造や神と神の二層構造と、グローバリゼーション」。


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2020年9月 9日 (水)

徒然草の中の枕草子、源氏物語や紫式部日記

「方丈記」はさてこれかどうなるのだろうというところでお終いなので、いささか肩透かしを食った気分になるエッセイです。もう一度読もうという気分になりにくい。それに対して、「徒然草」はまた気が向いたら気に入ったところをパラパラと(あるいは丁寧に)読み返してみるかという心持ちになります。有職故実(ゆうそくこじつ)に言及したような段や教科書に載るような内容の段と再び喜んでお付き合いするかどうかはわからないにしても。

「徒然草」を頭から順に読んでみると教科書向きの、つまり、教育官僚好みだと思われるような段は少なからずあって、これは教科書には採用されるかどうかはわからないけれど、第百六段<高野(かうや)の証空上人(しようくうしやうにん)、京へ上りけるに、細道(ほそみち)にて、馬に乗りたる女の、行きあひたりけるが、口曳きける男、あしく曳きて、聖ひじりの馬を堀へ落してンげり>なんかもそのひとつです。

それから教科書向きであるかどうかは関係なく、ページを繰っていくと、世に言われる兼好法師らしさの溢れた第七十五段<つれづれわぶる人は、いかなる心ならん。まぎるゝ方(かた)なく、たゞひとりあるのみこそよけれ>や第七十六段<世の覚(おぼ)え花やかなるあたりに、嘆(なげき)も喜びもありて、人多く行きとぶらふ中に、聖法師(ひじりほふし)の交(まじ)じりて・・・>に出会うことになりますし、さらに進むと、第百四十三段<人の終焉(しゆうえん)の有様のいみじかりし事など、人の語るを聞くに、たゞ、静かにして乱れずと言はば心にくかるべきを、愚(おろ)かなる人は・・・>や第二百二十九段<よき細工(さいく)は、少し鈍(にぶ)き刀を使ふと言ふ。妙観(めいくわん)が刀はいたく立たず>が待っています。

しかしそういうのとは違った匂いを持つ文章も少なくなくて、たとえば第百三十七段<花は盛りに、月は隈(くま)なきをのみ、見るものかは>は、<(月影の)椎柴(しひしば)・白樫(しらかし)などの、濡ぬれたるやうなる葉の上にきらめきたるこそ、身に沁みて・・>といった感じで枕草子風の香りを漂わせた段だし――「らしい」辛口や無常観が満載だとしても――、第百三十九段の<花は、一重(ひとえ)なる、よし。八重桜は、奈良の都にのみありけるを、この比ぞ、世に多く成り侍はべるなる。吉野の花、左近(さこん)の桜、皆、一重(ひとえ)にてこそあれ。八重桜は異様(ことやう)のものなり。いとこちたく、ねぢけたり。植ゑずともありなん。遅桜(おそざくら)またすさまじ。虫の附きたるもむつかし>は枕のパロディーを意図したのでしょうか。

また、第百四段<荒れたる宿(やど)の、人目(め)なきに、女の憚る事ある比(ころ)にて、つれづれと籠(こも)り居たるを、或人、とぶらひ給(たま)はむとて・・・>や第百五段<北の屋蔭に消え残りたる雪の、いたう凍(こほ)りたるに、さし寄(よ)せたる車の轅(ながえ)も、霜いたくきらめきて・・・>には源氏物語風の創作の趣きがあります。

それから、第百段<久我相国(こがのしやうこく)は、殿上(てんじやう)にて水を召しけるに・・・>や第百一段<或人(あるひと)、任大臣の節会(せちゑ)の内辨(ないべん)を勤(つと)められけるに・・・>や第百二段<尹大納言(ゐんのだいなごん)光忠卿(みつただきやう)、追儺(ついな)の上卿(しやうけい)を勤められけるに・・・>は情景と対象人物を眺める眼が、紫式部日記の著者の視線を連想させます。

第百七段<女の物言ひかけたる返事(かへりごと)、とりあへず、よきほどにする男はありがたきものぞ」とて、亀山院の御時、しれたる女房ども・・・>は、文体をそれらしいものに変えて、紫式式部日記の後半のどこかにそれとなく紛れ込ませてもそのまま通りそうです(と、勝手に妄想しています)。

以下は、その第百七段の原文と現代語訳ですが、この(谷崎潤一郎ではなく与謝野晶子を思わせる)現代語訳は「徒然草 (吉田兼好著・吾妻利秋訳)」というウェブサイトから引用させていただきました。この場を借りてお礼申し上げます。

◇第百七段(原文)

 「女の物言ひかけたる返事(かへりごと)、とりあへず、よきほどにする男はありがたきものぞ」とて、亀山院の御時、しれたる女房ども若(わか)き男達の参(まゐ)らるる毎(ごと)に、「郭公(ほととぎす)や聞き給へる」と問ひて心見られけるに、某(なにがし)の大納言(だいなごん)とかやは、「数ならぬ身は、え聞(き)き候(さうら)はず」と答へられけり。堀川内大臣殿は、「岩倉(いはくら)にて聞きて候ひしやらん」と仰(おほ)せられたりけるを、「これは難なし。数ならぬ身、むつかし」など定め合(あ)はれけり。

 すべて、男をば、女に笑はれぬやうにおほしたつべしとぞ。「浄土寺(じやうどじの)前関白殿(さきのくわんぱくどの)は、幼くて、安喜門院(あんきもんゐん)のよく教(をし)へ参(まゐ)らせさせ給ひける故に、御詞(おんことば)などのよきぞ」と、人の仰せられけるとかや。山階(やましなの)左大臣殿は、「あやしの下女(げぢよ)の身奉るも、いと恥(は)づかしく、心づかひせらるゝ」とこそ仰(おほ)せられけれ。女のなき世なりせば、衣文(えもん)も冠(かうぶり)も、いかにもあれ、ひきつくろふ人も侍(はべ)らじ。

 かく人に恥(は)ぢらるゝ女、如何(いか)ばかりいみじきものぞと思ふに、女の性(しやう)は皆ひがめり。人我(にんが)の相(さう)深く、貧欲(とんよく)甚(はなは)だしく、物の理(ことわり)を知らず。たゞ、迷(まよひ)の方(かた)に心も速く移り、詞(ことば)も巧(たく)みに、苦しからぬ事をも問ふ時は言はず。用意あるかと見れば、また、あさましき事まで問(と)はず語(がた)りに言ひ出(い)だす。深くたばかり飾れる事は、男(をとこ)の智恵(ちゑ)にもまさりたるかと思えば、その事、跡(あと)より顕(あら)はるゝを知らず。すなほならずして拙きものは、女なり。その心に随(したが)ひてよく思はれん事は、心憂うかるべし。されば、何かは女の恥(は)づかしからん。もし賢女(けんぢよ)あらば、それもものうとく、すさまじかりなん。たゞ、迷(まよひ)を主(あるじ)としてかれに随(したが)ふ時、やさしくも、面白くも覚ゆべき事なり。

◇第百七段(現代語訳、吾妻利秋訳)

 「突然の女の質問を、優雅に答える男は滅多にいない」らしいので、亀山天皇の時代に、女達は男をからかっていた。いたい気な若い男が来るたびに、「ホトトギスの声は、もうお聴きになって?」と質問し、相手の格付けをした。のちに大納言になった何とかという男は、「虫けらのような私の身分では、ホトトギスの美声を聞く境遇にありません」と答えた。堀川の内大臣は、「山城国の岩倉あたりでケキョケキョ鳴いているのを聞いた気がします」と答えた。女達は「内大臣は当たり障りのない答え方で、虫けらのような身分とは、透かした答え方だわ」などと、格付けるのであった。

 いつでも男は、女に馬鹿にされないよう教育を受けなければならない。「関白の九条師教は、ご幼少の頃から皇后陛下に教育されていたので、話す言葉もたいしたものだ」と、人々は褒め称えた。西園寺実雄左大臣は、「平民の女の子に見られるだけで心拍数が上昇するので、お洒落は欠かせない」と言ったそうである。もしもこの世に女がいなかったら、男の衣装や小道具などは、誰も気にしなくなるだろう。

 「これほど男を狂わせる女とは、なんと素敵な存在だろう」と思いがちだが、女の正体は歪んでいる。自分勝手で欲深く、世の中の仕組みを理解していない。メルヘンの世界の住人で、きれい事ばかり言う。そして都合が悪くなると黙る。謙虚なのかと思えば、そうでもなく、聞いてもいないのに下らないことを話し始める。綺麗に化粧をして化けるから、男の洞察力を超越しているのかと思えば、そんなこともなく、化けの皮が剥がれても気がつかない。素直でなく、実は何も考えていないのが女なのだ。そんな女心に惑わされ、「女に良く見られたい」と考えるのは、涙ぐましくもある。だから女に引け目を感じる必要はない。仮に、賢い女がいたとしよう。近付き難さに恋心も芽生えないだろう。恋とは女心に振り回されて、ときめくことを楽しむものなのである。


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2020年9月 3日 (木)

枝を手折(たお)る

先日のブログ記事「桜狩り、サクランボ狩り、紅葉狩り」で、次のように書きました。

《「世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」は、折り取られた桜の花枝がそのあたりを歩く(あるいはそのあたりで舞う)人たちの頭髪や帽子(冠)にさされたのがたくさん見られたほうが背景としてはいちばん感じが出ます。もっとも最近は、自宅の庭の桜以外でそんなことをすると少々ややこしいことになってしまう恐れもありますが。》

「世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」は古今集と伊勢物語の中の歌なので、十世紀初めの日本では春のお祝いや喜びに花の咲いた桜の枝が人々の手で折り取られていたらしい。

以下は「方丈記」からの引用です。蛇足ですが、鴨長明はその歌が新古今に十首も入集(にっしゅう)された歌人でもあり十二世紀後半から十三世紀初めにかけての方です。

「かへるさには、折につけつつ桜を狩り、紅葉(もみじ)をもとめ、わらびを折り、木の実を拾いて、かつは仏にたてまつり、かつは家づとにす」(帰り道は、季節に応じて、春なら桜の枝、秋なら紅葉(もみじ)の枝を手折り、ワラビを折ったり、木の実を拾ったりして、それらを仏前にも供え、土産にもする)

草庵に一人で住んでいた彼も、季節の折々には、出先からの帰り道に、ワラビを摘み木の実を拾い、そして桜や紅葉の枝を手折っていました。時間の範囲を控えめに言って九世紀の後半から十三世紀の前半くらいまでは、季節の手折りは、自然の草木と人との当時の関係が滲み出たとても自然な行為だったようです。

今年はなかったにしても、たいていは桜の樹の下の宴会で酔っ払って枝を折り取るオジサンやオニーサンという存在が登場しますが、自然保護にうるさいおばさんもそういうオジサンの行為に対して目くじらを立てることもないのかもしれません。

 


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2020年9月 1日 (火)

「徒然草」は、今風に言えば、「出家おじさんブログ」

「徒然草」は全部で二百四十三段なので、一日一段で二百四十三日で終了というのでなくても、長いのは三日ほどかけて書くかもしれないし、休みの日もおそらくあるので、今様に云えば、十四世紀の前半の半ばくらいに(詳細ははっきりしないにしても)、一年くらいかけて書き続けられた人気の高い「出家おじさんブログ」ということになるかもしれません。

「徒然草」は、現在も国語教科書の定番だそうです。下の写真はあるウェブサイトでお借りした「中2国語」教科書の中の関連ページです(写真の引用についてはこの場を借りてお礼申し上げます)。

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おじさんも年齢を重ねるといろいろと理由はあるにせよ、出家していてもいなくても、今よりも昔のほうにより大きな価値と深い美しさを見るようになるようです。徒然草にもそういう例は少なくありません。たとえば

* 「この比(ごろ)の歌は、一ふしをかしく言ひかなへたりと見ゆるはあれど、古き歌どものやうに、いかにぞや、ことばの外(ほか)に、あはれに、けしきおぼゆるはなし」(この頃の歌には面白く言い得ていると見えるものはあるが、昔の歌などのように、言外に情趣深く余情を感じるものはない。)(第十四段)

* 「なに事(ごと)も、古き世のみぞしたはしき。今様(いまやう)は無下(むげ)にいやしくこそなりゆくめれ。かの木の道のたくみの造れる、うつくしき器物(うつはもの)も、古代の姿こそをかしと見ゆれ」(何事でもすべて古い時代ばかりが懐かしく思われる。今の世は何とも言いようのないほど下品になっていくようだ。あの木工の造った美しい器物も、古風な姿のものがすばらしいと思われる。)(第二十二段)

* 「そのうつはもの、昔の人に及ばず」(今の人は、その器量が昔の人にかなわない)(第五十八段)

とかです。

中学や高校の教科書に載るというのは世間や教育界で高い評価が定着しているということになりますが、小林秀雄は教科書や参考書の解説とはずいぶんと違う意味合いで「徒然草」を褒め、本居宣長は、兼好法師のもののあわれの理解はいかがなものかと批判的です。

小林秀雄の著作からその部分を引用すると

「兼好は誰にも似てゐない。・・(中略)・・文章も比類のない名文であって、よく言われる枕草子との類似なぞもほんの見掛けだけの事で、あの正確な鋭利な文体は稀有のものだ。一見さうは見えないのは、彼が名工だからである。『よき細工は、少し鈍き刀を使ふ、といふ。妙観が刀は、いたく立たず』、彼は利き過ぎる腕と鈍い刀の必要とを痛感してゐる自分の事を言ってゐるのである。物が見え過ぎる眼を如何に御したらいいか、これが徒然草の文体の精髄である。」(「徒然草」)

と静かに歯切れよく称賛しているのに対し、本居宣長は

「けんかうほうしがつれづれ草に、花はさかりに、月はくまなきのみ見る物かはとかいへるは、いかにぞや。・・(中略)・・さるを、かのほうしがいへるごとくなるは、人の心にさかひたる、後の世のさかしら心の、つくり風流(ミヤビ)にして、まことのみやびごゝろにはあらず、かのほうしがいへる言ども、此のたぐひ多し、皆同じ事也」(「玉勝間」)

と相当に辛口です

日本文化の中で自分の気に入ったところをとくに取り上げて誉め、自分の気に入らないところを集中してけなす、ということかもしれないにしても、小林秀雄と本居宣長の二人の美意識の違いには興味深いものがあります。

そのことに関連して、山崎正之の《「古事記伝」私考》に次のような一節があります。二人の好みの差(というか、共感や理解のしかたの差)が徒然草の評価にも反映されているようです。

《かつて小林秀雄氏が折口信夫博士を訪ねての帰り、大森駅まで送られて来たときにいきなり博士に「小林さん、本居さんはね、やはり源氏ですよ、では、さよなら」と言われたという。

このことについて山本健吉氏は、

宣長の美意識の中心には、王朝文学、ことに源氏物語がどっかと腰をおろしていた。それは古事記的なるものよりも、宣長の心の奥深く根づいている。彼の古事記伝には、ややともすると源氏によって養われた美意識、言語感覚が顔を出す。いや、あまりにしばしば顔を出す。そのことを言おうとされたのであろう。そして、彼の古道意識よりも、「もののあはれ観」の方が、宣長を知る人に大事な命題であることを言おうとされたのであろう。

と記している。》

 


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2020年8月31日 (月)

北海道は、2日間と少しだけ、突然の秋

一昨日の夕方から昨日までは「世間」は夏でしたが、北海道の気温はまったくの秋でした。この超短期の秋は今日も継続中です。ここで「世間」というのは北海道以外の日本の各地域という意味で、ぼくが勝手にそう使っただけですが、そういうことを表す北海道方言に「内地」というのがあります。

「本州と四国と九州」と同じ意味ですが、本州・四国・九州というのは面倒なので「内地」です。北海道の放送局は、さすがに、北海道以外の日本を「内地」とは言わずに「道外」と呼んでいるようですが、散髪屋などで、たとえば去年や一昨年だと、お店の人が東京観光に行ってきたことを「先週、内地に旅行に行ってきました」というように普通に使います。

北海道以外の日本を「内地」とすると、「外地」はどこか。日支事変(日中戦争)や太平洋戦争以前は台湾や樺太や旧満州などが「外地」だったようです。自分たちの住む土地のことを北海道の人はさすがに「外地」とは呼びませんが、「国土交通省 北海道開発局」というような表示板のある建物が札幌のゆったりとした敷地にあるのを見ると北海道には今でもわずかではあっても「外地」の香りが漂っています。

全国版の天気予報などで、台風が本州を北に抜けて(いくぶん弱くなったのが)北海道に上陸するような場合に、気象予報士が「台風は日本を抜けました」と(無意識に)発言する場合がしばしばあります。これを「内地・外地」で翻訳すると「台風は内地を抜け(よかったよかった)、北海道という外地に向かっています(だからもう気にならない」)。

さて、突然の秋について、です。土曜は昼間はエアコンなしでは辛い31℃くらいだったのが夕方から急激に20℃を下回り、天気予報だと外はそういう気温らしい、それでは、と窓を開けて風を通すと涼しい風が部屋を吹き抜けて半袖では寒いくらいになりました。突然の秋です。

その翌日の日曜日も「道内」は同じ秋が続きました。午後2時半の気温が15.9℃、午後7時が(予報とは違って)14℃。「内地」は暑い夏だった様子です。

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もっともこれくらいの(つまり14~15度くらいの)温度差は、冬は札幌が氷点下のときに東京が14~15℃ということと同じなので、わざわざ言い立てることではないのかもしれません。


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2020年8月26日 (水)

古本通販の楽しみ

古本屋さんを歩く楽しみはさておいて、ここでは各種の通販という手段で古本を購入するときの楽しみについてです。

古本通販の楽しみには、買う楽しみと、届いたのを読み始める時の楽しみがあります。その楽しみは、新刊書を購入してきて最初のページやあとがきに目を通すのとはまた違った種類の刺激があります。

古本の通販購入ということだけでも、一般読者にとってはチャネルの選択肢が拡がりました。本やCDの通販から開始した大手通販はそのひとつですし、古本屋さんで構成する古本通販ネットというのもあります。それから、古本の種類によっては便利なのがいわゆる「フリーマーケット」サイトで、ここもシンプルなものからオークション形式のものまであるので、欲しいものを購入するためにはいくぶんの知識と慣れが必要です。

できるだけ品質の良い(つまりきれいで)、値段が安い古本がありがたいとしても、出品者がプロの場合には言葉の状態解説だけでは購入後に不満が残ることも少なくありません。だから、最近は古本といえども片手の指の本数以上の複数の写真を掲載してくれる出品者も増えてきました。

「フリマ」サイトでは映像情報(写真)が必須だとしても、古本屋さんのネットワークでも、そういうトレンドに無理なく対応しているところも増加中です。文字情報による定形風解説にこだわっているところも当然あるみたいです。それはそれで文化だとは思います。

同じ対象を複数のチャネルを横ぐし状態にずらずらと探すということもしますが疲れるので、対象の種類によってたいていは二つくらいが候補です。

個人全集の中の一冊や二冊を、それも1970年代や1980年代に出版されたもので旧漢字と旧仮名遣いの評論集などを、たとえば古本屋さんネット経由で買い求めるとして、届いた本を消毒を兼ねてきれいにし、最初の評論に取りかかったとします。

そこに、薄い、Hか2Hと思われる鉛筆の小さな細い字で旧漢字の隣にフリガナが少なからずあったりするのに出会うと、そういうのは状態説明になかったと以前は腹を立てたこともありましたし、消しゴムで消したりもしましたが、その字がいい感じのものなら、その当時どういう年齢のかたがこれを書き込んだのか、その様子を想像してみるのもなかなか楽しいものです。


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2020年8月20日 (木)

桜狩り、サクランボ狩り、紅葉狩り

「狩る」とは、ぼくたちの間で継続されている意味は、一般的には、鳥や獣を追い出して捕えるということと、花や木を愛でるために探し求めることです。

「狩る」行事といえば、すぐに思いつくそのひとつは、「桃狩り」「サクランボ狩り」「梨狩り」「リンゴ狩り」などです。「狩る」ということなので実際に木の枝から採る、切り取るという作業が含まれるはずで、だから、ぼくたちは実際にそういう作業をして、出向いたその場(果樹園など)で季節の果実のいくぶんかを味わうのが恒例になっています。

もうひとつの「狩る」は、「桜狩り」、「紅葉(もみじ)狩り」などで、現在の上品な辞書的な意味は「桜花を訪ね歩いて鑑賞すること」あるいは「山野に紅葉をたずねて鑑賞すること」ですが、「狩る」という語を含むので、今よりも人の数も少なくてもっとおおらかな時代には、人びとは、たとえば、桜の枝を折り取り、髪にさしてのどかに遊びたわむれたのでしょう。桜が舞い落ちる毛氈(もうせん)や茣蓙(ござ)の上で、桜の簪(かんざし)の女性を相手にお酒でいい気分になっている花見客の姿も容易に想像できます。

「世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」は、折り取られた桜の花枝がそのあたりを歩く(あるいはそのあたりで舞う)人たちの頭髪や帽子(冠)にさされたのがたくさん見られたほうが背景としてはいちばん感じが出ます。もっとも最近は、自宅の庭の桜以外でそんなことをすると少々ややこしいことになってしまう恐れもありますが。

秋は、桜ではなく、紅葉(色づいた「楓」)の葉や小枝を髪や帽子にさすことになります。その場合、どんな歌が似合うでしょうか。色づいていない下の写真の様な「楓(かえで)」を一葉、散歩の途中で隣を歩いている人の帽子に飾るというのも、のどかでいいかもしれません。「世の中にたえて楓のなかりせば秋の心はのどけからまし」。

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2020年8月 6日 (木)

むつかしい、と、むずかしい

難しいをどう読むか。ぼくにとってのデフォは「むつかしい」でした。今でもそうです。

おそらく小さい頃に祖父からよく日本昔話や源平合戦の物語などを聞いていたときに――あるいはその他の機会で――「むずかしい」ではなく「むつかしい」という音を持った言葉が刷り込まれたのだと思います。ぼくも音が濁っていないほうが好きだったのでしょう。

「むつかしい」は「むずかしい」よりもどうも少数派のようです。あるとき「難しい」を「むつかしい」と読んだら、珍しいですねと言われたことがあります。「普通は『むずかしい』ですよね。」

小林秀雄の若い時の文芸評論集のようなものに目を通していたら、「むつかしい」を含む次のような刺激的な論述に出合いました。少し長いですが、小林秀雄らしさが溢れている一節なので、そのまま(ただし漢字は新漢字を使用)引用してみます。

 『わたしの評論がむつかしいといふ奇態な抗言を屡々(しばしば)聞く。私は難しい理窟を捏ねた覚えはない。むつかしい理屈なるものが、如何に粉飾態であるかといふ以外に、凡そ理窟といふものを述べた覚えはないのである。
 仮に私の評論がむつかしいとするならばそれは二つの理由によるので、それ以外の理由はない。第一に、わたしの表現技巧が拙劣である事、第二には、単純な事実を語る事は、複雑な理論を語る事よりも、遥かに困難なわざであるが為だ。それにしても、私の評論がむつかしくて解らないなどといふ若々しい新進作家達は、一体どんな気で小説などといふものを弄(いぢ)ってゐるのか。理論が不得手である事は、作家そのものの特権と心得てゐるのか。今日の青年作家達が、まだ昔乍らの戯作者根性を捨てきれぬとは、吾が国民の美風であるか。
 私は知っていゐる。私の評論は、諸君の小説より百倍もむつかしい。だが、バルザックの小説より千倍もやさしいのだ。私のたわいもない論理をむつかしがるが如きは、凡そ作家たるものの恥である。諸君にとって一体何が一番やさしいのであるか。恐らく諸君には答へる勇気があるまいから、私が代わって答へるが、諸君のとぼけた理性にとって、あらゆる理論はむつかしく、唯、やさしいものは実人生なのだ。』(「アシルと亀の子 IV」)


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