言語・言葉

2020年1月23日 (木)

吉田健一の文章を楽しむ方法

吉田健一の書いたものは、出版社がどう分類していようと凡てがエッセイ風です。しかし、エッセイ風の文章といっても必ずしも読みやすいものだけとは言えず、重い主題について、論述の展開というものがあやふやで、彼の頭の中にぼんやりとあるものを言葉でなぞりながら言葉にしていくときに、同じ辺りをぐるぐると歩き続けるということも多い。

吉田の文章は彼の頭に生まれた想念(ないしは意識)の流れをただ文章にしたものではあるのですが、想念(意識)を言葉に移していく際に、最初に出会った言葉を手掛かりにしてもっとぴったりとする言葉を探し続けるので、長くてまわりくどくて何を言っているのかわからない状態にお付き合いさせられる場合も少なくありません。そういう散歩に付き合わされるといささかうんざりだし、それから、彼の(とくに後期の作品の)文章には句読点が甚だ少ないので、それもあって、彼の文章のリズムと読む側の呼吸が合わないと読んでいてとても息苦しくなってしまいます。

吉田健一の散文を心地よく読む方法は、エッセイや評論風の書き物であれば、そのなかのアフォリズムを感じさせる一節を、それが短くても長くても、賞味することです。彼の同語反復風の粘っこい記述が読む側のその時の体調リズムと合わないと判断したら斜め読みで構わない。小説なら、たいていは哲学的なエッセイ風味の記述が不意に顕れるので、ストーリといっしょに(あるいはストーリとは別でもいいのですが)ゆっくりと味わうことです。ストーリと書きましたが彼の長編小説にわくわくするような筋の展開があるわけではありません(長編小説も短編小説の集合体という趣きなので)。

もう一つの方法は、彼の小説における時空感覚の自由さ、つまり昭和の日本と唐や宋の中国と十八世紀のヨーロッパなどを、庭や月、絵や磁器や川や幽霊や幻を媒介にして自在に出入りする自在さとそのことによってもたらされる夢見心地や酔い心地を楽しむことです。

それから、これは「もう一つの方法」の一部になると思いますが、次のような書き出しで始まる短編小説があるとして、そこまで読んで「なんだこの訳の分からない小説は」と呆れて放り出すのではなく、どう進んでいくのか判然としない文章に少し我慢して付き合ってみると、必ずそうなるとは決して保証の限りではありませんが、少し酔っぱらったような(時には急に酔いが醒めてしまうような)不思議な読後感に浸れます。

 「昼になった頃の食べもの屋が繁盛するのに対して、その時刻のバアががらんとしてゐてバアよりも物置きか何かに似てゐることは、誰でも知ってゐると言ひたくても、そんなに早く開くバアもあることは多くのものにとってどうでもいいことに違いない。併しさういふ一軒に入って見れば、そのやうな感じがする。そしてこの経験をするものは余程の暇人か、何か特別の目的があるものに決まってゐて、その男がさうしてそこのバアに来てゐるのは人目が避けたいからだった。」(「逃げる話」)

ドナルド・キーンは吉田健一の文章を次のように評しました。

 「・・・・・吉田の書くものは、その対象が英国の詩、あるいは日本の通俗小説、あるいはまた食べ物、酒の話であっても妙に洗練された懐の深さを感じさせる。吉田の文章は常に完璧な自信に満ちていて、その難解で時に意味が取りがたくなるような入り組んだ文体に吉田は明らかに誇りを持っていた。そしてそれは英語とは対照的に日本語の特徴をもっともよく生かした書き方であり文体であると吉田は思っていたようである。」(ドナルド・キーン「日本文学の歴史」(18)、ただし、長谷川郁夫「吉田健一」より孫引き)

吉田の時空感覚の深さや自在さが顕れた例を下にいくつか並べてみます。なお、引用文のあとの丸括弧の中は「作品名」《エッセイか小説か》です。

 「冬の朝が晴れていれば起きて木の枝の枯れ葉が朝日という水のように流れるものに洗われているのを見ているうちに時間がたって行く。どの位の時間がたつかというのではなくてただ確実にたって行くので長いのでも短いのでもなくてそれが時間というものなのである。」(「時間」《エッセイ》)

 「我々が時計を見て朝の十時であるあるのを知るのは用向きの上での意味しか持たないが光線の具合で朝であると感じるのは我々が朝の世界にいるのを認めることで朝の十時であるのはそれを知るもの次第であっても朝であるのは世界が朝なのである。」(「時間」《エッセイ》)

 「時間がたって行くことを知るのが現在なのである。」(「時間」《エッセイ》)

 「従ってあるのは現在と現在でない状態であって普通は過去であることになっているものに我々がいればそれが現在であり、一般に現在と見られているものも我々にとってただの空白であり得る。」(「時間」《エッセイ》)

 「併し世界を見廻してそこに間違いなくあると認められるものはそこにあり、それがあったのでないのはその感覚を生じさせるものがないからであって我々がものを見る時の眼を世界に向ければそうなる。そこにあるものはあって我々に語り掛けるがこういうことが曾てあったと語るものはなくてそこにも流れる時間というのは常に現在である。」(「時間」《エッセイ》)

 「・・・別にそれを見てこれから一日が始まろうとしている気配を感じるのでもなければ前の日にあったことの結果で今日することになることを思い浮かべるのでもなくてただ眠気が去って朝になり、ものが自然の光で見えて来て体も一日の間覚めているのに堪える状態に戻っている朝というものがもの心が付いたその日からのことであっても、或はそのこともあって懐かしかった。」(「本当のような話」《小説》)

 「又一日は二十四時間でなくて朝から日が廻って、或は曇った空の光が変って午後の世界が生じ、これが暮れて夜が来てそれが再び白み始めるのが、又それを意識して精神が働くのが一日である。」(「埋れ木」《小説》)

 「・・・見ているのは緑でも紅でもなくて或る種の青磁が帯びている色ともしこの世にそういうことがあるならばその青磁の底に浮かび上がるかもしれない真紅だった。こういう紅は燃えるということがない。それはそれだけのものを蔵して何気なしに拡がるものでただ見ていてそれでいいのだと思う。又その緑も色よりもその緑と一応は言える色をしたものなのでそれがものであるから変じ、それが雨で濁った川の流れの草色からその川に向かって伸びた枝に止まっている川蝉の羽に日が差した紺青にまで及ぶ。又それはそういう緑と紅の配合でもなかった。寧ろ精神にこの二つを思い浮かべることが出来るならばその状態でそれが眼の前にあってそれは隣り合わせなのでも互いに溶け込むのでもなくてその一つがもう一つに自在に代る関係に置かれて二つともそこにあった。」(「金沢」《小説》)

 「『とてものことにあの宋の碗をもう一度見せて下さいませんか、』と言った。『これですか、』と山奥が言って内山の目に置いた。それはやはり淀(よど)んだ緑に紅を浮かべていて内山は紅の色が一切の原因であるような気がした。それ程静まり返ったものはなくて今にも改めて溶けるか燃えるかしそうであり、そういうものだったからそれが山上の寺もそこまで桃源郷を縫っていく川も、また女が持つ炉の火も春の夜に漂う花の花の匂いもその中に沈めていて少しも不思議でなかった。それだけの魔力があるものが人間の眼には美しいと映る。・・・・内山はその碗が壊れない、又壊せないことを知っていた。それは永遠の瞬間ということと同じでその碗がある所に、或はそれを人間が見る時にそこに天地が息づき、それを人間が見なくなれば碗は初めからないことになるのだった。」(「金沢」《小説》)

 「・・・二人が廃園をさ迷う幽霊であってもいいと思った。まだ二人は昼のままの服装でいて背広を着て廃園に現れる幽霊というのはなくても女が着ているものを見るといつの時代のものなのかフランスの所謂、執政期、十八世紀も革命が終ってギリシャの風俗が真似られた頃を聯想させる白い服を胸の所で止めたのがその庭を一人で行き来するならば幻であることを失わなかった。何も顧愷之の女の詩人でなくても女といるのにその顔を見ることはなかった。ただ酒を勧める袖にも女はいてそれは匂いと息遣いであり、それがやがてそれだけではなくなることが解っている時に一層それはその袖のようなものにその一切が籠ることになる。」(「金沢」《小説》)


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2020年1月21日 (火)

「兵に告ぐ」の格調と、「前畑頑張れ!」の躍動感と、言葉が生きていない「戦時社説」

「兵に告ぐ」は、1936年(昭和11年)2月26日に発生した「二・二六事件」(皇道派の影響を受けた陸軍青年将校らが1,483名の下士官兵を率いて起こしたクーデター未遂事件)に際して、2月29日8時48分から戒厳司令官・香椎(かしい)浩平中将の名で、下士官兵に向けて、NHKで繰り返しローカル放送されたものです。

書いた人の立場がどうあれ、また実際は誰が書いたのであれ、この文章には格調がある。アナウンサーの声を通した当日のラジオ放送(の録音)を聞くと語り掛ける言葉が生きています。

「兵に告ぐ」

「敕命が發せられたのである。
既に天皇陛下の御命令が發せられたのである。
お前達は上官の命令を正しいものと信じて絶對服從を
して、誠心誠意活動して來たのであろうが、
既に天皇陛下の御命令によって
お前達は皆原隊に復歸せよと仰せられたのである。
此上お前達が飽くまでも抵抗したならば、それは
敕命に反抗することとなり逆賊とならなければなら
ない。
正しいことをしてゐると信じてゐたのに、それが間違って
居ったと知ったならば、徒らに今迄の行がゝりや、義理
上からいつまでも反抗的態度をとって
天皇陛下にそむき奉り、逆賊としての汚名を
永久に受ける樣なことがあってはならない。
今からでも決して遲くはないから
直ちに抵抗をやめて軍旗の下に復歸する樣に
せよ。
そうしたら今迄の罪も許されるのである。
お前達の父兄は勿論のこと、国民全体もそれを
心から祈ってゐるのである。
速かに現在の位置を棄てゝ歸って來い。」

同じ年(1936年)の8月12日、ベルリン・オリンピックで、女子200メートル平泳ぎの実況が短波放送で日本に流れました。

「つづいて女子二百米平泳、前畑嬢が白い帽子、白いガウンで現れました、あと二、三分でスタートします、どうぞ時間が来ても切らないで下さい」で始まる「前畑頑張れ!」という、もはや詩を謳うに近かった実況放送でも言葉が躍っています。

「・・・・・あと25、あと25、あと25。わずかにリード、わずかにリード。わずかにリード。前畑、前畑頑張れ、頑張れ、頑張れ。ゲネンゲルが出てきます。ゲネンゲルが出ています。頑張れ、頑張れ、頑張れ頑張れ。頑張れ、頑張れ、頑張れ頑張れ。前畑、前畑リード、前畑リード、前畑リードしております。前畑リード、前畑頑張れ、前畑頑張れ、前、前っ、リード、リード。あと5メーター、あと5メーター、あと5メーター、5メーター、5メーター、前っ、前畑リード。勝った勝った勝った、勝った勝った。勝った。前畑勝った、勝った勝った、勝った。勝った勝った。前畑勝った、前畑勝った。前畑勝った。前畑勝ちました。前畑勝ちました。前畑勝ちました。前畑勝ちました。前畑勝ちました。前畑の優勝です。前畑優勝です・・・・・」

それから、5年後の1941年(昭和16年)12月9日。「帝国の対米英宣戦」と題する、太平洋戦争開始の翌日の某新聞の社説から一部を引用します。上の二つと並べてみると、その社説は大袈裟な漢語の寄せ集めで言葉が生きていません。

「宣戦の大詔ここに渙発され、一億国民の向うところは厳として定まったのである。わが陸海の精鋭はすでに勇躍して起ち、太平洋は一瞬にして相貌を変えたのである。・・・・・すなわち、帝国不動の国策たる支那事変の完遂と東亜共栄圏確立の大業は、もはや米国を主軸とする一連の反日敵性勢力を、東亜の全域から駆逐するにあらざれば、到底その達成を望み得ざる最後の段階に到達し・・・・・事ここに到って、帝国の自存を全うするため、ここに決然として起たざるを得ず、一億を打って一丸とした総力を挙げて、勝利のための戦いを戦い抜かねばならないのである。いま宣戦の大詔を拝し、恐懼感激に堪えざるとともに、粛然として満身の血のふるえるを禁じ得ないのである。一億同胞、戦線に立つものも、銃後を守るものも、一身一命を捧げて決死報国の大義に殉じ、もって宸襟を安んじ奉るとともに、光輝ある歴史の前に恥じることなきを期せねばならないのである。」

この格調の差はどこから来るのか。「兵に告ぐ」が「下士官『兵』」に呼びかけており、「前畑頑張れ!」が前畑選手とラジオの前の人たちに向かって呼びかけているのに対して、「社説」は国民に語りかける体裁を整えながら実際は当時の内閣の顔色をうかがった文章になっています。その差です。

この社説が書かれてから80年近く経過しましたが、真摯な言葉で人々に語りかけるごく一部の政治家を除いて、この種の生きていない言葉を連ねた文章や発言は相変わらず国会にもマスメディアにも溢れています。しかしそれを生きた言葉と勘違いしてしまう(あるいは仕事のために勘違いしたフリをする)人たちも少なくなさそうです。


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2020年1月 7日 (火)

鴎外の「渋江抽斎」、雑感

小説家であり随筆家であった石川淳の「鴎外覚書」というエッセイは次のように始まります。

《「抽斎」と「霞亭」といづれを取るかといへば、どうでもよい質問のごとくであらう。だが、わたしは無意味なことはいはないつもりである。この二篇を措いて鷗外にはもっと傑作があると思ってゐるやうなひとびとを、わたしは信用しない。「雁」などは児戯に類する。「山椒大夫」に至っては俗臭芬芬たる駄作である。「百物語」の妙といへども、これを捨てて惜しまない。詩歌翻訳の評判ならば、別席の閑談にゆだねよう。》

傑作であるところの「抽斎」とは「渋江抽斎(しぶえちゅうさい)」というタイトルの小説(伝記物語風の小説)のことで、もうひとつの傑作の「霞亭」は「抽斎」と同じ方法で「北條霞亭(ほうじょうかてい)」について書いた小説です。渋江抽斎も北條霞亭もともに江戸時代の地味な医学者です。

鴎外の作品は、一度は読んでみたもののその後読み返すことのない作品として、あるいは読もうと思っていても途中で止めてしまって、しかし処分するのは抵抗があるので本棚の隅で古い文庫本の形でいまだに眠っているのが多い、今は、鴎外のたいていの有名作品は無料の電子書籍で手に入るにしても。

今回、紙媒体の「渋江抽斎」を購入して読んでみることにしました。手元の文庫本で本文が330ページくらいの長編です。

導入部から「武艦(ぶかん)」(江戸時代に諸大名・旗本の氏名・禄高・系図・居城・家紋や主な臣下の氏名などを記した本。毎年改訂して出版された。)やその他の書物を手掛かりにした人物探求物語が推理小説の味わいで展開されるので、読み始めから引き込まれてしまいます。

しかし退屈な叙述も多く、いくつかの章を「文章読本」の見本にするのにはいいとしても、文章読本風が連続すると、書いている本人はそうでないにして、この作品をまとまった物語として読む側はいささかうんざりしてしまいます。もっとも、この作品はもともとは新聞の連載小説だったそうなので、発表当時の読者は一日分の量が決っているので、筋にそれなりの緩急がなくても退屈しなかったのかもしれません。

新聞小説なので構想はあったとしても最初から全体が決っていたのではなさそうな印象です。前の章で書き忘れたので今回の章で補足するといった感じのものがいくつかあるし、長編小説によくあるように(そう聞いている)、当初は、それほど動き出すとは思っていなかった登場人物が書いている途中から作者の手を離れて勝手に自由に動き出し、作者は彼や彼女の動きに応じて別の新しい章を次々と用意して書き続けたといった雰囲気も漂っています。

「渋江抽斎」の章構成は「その一」で始まり「その百十九」で終わりますが、抽斎はその中間あたりの「その五十三」において伝染病で没してしまいます。だから全般的な内容をタイトルに表示するには「渋江抽斎」ではなく「渋江抽斎と渋江家の人々」ないしは「渋江家の人々」とするほうが合っています。

長編小説では登場人物が作者の手を離れて勝手に自由に動き始めることがあるとして、「渋江抽斎」におけるその一人が抽斎の四人目の妻「五百(いお)」で、もう一人は抽斎の四女(で、五百の生んだ娘でもあるところ)の「陸(くが)」です(と、思われる)。この二人は行動する女性で(五百は積極的に、陸は流されながら控えめに)、それぞれの行動が印象的です。たとえばそのひとつが、五百の場合は抽斎との結婚の仕方に関して、陸の場合は個人的な商いに関して(なお、この作品で「五百」が初めて登場するのは「その二」、「陸(くが)」は「その三十五」です)。

結婚に関する四人目の妻「五百(いお)」の行動をいくつか抜き書きすると、

「(抽斎の)新しい身分のために生ずる費用は、これを以て償うことは出来なかった。謁見の年には、当時の抽斎の妻(さい)山内氏(やまのうちうじ)五百(いお)が、衣類や装飾品を売って費用に充てたそうである。五百は徳(とく、三人目の妻)が亡くなった後に抽斎の納れた四人目の妻である。」(その二)

「そして徳(とく)の亡くなった跡へ山内氏五百(いお)が来ることになった。」(その三十)

「五百の抽斎に嫁した時、婚を求めたのは抽斎であるが、この間に或秘密が包蔵せられていたそうである。それは抽斎をして婚を求むるに至らしめたのは、阿部家の医師石川貞白(いしかわていはく)が勧めたので、石川貞白をして勧めしめたのは、五百自己であったというのである。」(その百六)

「壻に擬せられている番頭某と五百となら、旁(はた)から見ても好配偶である。五百は二十九歳であるが、打見には二十四、五にしか見えなかった。それに抽斎はもう四十歳に満ちている。貞白は五百の意のある所を解するに苦んだ。・・・・・貞白は実に五百の深慮遠謀に驚いた。五百の兄栄次郎も、姉安(やす)の夫宗右衛門も、聖堂に学んだ男である。もし五百が尋常の商人を夫としたら、五百の意志は山内氏にも長尾氏にも軽んぜられるであろう。これに反して五百が抽斎の妻となると栄次郎も宗右衛門も五百の前に項(うなじ)を屈せなくてはならない。・・・・・五百は潔くこの家を去って渋江氏に適(い)き、しかもその渋江氏の力を藉(か)りて、この家の上に監督を加えようとするのである。」(その百七)

個人的な商いに関する四女「陸(くが)」の行動を引用すると、

「陸が始て長唄の手ほどきをしてもらった師匠は日本橋馬喰町の二世杵屋勝三郎で、馬場の鬼勝と称せられた名人である。これは嘉永三年陸が僅に四歳になった時だというから、まだ小柳町の大工の棟梁新八の家へ里子に遣られていて、そこから稽古に通ったことであろう。母五百も声が好かったが、陸はそれに似た美声だといって、勝三郎が褒めた。節も好く記えた。三味線は「宵は待ち」を弾く時、早く既に自ら調子を合せることが出来、めりやす「黒髪」位に至ると、師匠に連れられて、所々の大浚(おおざらえ)に往った。」(その百十二)

「さて稲葉の未亡人のいうには、若いものが坐食していては悪い、心安い砂糖問屋(さとうどいや)があるから、砂糖店を出したが好かろう、医者の家に生れて、陸は秤目(はかりめ)を知っているから丁度好いということであった。砂糖店は開かれた。そして繁昌した。品も好く、秤(はかり)も好いと評判せられて、客は遠方から来た。汁粉屋が買いに来る。煮締屋(にしめや)が買いに来る。小松川あたりからわざわざ来るものさえあった。」(その百十三)

「この砂糖店は幸か不幸か、繁昌の最中に閉じられて、陸は世間の同情に酬いることを得なかった。家族関係の上に除きがたい障礙が生じたためである。商業を廃して間暇を得た陸の許へ、稲葉の未亡人は遊びに来て、談は偶(たまたま)長唄の事に及んだ。長唄は未亡人がかつて稽古したことがある。陸には飯よりも好(すき)な道である。一しょに浚(さら)って見ようではないかということになった。いまだ一段を終らぬに、世話好の未亡人は驚歎しつつこういった。『あなたは素人じゃないではありませんか。是非師匠におなりなさい。わたしが一番に弟子入をします。』」(その百十三)

「渋江抽斎」の登場人物について大雑把に言えば、男性は彼の経歴や仕事をやや細かい履歴書や業務経歴書風になぞることでその人物の内側に入っていき、その結果彼の性格や心の在りようが簡潔で抑制された文体から滲み出てきます。

一方女性は、女性も同じ手法で描くのですが、武家的な躾けやたしなみが身に着いた鴎外が気になるタイプの女性への入り込み方が男性よりは少し深いようです。滲み出るものもその分色濃くなります。男性の描写が意識的なモノクロ写真風だとすると女性の描写は自然なカラー写真です。

全般的に言えることは、作者の登場人物を見る眼が、この物語の主要人物に対しても付き合いにくい人物や風景の中を一瞬だけ横切る人たちに対しても穏やかで温かいことです。世界を突き放さないという意味において嫌な奴でもそのまま受け入れる。そういう後味の良さが残ります。

今回退屈なところや冗長な部分は斜め読みをしたので、次回はそういう部分と気になるあたりや印象的だった箇所を、飾りを排除した文体を改めて味わいながらゆっくりと読み直してみてもいいかもしれません。そういう場合は、基本的にシークエンシャルな進みの電子書籍ではなく、また読みたいところに気儘にパラパラと跳んで行ける紙の本が向いています。


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2019年10月10日 (木)

あまり好きではないけれど役に立つこともある言葉

昨日ラグビーについて、ワールドカップでメディアに乗せられてミーハーをしていると書いたついでに、またラグビーに(おそらく)関連したことについて触れてみます。
 
ぼくがあまり好きでない言葉がいくつかあって、その中の二つがラグビー関連用語というふうに聞き及んでいる「one for all, all for one」と「no side」です。「好きでない言葉」と言いましたが「それを聞くと眉に唾を付けたくなるような言葉」と言い換えてもかまいません。
 
「one for all, all for one」と「no side」は、それを称賛するかたは多くても嫌いだという人はとても少ないし珍しいようです。
 
価値観を共有している比較的小さなクローズド・サークルでそれらが使われている場合にはそれはまっとうな考え方なので、ある場面でその使用者にいろいろと利害の思惑があったとしても、それは駆け引きという景色の中のひとつの彩りなので、「one for all, all for one」と「no side」についてそれをわざわざ好きだとか嫌いだとか言う必要はありません。
 
しかし、そういうクローズド・サークルを離れた場合は、「one for all, all for one」や「no side」というのは、為政者とか経営者といった立場の人にとってはけっこう使い勝手のいい便利な言葉と化します。普段は心の奥では決してそんな風に思っていない人が、多数を前にした際のスピーチでその言葉をある意図をもって使うのを何度か目にしてきました。そういう立場だとそういう言葉を一度くらいは使ってみたくなるというのはよくわかります。
 
その美しい変形が「And so, my fellow Americans: ask not what your country can do for you--ask what you can do for your country. My fellow citizens of the world: ask not what America will do for you, but what together we can do for the freedom of man.」(ジョン・F・ケネディ 大統領就任演説 1961年)で、その後にベトナム戦争が続きました。
 
そういうことを考えると、「one for all, all for one」や「no side」というこの二つの表現は聞く側にとっても便利で有益な言葉です。それを口にする人のその時の表情や文脈やニュアンスによってその人の実際の思想や隠れた品性を判断する試験紙の役割を果たしてくれるだろうからです。


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2019年9月 6日 (金)

「秋刀魚」という表記

「秋刀魚」という漢字の組み合わせで「サンマ」という秋の魚を表現するのは、「鯛(たい)」や「鰆(さわら)」という魚偏の表記法とは違って字の組み合わせに動きがあって、同時に絵画的です。それ以外の説得力のある漢字の組み合わせはちょっと思いつかない。
 
「秋刀魚」が使われ始めたのは、佐藤春夫の「秋刀魚の歌」が発表されてからだそうです。それ以来、人口に膾炙(かいしゃ)した。「秋刀魚の歌」は『我が一九二二年』(ここでは青空文庫を参照)という大正12年(1923年)に出版された本に入っています。最初の数行を以下に引用します。
 
秋刀魚の歌
 
あはれ
秋風よ
情(こころ)あらば伝へてよ
――男ありて
今日の夕餉(ゆふげ)に ひとり
さんまを食(くら)ひて
思ひにふける と。
 
「タチウオ」という、小骨の多い白身の魚は「太刀魚」ないし「刀魚」と書きます。姿かたちが「太刀(タチ)」に似ているからです。銀色の身体で怖い顔と歯並びをしていますが、とても美味しい。
 
サンマも姿かたちが「太刀」です。「タチウオ」が長刀なら「サンマ」は短刀で、確かに「秋」に獲れる「刀」の形をした「魚」です。
 
現在、魚売り場に出回っているサンマは迫力のない短刀ですが、そのうち、「口先が黄色くて」「目の周りが透明に澄んでいて」「背がつやつやと青黒くて」「腹が銀白色に輝いて」そして「全身に張りのある脂ののったずんぐり体形」のサンマが出てきたら、もはやただの「短刀」ではなく「鎧通し」(武士が戦場で組打ちに使った短刀)です。そのうち根室で獲れた鎧通しが売り場に並ぶでしょう。
 


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2019年8月23日 (金)

短編の集まりとして読むと味わい深い「無為で閑適な生活」小説

吉田健一の小説は、単行本や文庫本のページ数が二百ページくらいの、四百字詰め原稿用紙だと三百枚くらいの日本における一般的な分類上は長編小説になるもの(たとえば「金沢」や「絵空ごと」など)も、登場人物やストーリーがお互いになんとなく関連しているようなしていないようないくつかの短編の集まりとして読んだ方が、話の筋の展開を気にする必要もなくてその分個々が味わい深いかもしれません。

たとえば「4」(第四章とは表記されていないことが多い)を開いて読み始めて、そのまま物語の展開に入っていって気が付けば「4」の終りになっていたら、そこで止めてもかまいません。「3」や「1」に戻る必要は必ずしもない。彼の小説はエッセイみたいなもので、わくわくするようなストーリーがあるのではないので、そういう読み方で差し支えありません。長編小説は短編小説集です。あるいは複数の物語風エッセイで構成されるエッセイ集とも言えます。

吉田健一が、実際になかばそういう世界に住んでいて、そしてその連続や拡がりを小説の中でも目指していたのは「無為な生活」あるいは「閑適な生活」だったようです。

それがどういう生活かというと、「実際に一つの、或は幾つかの職業に携わっていても或はいなくても外見には閑人であること、或は少なくとも何をやっているのか解らない人間であることが大切だった。・・・如何にも役人らしい役人だとか画家らしい画家だとかいうのが日本、それも今の日本人に限られた現象で、それ以外の場所で職業が顔に書いてある人間などというものは先ずないことだった」(「絵空ごと」)、そういう生活です。知の水準の高い「高等遊民」の生活とも言えるので、そういう「無為な生活」についてのおしゃべりに拒否反応を起こす人たちも少なくないかもしれません。

しかし、そういう生活を描いた彼の幻想的な小説やエッセイにおいて特徴的なことは、自然と人間の間に境がないということ、そして過去と現在が連続して一体化しているということです。こういう世界はすでにどこかで描かれているようであまり描かれていない。

時間(過去と現在の連続)に関して言えば、たとえば「現在の領分が過去まで拡つてゐるのが、我々が生きてゐるといふことなのではないだらうか。それならば、男は生きてゐた」(「逃げる話」)という具合です。

人と自然が地続きであることについては、「誰も行ったことがない海に誰か行っても海はいやがりはしないんですよ、人間を見て人間に姿を見せるのも自然がすることのうちなんですからね。」(「金沢」)

それから、人と自然が地続きであることと過去と現在が連続していることの両方について言えば「『貴方が私には見えてこうして二人で日が差している川の傍らにいてこれが過去でも現在でもなくてその両方であることがこれが現在である証拠なんですから。』そうすると相手が又椀に川の水を汲んで内山の前に置いた。」(「金沢」)といった按配です。同じような表現、似たような描写が彼のそれ以外の作品にしばしば登場します。

以下は老子と荘子からの引用です。

『道のいうべきは、常の道にあらず。名の名づくべきは、常の名にあらず。名無きは、天地の始めにして、名有るは、万物の母なり。・・・玄のまた玄、衆妙の門なり。』(老子)

『むかし、荘周は夢に胡蝶(こちょう)となる。栩栩然(くくぜん:ふわふわするさま)として胡蝶なり。・・・知らず、周の夢に胡蝶となるか、胡蝶の夢に周となるかを。』(荘子)

この二つを混ぜ合わせて頭の中でぼんやりとした出発点とし、その出発点のイメージを現代の(たとえば日本の昭和という時代の)流れと風景の中で、吉田健一流の同語反復の多いくねくねした文体と時間感覚で小説風に膨らませると、自然と人間が地続きになり過去と現在が一体化した「金沢」のような幻想的な作品が出来上がります。

そういう作品の欠点は、読む側がバタバタしているときには楽しめないことです。だから、長い小説が短編の集まり風というのは結構ありがたい。

 

  

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2019年8月16日 (金)

台風レポーターが現場で静かになる時

札幌でも、今朝は5時過ぎからけっこう強い雨が降り始めました。風もあるし午後は強くなるという予報なので、ルッコラやバジルや青紫蘇はプランターと鉢植えを壁際に寄せて保護してやります。

台風10号の報道を見ていると、いつものことですが、現場のレポーターというのは、その場のリアルタイム映像が視聴者に同時に届いているにもかかわらず、現場の状況を視聴者に大げさに伝えたがるもののようです。全般的な気象庁の予報や警告や勧告内容と現場の様子の間に乖離があると、現実の姿があるべき現実でないのでおかしいというような口調にさえなります。

だから台風の目というか今回のようなとても大きな台風の大きな空洞的な中心に入った地域では、陽が差し波風もほとんどないような状況で、視聴者は、そこに知り合いや親戚がいる場合は、風雨の激しい大型台風というような一般描写ではなく、その場の正確な様子を(数時間前からの推移を含めて)伝えてほしいのに、そういう穏やかな場所でも雨が横殴りに降り風が飛び荒れているというふうにしゃべりたくてしかたがないみたいです。そうでないと自分が心地よい興奮状態になれないので仕事をしている感じがしないのでしょうか。

天気についての現場レポーターはたいていは饒舌で(レポートが仕事なのでそうでないと務まらないとしても)、それも住民への危険性が高い方向に傾いた饒舌がお好きなようです(あるいは、より安全性を重視する方向に傾いた饒舌が好みとも言えますが、しばしば「狼が出るぞ」口調になるようです)。気象庁の予報や観測と異なるローカルな個別事象がそこにあるならできるだけ見た儘を正確に伝えてほしいと思います。

視聴者はそれほどぼんやりとしているのではなくて、「雨雲の動き(高解像度降水ナウキャスト)」のような、1時間前の実際の雨雲の状態から1時間後の雨雲の状態まで、5分ごとの降水強度分布を、250メートルのメッシュ単位で報告・予測する気象庁のウェブサービスも参照しながらレポーターの報告を聞いています。

だからそういうレポーターが冗漫なおしゃべりをしている間はレポーターがいるあたりの地域の危険性のレベルは低いとも言えます。なぜなら、ほんとうにひどい状況、つまりレポーター自身が一瞬でも身の危険を感じるような状況に接すると、そのレポーターから饒舌が消え寡黙とは言わないまでも慎重な口調のレポーターへと変身するからです。そして状況をできるだけ「ケレン味」を排除して客観的になぞろうと努め始めます。そういう場面(というか人的な現象)を今回もテレビ画面上で観察しました。そういう場合は、レポーターの言葉と映像情報が一致しており、視聴者もレポーターの言葉に対してしっかりと聞く耳を持ち始めます。

【註】「雨雲の動き(高解像度降水ナウキャスト)」とは 気象庁が提供している、気象レーダーの観測データを利用した、250m解像度で降水の短時間予報ですが、詳しくは「高解像度降水ナウキャストとは」を参照。

札幌管区気象台では、学校が夏休みに入った7月下旬のある金曜日の夕方から夜にかけて、一日だけですが、オープンキャンパス風の気象台見学会を開いています。施設のさしつかえない主要部分を市民は自由に見学できます。職員とも気象台の仕事や天気予報について自由に会話ができる。立ち入りが許可された区域では写真撮影も大丈夫です。気象台活動のプロモーションが目的ですが、そういう機会がないと内供の様子がわからないので、都合が合えば参加するようにしています。いろいろと質問もさせていただきます。

下の写真は、その時(2016年7月22日)の2枚。時刻は午後7時。夜勤の担当者が仕事中です。株や債券のトレーディングルームではありません。

2016722-a

2016722-b

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2019年8月 6日 (火)

悪文と句読点

悪文雑感」の続きです。

今は文章は、文学も実用文も、古典も現代文も、紙に印刷された活字やそれの電子版であるところのIT端末の画面上の活字を通して読みますが、文章中の句点(。)や読点(、)が必須です。

しかし、奈良、平安の昔から江戸を経て明治中期くらいの日本の文学や記録文には読点や句点が原則としてありませんでした。句点(。)と読点(、)の総称である句読点は、明治以降に西洋の文章のピリオド(,)やカンマ(.)の代用として使い始めたもので、それ以前の日本にはそういうものは存在していませんでした。この伝統は今でも手書きの手紙や葉書に活きていて、そういう媒体では句読点はかえって煩わしい。

教科書に出てくるおなじみの文章例で、たとえば「枕草子/第一段」だと、今は(横書きに直すと)次のように表記されています(小学館 日本古典文学全集)。

 『春はあけぼの。やうやうしろくなりゆく山ぎは、少しあかりて、紫だちたる雲のほそくたなびきたる。
 夏は夜。以下略。
 秋は夕暮。以下略。
 冬はつとめて。雪の降ふりたるは言ふべきにもあらず。霜などのいと白く、またさらでもいと寒きに、火などをいそぎおこして、炭持てわたるも、いとつきづきし。昼になりて、ぬるくゆるびもて行けば、炭櫃、火桶の火も、白き灰がちになりぬるはわろし。』

しかし、以前は、句読点のない状態なので、以下のようでした。

『春はあけぼのやうやうしろくなりゆく山ぎは少しあかりて紫だちたる雲のほそくたなびきたる夏は夜月のころはさらなりやみもなほ螢飛びちがひたる雨などの降るさへをかし秋は夕暮夕日花やかにさして山ぎはいと近くなりたるに烏のねどころへ行くとて三つ四つ二つなど飛び行くさへあはれなりまして雁などのつらねたるがいと小さく見ゆるいとをかし日入り果てて風の音虫の音など冬はつとめて雪の降ふりたるは言ふべきにもあらず霜などのいと白くまたさらでもいと寒きに火などをいそぎおこして炭持てわたるもいとつきづきし昼になりてぬるくゆるびもて行けば炭櫃火桶の火も白き灰がちになりぬるはわろし』

わかりやすい景色や情景の描写ですが、初めての文章だと、やはり読みにくい。

しかし、これが、筆で書かれたものだと、文字の大きさや文字の勢い、文字の切れ目や墨の濃淡、そして改行などが句読点の役割を果たしていたので、句読点というものがなかったとしても(明治半ばくらいまでの人たちは)読みづらいということはなかったと思います。句読点を使わなかったということはその必要がなかったということです。

吉田健一という1977年に鬼籍に入った評論家・作家がいます。小説も評論もジャンルにかかわらずすべてがエッセイ風の趣きと言ってもいいのですが、彼の文体は句読点の使い方に独特のものがあります。

松岡正剛は吉田健一の文体を「いつも句読点が動く文体」と評しました。文体に応じて「その文体がほしがる句読点を打った」ということですが、吉田のたいていの作品は、文体と句読点に個性があり過ぎるので、普通は、それほど読みやすくはありません。

しかし、彼の文章を読みやすいと感じる読者にとっては、彼の文章は「作者の頭に生まれた言葉の流れをただ文章にしたもの」(倉橋由美子)なので、読みやすいとなります。

しかし、「作者の頭に生まれた言葉の流れをただ文章にしたもの」とは、いったんその時の意識の流れを文字に定着したあとでその文字列が必ずしも再構成されずに文章化されてしまうということも含まれるので、読者の頭の中の句読点が作者の頭の中の句読点と同調しない場合には、作者の文章はだらだらと落ち着きの悪い悪文、同じところを読み直さないと意味のとれない晦渋な文体、そして意味不明なところが残る悪文、ということになりそうです。

ある言葉で世界をなぞるということは、その言葉以外の言葉を使わないということによってある枠や方向に世界を切り取るということですが、句読点もそういう意味では同じ働きを持っています。吉田健一の文体と句読点は独特なので、彼が世界を区分する仕方に違和感や鬱陶しさを覚えると、彼の文章はだらだらと読みにくい悪文と化します。

そういう例(ただし控えめな例)を下に二つ引いてみます。

 『・・・別にそれを見てこれから一日が始まろうとしている気配を感じるのでもなければ前の日にあったことの結果で今日することになることを思い浮かべるのでもなくてただ眠気が去って朝になり、ものが自然の光で見えて来て体も一日の間覚めているのに堪える状態に戻っている朝というものがもの心が付いたその日からのことであっても、或はそのこともあって懐かしかった。』(「本当のような話」)

 『併しその碑がロッピアが作ったものであるということがあり得なければその作の精巧な模写で、それを見ていて思いがその紺と白が新鮮なものに感じられながら普通でもある場所に向かわざるを得ず、それは金沢に、又金沢のその店に自分がいなくなるのではなくて他所である筈のことが自分がいる場所を豊かにした。』(「金沢」)

一方、作者の息遣いや思考プロセスと読者のそれが重なっている場合は、つまりその文章における作者の句読点感覚と読者の句読点感性が重なっている場合は、急に立ち止まり、先ほどの近所を今度は歩幅を変えて歩き、あるいは意想外の場所に飛んで行って気が付けば元の場所に戻っていたというふうな癖のある文体が作る世界を賞味できます。

「時間」というエッセイの書き出し部分を引用します。「枕草子/第一段」のように冬と春が出てきます。行替えはありません。

『冬の朝が晴れていれば起きて木の枝の枯れ葉が朝日という水のように流れるものに洗われているのを見ているうちに時間がたって行く。どの位の時間がたつかというのではなくてただ確実にたって行くので長いのでも短いのでもなくてそれが時間というものなのである。それをのどかと見るならばのどかなのは春に限らなくて春は寧ろ樹液の匂いのように騒々しい。そして騒々しいというのはその印象があるうちは時間がたつのに気付かずにいることで逆に時間の観念が失われているから騒々しい感じがするのだとも考えられる。・・・・』(「時間」)

 

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2019年7月 4日 (木)

札幌の「東山魁夷 唐招提寺御影堂障壁画展」のことなど

北海道立近代美術館で開催されている「東山魁夷 唐招提寺御影堂障壁画展」に行ってきました。東山魁夷が描いた唐招提寺御影堂のふすま絵や障壁画を目にするのは20年ぶりです。

今から20年前、1999年(平成11年)4月に「鑑真和上像里帰り二十周年展」が唐招提寺であり、その9日間は、開山忌(6月5日から7日)以外では開扉されない御影堂の中に立ち入りが許されるので、魁夷の絵をそれが実際に使われている部屋で拝見したいと思い、配偶者と出かけました。

今回の「障壁画展」は御影堂の実際の環境に近いものでしたが、そっくりに部屋を作るわけにはいきません。つまり美術品鑑賞用の造り、レイアウトです。しかし、いい空気感が漂っていました。

札幌で開催されるこういう絵画展や美術展のいいところは混雑しないことです。じっくりと絵と向き合えます。同じものが東京で開催されるとそうはいかない。おそらく普通の時間帯では人が多すぎて身動きがとれない。

数年以上前のことですが、空海の「聾瞽指帰(ろうこしいき)」上巻巻頭(書き出し部分)の強い書体を、同じ美術館の空海展だったか(あるいは別の名前のものだったか)で、ゆっくりと観賞することができました。

「空海」の書、たとえば、「風信帖(ふうしんじょう)」(空海が最澄に宛てた書状)や、上述の「聾瞽指帰(ろうこしいき)」(空海が20歳代前半に書いた比較宗教論)などと直に向き合いたいと思ったら、それが保管されている場所に時期を選んで出かけていくしかありません。だから、かつて、空海の「風信帖」に会うために東寺に、それから、「聾瞽指帰」に会うために高野山に、それぞれ足を運んだのですが、時にも恵まれたのか、ほとんど一人占め状態でゆっくりとそれらを拝見(拝読というより拝見)することができました。しかし、同じ書に、旅をせずに札幌のゆったりとした施設で出会えるというのは、それはそれでありがたいことです。

ここでは蛇足になりますが、その「風信帖」に関して、以前のブログ記事(「頌(じゅ)と文字」)に次のように書いたことがあります。

<「風信帖」と呼ばれている手紙は空海から最澄への返書ですが、後年の二人の確執の強い香りがすでに濃厚に漂っています。この手紙の書かれた背景を説明すると、配偶者はこの返信のことを、空海から最澄への「あっかんべー手紙」と形容しました。そういう気分の時の方が緊張しながらも筆が自在に走って、心や存在のありさまが文字の動きに見事に凝縮されるというのは、空海らしいといえば空海らしいのかもしれません。>

Wiki

                    空海「風信帖」(Wikipediaより引用)

札幌で開催される展示会や展覧会のあまりよくないところは、催し物によっては、作者のもっともいいものの集合ではなくそのサブセットにしか出会えない場合があることです。

先日、次のような記事が目に入りました。

「44年ぶりに発見。鏑木清方の名作《築地明石町》など3作品を東京国立近代美術館が新収蔵、公開へ ・・・ 竹橋の東京国立近代美術館は、近代日本画の巨匠・鏑木清方の幻の作品とされてきた3作品を新たに収蔵。11月1日より特別公開すると発表した。」

これらは特別公開の後は国立近代の常設になると思いますが、その三作品が常にそろって展示されているかどうかは保証の限りではありません。これは、頑張って日帰りで出かけていくしかなさそうです。

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2019年6月20日 (木)

悪文雑感

「悪文」(あくぶん)の意味を、一般的な国語辞典で調べてみると、「へたな文章。文脈が混乱して、わかりにくく誤解されるような文章」(広辞苑)をはじめ、他の辞書でも「へたでわかりにくい文章。文脈が混乱して、まとまりのない文章。」「難解な言葉を使ったり、文脈が乱れていたりして、理解しにくい文。へたな文章。」「へたで、読みにくい文章。文脈が混乱したりして、わかりにくく、意味のとりにくい文章。」と説明されています。

「あの内野手は守備がへた」という場合は、その内野手は捕球がぎこちない、守備範囲が狭い、ボールへの一歩が遅い、打球の方向の予測能力が低い、ときどきトンネルするし、スローイングがピリッとしない、アウトにできるゴロを内野安打にしてしまうなど、そのへたさ加減は観ているだけでよくわかります(たとえば、広島カープで二塁を護る菊池涼介選手と比べると一目瞭然です)。

しかし「あの内野手は守備がへた」というのとは違って、「悪文とはへたな文章のことである」というのは何をもってその文章を「へた」とするのかわかったようでわからない。だからここでは「悪文」とは「わかりにくい文章、意味のとりにくい文章」とします。このほうがわかりやすい。

わかりにくい文章というのは確かにあります。その文章を書いた当人は、その文章を、たとえば、自分の意識の流れや思考の流れや感性の移ろいをそのまま言葉に素直に移し替えたと思っているのかもしれませんが、読む側にとっては難解で、何度読み返しても意味不明で、そんな文章はじつにわかりにくい。魑魅魍魎(ちみもうりょう)に悪戯されている気分になります。

しっかりとした文章を書ける人が悪文を書く簡単な方法のひとつは、相当に酔っぱらった状態でやや抽象的な内容を含む文章を書いてみることです。酔いの勢いに乗って、自分の意識の流れや思考の流れや感性の移ろいをそのまま言葉に移し替えるつもりで書いてみると、書いているときは思考と言葉が一致していると感じていい気分でも、起きて素面になって読み返してみると、文章の流れや完成度をある程度想定していた場合は、気分はけっこう落ち込みます。

酩酊状態の利用が役に立たないというのではありません。ともかく思ったことや頭の中を流れていることをフワッとした気分で乱雑なメモとして書きつけておくという方法ではあるので、そこにはいくぶんかのキーワードやキーコンセプトが整理されないままその他の言葉といっしょに放置されています。これは、あとで手掛かりになります。

以下に、ある作家の作品(小説ということになっていますが、小説ともいえるし、幻想的な雰囲気の随想ともいえる作品)から二つの短い文章を「そのまま」引用してみます。それらが上述の意味で「悪文」かどうか?

『金沢には東京にも戦前にはあったような誰が客になって来るのでやって行けるのか解らない感じがする地下室の人気がなくて明るい西洋料理屋もあった。』

『その骨董屋がその次に内山が金沢に来た時に顔を出して内山はこの男に不義理をしたような気がしたが、それが何故か自分にも解らなくてそれが根拠があることであることも確かでなかったから内山もただそういう気がするだけということで片付ける他なかった。』

サッと読んで内容がサッと頭に入ってくる感じの文章ではありません。酔っ払いが、思いつくままの言葉で状況を説明してくれているようでもあるし、素面(しらふ)の語り手がゆっくりと言葉を選びつつ聞き手に語りかけてくれている風情でもあります。

試みに、オリジナルにはない「読点(、)」をいくつか追加してみると、わかりやすさの様子が少し変わってきます。

『金沢には、東京にも戦前にはあったような、誰が客になって来るのでやって行けるのか解らない感じがする地下室の、人気がなくて明るい西洋料理屋もあった。』(オリジナルに読点を三つ追加)

『その骨董屋がその次に内山が金沢に来た時に顔を出して、内山はこの男に不義理をしたような気がしたが、それが何故か自分にも解らなくて、それが根拠があることであることも確かでなかったから、内山もただそういう気がするだけということで片付ける他なかった。』(オリジナルに読点を三つ追加)

ところで、この作家が、酒や酒宴や酔っ払いや酔っ払い状態について書いたものは、酩酊とは遠く離れた状態で書いたのか、たいていは「わかりやすく意味のとりやすい文章」になっています。変な話ですが、たとえば、

『本当を言うと、酒飲みというのはいつまでも酒が飲んでいたいものなので、終電の時間だから止めるとか、原稿を書かなければならないから止めるなどというのは決して本心ではない。理想は、朝から飲み始めて翌朝まで飲み続けることなのだ、というのが常識で、自分の生活の営みを含めた世界の動きはその間どうなるのかと心配するものがあるならば、世界の動きだの生活の営みはその間止まっていればいいのである。』

という具合です。

文章がわかりやすいとか理解しやすいという美徳(それを美徳と考えて)が、あまり意味を持たない知や感性の世界もあります。わかりにくかろうが意味がとりにくかろうがそういう風に書くしかない、だからそう言葉を連ねた。そういう文章はここでの対象外です。

 

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