環境

2024年5月16日 (木)

最初に雄町を冷やで少々

日本酒は純米酒を燗酒で一合半から二合くらいですが、その前に雄町を冷やで少々味わいます。少々というのはぐい吞み一杯分ということです。

雄町は育成が難しい酒米で、イネとしての背が高いので倒れやすく台風に弱い。雄町が備前雄町というのは、結局のところ台風が来ないか来てもその影響がごく軽微な地域が備前(岡山)で、だから備前は雄町の主要生産地になったと言われています。備前の気候インフラを眺めてみると、瀬戸内なので気候は温暖、河川に恵まれている、そして「晴れの国」と呼ばれるほど日照量が多い。

したがって雄町の生産量の九十パーセント以上が備前です。宜なるかな。だから関東や東北で雄町を使った旨い日本酒を控えめに生産している酒蔵も、原材料の米はそのほとんどが備前産ということになります。雄町は扱いが難しいので杜氏泣かせの酒米と言われていますが、各地の杜氏の酒造りの意欲を相当に刺激するのでしょう。

四国東北部の瀬戸内で暮らし始めてみると、岡山まではJRの特急や高速バスで簡単に行けるので「備前雄町」が地理的にも近しいものになりました。瀬戸内海に浮かぶ小豆島――醤油と佃煮とオリーブオイルが特産品、それから素麺――の向かい側が備前です。


人気ブログランキングへ

| | コメント (0)

2024年4月18日 (木)

レモンの葉に棲み付いたハダニというやっかいな奴

風で地面に落ちているレモンの葉が妙に多くなってきたようなので、どうしたのかと近づいたらクモの糸のようなものがわずかに枝の根元に揺れています。葉に赤い小さい点々があり、薄いゴム手袋をはめた手で葉に触ってみると葉を軽くこすった指のあたりが赤くなりました。

ハダニのようです。家庭菜園だとキュウリなどはハダニがよく棲み付く代表ですが、レモンの葉もハダニにとっては快適な住環境のようです。ハダニは乾燥した埃っぽい環境で繁殖するらしい。雨が少ない間に急に発生し繁殖したようです。空気は埃っぽいとは思わないけれど、中国から黄砂が飛んできたのもあるいは影響しているかもしれない。

モノの本によれば、乾燥した環境の好きなハダニの有効な予防措置は、適切な散水を行いハダニが好む乾燥状態を作らないようにすること、また定期的な剪定を行うことですが、すでにハダニに棲み付かれたレモンをどうするかは別の話です。ハダニが棲み付いた葉は思い切って取り除くしかないみたいです。そうすることでハダニの蔓延を抑えることができる。

というわけで、新芽と出たばかりの柔らかそうな春の新葉以外は葉を全部除去しました。古い葉はすべて、一枚ずつ、捥(も)ぐか鋏で切り取るかして半透明のゴミ袋に入れていきます。時間がかかったのですが――根気のいる作業でした――レモンを救済するにはそうするしかありません。

新芽以外の葉をすっかりと取り払うと、枝という骨格だけになります。そうなると枝ぶりがよくわかるので、今まで気が付かなかった、あるいは気が付いていてもいささか可哀そうな気もしてそのままにして置いた、結局はすっきりとした成長の邪魔になるところの不要枝(逆さ枝や下り枝や徒長枝など)を鋏でバサッと剪定です。ついでに刺さると痛い思いをするところの棘も丁寧にパチンと切り取っておきます。柚子(ユズ)ほどではないにせよレモンの棘もとても痛い。

赤い点々のついた葉とそうなりそうな怪しい葉と不要枝が詰まった半透明のポリ袋は燃えるゴミの日にゴミ捨て場です。

0416
新芽と春の新葉以外の葉をすべて取り除く。レモンの根元のピンクや紫は芝桜。


人気ブログランキングへ

| | コメント (0)

2024年4月 2日 (火)

近所の鳥・獣・虫・魚

三月下旬に印象的だったのは、ゴミ出し場近くの原っぱの十数匹のモンシロチョウと、最初の耕起を終ったばかりの近所の田んぼに集まった数十羽以上の小鳥の群れです。

新しい緑で溢れた原っぱをモンシロチョウが不思議な飛行曲線を描いて飛び続けます。目勘定で十数個の白いのがひらひらと舞っている。途中で休憩するのは柔らかそうな葉にやがて芋虫になるところの卵を産み付けているのでしょう。その作業が終わると愚図な一部を残してどこか次の場所に集団でさっさと移動していきます。

モンシロチョウの芋虫は可愛らしい緑で、顎が特別にしっかりとした図体の大きい色鮮やかなアゲハ蝶の芋虫とは違いますが、ともに柑橘系の植物が好きで、放っておくとそのうちレモンや橙の若い葉が虫食いだらけになる予定です。

耕起の終わった田んぼでは百舌鳥(モズ)によく似た大きさの小鳥――おそらくモズ――が集団で餌を啄んでいます。前夜の豪雨に近い雨のせいで田んぼは水溜まり状態ですが、そういうのは気にならない様子で食事に集中しています。ハクセキレイもその周辺でモズたちの邪魔をしないように土の表面に這い出てぼんやりとしている虫(おそらく)を食べています。足の長い小柄なハクセキレイはそういう作業中もモズと違って決して群れをつくらずせいぜいペアを組むくらいです。独立独歩の精神の小鳥なのでしょう。

蝶々の芋虫をそういう鳥が啄んでくれると嬉しい限りですが、そうはならない。モズはヘリコプターのようにホヴァリングが得意なのでその気になれば狩猟採集は簡単なのに、グルメなのか蝶の芋虫を美味しいとは思わないらしい。


人気ブログランキングへ

 

| | コメント (0)

2024年3月26日 (火)

人工知能化がとても難しいかもしれない身体の場所

動物が植物や他の動物、あるいはその両方を動き回ることによって食べないと生きていけないのに対して、植物は太陽と雨と土(の中の無機物)と空気中の二酸化炭素があれば光合成をしてその場を動かずに独りで生きていけます。そういう違いがある。庭のローズマリーでもタイムでも、あるいは近所の原っぱのスギナやドクダミでも何でもいいのですが、植物はその場を動かずに生長し続けます。

三木成夫の著した「生命形態学序説」を参照すると、植物的な営みとは、「栄養と生殖」を軸としたプロセスであり、動物的な営みとは、「感覚と運動」を軸としたプロセスですが、動物やヒトには、植物的なもの(栄養と生殖にかかわる植物性器官、あるいは内臓系)と動物的なもの(感覚と運動にかかわる動物性器官、あるいは体壁系)の双方の営みが存在します。

動物における植物性(内臓系)器官とは、吸収系(腸管系)と循環系(血管系、その中心が心臓)と排出系(腎菅系)にかかわる器官のことであり――昔からの用語だと「五臓六腑」――、また、動物性(体壁系)器官とは、感覚系(外皮系)と伝達系(神経系、その中心が脳)と運動系(筋肉系)にかかわる器官のことです。そしてヒトは「栄養と生殖」を軸としたプロセスにおける栄養面を、動物にはないところの知能・知性と技術を使って、つまり農業革命や産業革命などを通して、それなりに変化させました――動物から見れば、劇的に。

そういうさまざまな系の中で、カーツワイルの「シンギュラリティは近い」で言及されているような人工知能的な対応がいちばん困難なのは消化・吸収系(腸管系)のなかの腸ではないかと、その本を読みながら、直感的にそう思いました。

胃はそうでないとしても、知性の象徴としての脳やこころの象徴としての心臓と違って、愚鈍だとされていたのが実はとても賢いということがだんだんと解ってきた腸は――それで腸は第二の脳と言われるようになった――人工知能的な対応、つまり人工知能によってそれを置き換えたり、あるいは腸の機能を人工知能で補完したりすることが脳を相手にするよりもよりも難しいかもしれない。

モノの本によれば、腸には一億以上の神経細胞があり、これは脳よりは少ないとしても脊髄や末梢神経系よりも多く、脳とは独立して自らの判断で機能しています。腸は、脳からの指示を待つことなく消化吸収排泄という機能を自律的に遂行している。

腸には迷走神経という太くて大きな神経が埋め込まれています。その神経繊維の90%までが腸から脳へと情報を運んでいることが明らかになってきたそうです。脳は腸からの信号を感情に関するそれとして解釈します。感情を支配するところの脳内神経伝達物質の代表的なものにドーパミン(快感ホルモン)やノルアドレナリン(ストレスホルモン)やセロトニン(幸せホルモン)がありますが、その多くは腸で作られています。

また腸(腸菅関連リンパ組織)には体内の免疫細胞の70%が棲んでおり、免疫細胞は外部から侵入した細菌や食物に混じった毒物をそこで撃退してくれます。脳が唇や舌といっしょに騙されて旨そうだからと口にしてしまったものが実際には危険因子を含んでいた場合は、下痢などの症状を起こして自らそれらを武力排除するわけです。

つまり、腸は相当な以上の智慧と力を持っている。

腹や腑という言葉を使った心理や感情に関する表現は日本語に多くて、「どうも腑に落ちない」「腹に落ちた」「腹が立つ」「腹の虫が治まらない」「腹をくくる」「肚の底から」などいろいろあります。

植物系(内臓系)器官の中核は心臓であり、動物系(体壁系)器官の中心は脳だとして、脳が「知性や知能」なら、心臓は「こころ」です。脳死という状態を死とは言えないとするのは、体壁系の「知性や知能」が機能を停止しても、心臓という内臓系の「こころ」が死んではいない状態を死とは言えないとすることですが、その「知性や知能」と「こころ」の両方をサポートしている控えめなインフラ的存在が腸なのかもしれません――どういう風にそうなのかはわからないとしても、第六感がそう囁きます。なぜなら、「知性や知能」が届かないその先で理解しているのが腑に落ちるということだし、腹をくくると「こころ」も落ち着きます。

腹や腑を使った多くの表現が決して廃語にならないのは、腸に係るわれわれの集合的無意識が、腸の明示的でなかった役割に共鳴し、今までも今もその智慧を後押しし続けているためとも考えられます。だとすると、そういう高度に洗練された場所であるところの腸の非生物的な人工知能化は、あるいは腸の人工知能的なハイブリッド化は簡単ではなさそうです。


人気ブログランキングへ

| | コメント (0)

2024年1月23日 (火)

はじめて「落雪」という表記に出会ったのは札幌

四国東北部の瀬戸内は今回も雪には縁がない模様ですが、天気予報では、今週は全国各地で急に冷え込み、日本海側では大雪の降る地域も少なくないという話です。

大雪の日に限りませんが、雪国や北国では積もった雪が屋根や屋上や樹木の太い枝から急にドサッと落ちてくることがあり当たると危ないので――大きな塊が高いところから頭を直撃すると怪我をする――たとえばビルの入り口付近や人通りの多い建物の外壁付近に「落雪注意」という警告板が立ててあったり貼り付けてあったりします。

下は二枚とも札幌市内中心部で三~四年前に撮影したものです

H_20240122153601
Photo_20240122153701

「落雪」という表現に通りで出会ったのは札幌で暮らし始めた頃で、それまで「落■」という漢字の組み合わせは「落雷」しか頭の中になかったので、ゴルフ場ではあるまいしはてさてなぜビル街で「落雷注意」なのかと訝ったら「『落雷』注意」ではなくて「『落雪』注意」でした。

本などを読んでいる時に寒い季節に関する文脈で「落雪」という言葉に接するのと、まだ雪の降っていないビル街で「落雪」という表記が突然に眼に入ってくるのとでは文字の印象がまったく違います。

瀬戸内では落雷注意というとはあっても落雪注意という事態はまずなさそうです。もっとも、過去数十万年の地球の歴史が十万年ごとに規則的にそうであったように、地球が公転周期に応じて十万年ぶりに寒冷化に舵を切り始めるとなるとその限りではありませんが。


人気ブログランキングへ

 

| | コメント (0)

2023年11月17日 (金)

地球とヒトは、賢明にも、寒冷化を回避中かもしれない

温暖化ガス(二酸化炭素)の排出を人為的に規制できたら地球の温度変化問題はすべて収まるといった極端な議論を耳にすると眉に唾をつけることにしています。ある熱狂があると、それをビジネスに利用する才覚のある人たちが出現します。たとえばある国の副大統領だった人物がプロモートした「不都合な真実」などはそうでしたし、国家間でもそれがいい儲け口になっています。科学者も例外ではなくて、必要ならば、欲しい結論に合うようなモデルを作り、そういう結論に適合的なデータだけを選択的に集める、データを捏造することもある。かつてIPCC第3次報告がその主張の中心に据えたホッケー・スティック曲線と呼ばれたグラフはそういう例です。

寒冷化よりは温暖化の方がいいと考えています。寒冷化への転換時期はできるだけ先に延びてほしいものだと思っています。理由は、寒いのはいろいろな意味でかなわないからです。寒いと農産物の生産量が低下する。農産物が少ないと家畜はエサで苦労する。農産物と畜産物の収穫量が低下すると、ヒトは確実に食糧難に見舞われる。

地球の温度変化の処方箋について極端な主張を耳にするときは、バランスを取るために、以下のような、「地球の過去40万年の相対気温推移グラフ」を参照するようにしています。

40_20231116165001

このグラフの説明を「丸山茂徳氏」(地質学者、元東京工業大学教授)の講演記録(2006年8月)からお借りすると、次のようになります。

『人間が文明を創って、化石燃料をたきCO2を出すようになった時代は、過去300 年前ぐらいからです。このわずかな変化に今ナーバスになっている訳ですが、人間の文明とは無関係に、地球というのはこれぐらい(±4℃)を平気でやっています。』

『今から100万年前、あるいは200万年前くらいから地球の両極に巨大な氷河が発達し始め、ギュンツ、ミンデル、リス、ヴェルムという4回の大きな氷期があり、最後、1万年前にポコンと温かくなって人間はこの間に文明を創った。そういう歴史です。』

『そこまでのことを簡単に要約すると、地球の気候は変化することこそが本質であると言うことが一つです。その温度幅を考えた時、・・・人類の文明以前に非常に大きな温度変化があった。だから現在我々がナーバスになっている1、2℃の変化は驚くべきものでも何でもない。』

この説明を引用ないし参照したブログ記事は今まで何度か書きましたが――「寒冷化よりは、温暖化」(2015年12月)や「寒い6月、温度の上がらない7月上旬」(2019年7月)など――、この分析と考え方を新しい研究成果に基づきもっと前に推し進めたものはないかと探していたら 《中川毅著「人類と気候の10万年史」 2017.03発行》が見つかりました。2017年3月の発行なのでぼくがもっと熱心であればずっと前に出会えたのですが、熱心さが不足していたので出会いは2023年の11月になってしまいました。

そろそろ地球に寒冷化の兆しが見え始めてもおかしくないのに、地球はまだ温暖化の流れの中にあるようだし、夏の暑さもひどくなっているようです。もっとも地球は太陽との関係でちょっと機嫌が悪くなると暑さと寒さの短期の変動幅(振幅)が大きくなるので、これを異常気象とか地球沸騰化と騒ぐのはマスメディアに任せるとして、寒冷化と温暖化の10万年周期をわずかでもゆがめるような何かが起こっているのかもしれない。

下はその「人類と気候の10万年史」から引用したグラフです。最初のグラフと基本的に同じ内容です。なお、これ以降のグラフや図はすべて「人類と気候の10万年史」からの引用です。

16-80

説明を同著からお借りします。

《温暖期と温暖期の間隔がおよそ10万年であることには意味がある。本書で何度も強調した、あのミランコビッチ・サイクルである。地球の公転軌道は、10万年の時間をかけて真円に近づいたり楕円になったりしている。公転軌道がわずかに細長いとき、世界は一様に温暖だった。いっぽう公転軌道が真円に近くなると、世界は氷期に突入した。水月湖(すいげつこ)の堆積物は、この大きなサイクルをみごとに記録していた。》

【註】水月湖: 福井県にあるこの湖の底には、7万年以上の歳月をかけて奇跡的にきれいに積み重なった「年縞(ねんこう)」と呼ばれる縞模様があり。この年縞は考古学や地質学における年代測定の「世界標準ものさし」として採用されている。

17

その10万年周期の気候変動に、地軸の向きの違い(地軸の傾き)による歳差運動が引き起こす気候変動――暑い夏ととても暑い夏、寒い冬ととても寒い冬の循環を、温暖化の途上であるいは寒冷化のプロセスで、2万3000年ごとに繰り返す――が加わります。

《もっと細かい変動はどうだろう。明らかに目に付くのは、氷期に向けて寒冷化が徐々に進行していく過程で、平均気温がリズミカルに振動している様子である。振動の周期は2万3000年だった。2万3000年といえばミランコビッチ・サイクルの歳差運動周期であり、水月湖ではスギの消長がこのサイクルに同期している。歳差運動が気候に与える影響は大きく、温度の振幅は最大で7℃に達する。》

62-15

ところで、「本来」なら地球の公転運動(従って公転軌道の楕円→真円→楕円の推移)は10万年で変わらないので10万年周期の気候変動が継続するはずが、つまり世界は寒冷化し始めているはずなのがそうなっていません。現在の温暖化が例外的に長く続いています。ここで長くというのは最近の数千年の時間幅のことで、産業革命以降の二百年のことではありません。

63

「人類と気候の10万年史」からその事情についての説明をお借りします。

《そんな中でバージニア大学のウィリアム・ラジマン教授は、最近の数千年に限っては、いわゆる温室効果ガスの濃度に異常が見られることに注目した。・・・(中略)・・・じっさいに分析を行った結果、主要な温室効果ガスであるメタンと二酸化炭素の濃度の変動パターンはいずれも、過去何十万年にもわたって、ミランコビッチ理論によってきわめてよく説明できることが判明した。・・・それによると最近の1万年ほどについては、メタンも二酸化炭素も減少しているのが「本来」の姿であるらしい。だが実際のデータを見ると、メタンは5000年前、二酸化炭素は8000年前頃から、予測される傾向を大きく外れて増加していた。ラジマン教授はこの原因を、アジアにおける水田農耕の普及、およびヨーロッパ人による大規模な森林破壊にあると主張して学界に衝撃を与えた。》

《産業革命の後、人間が化石燃料を大量に使用するようになったことで、大気中の二酸化炭素が増加しているらしいことは大半の研究者が認識していた。だがラジマン教授の主張は、人間が気候を左右するようになった歴史は、100年前ではなく8000年前にさかのぼるということを意味していた。もし私たちが、温室効果ガスの放出によって「とっくに来ていた」はずの氷期を回避しているのだとしたら、温暖化をめぐる善悪の議論は根底から揺らいでしまう。》

地球の温暖化や寒冷化に関するこういう穏やかで冷静で説得力のある論述を読むとほっとします。


人気ブログランキングへ

| | コメント (0)

2023年9月21日 (木)

アスパラガスの刈り取った根元をバーナー焼却

先日のブログで「そのうち、あるいはもうそろそろ、根元近くから刈取り、茎枯病の原因となるカビ菌を退治するために、刈り取った根元をバーナー――ガスカセットボンベを利用するバーナーがアウトドア製品として販売されている――で焼却してやる予定です。その後、追肥して、越冬です」と書きました。

冬はまだ先だとしても、立茎栽培中の茎の本数の半分くらいは枯れ始めてきたし、枯れ始めていなくて緑の葉を持つ茎にはアゲハの幼虫が生息し始めたので、全部のアスパラガスを、といっても四つ植えた苗のうちの元気に茎を増やした三つを根元から刈り取ってバーナー焼却しました。翌春以降の今後十年間の収穫に備えるためです。刈り取ったあとには、苦土石灰を撒き米糠も撒いてやり、軽く追肥もしておきました。(バーナー焼却後、地中から新芽が顔を出したのには驚きました。20~25センチくらいまで伸びたら食べてしまいましょう。)

柑橘類でもないところのアスパラガスの、柔らかいとはいえ松葉のような細い葉にアゲハの幼虫が取り付くというのは、そういうこともあるのかと驚きだったのですが――つまり葉の面積の広いレモンやダイダイと違ってどこをむしゃむしゃ齧るのかよく理解できないということです――成虫のアゲハ蝶も賢いはずなので、ダメな場所には卵は産み付けない。アスパラガスをあたらしい子孫繁栄の場所と認識したのかもしれません。

そういえば、地中から伸び出てまもないアスパラガスの若芽の何カ所かが齧られていました。適当に食い散らかしたというような酷い状態で、それがなければ美味しそうなのに、食用にはなりません。これも葉に丸くあるいはギザギザの大きな穴を開けながら食べ進むアゲハの幼虫の仕業だとすると、奴らはまったく隅に置けない。バーナー焼却してやろうか知らん。

920


人気ブログランキングへ

| | コメント (0)

2023年9月20日 (水)

蝶々はなぜそこにいる?

凡ての生物は、この文章を書いている当事者も含めて、そこに存在する理由があるからそこで生きているという考え方があり――そうでない考え方もあるとしても――その考えに従うと連続殺人犯もアゲハ蝶やモンシロチョウにも存在理由があることになります。

蜂は、スズメバチなどは刺されると一大事ですが、ミツバチなどは蜂蜜を生産してくれるし、またたいていの植物の受粉を媒介してくれるので彼らの存在の理由というのが――ヒトというものにとっての存在理由ということになりますが――簡単に想像できます。

しかし、蝶々はひらひらしているのを見ている分には季節を感じて楽しいし、「てふてふが一匹韃靼海峡を渡って行った」(安西冬衛「春」)のような壮大で絵画的な光景の蝶々も捨てがたいものがありますが、蝶々は「連続殺人犯」(正確には「連続殺『葉』犯」でもあるので)、すべてのものには存在理由があるので好き勝手をさせてもよいという考え方には賛同しかねます。

凶悪な(と言う形容詞をつけてみますが)連続殺人犯が出現したら警察は彼(ないし彼女)を逮捕し、状況によっては判事や住民が彼や彼女に死刑を宣告するように――それを一応まっとうな考え方だとすれば――休むことなくいろいろな植物の若い葉を食べ尽くそうとする蝶々の卵や幼虫を殺虫殺菌剤などの手段で排除するのもまっとうな考え方ということになります。

ほんとうは蝶々というような鬱陶しい存在はこの世からすっかり消えてほしいとしても、「凡ての生物は、この文章を書いている当事者も含めて、そこに存在する理由があるからそこで生きているという考え方」に従えば、そうもいかない。穏和な殺虫殺菌剤で彼らの接近を防御する(あるいは排除する)か、あるいは犯人を恨みながら傷だらけになった葉を処分してやるか、それ以外の対応策を思いつかないので気分は鬱陶しい。


人気ブログランキングへ

| | コメント (0)

2023年9月15日 (金)

アスパラガスにアゲハの幼虫

アスパラガスは涼しい気候を好みます。だから長野や北海道で栽培が盛んだといっても、瀬戸内でも栽培できないわけではありません。旬の時期には地元産のアスパラガスが野菜売り場に並んでいますし、家庭菜園でも育成できます。

しかし、瀬戸内ではアスパラガスの収穫時期も今年はもう終わりかもしれません。野菜売り場の棚に並ぶ地元産のアスパラガスが少なくなり、食べたい姿かたちの元気そうなのは北海道産です。家庭菜園のアスパラガスも上に向かって長くふさふさと伸びていたのが八月下旬あたりから、一部、枯れ始めてきました。しかしまだ新芽は地面から出てくるので、三日ほど前に数本いささか細いのを美味しくいただきました。

今年は苗を植え付けた初年度なので、新芽を食べるというよりも、あの柔らかい松葉のような葉をいっぱいに繁らせて、そのふわふわの緑の葉の光合成力で地中の株を成長させることに留意しましたが、配偶者の要望もあって、ぼくの希望も少し混じって、十数本は売り物になるようなレベルのアスパラガスを市販のアスパラガスと混ぜ合わせて賞味しました。

そのうち、あるいはもうそろそろ、根元近くから刈取り、茎枯病の原因となるカビ菌を退治するために、刈り取った根元をバーナー――ガスカセットボンベを利用するバーナーがアウトドア製品として販売されている――で焼却してやる予定です。その後、追肥して、越冬です。

その状態のアスパラガスのまだ柔らかいであろう緑の松葉風に、三~四センチメートルの茶色い細長いものがまとわりついているのを発見しました。仔細に観察すると、全部で数個、アゲハ蝶の幼虫です。

アゲハの成虫(蝶々)は九月中旬でもまだ元気にそのあたりを飛び回っています。彼らの活動時期は三月から十月のようなので、あと一ヶ月くらいはそのあたりで不思議な飛行曲線を描くはずです。

朝夕は秋の気配が外気に滲む季節になってもアゲハの芋虫にレモンやダイダイの若い葉が相変わらずむしゃむしゃ食べられる。それは仕方ないとしても、個々の表面積が頼りない松葉のように少ないアスパラガスを餌にするとは驚きです。まもなくその新しい餌場も消失するとして、次に彼らはどうするのでしょう。鬱陶しい存在なので春も夏も秋もどこかに消えてほしいとは思いますが。


人気ブログランキングへ

| | コメント (0)

2023年9月 1日 (金)

生活の中の秋の気配

秋の気配を感じるのにどこかに出かける必要はなくて、日々の暮らしのそのあたりに転がっています。

蛇口をひねると出てくる水道水がぬるいお湯から水に変わっていることを朝起きた時に感じます。暑いとインフラとしての地下の水道管網の水もぬるくなり従って家庭の蛇口からぬるいのが出てきますが、それが普通の水温になり、季節が進むとひんやりとしたものになります。

早朝のゴミ出しの時に樹木や屋根や電信柱から聞こえてくる鳴声が蝉(セミ)から秋の虫に置き換わっていることに気づきます。雀(スズメ)は年中、元気に声を出し続けています。蝉と雀の組み合わせは暑さを増長して時には鬱陶しい響きになりますが、秋の虫と雀のコラボレーションはすっきりとしていて穏やかです。

夏の暗くなり始めた夕方に、その短い時間帯だけに、蝶々ほどではないけれども、不思議なジグザグの飛行曲線で舞っていた雀サイズの蝙蝠(こうもり)がいつの間にか消え去っています

水田が緑から黄色くなり、黄色になった稲穂が重そうに垂れていて、雀がその頭を下げた稲穂に乗り、微妙に揺れ動くその上でバランスを取りながらイネを食べています。無銭飲食です。なので、場所によっては、実際に役に立つのか立たないのか、あるいは収穫の時期の接近を近所の人に感じてもらうための農家の趣味なのか、両手の指の数に近い本数の手の込んだ作りの案山子(カカシ)が立っていたりもします。


人気ブログランキングへ

| | コメント (0)

より以前の記事一覧